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海援隊トーク&ライブ2016

2016-02-29
「フォークソングは嘘を唄わない」
あの名曲「贈る言葉」の誕生秘話
海援隊・武田鉄矢の共感性を満喫・・・

居住地である県の中心市内から車で約30分ほどのところに、小さな町がある。その文化会館にて「海援隊トーク&ライブ」が開催された。武田鉄矢さんご本人も、「人気がある頃ならこんな小さな町へは来なかった」と言うほどのこじんまりした町の文化会館で、収容800名ほどの大ホールでライブは始まった。ステージ上の武田さんとほぼ目線が合致する席にも恵まれ、実に彼の共感性を存分に感じられる2時間となった。ちょうど5年前の東日本大震災の起こった年に、自粛ムードが漂う中、東京は渋谷のCCレモンホール(渋谷公会堂)にて、そのステージを観て以来の「再会」であった。標題に示したように「トーク&ライブ」と銘打っているのは、ほぼ「語り」と「歌」の時間配分が半々ぐらいの構成であることを、事前に断っているようでもあり良心的ともいえる。武田さんの「語り」には、聴衆との親和性を深めるヒントが山積で、僕自身も講義を始めとする「語り」において実に参考になるステージであった。

「北島三郎さんは、舟が嫌いなくせに平気で舟乗り歌を唄うが、僕たちのフォークソングは違う。」と言った楔を冒頭に打ち込み、嘘か誠か様々な武田さんの体験談が舞台上で炸裂する。小学校時代にアホだったと思われる同級生の行動を伝える笑い話を固有名詞で語り、自らも病気をした経験から高齢に差し掛かっている悲哀をユーモア交えて語る。武田さんの歌には、どこか自分自身の生きてきた道の中で、人としての心の襞を大きく広げて受け止めてきた親愛なる人々のあり方が息づいている。著名なTVドラマ「金八先生」の主題歌として大ヒットした「贈る言葉」は、実は自らの青春時代の失恋体験をもとに作った歌だと云う。確かにそう言われて聞いてみると「去りゆくあなたに贈る言葉」や「遠ざかる影が人ごみに消えた、もう戻らない贈る言葉」などのフレーズはみな、彼を振った女性の姿がそこに浮かび上がる。「中学生の卒業式のために作った歌ではない」と語っていたが、まさにこのように多様な解釈を許容するということが、一般性を持って大衆に受け容れられるということだろう。そしてまた彼の真骨頂である母に関するエピソードからも、親子の愛情はもとより旧き良き昭和時代の人間同士の親密度が随所に窺えて、誠に飽きのこない2時間とアンコール10分であった。

自らの抒情を語りと歌に
福岡教育大出身という武田さんによる、この町の教育委員会主催のライブ
中学生の頃に聞いた曲やラジオトークが、今の僕にも少なからず影響を与えていると再認識。
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春キャベツの甘み

2016-02-28
夕飯はどうしようか?
考えるよりまずは産直市場へ
其処にその日ある野菜で何を作るかが決まる・・・

久し振りに落ち着いた休日になったので、夕食を自ら作ろうと思いついた。カレーやシチューばかりも”芸がない”、また鍋は聊か季節が変遷してきてしまった感がある。あれこれと考えてWeb上のレシピ集なども閲覧し、概ねの見当をつけた。だが最終的なメニューは産直市場に出向いて決まる。その日に地元で採れた野菜で何が旬であるか?予想はあれど天候や地元農家の諸条件によって、置かれている野菜は自ずと変化する。買いに行く時間帯によっては、売り切れてしまっているものもある。まさにこの日にしかない邂逅を楽しみ、その日の夕食を決める。こんな自然に任せた生活にこそ、心の豊かさを感じるのは僕だけであろうか。

この日に出逢ったのは、春キャベツ。寒風に耐えて明るい光に向かって伸びた葉が瑞々しく、野菜の生命力が感じられる収穫物が目を引いた。中ぐらいの玉で130円と、たぶん都会のスーパーでは破格の値段であろう。(最近、都会のスーパーの相場を知らないが)家に帰り葉を剥いていくと、中からナメクジのような虫がいくつか、生物が生育できる環境で育てられた作物であるという安心が確認できた。全体の半分を使用し、その更に半分を千切りにして生姜焼の豚肉の下に敷く。もう半分は葉の部分を中心に厚揚とともにカレー風味の味付けで炒めた。甘熟トマトとブロッコリーなども添えて納得の夕食ができた。まさに春キャベツの甘みが舌にとろけるようで、旬の味が堪能できた。

ゆったり焦らず自然に任せる
3年間で僕自身が学んできたこと
真に豊かに生きるとは何かを考えながら・・・

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胸焼けしないが基本条件

2016-02-27
大学及び自宅周辺のお店
ほぼ懇意にする処が定まった
胸焼けしない良質の味

大学周辺というと数々の食べ物屋さんが軒を連ねるイメージがあるが、勤務校の場合はそういうわけではない。至近にはファミレス1軒のみで、殆どの学生が学食を利用しているようだ。どうやら学長先生も学食を利用しているらしく、食事事情をよく語っていると言おうか、それとも学生目線であると言おうか。僕の場合は、赴任当初は学食も利用していたが3年経ってすっかり馴じみの店が何軒かできた。それらは自家用車を利用しなければ行ける距離ではないが、いずれもいずれも納得できる料理を安価で提供してくれる良心的なお店である。共通点は素材にこだわっていて、調味料や油も良質であることが感じられるのである。決して食べても胸焼けしないのが、僕の店選びの条件でもある。

この日も仕事の関係で、昼食が夕方の時間帯にまでズレ込んでしまった。ひとえに前述したお店で、食事がしたいからである。オムライスのコーヒーセットを食し、しばし読書。落ち着いたBGMが流れるお店で、店主ご夫妻の穏やかな人柄が表れている。帰宅して比較的すぐにジムへ行こうと用意を始めた。さて夕食はどうするかと考えた揚げ句に、うどん程度は食べようと思った。そこで馴じみのうどん屋さんへ。今までなかなか食べる機会のなかった、カレーうどんを食べたいと衝動的に注文した。数時間しか間隔のない食事は、聊かの胃もたれや胸焼けを一瞬は覚悟したが、食べ終わってむしろ満足感のみが残った。その後、ジムに行ってスタジオプログラムをこなしたが、決してカレー味がこみ上げることはなかった。きっと脂分の少ない製法を採っているのであろう。

馴じみの店の馴じみの食事
ふと後退しそうな心を支えてくれる
そしてまた店主の人柄が、料理の質と等価値であるのも事実であろう。
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人と人とを繋ぐ会話力

2016-02-26
湯船で隣になったお方
やや場所を譲ると親しげな会話に発展
見知らぬとはいえ地域の人と人は会話で繋がる

昼の業務が精神的に疲れたので、近所の公共温泉施設へ。銭湯並みの料金(¥420)で泉質よろしく、疲労回復には格好の癒しの場である。市内の60歳以上であれば更に半額であるらしく、自ずと年配の方々のお客が多い。湯船での寛いだ表情には、誠にこのくにが今は平和であることを実感する。湯船の縁沿いに背中をもたれてしばし温まるのが通例だが、次第に人数が増えてくる。そこで後からやって来た方のために少々ずれて場所を譲ると、大変感謝されて親しげに話しかけていらした方がいた。「何処に住んでおる?」とか「(口調や住んでいる場所柄から判断し)東京の人やな」とか。「仕事は何しとるん」などと会話が弾んだ。どうやら地域の街づくり関係の仕事を定年になった方らしく、僕の居住地域の区画などについても造成時点の詳しい話が聞けた。地域のことはまさに「耳学問」が有効であることを、あらためて知る機会となった。

幼少の頃、母親と近所の商店街に買物に行くと、なぜ商店の人とこんなに長く話すのだろう?といつも疑問に思っていた。未だスーパーなどほとんどない昭和の時代は、商店街の専門店を1軒ずつひと周りすると、夕食の材料が揃ったのであった。八百屋に始まり魚屋か肉屋、そして豆腐屋経由で仕上げは惣菜・乾物屋に至るのであるが、この最後の店のおばさんと母との会話が最も長かった。いい加減、痺れを切らした僕は先に家に帰りたいと思うこともしばしばであったが、車の通りの激しい道路の交差点を一人で無闇に渡るのは禁止されていたので、概ね母とおばさんの四方山話の時間に付き合って、乾物屋さんの様々な商品を眺めていた記憶がある。今にして思えば、母は街の様々な情報を得たり、日常の様々なストレスをその店の会話によって解消していたのだと思う。地域の人々と垣根なく話す文化が、昭和の時代には根付いていたのだ。

夕餉で近所のお店へ
顔見知りのお客さんが「お母さん(話が)面白いね〜」と賞賛
母の人と人とを繋ぐ会話力を、僕も受け継いでいるのだと自覚した。
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小学校古典学習の格差

2016-02-25
暗誦し音読も十分にできる
せいぜい視写をしたぐらい
小学校古典学習について考える

月1回の附属校との共同研究。この日は、小中連携乗り入れ授業ということで、附属中学校の教員が小学校6年生の教室で授業を担当し、後に研究協議を行った。題材は『徒然草』の章段から「高名の木登り」を扱い、昔話・物語から読み取れる教訓性について考えて内容理解を深め、それを音読で如何に工夫して表現するかという目標の授業となった。昔話「ウサギとカメ」を導入で使用し教訓性へと目を向け、「高名の木登り」の段に関しては現代語訳から入るようにして、原文と対照して読み方の確認などがされた後に、グループ内で音読の工夫を話し合い、最後に代表者が発表するという進行であった。概ね順調に進行したように見えた授業であったが、学習者個々を観察すると、問題も浮上してきたことがわかった。

比較的学習環境もよく、学力も高い児童が揃う附属校であるが、それでも古典学習には「格差」が見え隠れした。原文を音読すれば、問題なく読めるような学習者と歴史的仮名遣いに戸惑う学習者がいる。古典はせいぜい「視写」をした程度だという現実もあったと担当者である中学校教員から報告があったが、たぶん小学校の担任教員によっても学習方法や程度に差が生じていることが窺われた。現行学習指導要領から「伝統的な言語文化」に関する事項が定められ、小学校でも古典教材が教科書に掲載されるようになったが、広域の小学校まで拡げてみれば「格差」は更に大きいことが予想される。中学校教員は、「このぐらいは学んでくるだろう」という安易な期待を抱くべきにあらず。あらためて中学校でも、初歩から親しみ深く古典に接する態度を育てるべきであろう。むしろ嫌々やらされてしまった「視写」や「音読」で嫌悪感を抱いていないか今一度、小学校古典学習全般を見直すべきかもしれない。「音読」一つとってみれば、それは高校にも大学にも関わる学習者の未成熟の問題があると言わざるを得ないのではないだろうか。

早期教育の弊害や如何に
親しむためが嫌悪を抱いてしまっては
「教訓」だけが古典の粋にあらず・・・
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「重荷」の「自負」を怠らず

2016-02-24
活動すれば乳酸が溜まり
再活性化のために栄養が要る
負荷を掛けてこそ更なる発展がある

「人の一生は、重き荷物を負ふて長き路をゆくが如し」とは家康の名言としてあまりにも有名である。「一生」という長さで見れば、果てしなく「重荷」を負うことは困難辛苦の連続であるということになり、聊か悲痛な人生と思えてしまうかもしれない。それならば、常に「身軽」でいればよいのかといえば、そうでもない。人が成長する理としては、必然的に「重荷」が必要なのだと思うことが多い。歩かなかったり考えなかったりすれば、脚や脳は衰えてしまい、むしろ苦難が待つ結果となってしまうだろう。筋肉が衰えてしまえば関節に支障をきたし、足腰が動かなくなれば循環器系や細胞に影響を与えて、何らかの病気となってしまう可能性も高まる。

筋トレをしていると、まさにそれが象徴的なことなのだと思える。身体も脳も活動させることで、消耗するのではなく発展するということだろう。こう考えると人は生きる上で、「重荷」となる関門がむしろ必要だということかもしれない。産道を通り抜けることに始まり、免疫力が衰退して病気になりやすい幼児期も、学校などの外気に曝されて人として社会に適応していくことなど、すべての関門が人を育てるということだろう。もちろん人為的に用意された「入試」なども、人を磨く上で必要なことなのだと思うこともある。僕は、(私立)中学校・大学・大学院(修士)大学院(博士後期)と4回の受験機会に加えて、教員採用試験や大学教員公募などで、数知れない受験を経験した。その1回1回が「負荷」となって、自らの脳力や精神面が鍛えられてきたと自負できる。そう!この語彙選択、まさに「自負」こそが人としての歩みを発展させるのである。

2月は草木も芽吹く
数々の受験経験の回想
更なる芽を出すために、今もまた「重荷」を「自負」しようとする。
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入試開場前の正門に立つ彼

2016-02-23
入試と書かれた立看板
学部名称を貼り替えられるように
あの日あの場で見た光景

8時開場。入試当日、早々に家を出た彼は正門前の時計台の下でしばし開場を待っていた。人生を切り拓かむとする闘志に満ちて、寒ささえも忘れているのであろうか。開場された大学構内に入った約半日の時間が、その男の人生を大きく変えるであろうこともまだ十分に彼は気づいていなかった。だが一番乗りで誰もいない教室に入った時、何か閃くものがあった。そして英語・国語と入試科目が終わるとともにトイレに行くと、何か身震いがするような感覚が宿っていることを知覚した。最後は地理歴史の「日本史」、不思議と合格祈願をした弘法大師・空海に関する問題が出題されており、何やらただならぬ運命を悟ることになる。彼は妙な根拠のない自信を持って、入試を全科目終えて帰宅する。それから合格発表までの間は、むしろ日々その自信が薄れて、もう1年受験勉強をしなければならないのかなどと考えてもいた。

合格発表当日、彼は家を出て一人で発表掲示板の前に向かった。遠目に掲示板を見ると、2桁番号は1列もないうちに3桁の番号になっているのが分かった。彼の受験番号は2桁「73」であった。その受験票が家に届いたその時、彼の母はそれをそのまま鞄に入れて合格祈願に向かったと云う。1ヶ月に1度の祈願を母は1年間続けていた。その「効力」は、2桁の希少な番号の合格発表掲示の並びに表示されているのであろうか?次第に近づいてみると、ぼんやりと番号が見えた。「あった!」夢か幻か・・・合格手続書類を受け取った後でも、彼は今一度その「73」を確かめるほどであった。付近に設置されている臨時公衆電話は長蛇の列、構内から出てしばらく歩き閑かな電話ボックスを発見し、彼は両親に「73」があったことを報告した。

ある男の入試当日から合格発表まで
人生の岐路になったあの頃は、今も彼の支えとなっている
この時季、正門を通るとあの日の彼が今も立っているような気がした。
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親の心子知らず

2016-02-22
相手の立場になって
などと月並みな警句もあるが
親の愛情を受け止め花開かせるということ

今年の大河ドラマ「真田丸」の題には、「家族」という「一艘の船」が激動の時代を生き抜くという意味も込められていると云う。力に限りのある地方豪族である真田家が、有力な諸大名の権勢争いに翻弄されながらも、逞しく生き抜こうとする家族の力が描かれている。この日の放映でも人質となっている祖母の奪回に失敗する次男を叱咤しながらも、父は「勘ばかり頼りにするから失敗する。だがお前は面白い。面白くなければ人は動かん。」といって激励もする。人質になっている当の祖母も「大事なのは思うようにいかない時に、如何に振る舞うかだ。望みを捨てなければ活路が開ける。」と言って孫に勇気を与える。こうした父や祖母の愛情を受け止めて、堺雅人演ずる次男・真田信繁が一人前の武将に成長する物語である。

親は無条件に子を信ずるものであるということを、これまで幾度となく両親に支えられてきた身として痛感する。幼稚園の時に好きな絵本をたくさん与えてくれ、また音楽に目覚めさせようとアコーデオンを買ってくれた。小学校でも英語塾や珠算・書道・剣道などの習い事に通った。都市部であったので中学受験の為の進学塾にも通い、中学入学後は好きな野球をやらせて貰った。大学受験で国立大学を目指すも、「どうしても行きたい私立大学がある」といって学費の高い私大への入学を頑なに選び、その受験の際も講習会に通い勉強をさせて貰った。今現在、国立大学で教鞭を執り、詩歌を始め絵本を通じた物語の豊かさや言語・東洋美術などにも興味が深いのも、こうした親心によって種が蒔かれたものだと思うことがある。英会話も運動も好きで健康な身体であることも、生育段階での豊かな施しがあったからだと、あらためて感謝の気持ちが絶えないのである。

夕食をともに語り合い
電車のホームの向こうから手を振る両親を見て
ふとこんなことを思う宵の口であった。

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合奏の親和性

2016-02-21
個人で取り組んだ練習
それぞれの個性を織り成す
音楽表現に向き合って思うこと

約8年ぶりのライブに向けて、バンドメンバーによるリハーサルが行われた。ここ数ヶ月もの間、移動中の車内で当該曲を聞き込んだり、休日にパーカッションと歌の練習に勤しんできた。僕にとってはあらたな挑戦もあり、実に楽しみな自己改革の機会でもある。何より「表現」することにおいて、研究対象としている「言語」や「詩歌」、また「音読、朗読、群読」などとの共通性を見出すことができて、創造的な発見に満ちた活動なのである。人と人とが結び合い、一つの「表現」を織り成すということ。そこには、個性の輝きとともに親和性ある協働活動でなければならないという矛盾を孕んだ境地が見出せる。他者との関係性を「合」わせて「奏」でることの難しさと大切さを痛感するのである。

短歌創作でも、自分ではよかれと思った表現が、どれほどの共感性を持ち得るかには、誠に微妙な匙加減があるように思う。他者が読んだら、他者が聴いたら、という意味で音楽活動との共通性を痛いほど感じる。自分ではかなり歌えるようになったと思いきや、バンドで合奏すると親和的な表現にはならないこともある。その段になってようやく、己が未熟な過ちをやり過ごしていたことに気づく。ヒトとは根本的に「自惚れ」な動物であるが、親和性の中で自己を客観的に見つめてようやく「人」となる。それゆえに人として、「合奏」することにより生じる親和性に目を開くべきではないかと思う。仲間たちと批評し合い間違いを指摘し合うことで、その小さな社会の中で学ぶことは、計り知れない力を持っているように思う。

親友と奏でる曲の数々
今の自分にできる表現のあり方
合奏の親和性に深い境地を見出す。
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いつか見た光景

2016-02-20
野球グラブを見に来る楽しみ
何とはなしに買い物をしたスーパー
あの日あの時いつか見た光景

場所が記憶を呼び戻してくれることがある。街並みは変わり、店も様変わりはしているのだが、ある角度から見るとまったく変わらないと思ったりすることも。人の記憶というものは、誠に不思議なものだと思うこともある。少年時代に野球が好きで、よくプロ仕様のグラブが展示してあるメーカー直営店をよく訪れた。自宅から自転車で30分近くかかっただろうか。其処ではほとんどグラブを眺めるだけで、買った記憶はない。だがその店のある街並みを歩くと自ずとその頃の自分を思い出してしまう。何事かに突き動かされて、熱中して行動したことが心の奥底に巣食っているのだろう。

夢の中に出てくる駅やスーパーのある街並みがある。過去の様々な記憶が混沌として形象化されて夢映像になるのだろうか。言葉にならないほど懐かしい街並みだと感じる場所がある。前述した野球に熱中していた頃からは更に飛躍して、現実的な野望を追い続けた頃に見た街並みである。本気で研究者になれるか否かの境目のような日々において、その街に閉じこもるようにして本を読み続けた。今では其処に行くわけもない場所であるが、何か郷愁を感じざるを得ない光景が其処には顕然とあるような気がする。

あの道はいつか来た道
様々な記憶が過去から未来へと連なる
こうして小欄を記している意味もきっと未来の自分のためかもしれない。
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