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教育は潜在的な流行にどう対応するか

2016-07-27
正門や図書館前に集まる学生たち
どうやら僕の大学でも流行が来ているらしい
何日かで、この眼に見える現象のゆくへはいかに?

日曜日に約10年近く前の大学講師時代の教え子に会い、30歳前後の世代が幼少の頃からの流行として「ドンピシャ」なのだと教わった。あるアニメキャラクターを「捕獲」するスマホGPS機能を利用したゲームが、この国でも一気に流行し始めた。彼らは僕からすれば、かなり優秀な学生たちであり、古典文学を学ぶことや社会的な意識も高く、各自の職業においても第一線で活躍している優秀な人材である。どうやらその学識の高さと、こうしたスマホゲームに興じることは切り離して考えた方がよいことにも気付かされた。何より僕自身は幼少の頃より、「アニメ」というものがあまり好きではなく、テレビゲーム(当時はゲームセンターであったが)なども聊かやってみると全く面白味を感じられなかったので、ほとんどやらないで過ごしてきたクチである。よって「アニメ」や「ゲーム」に興じることに、幾分かの偏見があるのだろう。僕にとっては野球に興じるほどの没頭を、ゲームに対して覚える方々も多いのだと考えれば、少しは均衡のとれた考え方といえるであろうか。

前期のゼミも最終週を迎えたが、文学・国語教育に対する内容は概ね先週までに終えたので、この日は「緊急提言」と題して、「このスマホゲームの現状と、将来教師として最新のゲームに興ずる子どもたちを指導する教師として、この実情をどう考えるか?」といった内容で討議をしてみた。ゼミ内でもこの流行ゲームを行なっている者は数名、行なってみたがすぐ辞めた者もいる。さすがに採用試験前後であることや前期末ということで、そんな余裕はないという者もいた。既に大学キャンパスのある地区でも、ゲームをしている学生たちの夜間の散歩などが増えたり、キャンパス内では正門と図書館前がスポットなのだという学生間の情報も得ることができた。また学部間で、興じる者の多寡に差があることも教えてもらった。同時に僕の方では、地元紙の報じていた「県内・道交法違反で既に3件の検挙」といった記事を紹介したり、虚構と現実の狭間で危険と隣り合わせである実情も伝えた。構造的には、他者が製作した虚構な夢想に対して、現実との境目を曖昧にして、知らぬ間に課金されてしまうという、無意識への罠を仕掛けるが如き資本主義に溺れる行為ではないかと、否定的な見解を述べてみた。まずはとりあえず、ゼミ生たちとこのゲームに関して、意識が共有できたことが大変有意義であった。

虚構と現実
文学でも同様の語彙で語ることもある
この時代を生きる教育者として何を如何に語っていくかである。
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