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新刊『さらに悩ましい国語辞典』ー「忖度」の用例に納得

2017-07-06
メディアで頻繁に使用されるようになった「忖度」
「他人の心を推し量る」という意味のみ
「何かを配慮する」という意味はない

大学学部の先輩である神永暁さんが、新たに『さらに悩ましい 国語辞典』(時事通信社)を刊行され早々にご恵贈いただいた。当該書籍は、話題を呼んだ第1弾の『悩ましい国語辞典』(同社刊)の続編であり、Web上の「日本語どうでしょう」で神永さんが連載している記事を一冊にまとめたものである。先日は、宮崎日日新聞コラム欄「くろしお」にも引用されており、人口に膾炙した一冊といえるであろう。神永さんは長年、辞書編集一筋の人生を歩んでこられ、その調査・編集の中で得られた貴重な情報により、通常の辞書では表面化しない部分を興味深くまとめていて実に面白い。まさに日本語の奥行きを知り「言語感覚を豊かに」するには、当該書籍は常に座右に置きたい2冊である。学生から一般の方まで、そして繊細な言語感覚が求められる短歌関係の方々にも、ぜひとも推薦したい好著である。さて冒頭に記したのは同書において、今年上半期話題となった「忖度」の項目の記事の一部引用である。同項目は、「本来なかったそのような意味があたかもあったかのように使われ始めている。辞書編集者としてはそれが気になるのである。」と結ばれている。「あったものをなかったように」も許し難いが、その逆もまた「日本語」に失礼であろう。いずれも公言の中でさえ、捏造や揉み消しが氾濫していることを思わせる。


さて、まずは「忖度」は難読語ではという指摘もされているが、これほど話題にならなければ「ソンド」「フンド」「フド」などと誤読されることも多い語彙だと同書にある。そして何より同書同項目で納得したのは。神永さんが編集長を務めた『日本国語大辞典』における「忖度」の用例である。著名な福沢諭吉『文明論之概略』巻二第四章の文章が引用されているようだが、同書にはその現代語訳(神永氏訳)が示されているので、ここに覚書として引用しておきたい。

「人の心の働きはたくさんの事柄から成り立っていて、朝は夕方と異なり、夜は昼と同じではない。今日は徳行のそなわった人でも明日は徳のない品性の卑しい人になり、今年敵だった者が来年には友達になるかもしれない。人の心の働きが時機に応じて変化することは、それが現れれば、ますます思いがけないこととなるのである。幻や魔物のようで、あれこれ考えをめぐらすことも、推し量ることもできない。他人の心を忖度できないのはもとより言うまでもないことだが、夫婦親子間でもお互いにその心の働きを推し量ることはできない。単に夫婦親子だけでなく、自分の心をもってしても自分自身の心の変化を思い通りにすることはできない。いわゆる「今吾は古吾に非ず(=今の自分は昔のままの自分自身ではない)」というのがこれである。その実態はあたかも晴雨の天候を予測できないのと同じようなものである。」(同書p168・169より引用)


まさに人の心は「忖度」できないと云うのだ
それを心得た上で、夫婦親子関係を考えた方が健全なのかもしれない
時機に応じての変化に寛容であることを「愛情」と呼ぶのであろう。

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