ことばは自らの心を照らす光

2016-05-31
参観実習開始
公立実習後半
初めて実習現場に立つ2年生へ向けて

学部4年生は公立実習の後半を迎え、学部2年生が附属校での参観実習に入った。早朝から附属小学校へと向かい、教職員の先生方と学生が対面する「紹介式」に出席。校長先生の挨拶の後、学級ごとに先生方が紹介され、学生代表の挨拶。そして大学学部引率教員として僕が挨拶を行う段となる。実習指導をいただく校長先生はじめ教職員の先生方に感謝を述べ、そして実習生に対しての期待を述べた。ここに覚書としてその概要を示しておこう。

今日はみなさんにとって「記念日」です。人生で初めて公式に「先生」と呼ばれ、子どもたちと出逢う日であるからです。今の心境は如何でしょうか?「国語」で養う力でもある想像力を働かせてください、心の中で今あなたが教室の黒板の前に立っているとします。そこに現在の決意を板書してください。書けましたか?こういう際に「書いた人と書かない人」は、眼を見れば長年教師をやっていると分かります。こうした奥深い観察力を養えるよう実習に臨んでください。「ことばは光」だと云われます。自らの心、子どもたちの様子、先生方の経験豊かなご指導、すべてをことばで掬い取り、それを再構成して実習録に記してください。先日の事前指導の折、皆さんが横一列になって机椅子を教室まで運ぶ光景を見て、下校時の児童たちは何と言ったでしょうか?気付いた人もいるでしょう。そうです「ありんこの行列」と喩えていました。こうした豊かな「詩心」を見逃さないよう子どもたちと接してください。「詩心」といえば、有名な歌人の俵万智さんが宮崎に移住されたと、宮崎日日新聞などにも報じられました。万智さんの「宮崎百人一首」の歌に「宮崎のワイン豊かに酌みゆけば土地の縁とは人の縁なり」があります。これを本歌(本歌取り)として「輝く眼附小に学ぶ子どもたち実習の縁とは人の縁なり」をみなさんに贈ります。ぜひ成果ある出逢いを子どもたちと先生方と重ねて、実りある5日間にしてください。そして金曜日のこの場では、今以上に輝いた眼のみなさんとなっていることを期待しています。

かくして実習が始まった
公立校実習中の4年ゼミ生が、新聞の取材を受けて写真が掲載される
「土地の縁とは人の縁なり」と教育現場の深淵で関わっていることに喜びを覚えつつ。

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真心の新潟

2016-05-30
研究学会会場への送迎
そして手作りお弁当まで
会場校の先生方も含め真心の新潟

全国大学国語教育学会新潟大会2日間の全日程を終えた。羽田空港の航空機火災で成田着陸に始まり、シンポジウムでは異分野の知見に深い興味を覚え、課題研究では即座に学部講義に応用できる方法を発見することができた。同時に新潟自慢の名酒を堪能し、食の面でも誠に充実した2日間であった。日程の最後の最後となる時間帯に研究発表を行い、すぐさま大阪空港(伊丹)経由で宮崎に戻った。こうした中でも数多くの先生方の温かい真心に触れた思いである。懇親会では同じ短歌結社の先生と、歌について、そして今後の行事について親密にお話を伺うことができた。自由研究発表では何人もの先生方から質問をいただき、中には発表時間終了後に熱い激励のメッセージをくださる先生もいらした。そして何よりこの大会を支えた会場校の先生方のご尽力には、甚だ頭が下がる。中でも事務局で中心となって活動されていた先生には、真心あるお言葉をいただき感激するほどの思いであった。もちろん手伝いをしている学生さん・院生さんたちも親切で、不安を抱えていた僕のPC接続について懇切丁寧に対応してくれた。

母の故郷である新潟で、今回は叔父叔母夫妻のお宅に宿泊させてもらった。祖父祖母の仏壇に久しぶりに手を合わせ、自分の存在そのものをあらためて確かめた感があった。予定より大幅に遅れて到着した新潟駅からも、そして毎朝の新潟大学への道程も、懇親会後の遅い時間に至っても、叔父は車を運転し送迎をしてくれた。新潟大学は僕の勤務校同様に、地方国立大学特有の公共交通機関が不便な立地である。多くの参加者が、約20分ほどの距離を駅から歩いている中、叔父の送迎は誠にありがたい限りであった。また初日の到着後から、叔母は丹念に手料理を振舞ってくれた。もちろん新潟の銘酒も添えて叔父と酒を酌み交わし楽しい会話の時間が持てた。初日の朝には昼食の弁当まで作ってくれたが、学会側の仕出し弁当を注文していたゆえ、それを持っていくことができず、申し訳ない思いがたえなかった。(だがその弁当は孫の運動会へと持参された)2日間で家に滞在する時間は短かったが、元教員である叔母とは「教育の今」について、諸々と懇談することができた。最終日は空港までご夫妻で送ってくれて、そこでもまた乗り継ぎの際に食べよと、手作り弁当を手渡してくれた。航空機が飛び立ち、保安検査場で見送ってくれた叔父叔母夫妻の顔を思い出すと、思わず涙が溢れてきた。深い真心に触れる新潟での2日間であった。

僕が想像していた新潟大学キャンパス
母の口癖「新潟はお人好しが多い」を心より実感
叔父叔母の真心をやっと今、初めてわかった機会であったかもしれない。
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知識欲を創る国語教育

2016-05-29
強要されたものには意味がない
そこから逃げようとする
自分で知識を獲得していくということ

全国大学国語教育学会で新潟大学へと来ている。朝からの自由研究発表でも、複数の発表者に対して質問に立ち、自らの学びを深めていく。国語教育の現状は如何なるものか、そして数多き問題の解決策は如何にしたらよいか、特に韻文や古典学習について様々に新たな視点が得られた。このように自ら「知識」を獲得しようとすることこそが学びであり、「教育」を講じている立場として堅持したい姿勢である。学習者が「学ぶ」環境を整えていくにあたり、指導者として如何に学ぶかという課題。読書に置き換えれば、「読書人を育てる」と言いながら、教師は豊かな読書生活をしているのかということである。などと考えながら、午後の「読書人を育成する国語教育のあり方」というシンポジウムに入る。ここでは世界的な脳科学の権威である新潟大学名誉教授・中田力氏の報告には目から鱗の内容が見出せた。

「心を創る脳機能」「脳がどう働くか?」といった点が分かりやすく解説される。脳はほとんどが決められたように動くのだが、学習する神経組織が小脳皮質と大脳皮質の二箇所あるという。小脳の働きは、何をやろうかは決まっているが、やり方の上手さを学習する(適応型)機械類でもエレベーターやカーナビなどがこの「適応型学習」を行っているということ。それに対して大脳は確率論で学ぶのだという。「こころ」を創り出すという情報処理の高度化を成し遂げた人は、扱う情報そのものの操作する能力を獲得した。しかし、この情報操作を自ら行わず、前頭前野を活用しない学習は、大脳にも小脳同様の「条件付け型学習」を強いることになる。ゲーム学習とか反復学習、そして為政者の情報操作などが典型例であると云う。所謂「パブロフの犬型」の学習では駄目だということ。大脳は、情報処理の仕方が変わるので、そこを動かす学習が求められるということである。鋳型に嵌めた如き「発問」と用意された「解答」、まさに自ら必要な情報ではなく、教師の枠内を泳がせている学習では自立した読書人を育てることはできない。強制された読書感想文や暗唱でも、また正解ありきの読解指導では「パブロフの犬」は育てられるが、こころを創る教育はできないということである。

幼児期の環境が絶大に影響するとも
社会の問題も大きく左右している
本当に思っていることが言える国語教育に導くためにも・・・

*シンポジウム報告に基づく聞き書きであるので、乱文ご容赦ください
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フライト運てあるのでしょうか?

2016-05-28
機内アナウンスが「待機旋回」を告げる
「成田空港へ着陸変更」となり
東京経由新潟までの道程は長かった

「フライト運」というのがあるのではないかと、かねてから思っていた。過去に渡米した際に、行けども行けどもフライトキャンセルなどに連続して遭遇した経験があるからだ。それでも日本の国内線は、ほとんど定時運行されているので、地方在住となり航空機をよく使用するようになったこの3年間でも、それほど大きな影響を受けたことはなかった。この日は冒頭に記したような顛末で、時間にして3時間ほど余計に要してしまった。機械のことだから故障はやむを得ないのと、前述した過去の経験から、それほど腹を立てることではないと思いながらも、やはり予定が大きく変更されてしまうのは、気分を害さないわけではない。東京で両親と話す予定や、叔父宅に早目に到着する目論見は、尽く覆されてしまった。

羽田空港が閉鎖になると、甚だ大きな影響が出てしまう。もしやその過密さそのものが問題なのかもしれない。成田空港に振替着陸した航空機は、僕の搭乗便のみにあらず。着陸してもターミナルになかなか接続できず待機。その後も機体に適合するタラップがなく、整備清掃用の大型の脚立のようなものが設置され、一人ずつ急な階段を小雨の中に降りた。大きな荷物を持っていては困難で、老人などは降りるのを躊躇する方もいた。その後もしばらうバスで遠方のターミナルまで移動。ようやく京成線のスカイライナーに乗車し一路上野駅を目指した。そこには昼食をともにする予定の両親が待っていてくれたが、会って弁当を買って新幹線ホームまで見送ってくれるだけになってしまった。京成線や新幹線の車窓からは、見慣れた東京下町の風景が眺められたが、どうもこの日は落ち着かない気分から脱することはできなかった。

上越新幹線からは新潟平野の田園風景
親戚の面々の顔を思い浮かべながら
叔父宅に到着し歓待していただき美味しい日本酒を一献。
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組織を支える人

2016-05-27
PCのOSとソフトの関係で困惑
これぞ救世主のごとき方に助けられる午後
組織は多くの職員さんの良心で支えられている・・・

研究室デスクで使用しているやや大型のノートパソコンであれば、問題なく再生されるDVD。これが新規購入した新型OSを搭載した携帯用の代物であると、どうしても再生が成されない。それでも数日間のうちに、最初よりは再生の可能性がある段階まで自力で至らしめたのであるが、最後には「有償ソフト」の購入をWeb上から要求された。だがこの「有償」を購入したら再生される保証があるわけではない。困惑し尽くして大学のしかるべき部署の方に、アドバイスを乞おうと連絡をしてみた。すると予想を遥かに超えて丁寧に対応してくれて、内線のみならず研究室までいらして直接対応してくれた。中高教員だった頃は、数学科の特定の先生がその分野に詳しいという理由で、学内のPC関係を一手に任されていた。大学院研究室でも、大変詳しい方がいて「2000年問題」などの折は、その対応ですっかりお世話になった。だがこの両者ともに、まったく個人の「良心」でパソコン技術が提供されていたことに他ならない。それで今回は・・・。

しばらく研究室で検証を重ねていただいた後、職員の方は問題となる僕のPCを引き取り、「センター」たる部署まで持ち帰って対応していただけるという。誠にありがたき御丁寧な対応に、頭が下がる思いであった。過去の職場においても、時に大変丁寧に対応してくれる職員さんがいらしたこともあった。現在の職場でも、そのように感じられる方が学部にもいないわけではない。しかし、自分がまったく対応不可能な領域で困惑し尽くした後に、このような対応をしていただけたことは、僕にとって自らが所属する組織を見直すという意味でも、大変貴重な機会になった。もちろん、未だ僕の思惑通りにPCが動くようになる保証はない。だがそんな利己的な感情を超えて、こうした「良心」に触れることで、硬直していた心がふと溶けたような思いに至った。夕刻になって、当該の職員さんから連絡があった。メールでは、どうやら不具合はやはり「有償」を求めるしか道はないといった趣旨のことが書き込まれていた。半ば諦めて研究室でPCの到着を待っていると、僕の予想もしなかった結果が得られていた。

これで週末の学会で、思い通りの発表ができる
「研究を支えたい」という職員さんの尊き意志
研究者も職員さんもひとり一人が「良心」を失わざれば、組織は発展するのだろうが・・・
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実習という生きた学び

2016-05-26
教壇に立ち授業をする
空論でない現実の経験
この道で生きて行くことの決意たる機会

4年生の公立実習が始まって、3日が経過した。多くの大学ではこの4年次の実習が最初の経験であるが、本学の場合は2年・3年と附属校で経験を積んでいる。現場に入るとまずは、朝からの”動き方”そのものに戸惑うことも多いが、どうやらうちの学生たちは既にその流れを心得ていて、4年次のこの機会には、更に上のことが学べるようだ。授業や学級指導に、テーマを持って取り組むということ。今できる最大限となる、理想の授業を目指すということ。そんな観点で、ゼミ指導をしている学生たちの研究授業を参観に行く。「授業づくり」というのは、終わりがない旅のようなものだ。良かれと思って構想しても、当該校の当該学級の児童には相応しくないものであるかもしれない。頭の中で創り上げただけで、「授業」が成立するわけではない。要は眼前の子どもたちが、活き活きと学べる状況を創り出すことである。

また「本気で教師を目指す」ための、大きな意欲と意識の喚起になるはずだ。自分を自分で見定めるごとく、「教師」として生きて行く決意を固める機会である。また、教員採用試験では現場経験のある臨時採用の方々とも、集団討論などで同等に対応せねばならない。現役新卒の「経験」たるや、この実習の中で凝縮して学ぶしかないわけである。何事も「現場主義」でない発言は、空虚な妄想にすぎない。3年間で6週間という時間の中で、貴重な経験を拾えるや否やということである。嘗てプロ野球監督であった鶴岡一人は、「グランドに銭が落ちている」と選手の意欲と意識を高める名言を残したと云う。まさに教育実習生にとって、「実習現場に生きた学びがいくらでもある」ということになろうか。それをどのくらい自分のものにできるや否や。そして本気で、「教師」のプロを目指せるかどうかである。

経験が人を育てる
意欲のみならず意識を高めることの重要性
「やろう!」という気持ちのみならず「(具体的に)どうするか?」を考えるということ。
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オートマチックは苦手です

2016-05-25
新規購入携帯用PC
セットアップすれば新たな感触
その自在を目指した感覚に馴染めず

パソコンの基本OSには、大きく分けて2社のうちで相違が大きい。スマホに導かれタブレットに携帯用小型PCまで、比較的A社のものを愛用しているのだが、世間ではM社の方が基本的に大勢を占めている状況がある。公的な書類なども殆どがM社のソフトで制作されているゆえ、どうしても当該ソフトの作業が必須となる。もちろんA社パソコンでM社データを使用できるソフトもあるのだが、そのこと自体がA社ユーザーの微妙な葛藤を表している現象なのかもしれない。(その逆で使用するソフトを見たことがないので)今回も携帯できて「デジタル教科書」が搭載できる機種を求めると、必然的にM社製品になってしまった。そのセットアップを施しているが、どうもそのM社製品については、何でも「オートマチック」に作業を展開してくれるような仕様になっていることが煩わしい。

比較的に何でも意のままに作業したいと思うと、「勝手な」と思えるような動作が展開される。これはもちろん、当該OSやソフトを使いこなしていないということなのだろう。感覚的な慣れはA社好みであるだけに、その相違にも大きなストレスを感じてしまうのだろう。さらにはPCそのものがタブレット性を兼ね備えているので、画面タッチ操作の感覚が加わり、その相違と葛藤を大きくしているような気がしてならない。便利たれとOSやソフトがバージョンアップされるのだろうが、むしろ以前の方が使い易いと考えてしまうのは、単に使い慣れているだけだからなのだろうか。僕が現職教員として修士で学び始めた頃より、PCは一般にかなり普及し研究発表や論文作成も殆どがPCで行うようになった。だが便利な反面、この高価な”文房具”による憂いも増えたような気がする。巷間で喧伝される「自動運転」よろしく、オートマチックな作業感覚には、心の中で叫びたくなるような矛盾を覚える。それは僕だけなのであろうか。

DVD映像データの再生に至らず
様々なバージョンアップの背景が分からない
この先、さらに複雑化したオートマチックと付き合わねばならないのだろうか。
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欠航便への対応

2016-05-24
「機材不整備のため欠航」
不可抗力な航空機としての事情
自己の予定の急な変化に如何に対応するか・・・

搭乗便の「欠航」が、アナウンスで報じられる。「何と!?まさか!」と心の中で呟くが、動かし難い事実である。数秒して、搭乗口カウンターへと向かい振替便の手続きへ。既に至って冷静な自分に戻っている。予定より50分後発の振替次便になると、その後の予定がどのようになるか、もう既に頭の中で計算し、その目処を立てていた。カウンターには、観光客らしい他の乗客の方も何人かいて同様の手続きをしているようだが、中には「ファーストクラスを用意せよ」といった趣旨のことを口走っているのが聞こえてきた。悲しい哉、国内線のこのクラスの機体にそこまで上等な席は、元来用意がないだろう。振替次便がLCC(格安航空会社)との共同運行であるため、搭乗口もウイングの真反対の位置にある。距離にして約1.5㎞は歩くことになるが、既に頭の中が切り替わった僕は、新しい搭乗券を手にすると既に歩き始めていた次第である。(どうやらそこにいた他の乗客の方々は、空港内でのバス移動を要求しているかのような、係員との会話が聞こえてきた。)

ある意味で航空機の「欠航」には、慣れてしまっている。米国に頻繁に渡っていた頃の経験から、その可能性は常に「織り込み済み」である。裏を返せばこれほど「定時運行」が保全されている国は、そう多いわけではない。カウンターで振替手続をしていて、地上係員の方ともそんな話をした。同時にせめて「マイル加算」でも「損害請求」をした方がよかったのか、などとこの国が極端な「クレーム社会」になっていることに思いを致した。「始発便と二番目では、どちらが欠航の確率が高いか?」などと地上係員の経験を聞き出すことで、次なる「情報資産」にしたのがせめてもの僕の「請求」であった。僕の頭の中にあったのは、米国の空港で同じような事態になった時、多くの乗客が何事もなかったかのように、次なる手続きなどの行動を冷静に行っていたのが印象的であったことだ。企業もサービス業も、ましてや教育界も、「お客」の法外な「損害請求」というクレームに怯えて、正常な行動を逸してしまっているのではないか。あらゆる公共交通機関は寸分も違わず定時に運行するはず、という思い込みに、それをほぼ実現している日本人の緻密さと同時に、姑息さと性急さ、さらには腹黒さまでもが跋扈しているのではないかと思ったりもする。

地元空港に到着し駐車場へと走る
そのまま大学へと向かい教室へ直行
ほぼ数分の誤差、まあ南国では「間に合った」内に考えていただけそうな範囲であっただろうか。
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口頭発表の妙

2016-05-23
時間内に的確に正確に伝える
研究発表の話し方と質疑応答のあり方
そしてまた話芸のプロたちの競演

2日間の中古文学会に出席して、自分自身の課題が何処にあるかを再認識した。平安朝文学と現代に繋がる糸を辿り、和歌を中心に日本語日本文学の表現の深層を探るということ。そしてまた古典そのものの意義を「国語」という教科の中で、適切に学べる環境を整えていくこと。何より「文学」というものの価値を再考すべく、社会全体に訴え続けること。「文学」を的確に研究した上で「国語教育」を語るということ。研究発表やその質疑応答、そして書店の出店を見回りながら、自身のことをどこかで相対化し続けた2日間であった。これまでの道、これからの道を見据えながら。

そんな中で、いつも気になるのが口頭発表のあり方である。「音読・朗読」の問題を考えてからというもの、この視点はいつも僕の問題意識の中にある。伝わる話し方、そして的確に正確に読み、時間内で効果的に語るということ。「国語教育」系の研究学会に比して、概して「文学」系の学会は、この口頭発表そのものへの配慮が薄いように感じている。日常の講義でも持ち時間は90分と決まっているゆえ、その内で如何に効果的な内容にするか。口頭発表でもその主旨が的確に伝わる口頭表現を考えるのが、日本語日本文学を研究する立場として重要であると思う。また「枕詞」という文化があるせいか、質疑応答でもなかなか質問の核心を述べない方も目立つ。これが「文学」系の流儀だと僕も思っていたが、以前にそのような質問を「国語教育」系の学会で行ったら、「時間に限りがあるので端的に質問をせよ」といった叱責の言葉をいただいたことがある。「人文学」への風当たりが社会全体で逆向きな中で、僕たち研究者が考えねばならないのは、内容とともに口頭発表での訴え方なのかもしれない。などと考える前に、「文学を研究せよ」と言われそうであるが、こうした意識の両立が僕自身の生きる道であるとも思う。

研究学会後は寄席に立ち寄る
懇意にする落語家さんの主任高座
時間内で笑いをとり、また寄席まで足を運んでもらうよう効果的な口頭発表であった。
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加工再生産的創造

2016-05-22
平安朝文学に大きな影響を与えた白居易
中国では評価の低いこの詩人が流行したのはなぜか?
加工し再生産しあらたな価値を創造する文化的特徴なのか・・・

中古文学会春季大会に参加した。ここ数回ほどこの学会は、国語教育系の学会と重なり参加できていなかったが、今回は1週間ほど期間が前後した。しかも母校が会場とあって、懇意にする先生方が大会運営に尽力し、来場者も大変多く盛大な会が催された。学部同期の親友が開催学部の長を務めており、彼の挨拶から学会は開幕した。自分の年齢はもはや、そのような役職を担う境地になったかと聊か個人的に感慨深い挨拶であった。その後は、「平安朝文学と白氏文集」のシンポジウムへ。普段から親しい和漢比較文学会の先生方のパネリストに加え、中国文学研究者で『白楽天ー官と隠のはざまで』(岩波新書2010)の著者である川合康三氏の基調講演が行われた。このシンポジウムを通してあらためて、源氏物語の背景にある濃厚な白居易詩の影響、日本漢詩そのものが白居易を範として成長したこと、また渤海使の存在が日本と唐の文化の架け橋となっていたことなどが再認識される内容であった。

詩は「抒情」を根源に成立するというのは、日中に共通した詩論である。川合氏のご講演に拠ると、白居易の文学は「諷諭」と「閑適」を柱とし「公と私」「仕官と隠棲」を並列させたことに大きな意義が見出せると云う。私的個人生活を表現したものが詩になることは、「何が文学たり得るか」という、普遍性を考える上で重要な視点である。また過去に蓄積されて来た作品を基盤に据えつつ、如何にそこから「ズラした表現をするか」ということも白居易の成した文学を考える上で重要であることが知られた。「悲しみ」のみならず「歓び」も並列し、唐では「素人好み」であった白居易詩のあり方は、まさにその文学的特徴そのものが平安朝の文学創作者が好む性質を持っていたということであろう。最近、明治という新たな時代が「国語」(日本語)をどのように「創って」行ったかという点に個人的に興味がある。それはあらためて仮名文字の発明・使用・発達・展開を成した、平安朝と通ずる興味なのだと、この日のシンポジウムを通して理解することができた。

「国語」を考えるならまず平安朝文学から
自らの敷衍した研究分野をつなげる糸
加工再生産的創造を和歌・短歌を通して考えること。
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