ひとすぢにただ山の恋しき

2017-05-31
「問ふなかれいまはみづからえもわかず
 ひとすぢにただ山の恋しき」
(若山牧水 第5歌集『死か芸術か』より)

「自分」という存在のことをみずからどれほど「分かって」いるだろうか?もちろん、「自分のこと」は「自分」にしか「分からない」こともたくさんある。だが本当にすべてを「分かっている」かというとそうでもない。むしろ他者との対話を繰り返すことで、ようやく「分かってくる」ことの方が多いような気がする。「自分」という殻の中に閉じこもれば閉じこもるほど、考え方は偏り頑なになってしまう。毎日1度は鏡を見るのと同じように、「他者」という「鏡」にみずからを投影する必要がある。「鏡」は決して「自分」の実像ではないだろうが、人間は「鏡」でしかみずからの姿を「見る」ことはできない。そして「鏡」たる「他者」と対話をするには必ず、「なにゆゑに」という問い掛けが生ずることになる。

冒頭に掲げた牧水歌の歌集配列ののちには、「なにゆゑに旅に出づるや、なにゆゑに旅に出づるや、なにゆゑに旅に」という歌もあり、「旅(=人生)」を歩むことに対して自問自答していることが窺える。 この「問い」によってみずからの「いま」を深く考えることになる。我々もそうであるが、生きる上で「学ぶ」ためには必ずこうした「問い」が不可欠である。だが自問自答ばかりを繰り返していると、どうなるだろうか。やがて思考も身体も、そこから動けなくなってしまう事態に陥ったりしないだろうか。そこで、冒頭の歌の意味が再浮上してくる。「問ふなかれ」という初句に導かれ「いまはみづからえもわかず」と自分自身では「分別をつけ得ない」と詠う。何より肝心なのは、対象への「ひとすぢにただ」という熱き「恋し」さということ。牧水は周知のように、「動かない」のではなく、旅に出て「動きながら」考えた歌詠みであったといえるだろう。

「問ひ」の大切さ
そしてまた、情熱的にわけも分からず対象へ向かうこころ
人生とは誠に葛藤に満ちているから面白い。
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〈教室〉で書いたものを読んで伝える声

2017-05-30
説明文で読んだ内容を
自分の体験を通して理解する
そこで書いたものを読んで他者に伝えると・・・

小中学校で教育実習研究授業を、参観する機会が多い季節になった。実習生がいかなる教材でいかなる授業を創るかを精緻に分析するには、今や教室の後ろで遠目から授業を観ていたのでは分からないことが多い。観点として重要なのは、学習者の反応としての「話す 聞く」「書く」といった「表現」の内実ということになる。参観者としても机間巡視を繰り返し、学習者の反応や表現に注意を注いでいく。そこで従前から大きな課題であると思っていたことに、あらためて気づかされる。例えば、学習者がノートやワークシートに「書いた文字」を、他者に「声」で伝えようとするとき、なかなかそれが内容を「伝え合う」意識に至らないという現象がある。「文字」を単に「棒読み」するに過ぎず、「書き言葉」の「音声化」の趣にしかならないのである。まさに「音読」される「文学作品」も、まったくこの趣から脱し得ない国語教室が溢れている。

なぜ教室では、「文字」を「読む」ごとき「棒読み」になってしまうのだろうか?元来、「読む」という行為が内向的・内言的であり、外向的な「表現」ではないという前提を考える必要があるかもしれない。言い換えるならば、明治以降の言文一致において、まさに「言」と「文」は「一致」したのだと思い込まれてはいるが、やはり「口語性」があるものと「書き言葉」に、距離があると言わざるを得ないのではないだろうか。このあたりが「漢文」及び「訓読文」という明確な「書き言葉」が社会的に通行していた時代からの大きな変化として、再認識すべきではないかと思うのである。(もちろんその「漢文」や「訓読文」が「声」を伴ってさえも、音として流麗な韻律を持ち得ていたことも考慮していく必要はあるが)そして「口語性」があるという場合、それは語順の倒置や明確な主語の欠如などが、”悪気もなく”通常に行われる可能性がある。その倒錯を修正するが為に、「作文の型」のごとき代物が、国語教室に導入される。それは「論理的」という笠を被っており「定式的な言葉」なのであり、決して相互に「声」で「伝え合う」言葉ではないという矛盾と直面する。それを避けようとすれば、「書いた文字」を「読む」のではなく、それを「メモ」として「話す」という「変換」が必要になるのではないかとさえ思えてくるのだ。

「声」と「文字」の問題
通史的に文学史・国語史の観点から捉え直す必要が
そこにこそ、自らの体系的な貫く棒のごときものがあるようにも思えてくる。
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面白く読もう古典文学

2017-05-29
刺激的な読みと解釈
面白いと感ずる根源は何か
人が生きる奥底にあるものを読むこと

中古文学会2日目、『源氏物語』を中心に7本の研究発表が行われた。個々についての具体的なコメントを記すことはしないが、こうした場での「良い研究発表」とは何かと深く考えてみたくなる。素朴に述べるならば、刺激的で面白いと感じられる「読み」が提示されている発表ということに尽きるだろうか。あるいは発表者が信念を貫く如く調査に徹している姿勢の発表も、実に潔い印象を受け、聞いていて刺激的である。いずれもいずれも、発表者本人が「面白い」と感じていることが重要であり、「発表」のための「発表」といった作為が感じられないものが良いように思えて来る。

今回は「和歌」関係の研究発表がなかったので尚更、「和歌」の面白い読みを考えたくなる衝動に駆られた。昨日の小欄に記した「和漢の声」を考えた上で『千里集』(句題和歌)を読むと、どのように面白く読めるだろうかと、ついつい様々な折に触れて考え始めている。「翻案」なのか否や、「字音」「訓読」「やまとことば」の「声」による並列なのか、読みの新たな補助線がテクストに意外な新味を感じさせる。たぶん、こうしたまさに「主体的に読もう」とする姿勢こそが、高等学校の授業などでも次元は様々ながら、指導者が起動させたい「意欲」に他ならない。まさに「読む」とは「生きる」ことだと感じられるならば、「己」を起ち上げた「面白い」古典授業を創ることに導くだろう。

「読む」ことの面白さ
混乱し苦悩することの大切さ
「生きる」とは、そう簡単にはわからないゆえの深さ
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並立する和と漢の声

2017-05-28

「漢詩(からうた)、声をあげていひけり。
和歌(やまとうた)主も客人も、こと人もいひあへりけり。」
(『土佐日記』承平四年十二月二十六日 より)

中古文学会春季大会にて、初日シンポジウム「平安文学における〈漢〉の受容ーその日本化の様相ー」を拝聴した。以前からその御著書に啓発され、SNSでもやりとりをしたことがあった東大教授の齋藤希史氏による「〈漢〉の声ー吟詠される詩文」は、誠に刺激的なパネル報告であった。冒頭に示した『土佐日記』の記述に見られるように、十世紀の日本では「漢詩が吟詠」されていることがわかる。もとより中国でも「学問」と「隠逸」における諸場面で「吟詠」されていたことが資料により提示される。文字が存在するのみならず、それを「よむ人」が存在すれば「声(音)」がともに並び立つということになる。日本ではさらに「訓読」という方法が開発されることでその吟詠と、仏教などにおいては「(中国音)直読」が並立し、まさに「和漢の声」による詩文の「よみ」が存在していたことを考えるべきではないかということである。

齋藤氏は、「漢字を真ん中に置いて、字音と訓読という左右を楽しむ」といった享受の方法があったのではないかと提示し、特に『千里集』(句題和歌)が「意味」と同時に「音」としての転換であったという見方を示したことは、様々に検討する余地はありながらも、新知見として深く考えさせられた。「偸閑何處共尋春」の句題に対して「しづかなるときをもとめていづこにか花のありかをともにたずねむ」(『千里集』春三)や「落尽閑花不見人」に対して「あとたえてしづけき山にさく花のちりはつるまでみる人もなし」(『千里集』春十一)などは従来、「漢詩句」の「和歌による翻案」という見方で済まされていたが、そこに「声(音)」の並立があったとすれば、「字音」かあるいは「訓読」という「漢」の「声」と、「やまとことば」による「和」の「声」を並立させ対峙させることを意識するという、時代の要請による作品であると捉えることができる。「音」は「文字」と違って、特に古代であれば保存することが不可能なわけで、となると必ずこうした並立の場が必要になる。宮廷儀礼を始め「和漢の声」が並立する場を想定すべきであり、そうした場で「和漢」相互の「声」が意識され享受されることで、「字音」「訓読」「和文」が相互に刺激し合い、あらたな日本語の文体を成長させたともいえるだろう。また、江戸中期以降明治時代の漢詩文享受の状況が、近代日本語の形成に大きく関与したことは既に齋藤氏の御著書『漢文脈と近代日本』(NHKブックス2007)で示されている。その延長上に和語の使用率の高い若山牧水の短歌などを置いたとき、この時代なりの「和漢の声」の交錯があって、明治のあらたな時代の短歌の生成についても、こうした観点から考えてみるべきだという視点を個人的にはもった。もちろん平安朝と明治とはまったく同列には扱えないことは自明であるが、「漢」が重視されたことから生成される「和」という意味で、両時代を相対化してに考えることが有効であることに気付かせてもらった。

「声」を失った時代から考える
「和漢」の「声」の並立による日本化
懇親会での会話を含め齋藤氏から多くを学んだ一日であった。

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寄席での役割と聴衆の反応

2017-05-27
すべてはトリのために
聴衆を聴く気にさせる食い付き役も
高座に上がって聴衆の反応をみて決める

親友の落語家・金原亭馬治さんと、今後の打ち合わせ時間をもった。その場に某大学の先生方と学生さんが一人やって来た。講義の一環ということで、学生さんは寄席を初めて観に来たと云う。馬治さんも次第にこの日の感想などを学生さんから聞き出しつつも、寄席の構造について話が及んだ。開演前の前座さんの位置付け、中には「時間になっていないのに始まっているのか?」と怒った客もいたと云う。だが、この「前座」効果は確かにあって、内容を聞いてもらうことを前提にしていないところが重要だと云う。開演15分前に実演されていることで、玄人が見ればその日の聴衆がわかると云うのだ。反応や落語への造詣、その聴衆の雰囲気で本番に入った時の話のネタなどが決定されていく。最近は僕も、「説明会」などで開始時間前に何らかの話を始めておく試みをしている。学生たちの聴く姿勢を確認するためである。

聴くことを前提としない前座は、噺家の道を歩む上で究極の修行だろう。その後、番組に入り最初に高座に上がる噺家さんの役目は、聴かない姿勢から「聴衆を引き戻す」転換にあると云う。マクラを振って更に聴衆の反応を見ながら、その日に適したネタを決定する。その後は、お仲入りまで色物などもありつつ、次第に客の熱を上げていくことになるが、その後は一時冷やしていくことが求められると云う。1日の寄席の番組が、常に集中した「聴く姿勢」であると、結果的に聴衆は飽きてしまいと云うこと。これは小中学校の45分や50分授業でもそうであり、ましてや90分の大学講義では、ぜひとも意識したい要点であろう。「授業には常に集中しろ」という教師が吐きがちな警句では、学習者はむしろ「集中できない」ということだろう。その日に一番肝心なことは、トリの噺を集中して聴く姿勢なのである。

落語に学んで既に7年の月日が
構造に所作、そして個々の演ずる語り
誠にあらためて学びの多い夜も更け、馬治師匠は誕生日を迎えた。
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高等学校の「国語」で学ぶこと

2017-05-26
大学入試へ向けた指導
言語による思考や感性の豊かさを求めるはずだが
入試改革のゆくへはいづこ


次期指導要領の大きな眼目である「主体性のある対話的な深いまなび」を考えた時、果たして高等学校の「国語」は、どう変わって行ったらよいのだろうか。「中等国語教育研究」なる講義で、学生とともに考えてみた。自己の高等学校で受けた「国語教育」を相対化すべく、その「疑問点」と「秀逸な点」を挙げてグループ討論をしてみる。「入試対策中心の授業」「文法事項の詰め込み」「意味のわからない音読」などに代表されるように、「疑問点」はたくさん提示されていく。もちろん「秀逸」に感じられた点がないわけではないが、やはり高校生の「国語」を学ぶ意欲というものは、実利的な「大学受験」で”かろうじて”支えているという印象を拭えない。中には、プリントを配布して、質問があったらするようにという、ほとんど自習ばかりという授業を体験した学生もいた。

だがしかし、本来は言語を言語で学ぶ自覚を持ち、高次元の「言語」を獲得していくことで、思考・想像を拡充し、内言を豊かにしていくといったことが、高等学校での3年間では求められるはずだ。「現代文」「古文」「漢文」」と細分化され専門的になる授業、そこで「言語」としての日本語が、どう成長してきたか、また如何なる思考を創造してきたか、そのような観点からの学びが醸成されるべきなのである。こうした意味では、まさに「学習者主体」の「活動的対話的」授業によって「深い」学びを創る方向性が求められよう。それならば、小中学校と高等学校との違いは何か?という観点にも無頓着ではいられない。むしろ小中学校で行われている活動型授業から多くを学び、校種を超えた交流も促進すべきであろう。そしてまた、「入試」もどこまで本気で変われるのか、それも高等学校の教育を改革する大きな要点である。

「社会生活」と「言語」「文学」
思考や批評を閉鎖しないこと
個々の意見や感性の豊かさをもっと考えてみなければなるまい。
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主体性を持つということ

2017-05-25
車内に流れる好きな音楽
運転中に思わず歌詞を解釈してしまうとき
なぜに涙が流れることがあるのだろう

最近は、連ドラ「ひよっこ」のテーマ曲「若い広場」を聞かないと朝が始まらない。やむなく早く家を出なければならない折は、昼休みに一旦は家に帰ることさえある。この桑田さんの曲に限らず朝ドラのテーマ曲というのは、身体に記憶として刻まれやすい。何しろ毎朝、定時になると必ずお茶の間に嫌でも流れてしまう効果は大きい。だが、そのように身体に刻まれている場合、その歌詞の内容までを咀嚼し吟味しているわけではない。ただ曲調に乗ってメロディを中心に、せいぜいサビのフレーズぐらいが脳裏で再現可能な範囲であろう。歌詞のある音楽には、確実に「聞き流す」ことと、「内容を咀嚼し吟味する」という、大きく分けて2通りの「聞き方・聴き方」があるように思われる。

車を運転する車内では、常に桑田佳祐さんかサザンの曲が流れるようになっている。新旧様々なアルバムを選択し、その時の気分に合わせた曲が流れる。たいていは「聞き流す」ことが中心であるが、次第に「あるフレーズ」に導かれて自ら「歌い出す」ことも多い。するとその曲の歌詞の「物語」が様々な形で頭を擡げてくる。第三者的にその「物語」世界を想像している間はよいのだが、ついつい自分自身の経験と重ね合わせたりすると時折、限りなくせつない気分になってしまい涙腺が緩むこともある。その想像そのものが「心の琴線」に触れてしまえばもうダメで、一旦はコンビニなどに車を停車してしばらく「物語」世界に浸ることもある。これもまあ、都会にないあくせくしない地方の日常ならではなのかもしれない。話は迂遠したが、こうして「自らを立ち上げる」ことが、まさに「主体性」ということなのだろう。

「主体性」をもった学びとはいかなるものか?
教材や活動の中に「自らが立ち上がる」ということ
他者と対話して自らを再生拡充していく創造的な営み。

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信念を支える焼肉

2017-05-24
親友とスタミナ補給
諸々の話に信念の共通点が
明日のために力をつける宵の口

自宅近所の親友が、焼肉に行かないかと誘ってくれた。大学や研究の関係者ではなく、様々な縁が織り重なって知り合った仲である。ただ共通点は、東京からの移住であるということ。それゆえに宮崎での「先輩」として、様々な生活上の「コツ」などを学ばせてもらっている。この日も、焼肉に舌鼓を打ちながら、宮崎の経済状況や店舗情報など地元ならではの話に花が咲いた。往々にして研究者というのは、閉鎖的な環境で生活しがちであるが、このように商売に真摯に取り組む親友との談笑から学ぶことは多い。

とりわけ親友がいま取り組もうとしている商売の新たな方向性と、僕自身が取り組んでいることが「信念を貫く」という意味で、とても重なっていることに気がついた。一つの殻に閉じ籠らず、時代の趨勢に適応して新たな可能性を模索すること。時季とその場の状況に応じて、手法を変化させていくこと。まさに現在、人文学が置かれている立場には、このような適応が求められているように思われてならない。ただ「価値があるから重視せよ」などと、社会的価値に疑問を持った輩に訴えても十分な説得力を持ち得ない。新たな学習指導要領も掲げている「社会生活」をテーマに、その価値を内輪の議論ではなく具体的に語る必要性があると思うのである。

何事にも「信念を貫く」
短歌の仲間はまたある立場で「信念を貫く」
心身ともに栄養をもらった宵の口であった。
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「心のかたちが言葉にできない」だから・・・

2017-05-23
何気なく口をついて出る言葉
それはどれほどまで「心」に近いのだろう
「心のかたちが言葉にできない」

70年代フォークソングは、まさに抒情的な詞が多かった。個々に深い訴えがあって、他者に伝えようとする信念に溢れ、深い人間味が感じられた。「格好いい」歌い手もいたが、「心と言葉」で勝負している歌い手もたくさんいたように思う。その後者の例として、武田鉄矢率いる海援隊があった。ちょうど僕が中学生の頃であったか、LPレコードのアルバムを買って聞くと、その抒情性と歴史的含蓄の深さに驚かされたのを記憶している。その後、周知のように武田は「金八」という先生役でブレイクし、フォークシンガーというより、まさに「金八」として芸能生活を送ることになる。その海援隊に「心のかたち」という曲がある。中学生ながらこの曲を聴いて「心のかたちが言葉にできない」というサビの部分が妙に気になった。

果たして「心」とは何なのだろう?と漠然と考え始めたのもその頃だったか。そんな意識で詩歌を読むと、まさに「心」を「言葉」にしている素晴らしさに気づくことができた。だから、「人間の心」を考えて探求し人に伝えてみたいと考えたのが、詩歌をはじめとする文学との出逢いでもあった。それからかなりの年月が経過したが、「心」を「かたち」にすることはなかなか容易ではない。年齢や社会性を伴うことでむしろ様々な規制を受けてしまい、余計に困難になる場合もあるだろう。だがそれゆえに、「心」を「言葉」に載せて伝え合うことを大切にしなければなるまい。ゼミ4年生の多くが、公立校での教育実習に入った。研究授業等の連絡でメールを貰うが、そこに聊かの「心」を添えて返したいと思っている。そしてゼミ生たちも、向き合う児童・生徒たちに向けて「心」を「かたち」にして言葉で伝え合うことを大切にして欲しいと願うのである。

「言葉」が「心」を超えることもある
されど「心のかたちが言葉にできない」ことばかり
「伝え合う力」とは何かと自問自答するばかりであるのだが・・・
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「田端文士村」ふたたび

2017-05-22
芥川龍之介・萩原朔太郎ら
そして実家近くに太田水穂
小学校の時からの愛読書としても

現在も実家のある生まれ育った街が、東京は北区田端である。たぶん山手線内で一番「田舎」風な駅で、駅前通りの険しい切り通しがその周辺の商業地化を阻害し、発展しづらかった駅であるように思われる。その駅前に「田端文士村記念館」があるが、かなり久しぶりに中に入ってみることにした。小学校の4年生ぐらいの時であっただろうか、近藤富枝『田端文士村』という本を書店で見つけ、当時の年齢としては高価にも1500円ぐらいをお年玉から捻出し購入したのを覚えている。その冒頭付近の見開きに街の地図が折り込みで付せられており、自宅あたりに赤鉛筆で印を付けたのを鮮明に記憶している。この「文士村」の住人として最も著名なのは芥川ではあるが、実家近くに「太田水穂」という文士が住んでいたという地図上の表示が、妙に気になっていた。実家から数十メートルの路地裏に入り込んだあたりにその居があったので、現地を確かめに歩いたこともあった。後に大学生なってから、この「太田水穂」が、同郷長野の窪田空穂とも親交のあった歌人であり国文学者であることを知るに至った。漢文学者の「太田青丘」は、「水穂」の養嗣子であるが、大学時代に漢文学関係に興味を覚え、よく参照する文献の著者でもあった。

この「水穂」の親族が歌人でもある「太田喜志子」であり、若山牧水の妻となった人である。「喜志子」は長野から上京し「水穂」宅に寄宿しており、そこを牧水が訪れたことが二人の縁の始まりであると云う。となれば、牧水は「水穂邸」に足を運んでいたわけであり、僕自身が生まれ育った地を訪れていることになる。さらに緻密なことを言うならば、僕は自宅至近の街医者の産科医でこの世に生を受けたのだが、その地がさらに「水穂邸」に近い。小学生の頃から意識していた「太田水穂」の名前と、「歌人」という称号への憧れ。思い返すならば、いつも頭の片隅にその意識があったように思う。そして今僕は、宮崎に居住し若山牧水研究にも従事している。以前から比較的愛好していた歌人である牧水に、ここまでのめり込んだのはやはり宮崎の地に来たからである。「田端文士村記念館」の展示は、今にしてそんな意識を再確認させるものがあった。僕の実家前を、明治・大正期に牧水は歩いていたかもしれないのである。

故郷の良さは今や「田端文士村記念館」の中だけに
強引な行政の区画整理が「文士村」を大きく引き裂いてしまった
両親とともにあらためて再確認した「田端」の地の深い価値と味わい。
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