ひむかともだち街道
2017-07-31
「語り」を閑かな住宅街で
そしてふたたび宵の口は日向市へ
ひむかともだち街道の往還
宮崎に移住して出逢った人々も、だいぶ多くなって来た。その個々の出逢い一つひとつを、心より大切にしたいと思う。この日は、フリーアナウンサー薗田潤子さんの「語り」を、閑静な住宅街にある音楽ホールに聞きに行った。薗田さんとは来宮2年目に、地元MRTラジオ宮崎「サンデーラジオ大学」に出演させていただいて以来、何かと交流させていただいている。落ち着いた語り口、「朗読」として「読む」のではなく、小説の内容を「語る」のだという流儀を貫き、実に内容を聴かせる声がホールに響く。登場人物の会話が「生きた」ものであるのは、少々「落語」の会話にも通じて、「音読」で文学を享受する形態としての原体的な要素を感じさせる。原典の句読点よりも「語る文体」を重視するのも、アナウンサーとしての伝える力である。
その後は、まさに「ひむかともだち街道」を北上、一昨日に引き続き日向市へと向かった。親友の落語家・金原亭馬治さんが数日間、日向に滞在していたので、その最終日の夜を再び日向の美味しい店でともに過ごした。もちろん「ひむか-Biz」センター長の長友さん、そして一昨日にお世話になった「はまぐり碁石の里」社長・黒木さんとともに、楽しい宵の口となった。会社は元来、「黒木碁石店」が母体であり今年で創業100年目を迎えると云う。現在ではドライブイン・レストラン事業に加えて、食品加工・製造も行なっており、オリジナルドレッシングも発売している。様々な場面でこの「碁縁釜飯」を、県内外の多くの方に食べてもらいたいと日向発の夢は広がる。馬治さんともどもこうした地域創生に、少しでも協力できたらと思いつつ、さらに日向市に親しみが湧いた。
日向は牧水の故郷
来月は牧水短歌甲子園の熱戦も
再来月は牧水祭で伊藤一彦先生との対談も予定されている
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予定への向き合い方
2017-07-30
活動できる物理的総量心身が保てる許容範囲
スケジュール管理のことなど
所属する短歌結社「心の花」が、秋田で全国大会を開催している週末。申込時点から何とかして行きたいとあれこれと考えていたが、大学前期が終わっていないこと、大きな主催イベントが入る可能性があったこと、何しろ7月の予定がかなり過密であったことなどを勘案して、やむなく欠席を決断した次第であった。昨年は初めてこの全国大会に参加して、多くの出逢いがあり短歌に一層魅せられたゆえ、参加したいという思いはそう簡単には消えない。この日も、SNS等で大会の様子を発信する方々の記事を読み、伊藤一彦さんの講演や「晴れの歌褻の歌」といった内容を、何とか想像しながら時間を過ごした。時折、やはり事情で参加できなかった方とSNSメッセージで交流したり。聊か自画自賛になるが、小欄のように参加した大会の内容を要約して紹介してくれるサイトはないかと、あらためてWeb上を探そうとする時間となった。
最近、スケジュール管理を再考すべきかと思うことも。先週はTV取材撮影・九州附属学校連合会の対談・落語会と3日連続となるのに加えてこの猛暑、さすがに途中で体力が持つかどうか、不安になる場面もあった。しかし、尊敬する歌人・伊藤一彦さんも大阪(1泊)福岡、その後週末の秋田だと知って、僕ほどの年齢でどうこうも言っていられないと、心身の体力を見直さねばならないかと考えたりもする。この日は充電が必要と、地元産野菜を中心に「29(にく)の日」よろしく半額になっていた宮崎ポークを素材に、体力を戻す食事を自炊した。その後は地元の温泉へ。既に常連仲間に加えていただき、湯船の中で地元の美味しい店を教わったりも。鰻の話題になったがまだ今夏は食べていないなどと、食生活の充実も体力への影響が大きいだろうと悟る。すると不思議と元気が出てきたりもするもの。「スケールが大きく」行くにはどうしたらよいかなどと考えて、早めの就寝と漕ぎ着けた。
何事も日常生活が支える
短歌にすれば心は解放されている
自己の中で錯綜しない予定への向き合い方を。
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「囲碁よろしく」はまぐり碁石の里で金原亭馬治落語会
2017-07-29
日向産はまぐり碁石
名物「碁縁釜飯」
その里で金原亭馬治落語会開催
日向が碁石の産地だと、ご存知であろうか?しかも日向灘で漁れる蛤を材料に、かなり上質な碁石が古来から製造されて来たと云う。いまその伝統工芸をもとに「はまぐり碁石の里」が活気を帯びて来ている。数ヶ月前には「碁縁釜飯」を発売して、日向駅などで発売開始イベントも開催された。近くにはサーフィン世界選手権の会場にもなる名所・小倉が浜もある好立地である。その里を会場に、親友である落語家・金原亭馬治さんの落語会が開催された。ちょうど昨年11月にやはり日向市「ひむか-Biz」プレイベントで落語会を開催したが、その折に馬治さんがこの地をはまぐり碁石の産地だと知って、急遽、ネタを「笠碁」にしたご縁もあって、今回の落語会が開催される運びとなった。
会場は「寄席スタイル」にて、来場者には「碁縁釜飯」や飲物が配布され、飲食しながら落語を楽しんでいただくという形式。劇場のような場所では、昨今なかなか飲食というわけにはいかないが、江戸時代からの寄席というものは、こうして食べて呑んで落語にも酔うというのが粋なスタイルであったわけである。この日は前座に金丼亭イチローさんが「牛褒め」を、たどたどしい噺の運びながら、与太郎噺ならではの展開に「開口一番」の役割は果たし得たようである。お待ちかね真打・馬治さんはまず「お見立て」、廓噺としての花魁と地方訛りの登場人物の描写が絶妙である。こうした落語を聞くと、方言とは「キャラクター」なのだとつくづく感じられる。とりにもう一席はもちろん十八番「笠碁」、頑固な意地の張り合いをする碁の友人同士の気持ちのやりとりが絶妙である。言葉と表情と所作だけで、人間の心がこれほど表現できるのかと、あらためて学ぶことが多かった宵の口であった。
終演後ははまぐり碁石の里社長らと交流会
地元で様々な地域の活動に取り組む人々とまた「碁縁」がつながった
「囲碁(以後)よろしく」と日向の夜は更けた
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九州の歌人たちーよい歌とは
2017-07-28
「いのち生くるこの地の上の対等の生物なれば昆虫(むし)をしいたぐ」(築地正子)「水のへに至り得し手をうち重ねいづれが先に死にし母と子」(竹山広)
「東京に捨てて来にけるわが傘は捨て続けをらむ大東京を」(伊藤一彦)
九州附属学校連合会「国語部会」にて、「心の花」で親交のある宮崎在住の歌人・大口玲子(おおぐち りょうこ)さんをお迎えして、「九州の歌人たち」と題して御講演をいただき、その後、「よい歌とは」というテーマで僕との対談が実施された。かねてから本学附属学校の先生方より、「短歌」に関連する企画をとの要望を実現することができた。まずは、大口さんによる「九州の歌人たち」の御講演。小欄冒頭に三首の歌を引用したが、この三名の歌人について実にわかりやすい「読み」を提供していただき、僕自身もあらためて三者の歌の「凄さ」を学ぶことができた。熊本の築地(ついじ)さんの歌には「対等の生物なれば」の表現に緊張感があり、農産業をしている築地さんが、昆虫を「殺す」のを「しいたぐ」と表現することの凄みが感じられた。二首目の竹山さんは長崎で被爆体験のある歌人。この歌は長崎市内で歌碑にもなっているというが、あらためて読み直して、その凄まじい表現に涙腺が緩まずにはいられなかった。ぜひみなさんも、この歌の「普遍性」を読んでほしい。竹山さんは東日本大震災を見ずに他界されたが、既にこの歌で様々な災害の場面で起こり得る悲劇を予見したようなリアリティが感じられるのである。
三首目は現在宮崎で僕も親交の深い伊藤一彦さんの歌。宮崎で生まれ育ち、大学で東京に出るが高校教員として再び宮崎に帰り、今に至るまで歌を作り続けている。伊藤さんの歌には「東京」に対する奥深い意識が読めて、僕自身も宮崎に移住したからこそ「少しわかる」歌であるように思う。「傘」という雨から身を護る大切な道具でありながら、雨が止んでしまえば捨てられてしまうような存在。その「わが傘」が「大東京」を「捨て続けをらむ」と云うのである。僕自身にとっては故郷である「東京」に、捨てた僕の「傘」は、「鞄」は、「靴」は、今も何を「捨て続けをらむ」なのだろうか。後半は対談「よい歌とは」、なかなか難しいテーマであるが、小中学校の先生方は、こうした「助言」や「評価」観点を欲している。大口さんが角川『短歌』本年新年号に載せた佐佐木信綱の「春ここに生るる朝の日をうけて山河草木みな光あり」の歌を起点にスタート。「すべてを良きものとして歌えるような世の中」を願うという大口さんの願い。往々にして国語の授業では「作者の意図」などを問うが、その「答え」となっているような点を、歌人(作者)は微塵も考えていないことが多いこと。「ことば」そのものの「魅力」から読むこととともに、近現代短歌の場合は歌人の背景を考えざるを得ないことなどを話題として約30分間の対談となった。なかなか「まとめ」というわけにはいかなかったが、まずは先生方自身が作ってみることが肝要ということ。最後の謝辞で、本学附属小学校教頭先生が、歌を一首即詠したことは、まずこの講演・対談の成果であり嬉しい思いで対談を終えた。
歌を語り歌をよむこと
「国語」の中で軽視されがちな短詩系
歌の「凄さ」「美しさ」「怖さ」「喜び」あらゆる「生きる」を受け止めるために。
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「自由研究」に短歌をー宮崎大学短歌会TV初出演
2017-07-27
地元TV放送局企画「自由研究お助け隊」
宮崎大学短歌会の学生たちがいざ!
大学もようやく補講期間となったが次週は試験期間、今やすべての校種の中で一番夏休みに入るのが遅いのが大学である。小中学校では夏休みに「自由研究」なる宿題が出されるのだが、その「自由」なる点がなかなか曲者である。学習者主体な発想から出てきた課題なのであろうが、なかなか学習者が真に楽しく自ら進んで課題に取り組むことが多いわけではない。現在では(以前からその傾向がなかったわけではないが)宿題も保護者が関わって消化する時代と聞くが、地元TV局の「自由研究お助け隊」という企画に宮崎大学短歌会が出演することになった。主に小学生を対象として、日常生活を短歌にしてそれを大学生たちが歌会のように批評し、その歌について本人と対話をして魅力を発見するという内容である。午前中から研究室に2名の小学生が訪れて、レポーターの方とカメラクルー2名とともに撮影が敢行されたのであった。
「短歌は三十一文字の手紙」と、俵万智さんが折々におっしゃっている。今回もお忙しいスケジュールの中、別撮りで俵さんのインタビューも同コーナーに組み込まれる。小学校などの文章表現などの課題で問題なのは、書いても「読み手」が意識できないことである。短歌創作も「作らせる機会」は多くなったように思うが、廊下に作品を貼り出すなどはされているが、個々の歌を真の意味で「よむ」機会はあまり設定されていない。家族や友人、大人たちも子どもたちも加わって、「三十一文字の手紙」を読み合い表現主体が何を「伝えたい」のかを、様々な角度から「よむ」機会が必要だ。短歌は「他者にどう読まれるか」を知ることで、創作者も気づかなかった魅力が抽出される。しかも生活の中の小さな出来事を心に感じ取ったら、このコンパクトな定型によって手軽に「ことば」にすることができる。家族の中で話題のない場合などでも、一首の短歌が起点になって、豊かな対話が醸成される可能性がある。概ねこのような理論が、学生たちの具体的な言動で3分間のコーナーとなって、今夕地元宮崎で放映される予定である。
UMKテレビ宮崎(3ch)
UMKスーパーニュース(18:14〜)
本日7月27日(木)放映、宮崎のみなさん、ぜひご覧ください!!!
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親子と師弟とそれぞれの
2017-07-26
親の中に発見する自己親身で親和的な師弟関係
いずれにしても話せる間柄でありたい
世間一般でも多いことのように思うが、どうも母親と電話などで話していると苛立ってしまう場合がある。いけないこととは知りながら、ついついそんな状態に陥ることがある。家電品や携帯にWebの扱い方などを説明しなければならない場合などが契機になる。自分はわかっていても、なかなか母親はわからないのであるから、丁寧に説明すればいいものを、電話という声だけのコミニュケーションツールで、こうした説明をするのは、よほど緻密に段階を追って喋る根気が必要だ。こうした契機から苛立ちモードになると、次第に母親の性格・行動の中に自分自身のそれを発見することがある。とりわけ「自分自身としては直そうと思っている部分」であったりすると、なおさら苛立ちが倍増してしまう。心理学的に「親を乗り越える」ことで一人前になるといった考え方があるが、たぶんこれまでの人生で自分自身を改善しようと思った部分を、まさに「性癖」として親のDNAの中に発見すると、その「自分自身」に苛立ってしまう構図がそこにある気がする。
教員採用試験一次も終了し前期末でもあるので、夏のスタミナ焼肉ゼミ会を開いた。(土用丑の日であったが)現4年生とは入学時から指導教員であったこともあり、例年以上に親和的関係にある。自分が大学生だった頃を考えてみれば、指導教授と自由に何でも話せる関係になるには時間を要したように思う。研究室のみならず、こうした会の中で話す機会こそが、その親和性を養う時間である。また卒論テーマの論議のみならず、様々な体験を通してゼミ生が人間的に成長する過程が大切だと実感している。小中高校の様々な現場での機会に連れ出すこと、社会人の方々とともに様々なイベントに参加すること、そこで短歌をはじめとする貴重な世界に生で触れることで、若い力は伸びていく契機を掴む。これは同時に僕自身も、こうした機会に参加することを重視して、様々な人々との交流を大切にすることに他ならない。ゼミ生の姿にどこか自分を発見し、そこに誤りを含めて考え方の傾向を見る。いずれにしても、建前で覆い隠すことのない親身で親和的な関係を築けたらと常々考えている。
向き合う人の中に発見する自分
それこそが相手の立場でものを考える原点でもある
「親身」「親和」とは何か?あらゆる人と人との関係で考えておきたいことだ。
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凄いぞ!「若い広場」
2017-07-25
朝ドラ用アレンジちょうど今の筋書きに重なり
最初に聞いて涙にくれる・・・
朝ドラ「ひよっこ」が。月曜から深い涙を誘う内容であった。恵まれた家庭に育った恋人・島谷は、親が用意する縁談を断るために「家族と縁を切る」と言い出し、貧乏になっても大丈夫だと主人公・みね子に打ち明ける。困難を超えて自分への愛の道を選択したことに嬉しさを覚えながらも、「貧乏で大丈夫などと簡単に言えるものではない」と、自らが経験した農村で生き抜くことの苦労を胸にみね子は次のように島谷に告げる、「親不孝な人は嫌いです」と。この台詞を聞いた時、4月からの様々な場面が甦り、この朝ドラにも大きな山場が訪れていることを実感した。昭和39年前後の東京五輪へ向かう社会状況下、地方と東京の格差は拡大し、地方は地方で貧富の差が拡大するという、ある意味の「分断」が列島を支配し始めた頃である。だがしかし、この場面のみね子の台詞に表現されていたように、片寄せあう家族とか仲間たちという人の温かさが健在であることで、自らの信条を貫く生き方も可能だったのであろう。
奇しくも、主題歌である桑田佳祐さんの「若い広場」が、収録される新アルバム発売(8月23日)前ながらWeb上で1曲のみ「先行配信」されていた。先日、ダウンロードして早速に聞いてみたところ、最初でその歌詞の奥深さに涙に暮れてしまった。まずは朝ドラの冒頭にかかるのは、それ用のアレンジで、1番・2番・3番の歌詞がダイジェスト的に組み合わされている。曲は全体が青春の恋の物語という筋があり、誰もが体験するような淡く切なくも熱い恋を連想させる。多くの方が朝ドラで曲を聞いていて冒頭の「愛の言葉を・・」に続く部分の歌詞がわからないというが、そこは女性の名前。先日の公開講座でその話をすると、ある受講者の方からそれは津村謙の「上海帰りのリル」ではないかと教わった。確かに戦後まもない昭和26年当時に、このような曲が流行している。桑田さんの曲にはよく女性の名前が歌詞となるが、これもその一つなのである。小欄で、これ以上歌詞の「ネタバレ」は避けるが、昭和30年代を思い出すような曲調と歌詞とともに蘇る恋物語は、深い感激なくして聞けないのである。
10月からライブツアーも予定されている
もしチケットが入手できて生で聴くことができたなら
東京五輪を跨って様々な意味で時代が交錯しているのである。
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遠慮するなよ
2017-07-24
原稿に集中した休日自己内対話と思考の沈殿
ふと誰かと話したくなると・・・
早朝に自宅PCの具合が悪く、こうした時間帯の投稿になった。どこかのWeb投稿で読んだが、こうした文章を書くにも、誰か具体的な読み手を想定しているか否かで、大きく文体や内容が変わると云うのだ。ブログという聊か一方的なWeb表現ツールではあるが、ここを起点にしながらむしろ生活そのものの中で「対話」を醸成する上での意義も感じることがある。毎朝の更新を待ってくれている人がいる。ただそれだけで「書くこと」の意味が「生きる」ことに通ずるものだ。
この土日は、すっかり原稿に専念できた。「全部自分に使える日」というのは誠に貴重である。時にこうして、自己の内面と徹底的に対話することも必要だ。他者との対話性を重視するということは、自己内対話も重んじる必要がある。簡単に他者と交信できるようになった時代であるが、それだけに無節操な言葉も飛び交いがちだ。自己の中にある考えが静かにゆっくりと沈殿するのを待つ時間が欲しくなる。そうこうして原稿の目処が立つと、独り近所の店のカウンターへ。さらなる自己対話をと構えていると、腹心の親友御夫妻が偶然にもやって来て「遠慮しないで電話しなよ」と笑顔。すっかり充実した休日となって、気持ちよく就寝となった。
考えてみれば
この親友御夫妻とはWeb上の交信がない
常に対面ライブで話すことに、この上ない関係が構築されている。
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隠れメニューと常連客
2017-07-23
「えび0.5」「ヒレですね」
馴染みの飲食店にて・・・
ほぼ1日中、研究室で原稿を書いていた。休日のキャンパスは人影もまばらで、何より閑かなのがよい。研究室を訪ねてくる人もおらず、廊下には足音も聞こえない。まるっきり自分のために使える時間があるというのは、実にありがたいものである。それでも籠りっきりになると頭も回らなくなるので、必然的に食事の時間が楽しみとなる。それでも昼食はあまり重くならないようにと配慮し、馴染みのうどん屋さんへ。その店では、メニューにない常連ならではの注文方法がある。メニューにある「えび天うどん」を注文するとかなり大きなえび天が2本も麺の上に乗ってくる。嫌いではないが昼から2本はややこたえるので、「かけうどんにえび1本(をトッピング)」と注文する。前払いカウンターで店員の方は、奥の厨房に向かって「えび0.5」と声をかけて、「かけうどん」と「えび1本分」の値段を加算するために計算機を叩く。ちょうど「500円」、ワンコインだともちろん僕は計算機の結果を待たずに知っている。この注文が可能だということは、地元の親友に聞いた。物理的には”簡単”にできることでも、注文するとなると尻込みすることも多い。自分で勝手に思い込んでいても始まらない、何事もまずは聞いてみる「挑戦」をすることである。
夕食はどうしようかと思いきや、身体が栄養を欲していたので、やはり馴染みであるとんかつ屋さんへ。この店のとんかつは、東京を市場としてもかなりのレベルであると思う。着席してしばらくすると、優しそうな旦那さんが麦茶を持って席にやって来る。おしぼりとともに一通りのセッティングをすると、先方から「ヒレで」と笑顔で問い掛けてくれる。旦那さんは僕が「ヒレ好み」であることを心得ており、席に座ると「確認」でオーダーされる程である。店内には「ちあきなおみ」あたりの昭和歌謡が流され、壁には野球選手が来店した時の写真でいっぱいである。この日は帰り掛けに旦那さんが、「来週は休みますから」と声を掛けてくれた。後から考えて僕自身の来店頻度がどれほどかと考えたが、旦那さんが「常連」だと認識してくれている証だと、心の繋がりを感じ取る一言であった。
外食頼りではあるが
それだけに地域の飲食店に支えられている
常連となる店を持つ、今の学生たちにはこうした感覚はあるのだろうか?
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到着ではなく旅をするために
2017-07-22
「人が旅をするのは到着するためではなく
旅をするためである。」(ゲーテの言葉から)
松尾芭蕉の『おくのほそ道』冒頭に記されているように、「月日」そのものが「永遠の旅人」なのであり、実際に旅をし続ける人ならずとも、「行き交ふ年」の上で「漂泊の思ひ」を抱いて日々を過ごすものである。「人生は旅である」といった趣旨は、小欄においても何度も書き記してきた。となれば、こうした文章そのものが「旅日記」や「旅先からの手紙」ということにもなろう。いま此の地・宮崎に住むに至るも、様々な「旅」の綾が錯綜し合って、長年住みなれた故郷を離れて、物理的にも「旅」の意味合いが色濃くなったようにも思う。「此処」という必然か偶然かの流れの中で、暮らすようになる縁のある土地。出身地から離れてこそ、見えてくるものもあり聞こえてくるものもある。そして予想もしない出逢いもあって、新しい朝が来る。
現代社会では、「到着」ばかりを急ぐようにいつからなったのだろうか?高校生は、大学受験をはじめとする「進路」のために、貴重な青春時代を費やす。大学生もまた、「就職」のために貴重な体験のできる学生時代をやり過ごす。教育する側も「進路指導」「就職指導」などという看板を大々的に掲げて、「到着」への準備こそが「生きる」ことだとばかり閉塞した歩み方を助長する。こうした社会環境に対して、僕自身は中学校時代から疑問を持っていた。塾へ行くよりやりたい野球をやる。高校の時しか体験できなかったであろう器械体操もやった。「研究」をしたいとは思っていたが、20代にしか踏み込めない現職教員の仕事に夢中になって、生徒たちとともに汗をかいた。とことんやりたいことから離れれば、再びやりたい「研究」の歩みに帰ってきた。こうして振り返れば、決して「到着」するために生きてこなかったと断言できる今がある。
「到着」したら何があるのだろう?
動かざる停滞、混迷、固着、汚濁するのみ・・・
新陳代謝を活発に、今日もまた旅が始まる。
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