無心の境地になること

2017-01-31
休日明けにペースを掴むには
あれこれと予想外のことも
誰しも迷いや悩みはあるのだろうが・・・

何事も焦らず落ち着いて考えたら、必ず明るい光が見えてくるものだ。過去の経験からして、車の運転などは何よりも焦りが禁物。後続車などに気を遣うよりも、自らが動揺せずに的確に運転することが第一であろう。人は朝起きてから夜寝るまで、様々な情報に接せざるを得ない。Web・TVをはじめとしたメディア、そして職場に行きメールによる多数の情報や人に会って語り合うことなど、情報化社会の渦は幅広く大きい。だがしかし、それらの情報に追われて振り回されてはいけないと、常々自らを戒める。自らがまずは地に足をつけて、自分のペースで運転せずして着実な前進はないように思う。

そうは言っても、様々な局面に応じて迷い悩むことから人は逃れられない。思い違いをしていたことや、予想外の事態に接すれば尚更である。そうした心の中の「引っかかり」が、やるべき事の進行を鈍らせたり億劫な方向に導いたりもする。小学校時代に剣道を2年間ほど嗜んだのだが、その時に最初に教わった日本でも指折りの「師範」の先生は、子どもながら僕らに次のような趣旨の事を戒めたと記憶する。「余計なこと(邪念)を考えずに、無心であれ、そうすれば相手の動きが見えてきて、自然に身体が反応して防御も攻撃も可能だ」と。そうまさに「無心の境地」になることが剣道の極意である。などと考えて、1日に接した情報を洗い流すが如く、道場ならぬプールで1000m30分泳ぎ続けた。あがってシャワーを浴びるとやはり自然体に至っていた。

1日をどう過ごすか?
それを重ねて2017年も1ヶ月
無心の境地で構えられる心身でありたい。
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吉川宏志さん歌集『鳥の見しもの』から

2017-01-30
「鳥の見しものは見えねばただ青き海のひかりを胸に入れたり」
牧水の生まれ故郷である宮崎県日向市東郷町ご出身
第21回若山牧水賞受賞

2月が近づくと若山牧水賞授賞式が気になるのが、宮崎の歳時記である。今年の受賞者である吉川宏志さんは、21回数える受賞者の中で初めての地元宮崎県出身者であるそうだ。しかも牧水の故郷である東郷町の生まれということで、牧水に対する思い入れも深いことが窺える。地元紙・宮崎日日新聞には「牧水と私」の3回連載が始まっており、吉川さんの経歴ならではの牧水歌の読み方が記されていて興味深い。(この連載記事に関してはまた別に小欄で取り上げたい)授賞式も近づいたので手元に購入しておいた歌集『鳥の見しもの』を読んだ。冒頭に記したのは歌集名に採られた歌であるが、初句の「俯瞰」という概念を和語化した表現とともに「ただ青き海のひかりを」と詠まれており、二句切れと相俟って牧水の名歌「空の青海のあを」にも通じ、宮崎の風土を感じさせる歌と読めてくる。当該歌の前には「うなばらを越えて来たれる冬鳥に潮の香りは沁みているべし」があり、海と鳥という絵の中にある壮大な自然世界への思いが読み取れるようだ。

休日とあって自宅で歌集を読むよりも、やはり海を見ながら読むのがよいと思い立ち青島海岸へと向かった。しばし海辺を散策し気温も高く優しい雨に打たれながら、波音を聞いた。「青き海のひかり」は見えなかったが、青島の影が次第にこころを歌の世界へと誘ってくれる。「書くことは思い出すこと 秋雲の透けゆくなかに死者も来ている」とあるように吉川さんの歌集には、「・・・は・・・こと」という類型の上二句が何首かあるのが気になった。テーマ性と言葉の置き換えをうまく以後の三句で歌う形式である。以下、何首か気になった歌をここに挙げておく。

「独りにてチャーハン食べる旅の夜の葱のきざみは白くつやめく」

「独り」に「旅」とくればやはり牧水を思い出すのだが、酒ではなく「チャーハン」を詠み、その「葱のきざみ」に注目した繊細な視点が面白い。僕自身が「チャーハン」好きであることからも惹かれた一首。やはり「チャーハン」は葱が勝負である。

「贄のごとき紅葉に遇えり中立とは何も歌わぬことにはあらず」

初句「贄のごとき」の直喩の解釈は深く考えさせられたが、まだ僕の中で定まってない。「紅葉」と「神の供物(贄)」という意味では、百人一首・菅公詠の「このたびは幣も」を思い出すのだが、「中立」との関係から葉の色めいた度合が多様な表現に見えるといった深い思考に誘われ、自然詠から社会詠に通じる深さを覚えた一首であった。

「戦争をしたき者らは会議ののち生赤き鮨を食べているらむ」

牧水賞受賞における選考委員の先生方の評を読むと、やはり吉川さんの歌はその社会詠が高く評価されたようだ。他にも取り上げたき歌は多々あったが、敢えてこの歌を挙げておきたい。過去に「事件は現場で起こっている」というドラマの名台詞があったが、「戦争をしたき者ら」は、いつの時代も「会議」の席にしかいない。そして「生赤き鮨」をいただくことに対する生命への感謝など微塵もない。再び、庶民感覚から遠ざかった政治家が薄ら笑う世の中になってしまったことへの、喩えようのない恐怖を思うに至る歌のように思えた。


歌集のあとがきから
「生きる限り、未知のものに触れようとする思いが、
 詩歌をつくることの根源にあるのではないか。」


授賞式にて吉川さんとの懇談を楽しみに待つ我である。
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「読むこと」と「書くこと」の未来

2017-01-29
ほとんどが「黙読」のこと
ほとんどが「PC上」のこと
身体性を失った「読むこと」と「書くこと」の未来は

小欄をお読みいただいている「いま」の状態は、ほとんどが「黙読」ではないでしょうか?声を出してお読みいただいている方は、むしろ稀と予想しています。このようにWeb上の記事などを読む際にも、ほとんどが頭の中における「読むこと」で処理されている。そしてまた僕自身がそうであるように「書くこと」はPC上で行われ、実際に文字をペンで記す機会は格段に減ってしまった。感覚的には「キーボード上」が自身の文章を紡ぎ出す思考の競技場であり、その「指の動き」そのものが文字となり言葉となり文になって表現されていく。その感覚を「身体性」と呼べば呼べないこともないが、ペンで文字を刻みつけていたことと比較すると、文字変換に依存し一律の文字が表示や印刷され、体裁はよいのだが没個性的であり事務的であるともいえようか。

誕生日のプレゼントに、名入りのペンをいただいた。それを手にして刻まれたローマ字の自身の名を見つめると、世界で僕しか書けない文字を文を歌を刻め、と言われているような思いに至った。そんな思考をした結果、昨夜はすぐにそのペンの名を見つめている夢を見た。スーツの胸に据えたペンが、何を描いていくか。無限の可能性を、夢は語り出していたようにも思う。修士時代に尊敬する中国詩文の先生の演習を履修していた時、参加者の名前をビラとして配布された取るに足りない用紙の裏に書くという慣習があった。代表者の方が、わかっているメンバーの名前を次々に自ら書こうとすると、その先生は個々の人が個々の文字で書くように戒めた。紙上で文字の個性によって、名前と顔が一致してくるという「身体性」を重んじたいという趣旨のことを、僕ら学生たちに説明された。確かに最近、テレビ映像を通して観る新大統領の署名は、品位がなく強引な印象を拭えない。署名を始めとして文字を刻むことの「身体性」を、いかに維持していくか?Web上の出来事と現実世界が乖離していくように、個性なき「第二次現実」が単一化し正論のごとく語られる世の中は危うい。「読むこと」においても、「声を上げる」という成句の持つ「身体性」の価値を見出し続けなければなるまい。初めて原稿料をいただいた20年ほど前、そのお金で1本のペンを自ら買った。既に機能的には老朽化が進んでしまったので記念碑的存在として机の引き出しに眠っている。そこで、今回の新しい名入りペンによって、これから未来に向けて僕は何を刻んでいくのだろうか。

「短歌と声」に関する評論を成稿した
ここに和歌・短歌研究と「音読・朗読」研究が融合する
自らの身体性を確かめながら、歩むべき道を新たな1本のペンに教えてもらった。
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抱負を生活に変換せよ

2017-01-28
新年の抱負はどれほど実行できているか?
三日坊主・1週間・1ヶ月で絶えていないか
「いま」をことばで刻みつける生活を

2017年もあっという間に4週間が過ぎた。僕の場合、誕生月ということもあってあれこれと決意を実行する指標となる月であると位置付けている。今月の場合、年末年始の夢のような世界から始まったが、6日・10日・15日と立て続けに原稿締切に追われ、やや難儀をした場面もあったものの、書評・論文・評論が成稿され校正ゲラとなって形になったのを見ると、気分のよい達成感を覚える。初めて自分の原稿が活字になった時の感慨を思い出しつつ、「書くこと」そのものが自分の「生きる」ことなのだとあらためて意欲も湧いてくる。小欄の試みもそうであるが、「いま」の思考をことばに刻みつける、それを生業としているのは何とも幸せなことである。原稿が次なる原稿への意欲を生むことを、大切にしたいと思うのである。

年頭には、他にもいくつかの抱負を立てた。短歌1日1首は、心がけ次第ですぐに実行できることである。1日1頁で十分な余裕のある手帳に必ず歌を記す、と決意したのだが、中旬頃のセンター試験前後で頓挫している。それでもまた気に入った名歌を記したり、その横に自らの歌を書いたりと、手帳を見返すと努力の跡は窺える。何よりこうして「生活の一部」にすることが、何事かを成そうとするなら必定なのではないかと思うのである。短歌創作を「特別」なことにしている以上、いい歌はできないだろう。俵万智さんも御著書の中で、「日常生活の心の揺れをことばにする」といった趣旨のことを書いている。生活上どんなことがあっても、その「揺れ」をことばにするか否かであろう。もう一つ驚くほど継続され始めたことがある、それは水泳。人間ドッグ受診を契機に、今週は3回「水を得た魚」状態であった。生物は水に帰ると云われるが、500mか1000mを泳ぐうちに陸上ではあり得ない思考に至ったりする。どうやら20代の若手教員だった頃、部活動などをすべて終えてから、施設の整備された私立学校の温水プールで教員仲間とともに泳いでいたことを思い出した。あの頃の青臭い野望が、僕の泳ぐ身体に刻まれているかのようである。

「抱負」や「意欲」はいくらでも言葉にできる
その「言葉」をどれだけ実のあるものとするための「行動」をするか
抱負はまさに字のごとく、生活に変換し抱き背負うものであろう。
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「精進」のみー単純化の美徳

2017-01-27
第72代横綱稀勢の里
横綱昇進口上には「精進」
自分の気持ちに素直な単純化の美徳

遅咲きの横綱、などと世間で囁かれる稀勢の里関の昇進口上は「横綱の名に恥じぬよう精進いたします。」であった。過去の横綱の例を思い出すに、どんな四字熟語が入るのかなどと予想する向きもあったが、人柄ゆえか素朴な口上にむしろ好感が持たれたようだ。思い返して例を挙げるならば、「全身全霊」「精神一到」「堅忍不抜」「不惜身命」「不撓不屈」といった四字熟語が並べられている。だがそれらを聞くたびに、口上とはそういうものだと思いながらも、力士たちの日常言語からはかけ離れているという違和感を覚えた。それはまた、四字熟語が持つ一つの負の歴史を想起するからかもしれない。いずれにしても稀勢の里の口上は単純化したことで、自らの心を表現することに成功したといってよい。

友人の落語家・金原亭馬治さんの師匠である第11代金原亭馬生師匠が、読売新聞に稀勢の里の横綱昇進についてコメントしていた。その比喩に曰く「料理に例えて言えば、稀勢の里は絶品の日本料理。見た目がきれいで、香りもよろしい。そして、上品。」と讃えていた。師匠とは何度も高座を拝見しまた直接お話もしているが、この稀勢の里評はそのまま師匠の人柄にも喩えられる。日本舞踊などの芸道にも精進する、落語家としての矜持が常に垣間見える。西洋料理に比べて派手さはないが、細部にまで手の込んだ施しがあり品格が漂う。このなかなか言葉にできない「品格」という部分には、日常生活からこだわりを持ちたいと僕自身も常々思っている。「単純化」といえば「良い歌」もまたそうだと、角川『短歌』の新年号で永田和宏氏が書いているのを思い出した。「情報量」は「限りなくゼロに近い」歌であっても、「言葉が抱え込む世界は如何に広く、かつ奥行きをもつ」として、「単純化は作歌の第一歩である。」としている。写真映りのよいファミレスやファーストフード、いかにも便利なコンビニの食物類などには、この「品格」は微塵も見えない。化学調味料・保存料といった情報量を詰め込んで、直立しない歌かのようである。短歌のことばに繊細に向き合うとは、日本料理の味わいを楽しむことにも似ている。

ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり
永井陽子の歌より(永田和宏氏が前述の「単純化」の好例として挙げている)
まさに僕が今向きあっっている林檎印のパソコンも「単純化」の極みである。
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「ひむか-Biz」祝開所ー日本のひなた宮崎を元気に

2017-01-26
「ひむか-Biz」産業支援センター祝開所
友人の長友慎治さんがセンター長に就任
ともに宮崎を元気にする仲間として

「ひむか-Biz」産業支援センターが24日吉日に開所式を迎えた。産業支援センターとは、中小企業や創業者向けのビジネス相談を無料で実施し、雇用創出や地域経済の底上げに貢献する機構である。開所に先立って昨年11月には、プレイベントとして友人の落語家・金原亭馬治師匠の落語会とトークショーを開催し、僕も聞き手として登壇させてもらった。もとよりセンター長の長友慎治さんとは、馬治師匠の高座を拝する場を契機に友人となった。東京での寄席や料亭での落語会の折に、よく酒を酌み交わしながら三人で諸々と語っていた仲である。そのような会話の中で、僕が宮崎で様々な面で奮闘していることに、長友さんは刺激を受けたといった趣旨のことを話すことがよくあった。しかも上京した折には頻繁に馬治師匠の高座を拝しに来ているのが、また粋だという話にもなった。

もとより馬治師匠には昨年11月で3回目、宮崎での芸術家派遣事業に来てもらっていた。小中高校の児童生徒たちに落語を通して伝統芸能に触れ、自らの表現力・伝達力を育む企画授業である。宮崎に来るたびに馬治師匠は「水が合う」と繰り返し述べ、地の食べ物や焼酎を楽しんでいた。師匠もお母様の故郷が福岡県ということもあり、九州への愛着が深い。振り返れば、僕が宮崎に赴任する前の年の夏に、福岡→長崎→天草→水俣→佐賀→太宰府といった九州ツアーをともにしている。どうやらその時から、馬治師匠も僕も「九州の神様」に好まれたようなのである。それにしても地方の経済・社会・教育をどうしていくか?今すでにほとんどの地方が直面している課題である。長友センター長は、宮崎出身であるが東京の大学で学び、東京の第一線で活躍してきた方だ。僕は東京出身であるが、今まさに宮崎の地に公私ともども深い愛着を抱くに至っている。そしてともに大学は都の西北。「地方創生」などと標語を中央で語るのは簡単だが、現実の「地方」をどうするのか?その課題に経済と教育と分野は違えども、正面から向き合ってお題目でない豊かな生活ができる「地方」をぜひとも創り出していきたい。僕の場合は、そこに「落語」そして「短歌」が関係させていくことが、何よりの使命であると自覚している。

「ひむか-Biz」所在地は日向市
若山牧水の生誕地でもある
稲穂の縁により、日本のひなた宮崎を元気にする挑戦が始まっている。
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「あれっ風邪?」と思ったら

2017-01-25
厳しい寒さが続く
水っ鼻が出るなど症状が
そこですかさず栄養補給を

先週末の東京滞在から帰り、少しは暖かいと思いきや南国・宮崎にしてはかなり寒い状態が続いている。それでも北九州のように雪は降らず、太陽の光は降り注いでいるのだが、何せ頰打つ風が冷たすぎる。大学を中心にした学園都市は日向灘を望む高台にあるため、風に関してはいつの季節でも各方向から強く吹き付ける地形に住んでいる。東京から帰るとどうも、水っ鼻が出て仕方ない状態となった。それでも宮崎の清浄な空気を吸えば治るなどと楽観的に構えていたが、やはり風邪は初期治療が肝要である。栄養補給と睡眠をすかさず摂ることを心掛けねばなるまい。

親友御夫妻の店で鍋を注文した。「あれっ風邪?」と思った時は迷わずこの「コース」を選択する。豊富な野菜と豚肉を中心の具材に、やや辛めの味付けが施されている。食べるに連れて身体が温まり、仕上げの雑炊まで食すればかなりの満腹具合である。そして温まった身体を冷やさないうちに寝床に入る。そうして一夜、水っ鼻はすっかり止まって元気が回復した。もちろん寝室には加湿を忘れず、日常から執拗に手洗いとうがいを繰り返している。それでも菌は容赦なく入ってくるのだが、それを自らの身体で撃退する免疫力を養っておくことが肝要だろう。原則として、薬には頼らない生活をしていたいと思う。

今回も初期で食い止め、この日はジムへ
教育現場では何事も「初期」で対応するのが原則であろう
健康な暮らしには、地方の環境が誠にありがたい。

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短歌の「音楽」について

2017-01-24
新春74歌人大競詠(角川『短歌』1月号)
「私が考える良い歌とは」
佐佐木幸綱先生のエッセイから

学生時代の講義からそうであったが、佐佐木幸綱先生のご発言というのはいつも刺戟的である。その外見にも魅せられつつ、講義で発せられる問題意識から歌について、文学について深く考えさせられた。その受講者・読者にとってはその延長に研究や作歌があるとすると、講義型ではあるが自然な「アクティブラーニング」であったともいえるだろう。さて、冒頭に示した角川短歌新年号の歌とエッセイにおいても、やはり幸綱先生のものには僕自身の現在の興味とも重なり、じっくり立ち止まって考えさせられた。短歌の成立要素は「意味」「イメージ」「音楽」であり、これが「33%ずつバランスがとれたものが『良い歌』なのだが、なかなかそうはゆかない。」とした上で「無理に答えなければならないとすれば、私は『音楽』をとる。」ということが述べられている。

藤原定家が百人一首に選んだ歌聖・柿本人麻呂の歌は周知のように「あしびきの山鳥の尾の・・・」であるが、この歌の「60%は『音楽』でできている」と幸綱先生は古典和歌での根拠も提示する。同誌には「新春対談 百人一首のおもしろさ」も掲載され、馬場あき子氏と俵万智さんが百人一首について語っており、これもまた興味深い。馬場氏の発言の中には「(百人一首は)歌を諳んじるということが何かということを考えさせてくれた。」とされ、それを「相手に呼びかける調子」だとして「アピールの力を持つためにはどういう響きが大事だろうかと考えさせてくれた。」とある。著名な40番歌対41番歌の歌合対決にも触れ、「「忍ぶれど』は低い音、『恋すてふ』は高い音」という指摘もある。やはり古典和歌では特に「音楽」が大切だということが主張されているとみてよいだろう。まさに「音楽」に載って我々のこころに響くことばについて、「音読・朗読」の問題とともにあらためて考えてみる必要がありそうだ。

うた・歌・音楽
こころに訴えることば「短歌と音楽」
牧水賞授賞式で幸綱先生にお会いするのが楽しみである。
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あの頃からの時間距離

2017-01-23
20代の頃の教え子たち
まずは少人数で同窓会
あの頃からの時間距離を考えると

東京に来ている間に誕生日を迎えた。両親がランチに誕生会をと、子どもの頃からのお祝い事の折々に食事をしていた老舗ロシア料理店へ出向く。何十年も変わらぬ味を護っている料理店のプロの味が、穏やかな気持ちに誘う。その後は、両親が出逢う契機となった地である西新井大師に参詣。自らの「生」の存在している由来となる場所を歩んで、「いま」を実感する。誕生日に思いを込めるというのは、こうした過ごし方が望ましいように思う。両親とランチ会にしたのは、理由がある。20代の頃、高校教員をしていた時の教え子たちが何人かで夜に集まろうと、音頭をとってくれたのである。聊か急な話であったので、3名ほどが集まるささやかな会であったが、当時からの時間距離を存分に感じられる楽しいひとときとなった。

果たしてあの頃、僕は担任として彼らに何を提供できていたのであろうか?いま振り返っても青臭く人生経験も未熟で、彼らの人生に対して如何に貢献できていたのか。そんな思いもあったが、いざ再会してみると全員が子持ちで立派に家庭を築いて幸せな生活を送っており、誠に嬉しい限りであった。当時の裏話や思い出に残るクラスの話など、自然に笑いばかりがこみ上げてくるひと時であった。「先生は変わらないですね」という言葉をもらうが、話していると彼らの表情はやはり当時のままである。あの頃は教師ではあったが、僕自身も青春時代の延長のように学校生活を楽しんでいた。現在は教職に就いても、悲痛な思いばかりで休職などに至ってしまう方も多いようだが、まずは生徒たちと人間的に楽しく向き合うことが肝要であろう。こうして遥かな時間距離を超えて、素晴らしい人生として振り返ることができるのだから。

これぞ「教師冥利につきる」
担任の先生を囲み自らの同窓会もしよう
などと考えて、さらに大きな人間的な繋がりを尊ぶ宵の口であった。
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アクティブラーニングと和歌・短歌

2017-01-22
「短歌を詠む 書く 歌う」
「ようこそ短歌道場へ」
お二人の短歌アクティブラーニング実践例

理事である和漢比較文学会東部例会も開催されたこの日、早稲田大学国語教育学会例会も開催され、選択に迷う事態であった。だが本年10月に勤務校を主催とする和歌文学会宮崎大会に向けて、大変重要な知見が得られる可能性があったので、後者に出席することにした。次期学習指導要領で中心的な改訂の要点となる「アクティブラーニング」、講義型授業から学習者の活動型授業へと転換を図るというのが大きな狙いである。例会では2本の実践例の御発表があったが、2本目の小塩卓哉氏は高等学校校長の要職にあり、また歌人としても歌を詠むという格好の実践者である。冒頭に掲げた「短歌道場へ」の実践例を紹介され、生徒たちが自作の短歌を批評し合って勝敗を決める形式は、宮崎で開催している「牧水短歌甲子園」に類似した実践であった。学習者は教材を「読む」だけではなく、「詠む」(創作する)ことで、他者への表現力や言語感覚を養うことができ、その意欲から発し教科書教材としての短歌の読みを深めることができるということになる。まさに「表現」を意識すれば「理解」へ回帰し円環的な学びが醸成できるということであろう。「短歌」そのものはまさにそのような活動型の学びの素材として、格好の詩歌なのであるということをあらためて確認できる内容であった。

1本目の兼築信行氏の御発表においては、和歌史の上での根本的理解、「古今集」仮名序の記述なども挙げながら、「和歌・短歌とは何か?」という問題意識を喚起する。漢詩に比べて実にコンパクトなサイズで持ち運びに便利(記憶しやすい)、また「土佐日記」に記されている「しゃべっていたら偶然にもそれが歌になった」といった口誦性を指摘する。恋の歌を中心に身近なコミュニケーションツールとして、1300年の歴史が継続して来たわけであろう。「出題→詠草→加点・添削→懐紙・短冊→披講」といった和歌の題詠プロセスを活動し、歌合の形式で批評し合う実践の紹介があった。総じて、和歌の長きに渡る歴史の上で、「和歌・短歌」を学ぶには如何にしても「詠む」という活動が不可欠であったことがわかる。こうした意味でも近現代の国語教育が、どれほど「読む」こと(理解)のみに偏向してきたかを考える契機にもなった。こうした内容を受けて僕は、小塩氏に質問をしたのだが、大学入試対策に高等学校授業の目的が偏る中、さらには「短歌教材」の学習時間配当を考えた時、「アクティブラーニング」は如何に学習意識を変革する可能性があるか?と。より短歌の実用性を普及させ、高校生がその日常を素朴に歌にする機会を多く提供していく必要があるのではないか、といった対話を持つ機会となった。

小塩氏は指導教授を同じくする「古今集研究会」において
ほぼ大学入れ替わりという先輩後輩であった。
「和歌・短歌」を通じてやはり今も恩師は教え子を繋いでくれていると感謝。
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