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音楽は心の栄養

2017-04-30
「みやざき国際ストリート音楽祭2017」
街に流れる音楽は心の栄養
そして自らも音楽をする衝動を覚え・・・

宮崎では様々なイベントが行われているが、なかなか全てを見通すまでには時間がかかる。だがこうしたイベントで季節が感じられるようになってこそ、初めてその土地に住んでいるということなのかもしれない。先月に俵万智さんとメッセージをしていて「私は宮崎5年目を迎えます」と書いたところ、「私は2年目の後輩ですが、よろしくお願いします。」というご返信をいただき、聊か恐縮した。大学でも小生の方が後輩であり、もちろん短歌の上では仰ぎ見る存在であるからだ。だが、こうした小粋なことばをさりげなく織り込めるのは、さすがは日本でも指折りの言葉の使い手である。さて、その万智さんが地元紙に載せる月1回の連載で、この「ストリート音楽祭」のことを書いていらした。文化芸術には、常にアンテナ感度が鋭いことが、よい歌を創ることにもつながるのであろう。などと考えて、この日は歩行者天国となった、宮崎の中心街を歩き廻ることにした。

「ストリート」というと、バンド仲間の親友がいつも参加している仙台の「定禅寺通り音楽祭」を想像し、アマチュアバンドなどもたくさん並んでいるのかと思いきや、なかなかのアーティストたちや台湾の吹奏楽団などの演奏が繰り広げられていた。その音色を聞くに、やはり自らが唄ったり演奏したりするバンド魂が、心の中で疼いてくる。短歌も「読むは詠むこと」と実感するが、音楽も「聞くは奏でること」などと心の中での共鳴が止まなかった。そしてまた自らは体験していない、ジャズの演奏に、妙に心惹かれる思いがあった。そのステージを前に、芸術家派遣活動でお世話になっている方とも偶然に会って、その魅力を共有できた。その後、ある友人の方にお誘いいただき食事をともにしたのだが、その二次会でジャズバーに足を運んだ。彼らはアマチュアジャズバンドの活動をしており、そのバーの常連らしい。急にジャズはさすがに唄えないので、「昭和歌謡」で行こうということになり、「襟裳岬」や「長崎は今日も雨だった」などをジャズフュージョンで唄わせていただいた。これは昨年の桑田佳祐さんの活動「The Roots」にも通じる感覚となって、しばし音楽に自己陶酔する宵の口となった。

短歌も「音楽」が重要と佐佐木幸綱さん
もちろん朗読にも通ず
自分のまだ目覚めていない感性を今後も刺激し続けようと思う機会となった。

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普通のことを一生懸命に積み重ねる

2017-04-29
「自分のキャパ以上のことは教えられない
 ゆえに、日々勉強するのが教師だ。」
 ある現職校長先生の言葉から

卒業論文とともに教員養成系学部の仕上げ段階ともいえる公立校実習を控えた四年生を対象に、現職の校長先生をお招きしての実地指導が行われた。やはり「現場」で長年教壇に立ち、また学校内の教員集団をまとめてきたご経験からの話は、説得力がある。どうも大学教員などになると、理屈っぽくなり「現場感覚」からかけ離れた空論を語ってやしないかと、常に自省を促すべきだと考えている。こうした意味では、小生にとっても学びの多い60分間であった。「現場」は「学校」のみならず、海外の日本人学校・教育行政職・大学の実務家教員等々、「教員」は方向性次第で様々な「職」を経験できることも、一つの希望として学生たちに提示された。それでもなお、「地域の子どもたちを育てる」ことや「多様な子どもたち、保護者に対応」することの重要性が、ひしひしと伝わってくるお話の展開であった。

「子どもたちにとって、実習とはいえ、その時は一生に一度の授業なのだ」という言葉には説得力がある。「先生が喋り過ぎない」授業が理想で、「子どもたちに考えさせる」ことが肝要であるとも。また最近は「叱れない先生が多い」との指摘もあったが、やはり教員は時に「叱ること」も必要で、それこそが子どもたちへの愛情ということだろう。幸いにも特に小学校の教員募集は、今後の5年間ほどでかなり枠が広がる傾向にある。学校内の教員組織の年齢構成にも懸念があるが、これから教員になる者にとっては、就職に関してはかなり有利である。過去よりは減給されたとはいえ、やはり教員の給与は安定している。様々に激務であるのは確かであるが、「一生の仕事」として悔いなきのも事実であろう。それゆえに「弱音を吐ける人であるべき」との校長先生のお言葉もあり、人としてのコミュニケーションの大切さを再認識する機会となった。

「普通のことを一生懸命積み重ねる
 それが一流になる唯一の道である」
これは既に「実習」ではなく、「教員」そのものへの道なのである。

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「不器用」の変える豊かな社会を

2017-04-28
「器用な人は集団に合わせる。
 不器用な人は自分が腑に落ちることしかしない。
 結果的にそういう人が世界を変えていくんだ、と。」
(出口治明『「ゼロになる40代」から、「何でもできる50歳」へ』より)

1日1頁の広い書き込みスペースがある『ほぼ日手帳』を使用し始めて、数えるに既に9年となった。自宅書斎の書棚には、過去9年間の言動が並べられて保存されているようなものである。その毎日の各頁の下欄には、何らかの惹きつけられることばが記されている。時にあらためて読んでみて考えさせられることも多く、こうして小欄の話題に困った折などには、問題提起としても利用することができてありがたい。ちょうど昨日の手帳頁に、冒頭に引用したようなことばが記されていた。「器用な人」というのは、「どんな会社なのかがすぐにわかっちゃう」から、「自分を合わせ」てしまい、「会社は何も変わらない」のだと云う。

「不器用な人」こそ、実は豊かな世界に生きているのかもしれない。「どうしていいかわからない」ゆえに「自分がいいと思うこと」をしていく。ジムのストレッチルームで、ある方と会話をした。「経済」や「金」だけに価値を置く教育ばかりをしているこの国は間違いではないか、と彼はかなり真摯に語ってくれた。例えば、医師は果たして、患者の立場で診療をしてくれているのだろうか?などとも。結局は、「器用」で「金」を稼ぐことができて「経済」の波に乗れる人物になりなさいと「教育制度」では教えていると云うのだ。そんな「器用な人」は、社会に対して自ずと服従的であり、自分からその「波」に合わせてしまう。「器用な人」が有能だと思わされて従属的であることは、腹黒い為政者の思う壺なのかもしれない。

「情に棹させば流される」と漱石『草枕』冒頭
決して世間は「器用」ばかりがいいわけではない
粋で優しい馬鹿でいたいものである。
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「痛い箇所に原因はない」トレーナーさんの名言から

2017-04-27
「痛い箇所に(痛みの)原因はない」
尊敬するトレーナーさんの言葉
筋肉の鍛錬と柔軟性のこと

先月のことであるが、上京した際に嘗て通っていたジムを訪れた。そこには、過去の小欄で幾度なく賞讃してきた尊敬する女性のトレーナーさんがいる。「フィットネスは競争ではない」「柔軟性や可動域の広さが大事」など、随所随所に的確なアドバイスをいただき、僕の健康生活を支えてくれていた。宮崎に来てからもジム通いは継続しているが、正直なところなかなかこの次元のアドバイスをくれる方には出会えないでいる。よって数ヶ月に1度は、上京した際に彼女のレッスンを受けに足を運ぶ。裏を返せば、指導者たるやこうした乞われる存在を目指すべきであろう。先月に訪問した際の彼女のアドバイスは、「痛い箇所に(痛みの)原因はない」であった。これは身体のみならず、様々な事象に対していえるのではないかと深く考えさせられた。

人は痛みがあれば、その箇所において対処療法を採る。湿布などが、その代表的な例であろう。だがそれは、一時の気休めに過ぎない場合も多い。打撲などであれば、湿布によって冷やされて腫れが引くのは事実である。だが関節痛・肩凝りや腰痛には、いくら湿布をしても気休めのように思われる。そこで前述した名言「痛い箇所に原因はない」が考え方として活きてくる。例えば膝に違和感があれば、必ず上下の脚の筋肉が弱っている。腰痛ならば、首・肩から足まで様々な筋肉に張りが出て、肝心要の部分を硬直させている。特に筋肉量と柔軟性は年齢とともに必然的に衰えるので、意識した鍛錬が必要だ。そしてまた中長期的な視点も必要であるように思う。各部位に支障が出たらトレーニング方針を再検討し、徹底して筋肉と柔軟性に特化した内容を設定する。また今現在の鍛錬は必ず、10年後の自らの身体に反映するものと考えている。年齢の2桁目にあたる10年を、身体鍛錬の上でいかに意識し実践するかで、次の10年が決まってくるという実感がある。

研究や創作、そして心においても
「痛い箇所に原因はない」のだろう
となれば、脳内の活動的鍛錬と柔軟性を常に意識せねばなるまい。

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ことばは人なり〜「不適切」は発言にあらず

2017-04-26
「ことば」への責任転嫁
「ことば」=「思考」=「人」
「ことば」への信頼がないわけにあらず

昨今「不適切な発言」であったという、釈明会見ばかりを目にすることが多い。「釈明」というよりも「言い訳」という方が適切かもしれない。それはさも「発言」の「ことば」のみが不適切で、「自分」という「人」は「悪くはなかった」かと言わんばかりである。むしろその「発言」を批判する側こそが、「おかしい」かのような「感覚」が蔓延しているように思えてならない。それは「ことば」で十分に説明できないことでも、内輪の「感覚」の論理に合致していることならば「正当」であるとして物事を進行させているように見える。その証左として「その批判は当たらない」とか「・・・するのは当然のことであります」といった紋切り型の発言によって、「その批判は異常であり私は正当な感覚だから文句をつけるな」と門前払いにしていることを、「議論」だとすり替えている。

学生のゼミでの発表を聞いて、「ことば」の細部を指摘すると「そういうつもりで書いたのではありません。」と釈明することも多い。成句として不均衡な語彙選択がされているのは、まさに言語感覚の問題であるが、多くの質の高い文章を読む量にも起因しているだろう。例えば、「(児童に)・・・させる」という表現は、指導者側の感覚を押し付けた学習活動だと受け止めざるを得ない。「学び手の主体性」が重要とする方向に現在の教育はあるゆえ、児童生徒が「自ら意欲をもって学ぶ」ことを主眼に教科教育研究も実践しなければなるまい。文章次元になると、さらに誤解を招く表現に出会う。「表現(文章)上このように受け止めるが」と指摘すると、「そのようには思っていない」と返答する。そこにゼミという「内輪」で提供する文章ゆえの、甘えが見え隠れする気がする。卒論は「内輪」で読むものではない。今後この大学で学ぶ見知らぬ多くの後輩たちが、その文章を読んで理解し啓発に及ぶものを目指して書かねばなるまい。いやさらに言えば、どこで誰が読んでも理解される文章である必要があろう。このような公共性や社会性というのは、せめて学生時代に学ぶことであると思うのであるが。

あまりにも子どもじみた愚行
繰り返すが「ことば」は「人」なのである
短歌は、そのことばが崇高に信頼されている稀少な文化的営為なのかもしれない。
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健康に向かう価値観ー「米国発」を考える

2017-04-25
「煙草」の辿ってきた道
「酒」はどこに向かうのだろうか?
「健康志向」という米国発価値観について考える

昨日一昨日の小欄記事をお読みいただき、いくつかのご意見をいただいた。「ほろよい学会」の座談でも指摘された「酒と恋の歌が少なくなってきた」ということを、どのように考えたらよいかということである。「恋」の方に関しては、従前から「草食系」とか「晩婚化」が社会的に指摘されており、「恋」に踏み出せない、踏み出さない若者が増えたという社会学上の報告を多く目にする。古代よりの短歌の歴史を考えるに、その起源は「相聞歌」にあるわけで、必然的に「恋」を詠う性質を歌は持っていることになるだろう。もしかするとこうした社会学上の報告に囚われるあまり、我々はそのように思い込まされているのかもしれない。SNS等が急速に発達したことで、「恋」が社会的に潜在化しただけなのかもしれない。このような意味で、学生が恋歌を題材に卒論を進めるとか歌を詠むことには、大学教員として内容のみならず社会的な深い「意義」を覚えるのである。

さて、酒はどうだろうか?いただいたご意見の中に「米国発の価値観」に左右され支配されているといった趣旨のものがあり、深く考えさせられた。イチローは以前から日本では「ビール」のCMに出演し続けているが(今年から会社を異動したようだが)、「米国発の価値観」では「アスリートとしてのイメージに疑問符」とされる指摘もあると教わった。イチローを尊敬している一人としては、ビールを選ぶ際にそのCMの影響を強く受けるのだが、CM上は美味そうにビールを飲み干すイチローの姿を見るに、果たして日常では飲むのだろうか?という疑問を常に抱いていた。いやむしろ「常飲」していないような人が「美味そうに飲む」ことに、CM効果があるのではと穿った見方をすることも。メーカーの管理としても「飲み過ぎ」を戒めるイメージを伴っていた方が、得策と考えているのかもしれない。昭和を遡れば、石原裕次郎のイメージはまさに酒と煙草である。刑事物では仕事中も常に煙草を手にしており、カウンターでブランデーグラスというのが定番な絵である。しかも「1晩ボトル1本」を空けるほどのイメージが、酒造会社にはこの上ないキャラクターであっただろう。それに好印象を持つ時代は、確実に終わってしまった。

ご存知のように、牧水は夭逝した。残暑厳しき9月であったが、なぜか屍の腐敗は進行しなかったという逸話がある。まさに、体内アルコール量の効果であると云われている。裕次郎も美空ひばりもたぶん、アルコールで命を短くしてしまったのであろう。こうした太く短い人生を、現在ではどう考えたらよいのだろうか?「健康」をはじめとする「米国発価値観」が世界を席巻することが、果たして妥当なのだろうか。そこには「健康」を過剰に意識し過ぎるがために、むしろ「健康を損ねる」事例が潜んでいることに注意しなければならないように思う。例えば、米国でのPhD(博士号)取得の道は実に過酷であり、日本の大学院がたいそう「甘く」見えるようだ。だがその内実を鑑みると、何のために「研究」しているのかがわからなくなるほどの状況が窺える。過酷さの中で心身の健康を害し、それで豊かな生き方なのかと考えさせられる。いつでも米国発の極端な価値観は、特にこの島国の住人には、不適合なことがあることを心得ておくべきかもしれない。本日、だいぶ話は右往左往してしまった。

酒はまさに「文化」でもある
「うまみ」という語彙に飛びつく米国人も多い
それゆえに「酒」の短歌を詠み続けたいと思うのである。
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酒なしにしてなにのたのしみ

2017-04-24
「人の世にたのしみ多し
 然れども酒なしにして
 なにのたのしみ」(若山牧水『くろ土』より)

「遅いね!」ホテルの朝食会場へ行くと、一足先に食事を済まされた佐佐木幸綱さんから、ダンディな声でこのように声をかけられた。「朝はブログを書く習慣がある」などと野暮な返答をするにもあらず、昨晩の酒のおかげで幸せな睡眠がとれたと言わむばかりの顔つきで応じた。それは「歌壇酒徒番付」の「東の横綱」に対して歌では「幕下付出」のような若輩者が、温情あるお言葉を受ける至福のひと時であった。昨日の小欄に記した「ほろよい学会伊丹大会」は名称どおりに、鼎談・座談会後の交流会が本番であり、地元伊丹の清酒が飲み放題。鼎談で弁舌を奮われた俳句の朝倉さんと席を同じくたり、宮崎県は延岡市の首藤市長や教育委員会文化課長などとも名刺交換ができて、大いに酒の恩恵を受けた。「ほろよい」とは、「酒に少し酔うこと。いい気持ちになる程度に適当に酒に酔うこと。」と『日本国語大辞典第二版』にもある。だがそれはあくまで「横綱」次元での「ほろよい」なのであり、交流会が終わればまたリセットされて「0」からスタートという、誠に楽しい「感覚」である。

「西の横綱」はどなたかといえば、宮崎の伊藤一彦さんである。昨日の小欄から、こうした偉大な歌人の方々を「さん付」で表記しているが、これもまた「ほろよい学会」の流儀。確かに歌人同士では著名な方でも「さん付」をよく耳にするので、宮崎歌会などで小生を「先生付」でお呼びいただくと、むしろ恐縮してしまう。(前回は俵万智さんに「先生付」で呼ばれて誠に恐縮した。)話は戻り、交流会後は両横綱や坪内稔典さんらも参加してホテルのラウンジでウイスキーグラスを傾ける。関西圏の方々は、次第に帰路の電車が気になる時間。その場もお開きとなったが、さらに東西横綱相撲は続く。幸綱さんのご次男・定綱さんとともに何と四名で近所の居酒屋で卓を囲み、あらためて地元銘酒の辛口「老松」を四人で一升近く。その翌朝が、冒頭に記した幸綱さんの言葉の「意味」である。幸いにも新潟出身の母の遺伝子を受け継いでおり、酒の付き合いだけなら「横綱」の「お付き」ぐらいは務められる。伊藤さんには「歌が上手くなる資格ありだね」と言われて、これまた幸せなお言葉に酔った夜更けであった。

ちなみに、時代とともに「酒」が「悪者」になる傾向がある。小生らが学生時代からすると隔世の感がある。こうして小欄などに「酒」の話題を記すだけでも、「研究室ブログ」を標榜しているだけに「難癖」がつけられるかもしれない。米国在住の親友にこの「ほろよい学会」のことを知らせると、公に「酒」のことを語り合う会など、米国では考えられないという返事をもらった。例えば「お花見」のように公道たる場所で、「酒を飲む」ことも米国ではご法度だと云う。酒屋でアルコール類を購入するときは、身分証明書の提示が徹底されるし、球場でビールを買う際に、白髪の老人までも身分証明書を提示する徹底ぶりだ。その割には、球場の帰り道に車を運転している人が多いと矛盾を感じる、まさに「自己責任」の国である。「ほろよい」とは、誠に洒落た語彙。その恩恵で、人との付き合いが確実に深くなる。建前が横行する横並び社会、模範性ばかりが問われると人と人とがぎくしゃくする。酒は何よりも、こうした人付き合い・コミュニケーションの潤滑油である。この話題はいくらでも書けそうであるが、今日はこのあたりで。

爽快な晴れ間の宮崎に帰る
偶然ながら、伊藤さんと同じ便であった
酒と短歌がまた人生に深い意味を与えた。

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「酒と短歌と俳句と川柳」ー第15回日本ほろよい学会伊丹大会

2017-04-23
清酒発祥の地・伊丹
短詩系と酒はいかに語られるか
「酒のおかげで人生が少し深く生きられる」

「それほどに楽しきかと人の問いたらばなんと答えむこの会の味」と牧水歌のパロディを語りたくなる「学会」、「日本ほろよい学会伊丹大会」が開催された。清酒発祥の地、江戸時代には70軒の酒蔵があったが、大正の終わりには25軒。だが今もなお関西圏の酒どころとして知られる伊丹の地。牧水もまたこの地を訪れて、銘酒たる「白雪」を楽しみにしていたと云う。「手にとらば消なむしら雪はしけやしこの白雪はわがこころ焼く」の歌碑が、小西酒造の販売店前に建っている。伊丹市は現在「ことば文化都市」とされて、歌人や俳人たちが古来から通行した交通の要所として俳諧古典籍の所蔵で著名な柿衛文庫もある。冒頭でこうした伊丹市について、郷土史研究家の森本啓一さんから講演があった。その後、最初の鼎談は「女性と酒ー働き盛りの女性歌人、俳人が語る」である。コピーライターから出発した川柳の芳賀博子さん「グラスからふわりと浮かびあがる駅」の作は、心象風景が蜃気楼のように立ち上がるように読める。俳句の朝倉晴美さんは、詩から出発し現在も小学校の教員、「夫でない人と呑むジン花曇り」の句が粋である。 そして、昨年の心の花京都宮崎合同歌会でのお世話になった歌人の塚本瑞江さん「ハナタレをバクダンと呼ぶ三杯目砕けた時をもろともに飲む」の歌は鮮烈である。「ハナタレ」は日向にある酒蔵の40度の焼酎の名前。こうした三名の代表作を比較すると、予想に反し俳句や川柳の方が穏やかな酒を詠み、短歌が一番酒らしい酔い方が表現されていたという結果になった。俳句では「ボジョレ・ヌーボー」は季語になるなど、洋酒を詠むことも女性の手になることが多いような。女性が積極的に「酒だ」という歌はまだ少ないという印象であるようだが、こうした公の鼎談で女性が「短詩系で酒を語れるようになった」ことそのものが、新たな時代を感じさせるという年配の方々の意見もあった。

さて「大かたはおぼろになりて吾が眼には白き杯一つ残れる」という石槫千亦の歌は鮮烈な酩酊の印象がある。後半は、スペシャル座談「酒の短歌、酒の俳句」となる。酒と短歌とくれば、まずは佐佐木幸綱さんである。「徳利の向こうは夜霧 大いなる闇よしとして秋の酒酌む」「人肌の燗とはだれの人肌か こころを立たす一人あるべし」などの酒の作があり、牧水が作った酒の歌380首を、数で越えたと云う。牧水研究の第一人者である伊藤一彦さんも幸綱さんの歌について、「人肌の」とは「誰の?」と洒落ながら、「秋の酒酌む」については「秋は新酒が出た」からであり「酒を飲んで知る人生の寂寥、悲哀、それを乗りこえる歓喜があって、酒の向こうに何かが見える」という感覚が鋭いと指摘した。その伊藤さんの歌に「味酒の身はふかぶかと酔ひゆきて待つこころなりいかなる明日も」がある。やはりこの一首にも人生が見える。その伊藤さんに対して幸綱さんは、「(宮崎で)いい空気吸ってる人の方が酒は強い」と洒落たコメントも。いずれにしても心の花のみならず、歌人酒豪東西横綱揃い踏みの座談が展開した。俳句からは宇多喜代子さんが参加「妙齢の女性が酒の話を公にできるようになった」と感慨を述べる。「酒は常温」と主張する宇多さんの句には「鮟鱇の性根をたたえ昼の酒」などに奥深さが感じられる。この座談の司会は、坪内稔典さんで「泥酔い学会」などと洒落ながら、ユーモアある進行が心憎い。「和歌には酒が少ないが、漢詩には酒が詠まれる」と李白の詩などを例に挙げ「琴詩酒を三友」とした漢籍の定石を紹介した。

座談はさらに興に乗り「事わかず疑しげくなる時は壺の口より酒にもの問ふ」という牧水と交友のあった吉井勇の歌を伊藤さんが紹介。さらには啄木の「汪然として/ああ酒のかなしみぞ我に来れる/立ちて舞ひなむ」と酔狂の中に踊る歌を挙げる。なかでも「北原白秋や前田夕暮は酒も強かった」と幸綱さん。「牧水と啄木は悲しくて踊る」のだが、「白秋は翳りがなく本当の天才」だとも。「心の花は酒が強いと歌も上手くなる」という「流儀」があるという信じてみたい話題も。だが最近は「酒と文学が遠ざかってしまった」というのだ。せいぜい「第三の新人頃まで」は、編集者として幸綱さんも作家との付き合いが面白かったと云う。伊藤さんは「自分のなかから突き動かされる「あくがれ」の強さ、その衝動そのものが弱まったのでは」と指摘し、現代を生きる若者を聊か心配する発言も。牧水の酒の歌は平明で愛誦性もあるが、「短歌革新から前衛短歌までの70年間だけに成立した歌」と幸綱さんの指摘。「牧水歌には音楽があり覚えやすいが、第二芸術論で否定されたように、リズムの魔力に捕らえられているところが、長所であり短所である」とも指摘された。それにしても牧水の「酒やめてかはりになにかたのしめといふ医者がつらに鼻あぐらかく」「妻が眼を盗みて飲める酒なればあわて飲みむせ鼻ゆこぼしつ」といったユニークな歌はやはり読んでいて面白い。座談の最後に「酒と短歌の今後の展開」について、「酒の歌がなくなったら短歌はつまらなくなる 恋の歌も少なくなるのはどうか」という指摘も。「今の若者は感覚の歌が多くなったようだが、感情の歌もある」とも。「恋・酒・旅」などのテーマが、再び「ルネサンス的にリバイバルの時代も来る」という話題も出た。

来年は牧水の訪れた水上町でほろよい学会
俳句の宇多さんが最後に「(最近は)さらっ~とした句が多い、しっかりせいや!」が印象深く閉会となった。

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生徒の手紙〜教師冥利の

2017-04-22
ある生徒が授業担当の先生にくれた手紙
伝えたい気持ちを素直に一生懸命手書きして
この一通こそ国語教育のこれ以上ない成果ではないか

昨年から縁あって、関西の主に高校教員の方々と研究会や懇談する機会をいただくようになった。その都度、現場での国語授業の悩みや工夫などを率直に語り合う場となって、小生としても大変勉強になっている。教科教育研究に関わる以上現場の実情を知り、よりよい授業創りに貢献でき、更には自らも対象とする現場で授業実践ができなければならないというのが、小生のかねてからの信念でもある。こうした意味で、現場の実情が知れるこうした機会を持って、自らの視野を広げることが実に重要であると常々考えている。また地域性においても宮崎県のみならず、関西圏という都市部の教育の実情から学ぶことも多い。それによって、宮崎の教育を相対化し、真に何が問題であるかを炙り出す視点をも獲得することができると考えたい。見方を変えれば、自らが「生涯一現職教員」であるという意識を持つということであろうか。

詳細なことを記すのは控えるが、今回の懇談に参加したある先生が、生徒からの一通の手紙をもらったと云う。以前はあまり授業に前向きではない姿勢であったことを、自らが自らの「ことば」によって振り返り、「国語授業」に真の興味が湧いてきたことを素直に語る内容であったと聞いた。教員は往々にして無意識に「教える」こととは、自分の位置から自分の感覚で「国語」を押し付けようとすることだと勘違いしがちであるが、この先生のように生徒たちが心の奥底で意欲を持てるように啓発する工夫と努力が、不可欠なのだと考えさせられた。一方で「学校」には、まったく心では「分かっていない」にも関わらず、「大きな声でのハイという返事」を強制する悪弊が今もなお存在している。その場をやり過ごすために仕方なく生徒たちは本意にあらず、「ハイ」と声だけは大きいが生気のない声を発する。授業のみならずむしろ部活動などでよく見られる、こうした「分かっていないハイ」と同じ構造で、〈教室〉では欺瞞に満ちた音読や発言が繰り返され、音量の大きさという内実のない基準で「教師」は自らを欺いて納得しようとしていることが多いのである。このような「授業」における権威抑圧による自己欺瞞の構造を考えるに、恐ろしいことにそれがそのまま、現況の社会のあり方を映し出してしまっているのだと懇談を通して気がついた。それにしても、この先生のように感銘を受ける「生徒からの一通の手紙」をいただけるような心をもって、日々教壇に立ちたいものである。

常に生徒たちに愛情をもった工夫がある
それを仲間たちと語り合い共有する
「低唱微吟」による〈教室〉での音読についても、また新たな試みをしたくなった。

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成長が見える歓び

2017-04-21
大学での4年間
社会へ向けての成長のとき
4年生の落ち着きにその証が見える

「教員」にとって、教え子の成長ほど歓びを感じるものはない。現職教員時代は、中高一貫校に勤務していたので、中学校1年生から高校3年生まで関わると、誠に天と地の差があるほど子どもが大人になる。それは身体的にも大きな変化があるとともに、その顔つきに表現された心の成長も甚だしいからだろう。中高の場合は特に思春期を経過するゆえ、様々な悩み苦しみを共有することもある。それだけに高校3年を卒業する際の感慨は一入となる。ところで、大学の場合はどうだろう?4年間を通して関わる場合もなくはないが、ゼミは3年生からの2年間、授業もせいぜい年間前期後期とセットになっていたり、国語専攻の場合は複数学年に及び専門科目での付き合いという程度なので、通常は中高ほど成長が見える機会も少ないかもしれない。元来、学生たれば自主を尊重することもあり、個々の判断に委ねている点も中高と相違がある。

ところが昨年度から教育実習を担当するようになって以来、個々の学生の成長がより見えるようになってきた。この日も附属小学校で4年生の公立校実習前の説明会が行われたが、そこにやってきた学生たちが妙に大人に見えた。大半の学生たちは、昨年度は前期後期の30回の講義を通して、様々な活動をともにしてきたので馴染みが深い。2月の講義以来久しぶりであることが、そう思わせるのか、否、実際に彼らは何らかの内面的な成長があって、それが表面に顕在化しているのであろう。考えてみれば、この学生たちも1年後は現場の教壇に立っているのだ。スーツ姿も板につき、キリッとした表情に教員採用試験に邁進する彼らの信念を見たような気がした。ちょうど昨年のまだ暑い9月半ば、彼らは附属小学校での3週間に及ぶ辛く苦しい実習を終えた。その最終日に僕が贈った牧水の歌が「眼をあげよもの思うなかれ秋ぞ立ついざみづからを新しくせよ」であった。この日は挨拶でこの歌を覚えているかと反芻し、あれ以来、どれほど「眼をあげ」て、「みづからを新しく」してきたかを問うた。もちろん、彼らの多くがこの意が通じたような表情をしていた。

実習という体験が確実に学生を成長させる
それを信じて彼ら個々に託していく
大学専任教員としての本当の歓びに、また一歩近づけた気がした。

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