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「秋風の身に寒ければ・・・」シルバーケア短歌会「空の会」講演

2016-11-02
「秋風の身に寒ければつれもなき人をぞ頼む暮るる夜ごとに」
(『古今集』恋二・555・素性法師)
男性歌人が「女装」して詠む歌について・・・

地元宮崎を中心に活動するシルバーケア短歌会「空の会」の第13回研究会の場で、講演をさせていただく機会をいただいた。昨年5月にも「やまとうた1110年ー〈和歌〉と〈短歌〉の文学史」と題して機会をいただき、今回が2回目の講演となる。「空の会」は、牧水の生誕地として短歌の盛んな宮崎県で、高齢者の方々が短歌に対して身近に取り組めるよう様々な活動をしているボランティア団体である。今回の講演題は「『女装』の和歌表現を追究するー『古今集』恋歌を読むー」とした。

奇しくも「古典の日」であるこの日、そして旧暦で10月2日となり、季節は暦の上では「冬」となった。もちろん実感としては「秋」であり、宮崎では体感気温はさらに暑く、講演が進むにつれて上着を脱ぐほどであった。日常では現代短歌を読み、そして創作にに勤しんでいる方々が20名ほど、県立図書館研修室に集まった。講演内容は、昨年9月に出版された『日本古代の「漢」と「和」嵯峨朝の文学から考える』(勉誠出版)に掲載された担当論文を元に、分かりやすい内容を心掛けた。

冒頭に掲げた素性法師の和歌は、男性歌人が詠じたものでありながら、「女性」の立場でその心情が述べられている。他にも「はかなくて夢にも人を見つる夜は朝の床ぞ起き憂かりける」(『古今集』575)や『百人一首』にも入る「いま来むといひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな」(691)などという歌もあり、素性の恋歌の詠法が「女装」したものであることが指摘できる。「女装」とは、僕の恩師・津本信博先生の日記文学研究成果から出た術語であるが、時代相を鑑みて、和歌のジェンダー(性差)の問題も考えてみるべきと思って使用した。その背景には、日本漢詩文や中国詩に見られる「閨怨詩」の影響があるという点が結論となる。

「女うた男うた」とは何だろうか?中公新書に歌人・馬場あき子先生と佐佐木幸綱先生の御著書もあるので、そこから代表歌を取り上げてその特徴を読んでみることも行った。『日本書紀』衣通郎女の「我が夫子が来べき夕なりささがねの蜘蛛の行ひ是夕著しも」や小野小町の夢の歌に見られるように、俗信を頑なに信じて愛する男に期待を寄せる心情。式子内親王の「桐の葉も踏み分けがたくなりにけりかならず人を待つとなけれど」(『新古今集』秋下)や賀茂真淵門下の油谷倭文子(ゆや しずこ)の「たをやめのわが身とふべきものならで雪には人のなど待たるらむ」(『散りのこり』)などを取り上げて、参加者の方々の人気投票と好きな要点などを発言していただき、また扱った歌に関しては必ず「音読」するという方法で対話的な講演となり、与えられた2時間半があっという間に過ぎた。

「ますらをは名をし立つべし後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐがね」(『万葉集』4165 大伴家持)
「男うた」も時代によってその表現・内容も変遷する。
講演終了後に茶話会にも参加し、楽しい時間を過ごすことができた。
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