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古典は日本文化を作り替える装置ー島内景二氏講演から

2017-07-10
牧水と『源氏』『伊勢』
日本文化を変え続けた『源氏物語』
宮崎から日本文化を変える試みの実践者とは?

県立図書館で開催された宮崎県教職員互助会主催「わくわく文芸講座」に出席した。今回の全体会は、国文学者・文芸評論家・歌人である島内景二さんの「『源氏物語』を読んで日本文化を変えよう」と題する御講演であった。古典はいつの時代でも「現代文学」であり、古い文化を刷新し新しい日本文化を作るシステムとして位置付けし直したいという趣旨に、まずは大変共感した。特に教室では『源氏』の主題を本居宣長の唱えた「もののあはれ」だと教え、「移ろいの美学」として理解されているが、どのようにこの作品が凄いのかを教えることはないと云う。その結果、無難で面白くない場面のみが教材化され、「新しい日本文化」への刷新が図られることもない。これは『源氏』のみならず、古典教育全般に関して同様の課題があるわけで、現代に生きる子どもたちに「新しい文化」として「いま」に生きる学びを創る必要があるだろう。こうした観点からすると「伝統的な言語文化」という指導要領上の文言には、大きな誤解があるように僕は思う。

続いて牧水と『源氏物語』『伊勢物語』との関連も述べられ、「あるときはありのすさびに憎かりき忘られがたくなりし歌かな」(『独り歌へる』)が『源氏』桐壺巻の引歌の共通性を指摘し、「桐壺更衣と死別した桐壺帝」と「小枝子と生別した牧水」を「愛の王国の消滅」と読み解くあたりには個人的に深い興味を覚えた。それはまだまだ牧水の歌の中に、こうした王朝文学の欠片を発見する可能性に胸が高鳴るからである。また御講演の最後には、宮崎を故郷とする誇るべき歌人・伊藤一彦さんのことにも言及され、「悪しき近代文化」のシンボルとしての「東京」と戦い続け、宮崎を「世界変革の本拠地」と定めた覚悟を持った人であると賞讃された。僕自身は東京生まれであるのだが、むしろ今はそれだからこそ「東京に抗う」という意味で共通した野望を抱くものだと決意を確認し、約2時間近くに及ぶ御講演は終了となった。

御講演後は、島内さんの短歌の師匠・塚本邦雄の歌碑を求めて高城まで
その後も雨の青島を歩き長塚節と牧水の歌碑を巡った
国文学者・文芸評論家・歌人という理想的な先輩との邂逅、”文化”放談に宮崎の夜は更けた。
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