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都市の過誤と方言の古語

2016-10-25
空港に到着して
小さなターミナルビルから出たその時
都会にはない薫香と爽やかな空気が出迎えてくれる

都会育ちであるはずの僕が、どうも最近はその「都会」に否定的な感情のほうが断然強くなった。人口密集が招く公共交通機関の混雑や建物の密集、そしてむやみやたらな高層ビルの乱立など、大阪伊丹空港から離陸した航空機の窓から見降ろす関西都市圏の街は、やや濁った空気に覆われて喧騒と密集に蠢く「砂漠」のように見えなくもない。西欧の都市もそれなりには密集してはいるが、米国などでは”ここまで”の喧騒を感じることもなく、欧州ならば尚更、潤いのある都市として好感が持てることも多い。明治維新以後の約150年間の急速な近代化・西洋化の波は、この日本の都市を、江戸時代までに培った「良識」を破壊した「似非成長」の象徴のような風体にしてしまったのではないかとさえ思われる。日本社会はその矛盾に気付く機会もないわけではないが、気付かないふりをして、さらにこの「似非」の思考から抜け出せずにいるように思えてならない。

地方に古語が方言として保存されているように、地方には日本文化が培った大切なものも保存されているような気もする。宮崎の方言「よだきい」は、「億劫だ・面倒だ」といった意味であるが、「ものうい・つらい」や「嫌である」「汚い」といった意味もあることが『日本国語大辞典第二版』を繰ると示されている。元来は「よだけし(彌猛)」という古語の形容詞で、『源氏物語』にも「おほやけに仕ふる人ともなくて、こもり侍れば、よろづうひうひしうよだけくなりにて侍り」(行幸)という用例があることも『日本国語大辞典第二版』に見える。『山家集』にも「けぶり立つ富士におもひの争ひてよだけき恋をするが辺ぞ行」と西行は歌に詠み、ここでは「大げさである。ぎょうぎょうしい。程度がはなはだしい。」といった意味の用例として『日国』は引く。「面倒臭い」といった否定的な状態を表現する語でありながら、宮崎でこの語彙を聞くと決して嫌悪感は覚えず、むしろ「ご愛嬌」を感じるように好感さえ持てる。それはこの土地が爽やかに澄んでいるからであり、むしろ都会こそが「よだきい」に他ならないからであろう。

空港からの道すがら
産直野菜市場と無添加パン屋に立ち寄る
そこには無機質な「レジ」ではなく、「一人の人」が僕を出迎えてくれる。
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