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いつか逢ったような人と味

2016-07-18
初対面なのにそう感じない
不思議な人や味がある
郷愁に満ちたあの感覚はなんだろう?

人と味との出逢いは、誠に不思議な「縁」で結ばれているように思うことがある。初対面である店員さんなどでも、いつか過去に逢ったことがあるような感覚になって親しみを覚えたり。そんな相性を感じ取って2度目にお店を訪ねると、先方が僕のことを覚えてくれていたりすると(尤も先方は商売ではあるのだが、それでもまったくそんな縁も感じず、覚えるなど程遠い態度を示す方もいる。)誠に親しみが湧いてくる。僕の場合は、妙に人との相性にこだわりがあり、感覚のズレる方との対応があまる得意ではない。とりわけ、ファッション関係の店舗と飲食店には、かなりのこだわりがあると言っても過言ではない。洋服はその人のこころのあり様を表面化していると思うたちであり、飲食における様々な価値観というのは、生育過程やそれまでの人生に大きく関わって形成されるものであると思うことが多い。(この他に、理容師と医師についてもこれと類似したこだわりがある。)

幼少時からよく行っていた飲食店が、今も健在です美味しい料理を出すのは嬉しいことだ。僕の中では、ある1軒の「ロシア料理店」への思いはまさに人生の節々に温存されている。そのせいか、他の場所でかなり近い味わいの料理に出逢うだけで、代え難い郷愁に似た感情を覚える。「ピロシキ」なる挽肉の詰まった揚げパンのような料理に、限りない親近感が湧くのである。たぶんこの郷土ではない地のロシア料理店も、昔から多くの家族を受け容れてこの美味しい料理を出し続けて来たのであろう。ナフキンには「創業1960年」と記されていた。店全体の落ち着き、店員さんの品位、料理の味わい深さ、諸々の条件を考えるに、僕がまたこの店に出逢ったのも必然的な縁であったのかと思ったりもする。人は様々な人や味と出逢い、人生に彩りを添えて歩み続けている。何か大切な記憶と縁と感覚が、そこに確実に存在するのであろう。

この人には逢ったことがある
この閃きが人と人との輪を広げるコツでもある
自らの身体化された記憶と感性を大切に生きていたいものである。
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