抱き続ける思いー卒論というもの
2016-10-01
「卒論テーマは何か?」ほとんど名刺代わりと言っても
人生最初期に築く記念碑的存在なのかもしれない
大学の学びも多様化し「卒論」を取り巻く考え方も変化したと聞く。だいたいにして、「・・・学士」という称号が氾濫するほど多くなり、どのような専門性があるのか、正直言ってわからないと思ってしまうこともある。それだけにやはり自分の意欲と意志で、自分の志向で、そして自分しかできない思考で成り立たせる一まとまりの「論考」には、大きな意味があるはずだ。僕自身の卒論を振り返っても、そこで考えたことは今も自己の根本的な問題意識に他ならない。そして指導教授との対話の大きな材料となり、今にして考えれば無駄に冗長に、よくも400字詰原稿用紙で250枚も書いたものだと思い返される。当時はまだ「手書き」清書による提出で、右手の中指にできた「ペンだこ」は、成果の一つの勲章でもあった。追い込みで清書が追いつかなくなり、三日三晩ほぼ寝ることもなく、次第に乱れた文字になりながら書き続けたあの日々は、その後の人生の大きな糧となったのは間違いない。
教師ならずともどんな職業に就こうと、やはり「卒論」での思いを抱き続けて欲しいと学生たちに求めたい。いやむしろ「思いを抱き続ける」テーマを選択せよということだろう。特に「教育学部」での卒論とあらば、22年間の人生で「学校」で学んだことの集大成といってよい。教員養成を旨とする学部であるゆえ(特に僕のゼミは)、その後の「教員生活」に対しても大きな指標となり、原点を顧みる定点観測”灯台”のような役割を果たすと考えるゆえだ。「教師」としてどんな「専門性」を持つかというのは、小中高の校種を問わず重要であると思われる。この日は、4年生の卒論中間発表会が国語教育講座(国語専攻)で開催された。教員採用試験などと並行しながら温めてきたテーマについて、ポスターセッション形式で後輩の学生たちと対話する時間が持たれた。研究室ごとにそれぞれ特有な色もあり、各自が考えたいことを「形」に成して表現していた。「並行しながら」と書いたが、「卒論」は大変重要な教員採用試験対策でもある。面接などを通じて、大学での学びを集約的に回答するには「卒論」の進捗状況が大きく影響するからである。概ね「アウトライン」が示された「卒論」、これから実りの秋にどれほどの収穫を重ねていくか、円熟させることへ期待が高まる。
俵万智さんの「卒論」は「(短歌)連作論」と聞く
個々の「具」が肉厚な「だんご串」になるのが「優れた連作」と位置付けたとか。
ちなみに僕の卒論テーマは「古今和歌集と中国文学」、原点回帰を思う今秋でもある。
- 関連記事
-
- 心のふるさとへいつでも (2017/02/19)
- 自分の頭で考えるということ (2017/02/09)
- 読解力について考える 再び (2017/01/18)
- 少ないながら忘年会 (2016/12/21)
- 29(にく)の日に焼肉へ (2016/11/30)
- 自然と模造品ー牧水の鳴らした警鐘 (2016/10/19)
- すべては己に返ってくる (2016/10/05)
- 抱き続ける思いー卒論というもの (2016/10/01)
- こころなにぞも然かは悲しむ (2016/09/29)
- 教育は潜在的な流行にどう対応するか (2016/07/27)
- 己の弱さを知れ (2016/07/20)
- ことばで自己を捕捉する (2016/06/29)
- 地方版焼肉食べ放題の効用 (2016/04/26)
- 「叩き台」を練り上げる対話 (2016/04/20)
- この20年で教育の何が変わったか? (2016/04/13)
スポンサーサイト
tag :