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すべては己に返ってくる

2016-10-05
教育実習の振り返り
受け止める己のふところ
如何に謙虚に柔軟に広い間口をもつか・・・

夏休み中に教育実習を終えた3年生は、様々な機会にその振り返りに及んでいる。教育方法を専門とする先生のワークショップを、大学校時で総計4コマ分。もちろん附属学校においても学級担当や教科担当の先生方と、そうした機会を重ねてきている。その上でもやはりゼミにおける観点からの振り返りが必要なので、後期初回のこの日に実施する。教材と進行との関係、学習者主体とは何か?学習者が面白い創作活動をするには?小学校1年生で文字言語と書記言語との橋渡し期において発達段階をどう引き受けるか?授業構成の主眼の置き方?等々と様々な観点から反省点が提出された。学生たち個々が担当した「授業」は、他の何らかの要因があるわけではなく、すべてが「己」の提供したものである。ある意味ですべてを「己」に帰結させ、そのあり方を分析検討し、その「拙さ」を自覚する必要がある。世の中はすべてがそうであるが、「己の弱さ」を知ることから始まる。「できたはず」と構えた時点で、「できていない」ことを露呈するということであろう。

人生に「答え」が無いように、学習者反応を旨とする「授業」にも「正解」があるわけではないはずだ。今思えば教育実習のみならず、初任から数年間は僕自身も「ひどい授業」をしていたと振り返ることができる。「何とか上手く進めよう」という意欲が空回りし、学習者にとっては余計に理解が進まない「強引な授業」になってしまっていたと省みる。生徒の前では「己の弱さ」を見せられないという”盲信”が、むしろ「授業」を生徒から遠ざけたものにしていたような気がする。どうやら僕は、日常からどちらかというと「笑顔」でいることが多いらしく、同僚の年配教員には「そんなに笑ってばかりいると生徒に舐められる」といった趣旨のことを言われたこともある。比較的、学校全体が「体育会系」の風潮に支配されていた初任校で、僕自身が「己の弱さ」を知るまでには、しばらくの時間を要した。だが「弱さ」を自覚した時に向かった先は、紛れもなく「研究」の二文字であった。やはり「己」に返って来たものを謙虚に受け止めたところから、人生は新たに動きだすものである。

「強くあれと言う前に、己の弱さを知れ」
(桑田佳祐「百万本の赤い薔薇」より)
「体裁・建前」よりも「謙虚・柔軟」こそが生きる上での強さとなる。
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