声を届ける 心を贈る
2016-10-13
声を的確に相手に届けるには?後ろ向き4名に投げる声
〈話す 聞く〉学習の自覚を促すために
後期「初等国語教育研究」2回目の講義にて、本格的に内容が始動。講義の冒頭は5人1班の中で毎週の決められた担当者が絵本を図書館(もとより図書館ラーニングコモンズで講義を実施している)で選び、読み語りをすることになっている。図書館にはエントランス周辺に絵本と大型絵本もあり、教育学部のある大学図書館としての配慮が為されている。いつぞや学内理系学部方面からの声で、「大学図書館に(幼稚な)絵本があるのはおかしい」といったものが寄せられたと聞くが、「絵本」は大人の為にも必要な心の栄養剤でもある。社会全体が「理系」に重点的な偏向を見せる中で、学内での象徴的な出来事であったと僕は胸に刻んでいる。絵本の読み語り経験というのは、確実に学生の〈話す 聞く〉と感性を育てる。対面でその内容を生の声で伝えるという、極めて基本的なコミュニケーションを活動的に学ぶ機会である。特に教師を目指す学生には、この届く声を身につけて欲しいと願う。
絵本活動の後は、〈話す 聞く〉をテーマにした内容の課題発見。5人班で4人が後ろ向きに立ち、1人がそのある人の背中に向けて声を届ける。自分に届けられていると思った人は後ろを振り返るというもの。(演劇的ワークショップでよく実施されている)声を届ける人によって、声が手前で落ちてしまったりすると誰も振り向かないこともあり、また声が拡散し過ぎると複数の人が振り向いたりしてなかなか最初は上手くいかない。活動後、個人で「どうしたら声は届くか?」というテーマをレビュー用紙に個人思考として言語化する。その内容をもとに班内で話し合いをして、「届く声」の要点を小型ホワイトボード上にまとめて、全体に発表をして講義は締め括られる。各班から出た「要点」は多岐に及ぶが、「声をビームのように飛ばす」に代表されるように「意識を込める」という内容が多く出された。それほど僕たちは日常的には「相手意識」というものが希薄な中で生活している。教師となって教壇に立つと、本当になかなか目当ての児童生徒に対して簡単に声は届かないことを実感する。教師と学習者の間でもそうなのであるから、児童生徒間で〈話す 聞く〉が学べるような環境を整えるには、十分な準備と細心な配慮が必要となる。そして何より「届く声」には、「心」を載せるということが肝要。それは相手への「思いやり」でもあり「優しさ」とも換言できる。「志」という漢字は元来その構成上、「下にある〈心〉がある方向〈士〉指し示す」ことを表している。「心を贈る」という意識を持って大切な人に接することを、「愛情」と呼ぶのであろう。
人が人に向き合うことを学ぶ人文系
豊かで美しいくにには、欠くべからざる学問
今日も大切な人に「声を届け」たいものである。
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