去りゆく9月見送りて

2016-09-30
後期授業も近し
9月は切ない歌多きサザン
駆け抜けた夏の終わりに・・・

サザンオールスターズの曲の季節感としては、その多くが「夏」なのであるが、それだけに「9月」を題材として「夏の恋が終わる」ことを唄う類の曲も多い。もう15年ほども前のことであるが、そうした切ない「夏の終り」の曲を聴いていて、その時の自分自身の境遇に耐えきれなくなったことがあった。「この夏は何だったのだろう?」「いったい自分は何をしているのだろう?」という人間存在の基本的な思考が大きく揺らいだといっても過言ではない状況であった。それゆえに「サザン」は僕にとって「人生の友」であり、自分自身が見えなくなった際の定点観測にもなる、実に豊かな指標でもある。特に今夏は、「いつ休んだのだろう?」と思うほど駆け抜けるように過ごした数ヶ月であった。そんな9月末となって「切なさ」がないわけではないが、それよりはむしろ「駆け抜けられる」充実感の方が優位にある自分の心を、再びサザンの曲を聴きつつ感得したりしている。

サザンの「9月」を題材にした曲が切ないのはやはり、「夏の燃えるような恋が終わる」といったテーマを唄うからである。日本文化的な発想から行くと「季節(四季)」は「人生」に喩えられ、その時間的推移が手に取るようにわかる「1年」の中で見た時に、一番「夏から秋」が切ないと感じるのも人情なのである。燃え盛る時代を終えて衰退へと向かう、熱さから冷めて衰兆が見え始める、といった感覚がこの上なく切ないという感情なのである。だが実は「秋」というのも大変良い季節であることを、その「切なさ」の中にあると忘れがちなのである。夏の太陽が与えてくれた恵みによって、これからが「実り」の季節に他ならない。それだけに「夏」を丁寧に冷静に「精算」しておく必要があるのかもしれない。朝晩の風は確実に涼しくなった。その落ち着いた雰囲気の中で、まさに「哀しみども」をごまかさずに受け止めていく。この日もやはり車の中で「サザン」を聴いていて、そんなことを考えた。

そういえば小欄を開始したのは9月25日
いつの間にか7年が過ぎ8年目に入った
僕にとって何かが始まるのも9月なのかもしれない・・・
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こころなにぞも然かは悲しむ

2016-09-29
「酔ひはてぬわれと若さにわが恋にこころなにぞも然かは悲しむ」
(若山牧水『海の声』より)
お酒がもたらせてくれるもの・・・

牧水の第一歌集『海の声』の歌である。同歌集は明治三十九年から明治四十一年、牧水が二十二歳から二十四歳の頃の若き日の歌が収められている。折しも、大学生として将来の道を模索しつつ恋愛に身を浸し、故郷の両親と東京生活との葛藤にこころを苛まれていた時期ということになる。牧水は生涯を通して旅と酒の歌が多いとされるが、それは同時に人生の悲哀そのものを語り出しているともいえよう。冒頭の歌は、まさにそのような述懐が直接的に詠まれている。こうした歌を読むとき、僕自身が大学生だった頃を回顧してみたりもする。まさに学風ということなのか牧水の後輩として、僕の指導教授を囲み古代和歌の研究室では、毎度のように酒の席が通例であった。先生の主張は、古代和歌も「宴席」で詠まれたものが多く、となれば「酒を飲まなければ歌は読めない」といった趣旨の発言をいつもされていた。当時、角川『短歌』に掲載された先生の原稿では、歴史学者の直木孝次郎の「夜の船出」の説に真っ向から対峙し、額田王の「熟田津に・・・」の歌は、「宴席の歌」だと自信を持って断じていた論調に、深く賛同したのを覚えている。このように指導教授と酒を酌み交わし、そして若き己の拙さや恋愛の悲哀をこころに浮かべ、もがき苦しんでいた自分を思い出す。

その恩師が僕らに関わってくれていた年齢に、どうやら僕自身がなっているようだ。果たして恩師と同様に、学生たちに何らかを感じさせているのであろうか?などと比較して考えてみることも多い。さすれば、今夏の母校での集中講義では、のちに受講した学生たちが「集まりましょう」と言って席を設けてくれたりもした。恩師には及ばないが、やはりこうした学生たちとの交流は相互に貴重だと思う。そしてやはり、他の誰よりも忌憚なく楽しく語り合えるのはゼミの学生たちである。やはり今夏、教育実習中に附属学校でゼミ生がどんな顔をして授業に臨んでいるかを見るのは、ある意味で楽しみであった。同時に、彼らも附属学校を訪問する僕の姿を見つけて、喜んだ表情で語り掛けてくれた。その訴えるような声には、やはり実習は彼らなりにとても辛かったのではという思いも読み取れた。もちろん学生たちには、山ほどの注文がある。その注文を各自が振り返り改善していく過程なくして、次の公立実習や教員採用試験を乗り越える力を養うことはできないであろう。個々に研究室で面接をするといった手もあると思いつつも、今後はさらに様々な現場体験を積ませたいと思っている。同時にやはり本日小欄の主題であるが、酒を通じた語り合いが重要だとあらためて思う今日この頃である。

「酔ひはてぬ」ノミニケーション
いつから酒は害だという風潮が起きたのだろう?
若き日には「悲哀」なくして成長なし、と今の歳になっても若さを自負しながらわれも思う。
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「黄金律」の言語生活

2016-09-28
「らりるれろ/らりら らろりれ/らりれるら/るるるる ろろろ/らりれ りろりら」
「単純な音の流れ」「ほとんど意味を成さぬ不完全な結合」
「詩的情感」とは何か?

「意味」という点でいえば、何か”おかしくなった”のではないかと思われるかもしれない。冒頭のラ行音のみで繰り返される音の羅列。特に「文字」として「読もう」とすれば、聊かの「戸惑い」の中に誰しもが陥る可能性がある。「誰しも」と書いたが、もしかすると小学校1年生からせいぜい2年生あたりまでなら、まったくそんな「戸惑い」も見せずに、あっさりと面白がって「読む」可能性が高いだろう。学習段階がまだ「ひらがな」中心で、「音」から「文字」へと移行している段階の子どもたちの言語生活とは、「そのようなものだった」ということを大人は忘れがちである。岡井隆『詩の点滅』(角川書店2016)に引用された、那珂太郎の「短歌と俳句と自由詩に関する断章」(『詩のことば』小澤書店1983)所収)において、このような文字羅列を例にして、「五音と七音を基準とした短ー長ー短ー長ー長の拍節の構成は、それ自体が美的情緒を喚起するほとんど黄金律と言ってよく、」とされており、「という意味をなさぬ不完全な句の結合であっても、くりかえしこれを朗誦すればおのづからなにがしかの詩的情感が醸し出されるだらう。」という指摘が成されていることを知った。

岡井の評論で論じられる「自由詩(律)」と「定型」との関係性については、ここでは置いておくとして、この那珂の指摘は実に興味深い。「意味をなさぬ」と思い込まれている「句の結合」も、「朗誦」を繰り返せば、「詩的情感」が醸し出されると言っているからである。「大人」になればなるほど、僕たちは「ことば」を「意味」のみで考えてしまう偏向の中の”住民”となってしまう。だがしかし、最後には「音」で味わってみると「詩的感情が醸し出される」というのは、この一見意味不明な文字列以外にも該当することではないかと思うのである。視点を変えてみれば、僕たちの日常にある言語生活そのものが、多くは「五音」と「七音」に委託しているのではないかと思われて来るのだ。例えば小欄の本文を「まさに今」見返しても、「だがしかし」「まったくそんな」「されており」「おかしくなった」「詩的情感」などと抽出して羅列し、これで「朗誦」を試みれば、やはり「なにがしかの詩的感情」が浮かびそうな気がするのは、僕だけではあるまい。「読みやすい文体」や「分かりやすい文章」を「国語」では学習することになっているが、どうもこんな「音数律」の次元などは埒外のことであり、それほど「意味」とか「構成」などという「技術」のみに偏向していることを、自覚すべきではないのだろうか。

当座の会話の中にも機知を
「黄金律」に気づかぬは貧困なる生活なり
言語生活を豊かに、ってなんだろう?
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己が守れる街に住む

2016-09-27
都会の喧騒を離れる
羽田空港から地方への空路
そこは「己」のペースを守れる街がある

都会の喧騒に紛れると、いつしか早足となり発車ベルが鳴る電車に乗り込もうと躍起になってしまう。電車に乗ればほとんどの人々がスマホに目を落とし、周囲の現実にはほとんど無頓着であるかのような無表情を浮かべている。たくさんの人がいるにもかかわらず、孤独で悲しい表情を浮かべている人も多く、中には顰めっ面で悲壮感を顕にしている人も少なくない。昭和歌謡の名曲の中には、「地方から東京へ来て恋人などの人柄が変質してしまった」といった主題を歌うものも多い。嘗て東北上信越への玄関口であった「上野駅」にて、こうした望郷と都会的喧騒に溺れた人の感情が交錯するのは、既に石川啄木の「ふるさとの訛り懐かし・・・」の短歌に見られるように、多くの「物語」を紡いで来たことだろう。同じように羽田空港の行き先別待合ロビーに行き着いた時、居住している地方の方言を聞くと、なぜかホッとする心境になる。居住して4年目、どうやら僕自身が「己を守れる」と感じている街は、既に東京でないのかもしれない。

急がない、慌てない、そんな街である。信号が変われば焦らず次を待ち、自動車が一機会に右折する台数も東京より2台〜最大3台は少ない。公共交通機関は不便であり、商業施設も豊富に揃っているわけではない。新幹線の計画も程遠く、中心的地方都市までもそれなりに時間を要する。だがしかし、その隔絶的な感覚がむしろ、現代社会が見失ったものを確実に「棲息」させているように思う。食料自給率の高さとともに質の良い食材が豊富であり、出会う人々の多くが穏やかな表情をしている。無為に時間に追われることもなく、緩やかな時間が自然に流れている。以前にも小欄で紹介したが、「通勤時間」は日本一短く平均17分だと云うのだ。まさに「人間的」に生きられる街であり、都会では失われた人情も深く息づいている。この日も、やや疲労感の残る身体のために、ジムで通例のスタジオプログラムは避けて、ランニングマシンで「歩いて」みた。多くの顔馴染みの会員さんが、そんなマイペースに寛容な感覚があるのが嬉しい。

都会の喧騒は「人」を壊していないか?
世間での諸々のことを鑑みて真剣にそう思う
生き様によって住む場所を考えることも、重要な人生の選択であろう。
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わがいのちの沈黙より

2016-09-26
「言葉に信実あれ、わがいのちの沈黙より滴り落つる短きことばに」
(若山牧水『みなかみ』より)
牧水若き日の帰郷時代の歌から

概ね月1回は、宮崎と東京を行き来している。東京はまさに僕自身の「故郷」であるが、これほどの頻繁さがむしろあまり「帰郷」という感慨を催すことなく、比較的あっさりと往還しているような気がする。東京へ向かう目的は、ほとんどが研究学会であり、真の意味で「帰郷」を意図したことは少ないからかもしれない。それでも尚、今回のように墓参に訪れたり、実家のある街を違った角度から眺めてみると、やはり「帰郷」したという念が心の中で頭を擡げる。実家に暮らす両親とも、むしろ東京に在住時よりも会食をしたり電話をする機会が多くなった。「いつでも」と安易に考えていた、過去の己の薄情さを省みたりもする。地方在住という僕の自分史のあらたな局面が、より一層「故郷」への意識を強くしているのだろう。

研究学会に出席している自分を、客観的に省みることも多い。今回のように発表があるわけでもなく、司会の担当を仰せつかっているわけでもない折は尚更だ。せいぜい懇親会で、全国でも「遠いところから学会に参加した人」という括りで、挨拶の言葉を述べることぐらい。発表に対して質問したい事項がないわけではなかったが、むしろ沈思黙考こそがいますべきことという気分で、研究発表から総会までを聴き尽くした。10本が設定された各発表を聴き、己の研究との連接点や研究方法にプレゼン方法の相違などに対して、客観的な分析を加える。総会などで次期の予定が公表されると、このあたりで発表をしようかなどと構想が浮かび始める。このように、やはり「研究」こそが僕自身の「生き様」であり、時にこのような「沈黙」があることで、心が洗い清められるような気もする。

そしてまた広く明るい世間を見つめ直そう!
「そうだ、あんまり自分のことばかり考へてゐた、
四辺(あたり)は洞(ほらあな)のやうに暗い」(牧水『みなかみ』より)
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音を歌に詠むこと

2016-09-25
「唐衣うつ声きけば月清みまだ寝ぬ人を空にしるかな」
(『貫之集』第一・25)
音を詠み込んだ和歌について

和漢比較文学会大会に参加し、京都大学の大谷雅夫先生の御講演を拝聴し、「音」を歌に詠み込むことについて考えさせられた。冒頭には著名な杜牧の漢詩「江南春」を引用し「千里鶯啼緑映紅」(千里鶯啼いて緑紅に映ず)の起句において、千里(500㎞)四方に「鶯が啼く」とは、実に多くの鶯の啼き声を描写しているという指摘があった。この詩は僕個人としても大変興味があるもので、転句にある「南朝四百八十寺」(なんちょうしひゃくはっしんじ)という原詩の韻律がほぼそのまま訓読に反映され、平仄のことも考慮して「はっしんじ」と読むことには、高校時代から気になっている詩であった。複数性の「鶯の声」を題材にしつつ、漢詩全体が「韻律」に対して大変鋭敏な感覚で創作された詩であると評しておこうか。そんな意味で、教科書編集に携わった際も、この詩を筆頭に掲げて「漢詩のリズム」という点に光をあてる内容としているのである。

一方、和歌では「花も匂ふ春の燈消えやらでかたぶく月に竹の一こゑ」(『夫木和歌抄』春部ニ「鶯」)のように「鶯の声」は単数で詠み込まれているというのが、大谷先生の指摘である。確かに我々が「鶯の声」を想像するに、ほぼ例外なく「一羽の鶯」であろう。周囲の静寂な環境でその「一声」に心を動かされたという趣旨で歌になる場合が多いように思う。少なくとも「あちらこちらで鶯の啼く」といった描写には、例え現実がそうであっても歌にはならないように思われる。表現創作者の立場となれば、「独り静かに耳を澄ます」という立場がよく、だからこそ歌心に訴える表現になる。どうやら我々は伝統的にそのような単独の聴覚性のなかで、詩歌を創るという観念的な共同体の中に置かれているような気がしてくる。冒頭に掲げた『貫之集』の歌は、「砧声」を詠んだ屏風歌である。漢詩に典型的な、女性が空閨にて夫のことを思い「衣」を夜なべで打つ「音」を描写している。これもまた「鶯の声」同様に、中国詩文での複数性と和歌での単数性が対照的な素材であるようだ。元来、空閨の女性の姿を「三人称的」に描写する詩を「閨怨詩」と称する。漢詩のあくまで客観性に徹した描写に対して、和歌はどうしても「一人称性」が常に意識される。この歌も屏風歌ながら、広域な場面ではなく限定された空閨からの「声聞けば」という状況で「まだ寝ぬ人」を知るという歌に仕立てているのである。あらためて、創作者視点や場面設定の問題として、和漢の詩歌を見つめてみると大変おもしろい点が見出せそうな思いを抱きながら、講演を大変興味深く聞かせていただいた。

聴覚を歌に詠むこと
素材の複数性と単数性
やはり相対的な比較の視点からこそ、歌が初めて読めてくるものである。
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前に歩けば道が拓ける

2016-09-24
躊躇より前進
考えるより行動
人生は前を向いて歩いていたい

雨のそぼ降るお彼岸に、先祖の墓参へ。自分がいまここに存在することの根本を見つめ直す。生きる「今」をどのように前進するか、先祖の霊を慰めるというのは、実は「生きている」僕ら自身のためなのだと感じることも多い。住み慣れた街、其処に生まれ長年育った実家の風景。時代とともにそれもまた、新しい波が押し寄せる。だが「生きている」以上、人は変わり続ける。細胞が日々新陳代謝を起こしているように、毎日新しい朝を迎える。不変であると思えばそれは停滞であり、踏ん張れば踏ん張るほど時流の波の抵抗は大きい。むしろ波に乗って軽やかに前進すれば、また新しい風景が見えてくるものだ。

「前進」するにあたり、何よりも肝要だと感じるのはやはり、人との出逢いと縁と付き合い方である。独りよがりな考え方に凝り固まって幻想を抱きながら前に進めば、どこかでつまづいてしまう。不思議と困った時には「運気」をもたらしてくれる方と、再会したり出逢い直したりするものだ。そこに共通の趣味があったり、同質の感性があったりすることで、縁のある人というのは、何らかの「糸」で繋がり続けているものだ。こちらが求めるような会話の次元を自然に叶えてくれる人というのは、次なる「前進」を必ずや支えてくれる。人付き合いへの感性もまた重要。相手の話をしっかりと最後まで聞き、その上でそこにある「意図」を適切に読み取る。ある意味で文学の「解釈」に通ずる姿勢によって、独りで思い込んでいた胸のつかえが、解放されることも多い。

会話の微妙な機微を拾うこと
相手の話すことを尊重すること
あくまで「基本姿勢」を大切にしながら「前進」をしたいものである。
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突き放す言葉が希望を生む

2016-09-23
「特別扱いはしません」
その一言が希望になったという逸話
パラリンピック特集番組を観て

今夏はともかく寸分の隙間もないほどの予定を消化し、誠に充実していた。そのため巷間では話題となっていたオリンピックもパラリンピックも、あまりよく観ることができなかった。秋分の日であることもよろしく、午前中にテレビをつけるとちょうどパラリンピックの特集番組を放映していた。ニュースなどを通じてメダルを獲得した選手のことは目にしていたが、その背景までは知り得ていなかったので、実に興味深かった。中でも陸上400mで銅メダルを獲得した辻沙絵さんは、ハンドボール選手から陸上に転向して1年半という短期間での快挙だと云う。その生い立ちを追った番組の内容に、思わず集中して見入った。彼女は先天性で右手に障害があるが、それでも中学校から「ハンドボール部」に入部することを強く希望した。入部に際して顧問の先生が彼女に告げたのが、冒頭に記した言葉である。入部が認められてもなかなか上手くボールを捕球できない彼女は、毎日のように体育館の壁に向かい一人で黙々と練習を続けたと云う。

すると中学校2年生頃から頭角を現し、高校は全国でも強豪校といわれるところへ進学。右手の障害をものともせずに、全国レベルの優秀な選手として活躍したと云う。その後、日本体育大学に進学しハンドボールを続けるが、この度の「競技転向」の話となった。その際に彼女はむしろ、「なぜ障害のカテゴリーに戻らねければならないのか」といった思いを抱いたと云う。中学校の顧問の先生の言葉は、彼女を健常者選手として独り立ちさせていたということにもなる。そしてまた「転向」の際も、その顧問の先生から「今できる、今すべきことは何かを考えなさい」と助言を受け、今回のパラリンピックに至ったのだと云う。弱冠21歳、彼女の可能性はまた今後に連なり、それ以上に多くの障害を持つ人々に希望を与え続けるだろう。ここで考えたいのは、この顧問の先生の彼女への指導のあり方である。「教師」が本当に当人に愛情をもって指導するとは、どういうことかを深く考えさせられる。ともすると多くの教師が、自己の体面や体裁のために、醜い場合は自己が中心的存在であり続けるために、子どもたちに権威主義的な威圧を前提としたことばを浴びせていることが少なくない。「授業」おいても、自己の思うような展開を強く希求するがために、学習者を置き去りにし、学習者と隔絶していく可能性のある言葉を吐いてしまう。本当に子どもたちのためを思う愛情ある言葉とは何か?この辻沙絵さんが育った逸話を知って、指導者の資質が教育や福祉の上で何よりも大切なのだと痛感した。

体育会系にありがちな横暴な指導に陥らず
学習者も指導者も相互に己の弱さを知る対話的な接し方
こうした厳しくも愛情ある「希望」が溢れるくにでありたいのであるが・・・
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批評性を持つために

2016-09-22
新聞記事の文章は「正しい」か?
文字・表現次元の校正から推敲に至るまで
学校の説明文・論説文教材のあり方や批評性のことなど

小学校よりやや遅く始まった附属中学校における学部3年生の実習も、大詰めを迎えた。台風で順延となったが、この日は一斉視察二日目。ゼミ生をはじめ国語講座の学生たちの奮闘ぶりを、参観に赴いた。「短歌」を教材とする授業では、無記名の生徒各々の自作短歌に対して他者が「鑑賞文」を施し、特に「良いところ」を評する文章を書く。「良い」とするあたりがいかにも「学習」上の配慮ということであるが、敷衍して考えれば他者の表現を的確に「読む」ということである。その上で「伝わるか、伝わらないか」(分かるか、分からないか)を吟味する「批評性」が出てくると、さらに学習段階は上がるということになろう。他者の書いた文章をもとにその後、自作短歌を再び推敲する。修正する場合もあれば、そうでない場合もある。最終的に隣の者同士で短歌を音読で伝え合うという活動もあった。6月に宮崎で開催されたトークで俵万智さん曰く「短歌は日記ではなく、手紙である。」とあったが、他者に「伝わるか」を焦点に批評し合う学習活動は、大変有意義であるだろう。自分の表現を他者の視点から評価してもらう機会を設定するのも適切な学習過程である。その上で尚、「批評性」が芽生えればという次元を目指したいとも僕などは考える。

他学年では説明文の授業。「情報を他者にわかりやすい文章で伝える」というテーマが掲げられている。ここで大変難しいのは、「わかりやすい」を具体的に指標化することである。文字次元での「校正」の要素を施すことと、文体・表現次元で「わかりやすい」かどうかと「推敲」することを峻別して認識しておく必要がある。例えば新聞コラムなどは「規範」となる文章であるのか?もちろん文字次元では、概ね「誤りはない」というのが一般的な認識であろう。それでも尚、新聞記事が「絶対」であるはずもなく、ましてや小欄を含めてWeb上の記事などは、何ら校閲も受けず自由奔放に記しているわけであるから、「誤り」もないわけではない。現に自ら書き記した小欄記事を読み返すと、文字表記次元での「誤り」に気づくこともある。新聞を含めて「記事」は必ずある「バイアス(概ね先入観・偏見のこと)」が掛かって記されている。それを逃れた完全中庸たるものなど、この世にはあり得ない。よって中学校で学ぶべきこととして、特に中2から中3では「批評」という点が学習指導要領にも唱われている。こうして考えると「正しい文章」という言い方そのものが、大変危ういということがわかる。入試に典型的な「国語」の「正解主義」は、こんな「批評性」を育む方向性と逆行する。同時に「言語技術」と「理解・表現・吟味・鑑賞・批評」次元の内容を、「国語」という教科は混在させながら、現場で混沌とした状況で学習が進められているということも分かる。ある意味で実習生の授業は、国語教育上の問題点を大きく炙り出すものとなる。(*個別な実習生の批判にならぬよう配慮して記した”つもり”である。ぜひ「ご批評」があれば賜りたい。)

実習とは、実習生・実習校教諭・大学教員がともに学ぶ場であろう。
僕自身も学生たちの指導で何が足りないかを存分に認識できた。
「教育」とは、こうした地道な場を重ね重ねて「手作り」をしていくしかないのである。
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野分のまたの日こそ

2016-09-21
「野の草を分けて吹き通る風」の意
「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」(枕草子)
立春から二百十日、二百二十日前後に吹く暴風のこと。

台風上陸通過の不安な一夜が明け、また朝が来た。宮崎県では概ね日の出時刻には、台風本体の雨雲も東に抜け、雲間から薄日も差し始めるようであった。だがしかし、県内では浸水被害が深刻で、広く町が冠水してしまった地域もあった。県内市内の多くの小中学校は、既に先週末の段階で休校を決定しており、僕の教育実習視察の日程も順延となった。さて、冒頭に記したように古典では「台風」の暴風のことを「野分」といった。まさに「野の草を分ける」からである。暴風が吹き荒れた一夜の後に、僕も自宅周辺の点検に入った。まずは小欄執筆をしている二階の書斎の雨戸を解放すると庭が見えるのだが、そこにあるスチール製の倉庫の戸が外れて、中にあった物が外に散乱し、倉庫自体が歪むように右斜めに傾いている。この様子には聊か驚きを隠せなかった。

家の外塀に沿っては、かなりの落ち葉などが散乱している。それがまた側溝を塞ぎ、水の流れを阻害する可能性があるので、早速にその多くを掃いて集めた。さらには側溝の蓋の穴部分が土や苔で塞がれているのも気になり、しばしその穴を開放する作業。昨夜の冠水状態を見るに、まずは一軒一軒が自宅前を整備するのも義務ではないかと思ったゆえの行動である。ゴミ出しをするとお隣の奥様と町会長さんが、何やら話をしている。何となくその会話に近づき、情報を共有させてもらった。この住宅街は造成時に、なるべく自宅周辺に草木を植えようという合意があって、それで多くの家が樹木を豊かに植えているのだと云う。僕の家も前の家主さんが、綺麗に一つ葉の小柴垣や玄関脇には植木を造園していた。僕自身もなかなか日常的にその植木を手入れする暇もなく、植木屋さんに年2回ほど委託して剪定を行っている。どうやら町全体でも、居住者が高齢化し植木の手入れがままならない家が増えて来たのだと云う。まさに小さなコニュニティーの中でも高齢化社会の余波が確実に迫っているということ。県全体でも若返りのために移住者誘致を働きかけているが、地方社会にとってこうした日常は、今後の大きな課題であろう。

「いみじうあはれにをかしけれ」とはいかず
清掃や事後処理に半日を要した
だがしかし、住む場所への思い遣りが持てる心こそ「あはれにをかしけれ」なのだろう。
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