歩みに生命力 声に存在感
2016-07-05
早朝の大学にて「先生の歩き方は生命力を感じます」
挨拶を交わした先生のお言葉
昔からのんびり歩くのが苦手で、ついつい前のめりに早足になってしまう癖がある。中高教員時代などは、最寄駅から学校までの「歩きぶり」を生徒たちが噂にするほどであった。駅などの階段でも1段抜かしで駆け上がる(エスカレーターも使用せず)のが常である。さすがに地方在住となって、のんびり(この地方の方言で「てげてげ」)したペースも体得するのかと思いきや、どうやら3年以上経ってもそうではないらしい。早朝から大学に出向き、玄関辺りを闊歩していると同僚の教授の先生から、冒頭のように声を掛けていただいた。それも保健体育を専門分野とする先生であっただけに、何か妙に納得して活力が湧いてきてしまった。その後、仕事に集中して、夜はジムで踏み台昇降を繰り返すエクササイズへ。足を多様に動かしているうちに、何事も躊躇せず前向きに一歩を踏み出すことの大切さを身に沁みて感じるに至った。どうやらここ2週間ほど、あれこれと考え過ぎて、気持ちが後退するような傾向にあったと省みる結果となった。
ある知人のTwitterを読んでいると、前日までに声を出し過ぎて朝起きたら声が出なかったとあった。しかし、ある著名な歌手の方から聞いた話として「ステージに立てば声は出た」というエピソードを紹介した上で、「現場に立てば声は出た」と記してあった。この猛暑の中、自己の確固たる信念を持って、日々奮闘している方もいる。後退した気持ちを持ったら、人間は坂道を転がり落ちるように頽廃してしまうのだと思い直した。まさに声こそは存在感を他者に感じさせる、大変大切な表現の具であろう。しかも単なる「具」にあらず、情を表現する唯一最大の力を発揮する人間の生命力と存在感の根源といっても過言ではあるまい。声といえば、夕刻に懇意にする洋食レストランで食事をした折、BGMとしてビリー・ジョエルの”Honesty”が流れた。本人の歌ではなく、女性シンガーのカバーバージョンであったが、その曲によって僕の脳裏に鮮明にある人の名が浮かんだ。それは高校の時に英語を担当していた、非常勤講師の先生の名前だ。1年きりのお付き合いで、しかもやや無頼なる生徒が多かった学級で、授業はかなり荒れたものであったと記憶する。だがその先生は、”Honesty”を心から愛していたのであろう、執拗に授業でカセットテープから音源を流し、その歌詞の意味を説いていたのである。その時は、僕にとってやや頼りなく見えた先生であったが、信念を貫いていたことで、何十年後の生徒の心にも浮上する存在感の種を蒔いていたんだと、今にして感心したのであった。まさに負けじと前へ進むことを、辞さなかった結果である。
今日の、今現在の前向きな一歩を疎かにせず
明日の夢と希望へ向かって人は歩み続ける
自分自身を信じているならば、それを人は「信念」と呼ぶのだ。
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