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集中・切替が運気を創る

2016-07-02
文章を書き出すと没頭するわれ
あれこれとやることは多けれど
集中したら切替て次へと繋いでいくこと

朝はまずたいてい、小欄を記すことから始める。「前日」という大切な1日で得られたこと、ヒントになったこと、忘れがたき契機となったこと、等々を言説化して自らを客観視し明日への糧とする。睡眠を経たのちの記憶は、自らの脳が「必要」としているものだけが整理されていると、よく茂木健一郎氏が語っている。かといって、明晰に「整理」されているわけではないと自覚することも多い。最近は特に「日記的」というよりも、「1テーマ」を立てて絞った書き方を心懸けているゆえ、「整理」された引き出しからさらに「選択」するという思考過程を踏むことが多い。そんな最中に、ついつい「やらなければならない」多くのことが脳裏に並ぶことがある。デスクでPCに向かいながら、臀部から脚の背部がむず痒くなるような、身体的な「焦燥感」を抱くことも稀ではない。さながら「動きたい身体」と、「分析的な思考」が対峙し葛藤しているような状態になることもある。

何事も「今」という「1歩」を積み重ねていくことでしか、遠くへは行けない。イチローが常に語る「真理」を自らに言い聞かせ、その「今」に臨む。職業柄、文章執筆に没頭した際には、まさに「我を忘れて」集中している時間となる。雑念や他の思考は脳裏から排除され、その文章執筆のこと一点に絞って力を注ぐことができる。まさにこれが野球で言えば「一打席」なのであり、時間的な長さよりも内実の質の高さが重要だと思うことがある。実際に「走る」という行為の好みがそうなのだが、僕は短距離型だと自らでは自覚している。大学受験の際も夏休み前まで部活動もしていたが、引退後の切替というのは自分でも驚異的だと振り返ることができる。そういえば、大学サークルで親しかった1年先輩で、教員採用試験に対して約1ヶ月前から集中して勉強して見事合格した方がいた。集中と切替、立ち直りの早さ、そして脳だけを働かせるのではなく、身体全体を活性化させることも忘れずにいると、「運気」は自ずから良好な方向へと流れてくるものだ。

人は「今」しか生きられない
不確定な「後で」に依存しないということ
「運気」とは、自らの集中と切替で身体に呼び込む流れを創ることなのかもしれない。

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