雨に降られても悠々と
2016-07-13
朝陽が眩しく差し込む降水確率は20〜30%
結果的に降られてもいいじゃないの・・・
梅雨時はどなたも、洗濯物に頭を悩ます日々であろう。何日も雨に降り込められていると、陽射しが誠に恋しくなる。朝陽が眩しく差し込む書斎、小欄の文章を書き連ねる机上は真東を向いていて、覚醒とともに1日の行動を予見しつつ思考の襞を文の彩に流し込んでいる。文章執筆と同時進行で働いているのが、洗濯機である。とりわけ発汗の多いこの季節は、自ずと洗濯物が多くなる。朝の空模様や天気予報を窺いながら、外干しか内干しの選択を迫られる。この日はあまりにも朝方の青空が清々しく、降水確率は1日を通して20〜30%であったゆえに、気分的に外干しを選択し、タオル類を一応は考慮して軒下を中心に干して大学へと仕事に赴いた。その後も晴天が続き午後を迎え、たぶん乾きにくいタオル類も乾いただろうと思っていると、皮肉なことに確率30%に見舞われる結果となった。
夏休み中に実施する自分の研究室と県立芸術劇場のコラボ企画の勧誘に、地域にある高等学校を訪れた。当校の出身者はゼミでも卒業生を含め何名かいて、勤務先の大学とは様々な点で連携を深めている高等学校である。校長先生をはじめ数名の先生方には、企画のご理解をいただき、昨年度中に教職大学院で学ばれていた先生とも再会した。演劇部を中心にして生徒さんを企画に勧誘してくれるといった話となり、僕としても大変親和的に受け容れていただいたことに嬉しさとともに、地域連携に貢献できた感慨を覚えたところだった。大学へ戻ろうとハンドルを握り、しばらく走るとフロントガラスを大粒の雨が打った。即座に頭をかすめたのは、自宅の軒下に干してきた洗濯物である。「街中だけに雲がかかっており、自宅のある台地は降っていない」などというあり得ない愚かで独善的な希望的予想をしつつ、まずは自宅に一旦は戻ってみようと大学手前でハンドルを切った。庭先を見ると「軒下」の効果も虚しく、風に煽られて雨が横殴りに降り込み、タオル類は既に濡れてしまっていた。だが気分というのはおかしなもので、不思議と後悔や残念な気持ちもなかった。ただ、もう一度洗えばいいと思うだけの素朴さ、どうやら人生もこのように悠々と進めばよいという思いを新たにしたのであった。
夜は懇意にする店で夕食
地元の方にはこの地域の天候をまだ知らないのではと助言をいただく
されど、「知っていても干したかった」確率30%以内だと心の隅で呟く宵の内。
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