中庸の「怒り」は難しい
2016-03-21
「どこまで怒るかも大事ですね。」ある知人からいただいた含蓄ある言葉
怒りで自滅すること勿れ
自分で思うようにいかない事態になると、向かう対象なき「怒り」のような感情が生じてしまい、行動が粗雑になってしまうことはないだろうか。この日の僕はまさにそんな状態に陥り、しゃぶしゃぶをしようと取り出そうとした土鍋をいい加減に扱い落下させて、その辺端を欠けさせてしまった。刹那、取り返しのつかない後悔の念が込み上げたが時既に遅し。自分が怪我をしたり、車をぶつけたりしないで、鍋が身代わりになってくれたと思うようにしたら、スッと怒りと後悔は落ち着いた。ある意味で「怒り」は、人を動かし人を豹変させる怪しげな力を秘めた感情のようにも思う。大河ドラマ「真田丸」は脚本よろしく、毎回の緊迫した進行に心が揺さぶられる場面が多いので実に魅せられている。この日も真田に対して「怒り」ある家康が、真田当主の幼馴染を焚き付けて暗殺を敢行させようとする。しかも次男・信繁の祝言の場を利用し相互に探り合いながらの展開には、座って見ていられないほどの緊迫感が演出されていた。権勢を得んがために幼馴染を殺めるか、また幼馴染に裏切られるか、といった感情のうちでの囲碁の対局は緊迫この上ない。さらには自己の祝言の場を「利用」されたことで、信繁や嫁の感情や如何に。この場面では、当事者2名ではない話の展開に鍵を握る人物が「怒り」を顕にしていた。どうやら視聴者である僕たちも、この人物に対する言葉にならない「怒り」で、この大河の展開に惹きつけられているようにも思われる。
「憎しみの連鎖を断ち切る行動」とは、大河ドラマ後のNHKスペシャル「映像の世紀」で語られた内容である。2000年代になってから、9.11に代表されるテロとそれを引き起こす社会構造は、世界に「怒り」を増殖させた。更には臨場感ある現場の映像を一般の市民がWEB上に手軽に投稿できるようになり、「怒り」への起爆要素が巷間に氾濫した。その一例が「アラブの春」であり、独裁政権を倒す力へと昂進した。また映像効果を十分に知り尽くした組織はそれを戦略的に使用し、体制側の「怒り」を煽り内部瓦解へと導く手引きをする。「憎しみ」はあらぬ差別を助長し排斥や攻撃へと連鎖していく。「怒り」のままに強硬姿勢を持てば持つほど、社会は均衡を失い平和と安全からは遠ざかる構造が立ち上がる。現状のこのくにの方向が、安全保障の上で躍起になっている要因に「対テロ」や「排外主義」があるのも、この連鎖に遅れじと自ら巻き込まれていく愚行に違いない。「聞いている人が呆れるほどの怒り」は何も産み出さず、「憎悪」の連鎖という幼稚な威勢を昂進させるばかり。とはいえ「形だけの怒り」などはすぐに見透かされてしまい、他者の言動に影響を及ぼすこともない。誠に中庸たる「怒り」の表現は難しい。
「理性によって欲望と行動を制御し
過大と過小との両極端の正しい中間に身をおくこと。」
(「アリストテレスの徳論の中心概念。」日本国語大辞典「中庸」」の項目より)
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地域における文化芸術活動の展望
2016-03-20
文化芸術活動体験の格差学校に豊かな情操教育を平等に
子どもと教師と地域の人々で創るために
〈みやざき「子ども体験フォーラム」2016〉が開催され、午前中は関係者によるワークショップ、午後は基調講演に続き、シンポジウムが開催された。僕も朝からすべての日程に参加し、シンポではパネリストとして登壇した。産官学の様々な立場の方々に加えて当事者である現場の小中学校の教員や、地元の劇団員の方々など、まさに異業種間交流の趣旨で会は展開した。文化芸術活動の体験には、やはり先立つものが必要となる。諸々の分野の芸術家への派遣要請をする謝金や交通費なくして、活動は成り立たない。豊かな情操を育てるためと教育行政上でも唱われてはいるが、実際に芸術活動にどれだけの運営費や人的資源が必要かなど、その理解は至って乏しいのが現実であろう。よってNPO法人や子どもの支援団体などと大学と学校現場とが、上手く連携して芸術家との仲立ちをしたり、また芸術そのものを地域で創造する活動を進めなければならない。それはお題目だけでは叶うはずのない、人と人との繋がりや努力によって成り立つものであることが、この日もあらためて確認できる結果となった。
基調講演では、福島県いわき市で文化芸術活動に携わる大石氏が「もう一つの学校プロジェクト」について熱く語った。地域社会のあちこちに、子どもたちのために「別な生き方」を用意してあげるということ。其処には免許を持った教師はおらず校則もなく、身体感覚と価値観の構築が自由に掲げられている。学校と家庭に任せて何とかなる時代は終わり、周囲のすべての大人が、遺伝子や個人的なことを度外視して、子供達を育てる義務があると大石氏は云う。そんな「苗床」ができてこそ子どもたちは生き生きと育ち、正解が一つではなく鑑賞した数だけの成長があり、自己承認へと繋がる環境ができあがる。さすれば、たとえ大震災などが起きたとしても、地域で人々が助け合える強靭な環境が醸成されるというのだ。その後のシンポジウムでは、実際に僕自身がこの2年間で体験してきた芸術家との協働活動の現状や問題点を述べた。受け入れる「学校」とそこにいる「教師」の姿勢、芸術家派遣がもたらす教科教育や学校生活での効用、より地域に密着したコンパクトな人間関係でこそ根付く運営の融通さ等々、問題点と今後への展望を述べつつ僕自身が更なる活動への姿勢をあらためて自覚する内容となった。大学や大学教員という存在が、大きく上から構えていて成り立つ活動ではないことをふまえて、次期の活動へ希望を見出したいと思う。
お金・人・豊かなこころ
大都市ではなく地域でこそできること
夜の懇親会であらたな構想がまた立ち上がったのであった。
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たんぱく質と筋肉量
2016-03-19
1年前の写真で感じたことあまりにも痩せ過ぎではないか
たんぱく質摂取と筋肉の増量を心掛けて・・・
ちょうど1年ほど前、ゼミ生たちと卒業式で撮影した写真に写る自分の姿を見て、やや幻滅を感じてしまった。頬のこけ具合から貧相に見えて、顔色なども蒼ざめていたような印象だった。実際に昨年は、南国に居ながら冬場に寒さを甚だ感じており、爪の色もやや澱んでいたような状況であったと思い返される。フィットネストレーニングに明け暮れ、その内容も有酸素運動が中心であったため体脂肪も12%ほどに近づき、身体が熱量を失ってしまったからであろう。競技種目でいえば、マラソン選手かのような身体に近づいていたのかもしれない。とはいえ決してマラソンをするわけではない。総合的に考えると、ある意味で間違った方向でトレーニングや食生活を組み立てていたと反省してから1年が経過する。
現在は、体重にして2㎏(空腹時)〜3㎏(食事後)ほど増量し、筋力トレーニングを週に2回は行うように心掛けている。適切なたんぱく質補給のため、良質な肉類や魚類を積極的に摂るようにもしている。特に疲労が蓄積した時など、豚肉が有効であるように感じられる。その結果、身体の発熱量も回復し、最近撮影した写真の顔はだいぶ円満な相になったと自己満足している。計測上も身長との比率による「理想体重」に近い値であり、特に足腰の筋力がだいぶ復活したと評価している。何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しであり、「痩せ過ぎ」もまた肥満同様によくないことを身をもって体験したことになろう。これで今年の卒業式での写真は、喜びに溢れる豊かな表情をすることができそうである。
均衡のとれた食事
筋力トレーニングの効用
ふとした契機で、たんぱく質と筋肉量が鍵を握ると知らされた1年となった。
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子どものことばから気づくこと
2016-03-18
「おなかがすいた」「どこいくの」
子どもの発する素朴な欲求と疑問に思う・・・
昨日から旅行で立ち寄っている親友ご家族は、僕の自宅からそう遠からぬ宿に滞在した。あるプロ野球球団がキャンプの際に常宿としている全室海の見えるホテルであり、「子どもの国」なる娯楽施設を併設している。朝食後にご家族でその施設内で遊んだらしく、「アルパカを見た」などと無邪気に語る言葉が可愛い。親友との呑み語りや奥様との久しぶりの話もさることながら、昨日から興味深いのはこのお子さんの言葉である。ご両親が愛情深く育てているらしく、実に愛想もよい。子どもの発言があると、親としては僕に対して気を遣ったようであるが、心のままを言葉にする素朴さが実に尊いのではないかと、僕は好意的に受け止めていた。むしろ大人は如何に建前や偏見で心のままを抑制し、錯誤した思考に陥っているのかと教えられたようでもあった。
「のどがかわいた」「おなかがすいた」といった本能に根ざした言葉を、大人は思い込みの知性で抑制し身体の欲求に対して逆らい、「我慢」という名のストレスに晒されているのかもしれない。車で移動すれば「どこへいくの」という疑問を幾度となく繰り返し発するわけだが、大人こそが安易に決めた「行き先」を、最良だと思い込んでやいないだろうか。計画・予定に縛られ過ぎて、大切な本質を見失ってやいないか。興味ある対象に心の赴くままだと思い込んでいるが、実は様々な柵(しがらみ)に拘束されているのではないか。欲求を抑え込んで、身体の枯渇や栄養不足にむしろ無頓着なのではないのだろうか。車窓の風景を見てもまた同じ、社会的建前や機能を重視するあまり、看板やその場の事態に対して冷めた眼で見過ぎているのではないだろうか。
無邪気な言葉にこそ
生きるための前向きさが潜む
母親は「すいません」と言うが、僕はむしろ「ありがとう」と言ってご家族を見送った。
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本気で「来るか」「行くか」
2016-03-17
遠方への赴任などの際に餞の言葉の真意は如何に
本気で行動してこそ親友というもの・・・
今月初めにLIVEをともに行った音楽仲間の親友が、御家族とともに僕の居住地を訪れてくれた。比較的長い休暇が取れたということで、鉄道を使い名所を訪ね歩く粋な旅を楽しんでいる。鉄道を使うという意味でも、僕の居住地は聊か不便であるのだが、そこを僕が橋渡しする計画としたことで、今回の訪問が実現したことになる。駅に迎えに行き、そこからまずは自然豊かな海岸へと案内した。懇意にするジュースを販売する店で歓迎の杯を上げ、透明度の高い海と綺麗な砂浜でお子さんも満足気であった。もちろん夜は、懇意にする魚料理のお店へ。店主が厳選してくれた地の魚介類を存分に堪能し、誠に美味しい酒が進む宵の口であった。
遠方への赴任などの際に餞の言葉として「行くからね」(「絶対」を伴うことも)という場合は多い。だが本当に「来る」かどうかという点においては、言葉と別問題なのだと思うこともある。僕自身の場合を省みすれば、系列校のロンドン校に出向した同僚の元に転がり込んだ経験もある。数年間の出向ではあるが、壮行会では多くの同僚教員が「行くからね」を連発していた。だが実際に行ったのは僕ぐらいであった。大学の親友が北海道は稚内に近い最果ての地にご実家があるというので、レンタカーで千歳空港から何日もかけて訪れたこともある。同じように中学校時代の野球部の親友が、北海道で福祉施設のセンター長をやっているというので、彼の地を訪れたこともある。要は本気で「行く」という意志があるかどうかということだろう。そういえば、この日は卒業生が研究室を訪れて、離島の小中学校への赴任が決まったと報告してくれた。彼女の島での教師ぶりを、まさしく見てみたい意志が起動している。
距離を超えてつながる親友
人と人とは距離にはあらず
時空を共有し楽しい思いになるや否やということ・・・
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我が巨人軍は・・・・・
2016-03-16
やはり・・・という残念無念賭博を始めとする金権体質
長嶋さんの野球への情熱を考えると・・・
「我が巨人軍は永久に不滅です!」というのは、言わずと知れた長嶋茂雄さんの引退セレモニーでの名言である。あれから42年もの月日が経過し、当の長嶋さんも今年で80歳を迎えられている。終身名誉監督の記念すべき年に、かの球団は考え難いほどの頽廃ぶりを露呈している。「野球選手になるのなら、僕は入るぞ巨人軍♬〜」とは僕が幼少の頃に、球団歌「闘魂込めて」のレコードB面をに収められていた応援歌の歌い出しである。この歌を口ずさみながら、僕は夢を抱きつつ当時の後楽園球場へ自転車を飛ばし、まさに「栄光の野球」を目の当たりにしたものだった。勝利への執念、緻密に計算された戦略、ここ一番の勝負強さ、球場から駐車場へ移動する選手たちの紳士な態度、どれをとっても少年の憧れの対象として偉大なる輝きを放っていた。そんな育ちの僕が、かの球団の体質に疑問を持ち始めてファンを離れ客観視するようになって、かれこれ15年ほどになろうか。聊か傲慢な物言いになるが、僕がその姿勢をとってきた理由が、今まさに羅列するかのように露呈されている気がしている。
この日は偶々寝坊してしまい、ゆっくりと大学に行く準備をしていると地方TV局が「長嶋茂雄80歳」といった内容の番組を放映していた。脳梗塞発症後のリハビリの苦闘、回復への執念、宮崎キャンプ視察や新監督へ伝える勝利への思い、そして何より現役・監督時代を通してファンを大切にするサービス精神、長嶋さんの言動そのものが僕が少年時代に野球の虜になった要因が満載されていることを、あらためて思い知らされた。現在の僕の自宅近くに懇意にするパン屋さんがあり、その店先に長嶋さんのサインがある。その店のすぐ近くにかなり急斜面の石段があり、以前はそこで選手たちの足腰強化を行っていたらしく、監督としていらしていた際に店主が直接お願いして書いてもらったと云うのだ。宮崎キャンプにおいても、地元の地域や場所を大切にしていた長嶋さんのお人柄を語る小さなエピソードである。それに比して現在の情勢からも、最近の選手や首脳陣は「外出禁止」といった措置もあるとはいえ、地域に目が向く者は皆無といってもよいだろう。(実際はそうではない人もいることを願っているが)巨人軍のキャンプ地に在住した特権など、僕はまったく受けることもなく3年間が経過した。
「信じたものはみな、メッキが剥がれてく」(サザン「栄光の男」より)
「メッキ」どころか本質の腐敗を露呈し、栄光の球団旗が泣いている
ああ「我が巨人軍は・・・・・」言葉にならない悲哀とともに長嶋さんを慮る。
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eco運転の点数や如何に
2016-03-15
80点以上は優90点以上は秀
大学の評価基準ならばと運転中に思う日々・・・
新型のecocarに乗り換えて、約1ヶ月が経過した。旧型に比してサスペンション所謂「足回り」がかなり鍛えられて、乗り心地がより俊敏になった印象だ。それでも何よりの目玉は「eco度」であろう。通常の市街地を運転すれば、1㍑あたり25㎞は走行できる。場合によると30㎞超えを記録することもあり、現在までの総走行距離における平均燃費は、21.2㎞である。何より給油量メーターがなかなか減っていかないゆえ、まだ1度しか給油をしていない。それでも空調温度を上げたり、前面ガラスが曇る場合に「曇り防止」のスイッチを押すとエアコンが起動して除湿をするので、その際にも燃料消費量が高まることを実に明白に意識化してくれる表示システムが搭載されている。CO2削減と油の無駄遣いの抑制には、この「ハイブリッド」というシステムが大変有効なのだということを思わせる。「電気」を停止時の摩擦やエンジン駆動で自家発電できるという発想が、「電気自動車」よりも総量で考えるとecoなのではないかと考えるゆえである。
この新型に乗り換える際に、旧型に愛着が湧いていたゆえ自動車販売会社の担当販売員の方に、「この子はいい子で手放し難いですね」と話すと「もっといい子ですから!運転を楽しんでください」という言葉で、発想がポン!と切り替わった。営業職のこうした一言は消費者にとってありがたい道先案内でもある。その言葉通りにこの1ヶ月で「もっといい子」は、その真価を存分に発揮している。特に計器のデータ処理能力が実に工夫されている。様々な表示を自ら選択できるのであるが、eco運転を促進するための表示にしていると、毎度毎時の運転を「100点満点」で採点してくれるのだ。今の「始動時85点」とか「走行時90点」とか、「停止時45点」といった具合である。大学教員の宿命で点数を見ると「秀・優・良・可・不可」とった基準を考えてしまい、自ずと「秀・優」を目指そうという意識が高まる。今のところ前述した例に挙げたように、僕の成績は、「走行時」「始動時」「停止時」の順番に下降する。「停止時」に如何に発電をすべく余裕を持って停止まで導く過程には、場合によると「不可」の点数がつく。それを改善しようとする意識が、更なるeco運転を促す結果となる。
僕の車を猛烈に抜いていく軽自動車の燃料消費の悲哀
当初は此地の運転事情に違和感を覚えたが、地方のゆったりこそがecoへの最善の道でもある
点数化されれば意識が変わることを実感し、複雑に考えてしまう教員としての宿命も感じつつ。
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ゆっくり煮込む日曜日
2016-03-14
予定も詰め込まず穏やかな休日の時間の流れ
おでんをゆっくりとストーブで煮込みながら・・・
何事かをせねばならないと思うのと、時の流れに身を任せるのとでは、休養の質がだいぶ違うように思う。目覚ましもかけず自然に任せて起床し、身体の赴くままに行動する。もちろん小欄の文章を書くことは、「せねばならない」うちにはあらず。書き終えて諸々のニュースなどをWebで閲覧し友人にメールをしたりして、朝昼食をとる昼どきも悪くはない。呼鈴が鳴り宅配配達員さんがやって来て、先日東京で注文した「おでん種」がクール便で届けられる。夕餉も既に決まったということだが、大根や里芋が欲しくなり地元産直市場へ。併せて日向夏やデコポンなどの柑橘類も仕入れて来るのだが、地元の利で誠に良心的な値段で質の高い産物が手に入るのが嬉しい。
午後も自由奔放な時間。早々に大根や玉子から出し汁で煮込み始められる。しかもストーブ上でじっくりと時間をかけてというののがいい。寒の戻りから石油を一缶買い足した。南国とはいえもう少し朝晩は暖をとる必要があろう。次第に出し汁の香りが部屋の中に漂い、今季最後?の鍋料理を「サザエさん」を観ながら楽しむ。どうも鍋というのは、時間を掛けて次から次へと皿に足していくのでついつい食べ過ぎてしまう。大河ドラマを観ているうちは、気持ちが興味の淵を低徊しているのかそれほどではなかったが、その後、NHKスペシャルで5年前の「福島第一原発事故の88日間」を観ていると、その内容の重大さとともにお腹が甚だ重くなってきてしまった。この日のような穏やかな休日が、この国では未だに保証されてないという事実を突きつけられた思いからである。
つい電車に駆け込もうとする自分を都会で見つけた
競争心を持って歩むことの大切さも再認識しつつ
ストーブで煮込むような気長な所業も大切にしなければならないと思う休日。
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言葉を探し短歌をよむ楽しみ
2016-03-13
1ヶ月に1度の短歌会前月提出した詠草一首が批評の俎上に
無記名歌に対して忌憚なく語る楽しみ
月1回の短歌会へと参加することが、実に楽しみである。前月20日までに一首を提出し、それが無記名で地域の会員の方々の30首以上が纏められた詠草が月末までに届けられる。概ね第一か第二土曜日に歌会が開催され、詠草に対する批評が行われるというもの。まずは自らの歌が、集う先生や会員の方々にどう読まれるか?その受け止め方を、ある意味で「素知らぬ顔」して聞き続けるのが誠に楽しいものである。もちろんすべての歌に対して事前に「予習」を施して、僕自身の読み方を創り上げておき、順番に巡り来る該当歌に読解・鑑賞を施すことが何よりの勉強になる。
また短歌会の中においては”立場上”、様々な「言葉」に対するコメントを求められることが多い。それゆえに複数の辞典を繰って、言葉の核心や派生と表記に至るまで徹底して調べるようにしている。それがまた僕自身の「言葉」への姿勢を磨いてくれる結果となっている。俵万智さんが講演やご著書の中でよく語っていらっしゃることだが、短歌を創作しようとすると「言葉を探そう」として生活するようになると云う。日常の中で生じた「心の揺れ」を「言葉」で捉えるということ。更には他の方々の歌を如何に「解釈」するか、そして如何に「選歌」するかという過程が短歌を学ぶ上で基本中の基本となる。
古典和歌の解釈研究のみをしていた自分から
自ら短歌の表現にこだわり活用する自分へ
先月、著名な馬場あき子先生から「古典和歌の読み方も変わるはずです」のお言葉をいただいた。
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5年目の3.11・・・黙祷の意味
2016-03-12
体感として刻まれたあの日の震動金曜日という共通した曜日となって
太平洋に向かい5年目の黙祷・・・
あの日の「14時46分」に自分が体感したことを、多くの人が鮮明な記憶として遺していることだろう。この列島に住む者として、決して忘れるべきではない共通の時刻であり体験である。東京の自宅マンション至近の交差点で信号待ちをしていた僕は、その震動に並々ならぬ気持ち悪さを覚えた。街灯が振幅をもって揺れるその光景と背後の銀行の窓ガラスが音を立てていることに、生命への危機さえ感じた。だがそんな東京の状況とは比べものにならないことが、東北地方では起こっていた。自然の力に対する一人間としての無力感とでもいえばよいだろうか、あの日から僕は独りでいることに恐怖を覚えるようにもなった。東京という大都市の矛盾と危険性を、真剣に考えて行動できる準備も整えてきた。大仰に語るならば、生きることそのものの尊厳を見つめ直したとも言ってよいだろう。
「5年間」という月日によって人は、「忘却」への道を歩む。東京へ行って気になるのは「歩きスマホ」の人々の多さである。雑踏がなく車社会であるといえばそれまでだが、僕の現在の居住地ではあまり出会わない光景だ。勤務校の大学生でさえ、キャンパス内ではそれほど多くはない印象である。それが羽田空港へ降りて公共交通機関に乗った途端に、老若男女を問わずスマホ画面の内部でしか思考しない輩に多く出会う。約1週間の在京で「(電車の)遅延」という情報を何度耳にしたことか。その幾つかは「お客様がホームに転落した。」という理由が添えられた情報として、僕の耳に提供された。その原因が「歩きスマホ」だと即断するのは早計であろうが、身体は其処にあれど思考が其処に無い輩が、雑踏の中で不注意極まり無い身体をある種の危機に曝しているのは間違いない。ホームドアの設置がみるみる促進されているのだが、それがむしろ人々の危機感を忘却の彼方へと誘う。雪国から比すれば僅かな降雪で帰宅困難となる大都市構造、5年前とその状況は大きく改善されているとは思えない。「誰かが守ってくれる」という当事者意識の欠如ばかりが溢れ、首都圏直下大地震は起きてみないと気づかないのかもしれない。大都市だけを批判するべきにあらず、僕の勤務校でも意志を持って黙祷を献げる人々は稀な印象だ。(特に西日本、九州という地理的条件により、関東の人々の意志よりも薄い気がする。)5年前に被災した方々への弔意のみならず、地震列島の住民として当事者意識を持つこと。それこそが「あの日」の「無念」を未来に活かすための真摯な態度であろう。
3.11以前のように元通り
そこに意識無意識にかかわらず虚飾があることを
僕たちは注意深く拒む必要がある・・・それゆえの黙祷でもあるのだ。
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