凄いぞ!「若い広場」

2017-07-25
朝ドラ用アレンジ
ちょうど今の筋書きに重なり
最初に聞いて涙にくれる・・・

朝ドラ「ひよっこ」が。月曜から深い涙を誘う内容であった。恵まれた家庭に育った恋人・島谷は、親が用意する縁談を断るために「家族と縁を切る」と言い出し、貧乏になっても大丈夫だと主人公・みね子に打ち明ける。困難を超えて自分への愛の道を選択したことに嬉しさを覚えながらも、「貧乏で大丈夫などと簡単に言えるものではない」と、自らが経験した農村で生き抜くことの苦労を胸にみね子は次のように島谷に告げる、「親不孝な人は嫌いです」と。この台詞を聞いた時、4月からの様々な場面が甦り、この朝ドラにも大きな山場が訪れていることを実感した。昭和39年前後の東京五輪へ向かう社会状況下、地方と東京の格差は拡大し、地方は地方で貧富の差が拡大するという、ある意味の「分断」が列島を支配し始めた頃である。だがしかし、この場面のみね子の台詞に表現されていたように、片寄せあう家族とか仲間たちという人の温かさが健在であることで、自らの信条を貫く生き方も可能だったのであろう。

奇しくも、主題歌である桑田佳祐さんの「若い広場」が、収録される新アルバム発売(8月23日)前ながらWeb上で1曲のみ「先行配信」されていた。先日、ダウンロードして早速に聞いてみたところ、最初でその歌詞の奥深さに涙に暮れてしまった。まずは朝ドラの冒頭にかかるのは、それ用のアレンジで、1番・2番・3番の歌詞がダイジェスト的に組み合わされている。曲は全体が青春の恋の物語という筋があり、誰もが体験するような淡く切なくも熱い恋を連想させる。多くの方が朝ドラで曲を聞いていて冒頭の「愛の言葉を・・」に続く部分の歌詞がわからないというが、そこは女性の名前。先日の公開講座でその話をすると、ある受講者の方からそれは津村謙の「上海帰りのリル」ではないかと教わった。確かに戦後まもない昭和26年当時に、このような曲が流行している。桑田さんの曲にはよく女性の名前が歌詞となるが、これもその一つなのである。小欄で、これ以上歌詞の「ネタバレ」は避けるが、昭和30年代を思い出すような曲調と歌詞とともに蘇る恋物語は、深い感激なくして聞けないのである。

10月からライブツアーも予定されている
もしチケットが入手できて生で聴くことができたなら
東京五輪を跨って様々な意味で時代が交錯しているのである。

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遠慮するなよ

2017-07-24
原稿に集中した休日
自己内対話と思考の沈殿
ふと誰かと話したくなると・・・

早朝に自宅PCの具合が悪く、こうした時間帯の投稿になった。どこかのWeb投稿で読んだが、こうした文章を書くにも、誰か具体的な読み手を想定しているか否かで、大きく文体や内容が変わると云うのだ。ブログという聊か一方的なWeb表現ツールではあるが、ここを起点にしながらむしろ生活そのものの中で「対話」を醸成する上での意義も感じることがある。毎朝の更新を待ってくれている人がいる。ただそれだけで「書くこと」の意味が「生きる」ことに通ずるものだ。

この土日は、すっかり原稿に専念できた。「全部自分に使える日」というのは誠に貴重である。時にこうして、自己の内面と徹底的に対話することも必要だ。他者との対話性を重視するということは、自己内対話も重んじる必要がある。簡単に他者と交信できるようになった時代であるが、それだけに無節操な言葉も飛び交いがちだ。自己の中にある考えが静かにゆっくりと沈殿するのを待つ時間が欲しくなる。そうこうして原稿の目処が立つと、独り近所の店のカウンターへ。さらなる自己対話をと構えていると、腹心の親友御夫妻が偶然にもやって来て「遠慮しないで電話しなよ」と笑顔。すっかり充実した休日となって、気持ちよく就寝となった。

考えてみれば
この親友御夫妻とはWeb上の交信がない
常に対面ライブで話すことに、この上ない関係が構築されている。
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隠れメニューと常連客

2017-07-23
「えび0.5」
「ヒレですね」
馴染みの飲食店にて・・・

ほぼ1日中、研究室で原稿を書いていた。休日のキャンパスは人影もまばらで、何より閑かなのがよい。研究室を訪ねてくる人もおらず、廊下には足音も聞こえない。まるっきり自分のために使える時間があるというのは、実にありがたいものである。それでも籠りっきりになると頭も回らなくなるので、必然的に食事の時間が楽しみとなる。それでも昼食はあまり重くならないようにと配慮し、馴染みのうどん屋さんへ。その店では、メニューにない常連ならではの注文方法がある。メニューにある「えび天うどん」を注文するとかなり大きなえび天が2本も麺の上に乗ってくる。嫌いではないが昼から2本はややこたえるので、「かけうどんにえび1本(をトッピング)」と注文する。前払いカウンターで店員の方は、奥の厨房に向かって「えび0.5」と声をかけて、「かけうどん」と「えび1本分」の値段を加算するために計算機を叩く。ちょうど「500円」、ワンコインだともちろん僕は計算機の結果を待たずに知っている。この注文が可能だということは、地元の親友に聞いた。物理的には”簡単”にできることでも、注文するとなると尻込みすることも多い。自分で勝手に思い込んでいても始まらない、何事もまずは聞いてみる「挑戦」をすることである。

夕食はどうしようかと思いきや、身体が栄養を欲していたので、やはり馴染みであるとんかつ屋さんへ。この店のとんかつは、東京を市場としてもかなりのレベルであると思う。着席してしばらくすると、優しそうな旦那さんが麦茶を持って席にやって来る。おしぼりとともに一通りのセッティングをすると、先方から「ヒレで」と笑顔で問い掛けてくれる。旦那さんは僕が「ヒレ好み」であることを心得ており、席に座ると「確認」でオーダーされる程である。店内には「ちあきなおみ」あたりの昭和歌謡が流され、壁には野球選手が来店した時の写真でいっぱいである。この日は帰り掛けに旦那さんが、「来週は休みますから」と声を掛けてくれた。後から考えて僕自身の来店頻度がどれほどかと考えたが、旦那さんが「常連」だと認識してくれている証だと、心の繋がりを感じ取る一言であった。

外食頼りではあるが
それだけに地域の飲食店に支えられている
常連となる店を持つ、今の学生たちにはこうした感覚はあるのだろうか?

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到着ではなく旅をするために

2017-07-22
「人が旅をするのは
 到着するためではなく
 旅をするためである。」(ゲーテの言葉から)

松尾芭蕉の『おくのほそ道』冒頭に記されているように、「月日」そのものが「永遠の旅人」なのであり、実際に旅をし続ける人ならずとも、「行き交ふ年」の上で「漂泊の思ひ」を抱いて日々を過ごすものである。「人生は旅である」といった趣旨は、小欄においても何度も書き記してきた。となれば、こうした文章そのものが「旅日記」や「旅先からの手紙」ということにもなろう。いま此の地・宮崎に住むに至るも、様々な「旅」の綾が錯綜し合って、長年住みなれた故郷を離れて、物理的にも「旅」の意味合いが色濃くなったようにも思う。「此処」という必然か偶然かの流れの中で、暮らすようになる縁のある土地。出身地から離れてこそ、見えてくるものもあり聞こえてくるものもある。そして予想もしない出逢いもあって、新しい朝が来る。

現代社会では、「到着」ばかりを急ぐようにいつからなったのだろうか?高校生は、大学受験をはじめとする「進路」のために、貴重な青春時代を費やす。大学生もまた、「就職」のために貴重な体験のできる学生時代をやり過ごす。教育する側も「進路指導」「就職指導」などという看板を大々的に掲げて、「到着」への準備こそが「生きる」ことだとばかり閉塞した歩み方を助長する。こうした社会環境に対して、僕自身は中学校時代から疑問を持っていた。塾へ行くよりやりたい野球をやる。高校の時しか体験できなかったであろう器械体操もやった。「研究」をしたいとは思っていたが、20代にしか踏み込めない現職教員の仕事に夢中になって、生徒たちとともに汗をかいた。とことんやりたいことから離れれば、再びやりたい「研究」の歩みに帰ってきた。こうして振り返れば、決して「到着」するために生きてこなかったと断言できる今がある。

「到着」したら何があるのだろう?
動かざる停滞、混迷、固着、汚濁するのみ・・・
新陳代謝を活発に、今日もまた旅が始まる。
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あくまで現代に読む古典

2017-07-21
「温故知新」再考
「伝統的な言語文化」という文言の罠
「現代」を生きる我々が何を読むか・・・

大学生にアンケートを取ると、概ね「古典は好きではなかった」という回答が多い。たぶんそれはここ20年〜30年か、それ以上変わらない「定番不人気」であるように思われる。「古典教育をどうしたらよいか?」という命題も、様々に議論されながらもなかなか明るい未来が見えないままになっているわけである。とりわけ現行指導要領から加わった「伝統的な言語文化」という「一事項」に関しては、「古典重視」の方針が明らかに打ち出されたのであるが、小学校から古典教材を扱うようになったという革新が見られた程度で、その授業のあり方や享受のあり方を改善する方向性が明確になったわけではない。抑も「伝統的な・・・」という文言が使用されることで、古典には「核心」となる「権威」が含まれていて、それを再び甦らせるといった動きだけが見え隠れして、真に現代人として「古典をどのように読んだらよいか?」という意識が希薄なのが問題だと思われる。

「昔」は崇高で「現代」は頽廃したのか?だとすれば、我々はその「頽廃」たる文明を享受して、少なくとも「便利」だなどと「甘えて」いるのであろうか?考えやすいので数世代の歴史の中でこれを考えるならば、祖父祖母・父母の世代が「戦争」を経験し苦労したから「崇高」で、その苦労を知らない僕ら「戦争を知らない子どもたち」は「頽廃」したのだろうか?こうした懐古主義に走ればむしろ「戦争」という体験が「貴重」だとも考えられてしまい、無闇に「戦前回帰」をするような悪質な考え方を助長しかねない。もちろん「戦争」の経験を語り継ぐことを、否定する気は毛頭ない。語り継ぐにはどのような考え方を採るかを、精査すべきだと思うのである。「今」を生きる我々は、宿命的に「今現在」しか生きられない。だとすれば、受け継いだことばを想像力豊かに「現代」における「意味」を創り出すしかないのではないか。中高の「古典学習」を考えた時、まずは指導者自身がその「現代的意味」を持てるか否かが、重要ではないのかと痛感するのである。

「現在」の歌創りにも生きる
「古今和歌集仮名序」の抒情論と効用論
和漢・和洋との相対化の中で育てられた「やまとことば」とは何かを考えたい。
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新たなる守護神登場

2017-07-20
玄関を開けると宅配の方が
「いま上から降ってきました」
と驚く状況に加えてさらに・・・

その名称としては「守宮」とか「家守」という漢字が当てられる。『日本国語大辞典第二版』の用例には白秋の『思ひ出』柳河風俗詩・沈丁花「ふっととだえたその窓に守宮吸ひつき、日は赤し」が挙げられており、壁や窓や天井にはりつく性質がある。我が家では以前から、玄関扉に張り付いていたり、その扉の隙間が居心地がよろしいようで、この時季になるとしばしば姿を現していた。最初はそのような想定もしなかったので、不意に玄関扉を開けるとその振動で耐え難くなるのだろう、扉から玄関前に落下してしまい「ピチッ」という比較的、はっきりとした身体を床のタイルに打ち付ける音が印象的であったゆえ「ピチ太郎」と名付けて共存していた。先日、不意に宅配さんが玄関ベルを鳴らしたので、出てみると冒頭に記したように彼の眼前に落下したようなのである。その際には、特に音は聞こえなかったのであるが・・・

ところが先日の出張から帰ると、勝手口側の台所の窓にも張り付いている「新ピチ」を発見するに至った。網戸には手足の毛状突起の吸盤を使用しやすいのであろう、そのあたりに頻繁に姿を見せるようになった。一度は勝手口扉にも張り付いていたので、意図して扉を開けて「ピチッ」さながらな状況を体験してもらった。この辺りは棲む場所ではないんだよ、と教えたつもりであったのだが、どうもこうした扉周辺を好むのは何か理由があるのだろうか?『日国』に拠れば、「夜活動して昆虫を捕食。動作は敏速で、驚くとごく弱い声でキーッと鳴いて逃げる。無毒。」とある。僕自身はまだ、この驚いた際の鳴き声を聞くすべもないのだが、特に害もなく虫を食べているだけに駆除するものでもないと考えている。特に漢字表記の「家守」からして、まさに守護神であると思うしかないのであろう。これぞまさに自然との共存なのだと考えてはいるが・・・

宮崎に移住して出会った生き物たち
ベランダが煤煙で黒くなる東京のマンションに慣れ過ぎたのか
「生きているということ いま生きているということ」(谷川俊太郎「生きる」より)
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宮崎大学短歌会(第6回)ー繰り返し(リフレイン)を活かすには

2017-07-19
山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇(くち)を君
(若山牧水『海の声』より)
短歌の中の繰り返しを考える・・・・・

宮崎大学短歌会定例の活動日。自由題により十首の詠草が提出され、活発な議論が為された。奇しくも提出された歌には、「繰り返し(リフレイン)」を含んだものが多く、こうした偶然性というのも短歌の面白みであると思われた。三十一文字(みそひともじ)という限られた字数内で表現する短歌は、素朴に考えるならば同語の重複は避けるべきであり、繰り返しにはそれなりの効果が求められる。だが冒頭に記した牧水の歌のように、敢えて同じようなフレーズを繰り返して個性を発揮できる可能性もある。特に牧水の場合は第一歌集『海の声』にこうした歌が多く、その要因として、一次言語(音声言語)としての意識が強く作用しているのではないかといった指摘を、昨年の『牧水研究』(第20号)の評論に書いた。一次言語にはいくつかの特徴があり、総じて「力動性」があるもので、その中でも特に「累加・累積性」があることを活かした歌作りといえるのではないかということである。

冒頭に記した歌も「山」と「海」の対照性を、「見よ」という命令形と「日は照る」という自然の根本的作用の組み合わせで繰り返しを構成している。その大自然の中に自己と恋人のみが置かれているかのような、壮大な虚構的物語的な景色が想像されつつ、結句では恋人の「唇」を頑なに力強く求めている。もちろんこの歌は、牧水若き日に熱愛した小枝子を求めた歌である。大自然に抱かれながら今此処にいるふたり、その求め合いたい愛への永劫な思いが繰り返しによってよく表現されているように思われる。思えば楽曲の場合も繰り返しの効用は実に大きく、所謂「サビ」の部分というものは、複数回繰り返されることで人の心に響く曲となる。思いつくままに例を挙げるならば、昭和歌謡の名曲「Love is over」なども、この題のフレーズがかなりの回数繰り返され、歌い出しから締め括りまで一貫して嵌め込まれている徹底した繰り返しが効果的であるように思われる。

短歌の中の「音楽」
美しくことばが響くためには
音声言語の力を再考する契機ともなる
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受け継ぐゼミの志

2017-07-18

自由闊達に発言する
各自が表現して考えを深める
そしてまたよく酒を呑む

大学院の恩師がこの世を去って10年目となった。病のことを知らされてから数ヶ月での急逝、僕たち院生はもとより、学部生で卒論ゼミであった学生たちのショックは甚だ大きかった。その卒論ゼミを急遽代講させていただき、彼らが卒論を提出し卒業するまでを、経験もない僕が担当することになった。5月の連休や夏休み中に、彼らが卒論の題材としている文献を読み漁り、恩師ほどではないまでも、何とか「指導」できるまでの次元に至ろうと死に物狂いで努力したのも、今では懐かしい思い出となった。そして恩師もお呼びしようと計画していた夏合宿。1月の卒論提出を経て、2月には京都に中古文学を巡る卒業旅行も実施した。このあまりに急な経験が、僕のゼミ指導の基本に据えられている。

当時の学生たちとは、恩師の命日であるこの時季に毎年欠かさず会うことにしている。その時間設定やお店の予約など、毎年のことながら彼らの中の女子たちが用意周到にこなしてくれる。また当時からそうであったが、会えば忌憚のない談話が次から次へと展開する。まさに彼らの20代をそのまま、僕も付き合わせてもらった感覚である。ゼミ生の多くは仕事に向き合いながらも家庭を持ち、子育てなどの話題も頻繁に話されるようになった。中古文学を自由闊達に語っていたあの頃と同様に、彼らとの対話から学ぶことも多い。紛れもなく僕自身が今もゼミで求めることは、彼らとの時間を起点としている。

恩師が導く僕自身の定点観測
穏やかな笑顔で今も見守ってくれている
「教育」に携わり人に接するこの上ない幸福の時間。
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「自分」の中にある「文化」のみなもと

2017-07-17
先祖の墓参
わが生まれ来しみなもと
意識・無意識に引き継いでいるもの

高校生ぐらいになると勉学に怠惰な気持ちも生じるゆえ、「古典」に対して「なぜ現在は使われない古いことばや文を勉強しなければならないのか?」と疑問を口にする者も多い。僕も現職教員の頃、こうした場面によく直面した。大学で教員養成に携わってからというもの、「中等国語教育研究」の講義などで学生たちに、こうした場面を想定してどのように中・高生を説得するかという場面指導演習を行うことがある。その際に僕自身が最後に一例として示すのは概ねこういう内容である。「君らは両親なくして生まれておらず、その両親もまたそれぞれに両親がいなければ生まれておらず、同じように先祖代々のDNA(遺伝子)を引き継いでいま此処にいられる。それと同じように君らがいま此処で使っている日本語もまた、そうした蓄積の上に初めて成り立っている。」

少なくとも大学生であれば、こうした内容にそれなりの納得を示す。「自分」の中に持っている「日本語」は、自分だけの存在では獲得できない「文化」であるわけだ。その始原は誰しも、たぶん母から投げ掛けられる「ことば」から始まって、次第に「言語」を獲得して来たということになるだろう。更に「大人」になって分析的に考えられるようになると、「言語」以外の「行動」も母や父から継承したものがあることに気づかされる。日常行動の順序、他者とのコミュニケーション方法、食事の習慣、食べ物の好み、動植物の好み等々、まさに「性癖」といった遺伝子次元で、自己の中に備わっている傾向があることを捕捉していくことこそ、年代を重ねるという意味ではないかと思うのである。

故郷は場所のみにあらず
こうした「言動」を引き継いだ場所
個々の人の中にこそ「文化」があることに自覚的でありたい。
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「からくれなゐにみずくくるとは」よみの歴史を遡及する

2017-07-16
「ちはやぶる神世もきかず龍田河韓紅に水くくるとは」
(『古今和歌集』秋下・ニ九四番歌)
『百人一首』にも入る著名な歌の解釈と読み方のことなど

和歌文学会7月例会が、東京・品川の立正大学で開催された。いずれも興味深い発表が3本なされたが、特に冒頭の業平歌についての考察をされた森田直美氏の「水は括られたのかー在原業平『ちはやふる神世も聞かず』歌の再検討」には、自分の研究領域に近く様々な気づきを得た。現代においても、『百人一首』入集の著名な歌となると、その解釈なども定番となって疑う視点が少なくなるが、『古今和歌集』入集以来の長い注釈史・享受史を考えて再検討すべき点が多いことに気づかされる。当該歌も初句「ちはやぶる」と表記されがちだが、中古中世時代のことを考えると「ちはやふる」と濁音化しないで読むことが妥当という一説も紹介された。あらためて『古今和歌集』であれば、1100年以上の「よみ」を遡らねばならないことを念頭に置くべきであろう。

森田氏のご発表では、「水くくるとは」の「くくる」の解釈に注目し、現代において通行している「水をくくり染めにする」といった解釈に疑義を呈し、中世古註でなされていた「潜る(くくる)」という解釈へと再考すべきというものである。この歌の注釈史において近世になって賀茂真淵が「絞り染め」というよみを提出してから、一斉に解釈がこの方向性に偏ったことを指摘する。その要因として、「文悪意匠と小袖」のデザインが普及したという服飾環境の変化が作用したのではという興味深いものであった。このご発表に対して僕は、『古今和歌集』において素性法師の歌に続けて配置され、その詞書で「御屏風に龍田河に紅葉流れたる形をかけりけるを題にてよめる」を重視して、歌配列によめる当時の解釈についても考えれば、より一層「潜る」というよみの妥当性を補強できるのでは、という質問を投げかけた。さらに他の方の質問で、「なぜ『ちはやふる神世もきかず」と大仰な物言いをしているのかについても、下句との関係から考えるべきでは」といった方向性についても、あらためて考えさせられた。『古今和歌集』仮名序の業平評には「心あまりて詞足らず」とあるが、このよみを含めてまだまだ考えるべきでは点は多々ありそうである。

ひらがな表記ゆえの多様性をどう読むか
固着したよみから歌を常に開放し続けなければなるまい
近世・近現代と僕たちが生きている時代を俯瞰してみる必要もある。
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