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新年を迎えるこころ

2015-12-31
正月飾りに鏡餅
大掃除をしてすっきりした気分
新年を迎えるこころを大切にしたい

穏やかな年末を迎えている。というのも、ようやく現在の居住地の年末年始に慣れて来たと実感できるからだ。もちろん、郷里である東京に帰省するという選択もある。下町である故郷の大晦日やお正月の空気感が、たまらなく好きでもある。だがしかし、向こう3年間の年末年始は此処で過ごしている。今年は特に年明け早々に両親がやって来て、比較的暖かい南国で正月を過ごしてもらう。それを考えると、下町情緒よろしく自宅をすっきり掃除して正月飾りや鏡餅を供えたくなったわけである。というわけで、正月飾りを目当てに地元で馴染みの産直市場に出向いてみた。すると藁を編んで稲穂を添えて寿の扇と鶴の形をあしらった手作りの正月飾りを販売していた。スーパーでビニールに包装された既製品とは違う、農家の手作り感漂う一品が大変気に入った。

小学生の頃から妙な子どもで、僕は大掃除が大好きだった。自分の部屋はもとより、リビング・階段・照明器具に至るまで、できるところは徹底して掃除したかった。ある時、父方の祖母が「もういいのにしなよ」といって、あまりに僕が掃除に専心し過ぎている姿を気に留めて、声を掛けてくれたのが今でも記憶に残っている。だが、そう言われるとむしろ徹底的に更に掃除を続けるのが僕の性分だった。どうもこの姿勢は、今も研究に臨む態度に共通したことがあるようにも思う。やりたいことは、とことん追究しようとする気分である。大掃除を完遂したという気持ちの満足感と、その果てに正月飾りや鏡餅を供える爽快感。しばらくは忘れていたこころを、今年は取り戻した気がしている。

29日は「苦が待つ(末)」31日は「一夜飾り」
28日までが適切とされながらかろうじて30日に間に合った
新たな決意で新たな年を迎えるこころを大切にしたいと思う。
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御挨拶と大掃除と

2015-12-30
「今年もお世話になりました」
そんな気持ちを込めて親しき方々へ御挨拶
同じように生活を支えてくれた家には大掃除を

28日で仕事納めとなった大学は、更に閑かな趣となった。僕自身は「納め」というわけにはいかず、研究室でしばし論文執筆と資料を読んでいた。物音も少なく訪れる者もいない研究室、時間が十分ある中で思考が思考を呼び、現在執筆中の論文以外にも構想が広がり、何冊もの書物を書棚から引き出して読み漁る。来年に向けてまた諸々とやりたいことが、湧き出して来る如き時間となる。半日はこうした使い方をして、あと半日は自宅の大掃除に励もうと帰宅する。

今年は比較的、日常からこまめに掃除をする習慣がついたので、普段はできない拭き掃除などを。家具をどけてみると、今年1年の鬱積の如く埃が床にこびりついていたりする。それを拭き取り更には家具の配置を聊か変更する。それだけで動線が確保できて気分が大きく変化する。この僅かな変化にこそ翌年への希望が見えたりもする。掃除の合間に年内に御挨拶したかった方々へ電話なども。親しくしていた洋食屋さんは、やや遠方へ移転してしまったが、彼の地で営業を再開し順調だという声を聞いた。正月にはぜひ訪れたい1軒となる。夕餉は近所の馴染みの店へ。毎度、僕の栄養と心を満たしてくれる1軒。感謝の気持ちを込めて、母の郷里から届いた品々をお贈りする。

かくして今年の締め括りと来年への希望を胸に
今年1年で得たこころの安定感に感謝する時間
此地で3回目のもういくつ寝るとお正月。
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トレーニングと心身の柔軟性

2015-12-29
身体を自覚する
簡単そうで意識しないとできない
トレーニングと心身の柔軟性について・・・

研究室で資料を読んでいると、3月に卒業したゼミ生で小学校教員をしている教え子が訪ねてくれた。現場での授業作りの困難さを始めとして、近況報告を一通り話してくれた後に、「僕も最近ジムに通っています。」と彼は言った。たぶん僕も日常から、身体トレーニングと脳の働きなどの観点からゼミで雑談することも多々あったからだと思い返した。見れば彼の顔色は以前よりも艶やかで、健康そうな笑顔をふりまいていた。職場では新任教員であれば様々なストレスが少なくないはずだ。そこでリフレッシュの意味も含めてトレーニングは有効であろう。健康な身体はもって生まれた体質だけではなく、生活習慣により左右される。若いうちからその習慣をつけるのは悪いことではないと思う。などと考えて、僕自身も夜にはジムに出向いた。

トレーニング納めになるだろうと思い、複数のスタジオプログラムを実行しようと思いきや、どうも股関節が通常より硬いのを実感した。すかさず筋トレ系のプログラムのみに参加して、そののちはゆっくり歩いて身体を温め、ストレッチに長い時間を費やした。すると次第に硬さも解消され、腰を中心に背部の緊張が解けたようになった。身体のみならず精神的にも柔軟性が大切であるとあらためて感じた一幕であった。何のためにトレーニングをしているか?と常に自問自答し、自分にしかわからない選択を施していくべきであろう。今年は6月頃に忙しさから、背部の張りに悩まされた。それ以後、ヨガを中心に柔軟系プログラムに参加し次第に柔軟性を増した。更にはオープンキャンパスの模擬講義映像を観て、あまりに自分が華奢であると感じ、下半身を中心に筋力アップを心掛けた。その目論み通り、柔軟かつ剛強な方向へと歩んだと振り替えることができる。

例年、小欄に月別トレーニング実施回数を掲載し覚書としている。
1月=10回・2月=11回・3月=16回(3ヶ月=37回)
4月=11回・5月=10回・6月=8回(3ヶ月=29回)
7月=11回・8月=9回・9月=10回(3ヶ月=30回)
10月=8回・11月=12回・12月=10回(3ヶ月=30回)
合計=126回

昨年より頻度は減少したが、月平均10回以上は維持できた。
何より自分の今の身体を見つめて強引に実行しない「勇気」を今年は得た気がする。
「フィットネスは競争ではない」東京でお世話になった名トレーナーの言葉を反芻する。
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寄り道を厭わずに歩む

2015-12-28
出会った方との偶然を歓び
未知の世界を知見することの意味
人生も寄り道してこそ味わい深きものに・・・

予定は未定とはいえども、自分が思い描くように事が運ぶ方が気分がよいに決まっている。手帳に記された予定もあれば、自分自身で思い描いた予定もある。例えば今現在、小欄を記している己が予定通りかといえばそうではない。「思い描いていた」ことからすれば、少なくとも数時間は早く起床して小欄を記して「いなければならない」。だが怠惰か寒さかと詮索し今となってしまったことを後悔しても、過ぎた時は戻らない。この時間になってしまったのには原因がある。

昨晩、近所の懇意にする焼肉店で、店主の親しい地元の方と偶然に出会った。農業関係の仕事に従事するその方の話は、実に新鮮であった。自然・気候に農業は大きく左右されるゆえ、今年の暖冬傾向は聊か厳しい状況をもたらしていると聞いた。更には農業への補助金の問題や今後のTPP政策等々・・・数えれば様々なことがあるという。何よりそうした産業が地元地域を支えていることを実感できる機会として僕にとっては大変貴重であった。そんな話に乗じて店主のお勧めよろしく、焼酎をそれなりにいただいたゆえに、朝の目覚めに影響が出たということ。だがしかし、こうした寄り道のような時間にこそ、生きている上での大切なものがあると思えることが多い。

奇しくもその朝、関口宏司会のTV番組を観ていると「混沌(カオス)」の時代と題して、何人かの論者が「この時代の生き方」について語っていた。「貧富の格差」が世界中で拡大している中、「中間層の没落」というのが日本の特徴であるとし、この層を下支えする政治的方針が必要であると何人もの方が一致して云う。また不公平な条件下で「格差」が拡大すると、富裕層は自分たちの利欲しか考えなくなり、貧困層のことを思い遣り社会的貢献をしようと考えなくなるという実験結果も報告されていた。こうした流れが「グローバル化」という名の「アメリカ化」によって推し進められた結果、現在懸念されている様々な紛争の火種となっていると番組では語られていた。そして教科書教材なども執筆している生物学者・中村桂子氏が「相手の立場を考えられる生物は人間だけ」と切実に語っていたのが印象的であった。われわれはWeb上の断片知で「わかったような」気分にさせられ、多くの人が「誤った方向」へと進んでいると漠然と知覚しながらも、出口の見えない「混沌」の中で不安ばかりを覚えているのではないだろうか。

未知の分野の人との対話
教育を考えることは社会を考えること
寄り道をしてこそ真の社会と人間らしさが垣間見えるものだ。
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上京予定は次への活力

2015-12-27
研究学会やシンポジウム
仲間との大切な時間も
上京予定にはいつも励まされて・・・

約3ヶ月先までの予定を、入念にチェックする時間を作るようにしている。もちろん自己の研究活動やゼミを始めとする教育活動についても、あれこれと模索し具体的な構想を考える。更に一番心が浮き立つのは、上京予定を考案することである。研究学会に併せて、できれば他のイベントや知人との交流に時間を合わせたいと願う。東京近辺での展覧会や落語会を始めとする企画を、あれこれと検索してみる。空港からどのように移動して時間を如何様に使うかなど、東京在住時には考えもしなかったことを考えるようになった。そこから逆算して往復便の時刻が決定する。航空券は早ければ早い程、値段も安い。安いだけに予約便変更・取り消しや当日の繰り上げなどの融通が利かないというリスクはあるが、それだけにあらかじめの計画考案が重要となる。

現在の勤務地に居住して、様々にあらたな発見があった。元々居住している方に「東京から移り住んだ」という旨を話すと、「よくもこんな不便なところへ来ましたね」といった趣旨の返答をいただくことが多い。だが僕自身は正直なところ、それほど「不便」だとは思っていない。書籍を始めとして、Web上の通販の発達は在住する場所を問わなくなった。空港までは車で10分程度であるし、地方空港はコンパクトで保安検査なども手早く済ますことができる。時に上京予定と企画の日程が聊かズレたりして、口惜しい思いをすることがない訳でもないが、果たして東京に住んでいたら、すべての企画に出向いているかは疑わしい。生きるために適切な住環境とは如何なるものかなどと、根本的な生活観念についても深く考えるようになった。されどそれだけに東京で生まれ育った僕にとって、1〜2ヶ月に1度の上京がとても大切な時間であるのも間違いない。昨日もまた、来年3月までの予定をあれこれと考えていた。すると昨夜は東京のある光景を夢に見た。いつもながら下町の街路に僕は佇んでいた。

あらたにシンポジウム出席の誘いも
航空会社のマイルの蓄積のように
僕の大切な時間がその都度貯まっていくのである。
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論文と年賀状の組み合わせ

2015-12-26
年明けに〆切となる論文
もう投函しないと元日に着かない年賀状
この組み合せも既に3回目となったが・・・

閑かで落ち着いたキャンパスを闊歩して研究室へ出向く。早朝から、年明けに〆切が設定された紀要論文を執筆する。学内組織である「教育恊働開発センター」所管の紀要で、附属校や県内の公立学校との恊働活動についての論考が所載されることになる。過去2年間も附属校での公開授業に関する論点の追究や、附属校で僕自身が実施した投げ込み授業における実践に関する論考を投稿して来た。今年度は10月にやはり附属中学校で役者&ギタリストとともに、『走れメロス』の朗読活動を全校規模で実施しており、その試案的な提案や学習者の能動的朗読学習の方法開発に関する論考を纏めている次第である。成人の日の翌日が〆切ゆえ、正月をゆっくり過ごそうと目論むと、自ずと今が執筆のための重要な期間となる。こうした状況も3年目を迎えたので、自分の中では風物詩のようになっているのだが、同時に気が急くのは年賀状の投函に関してである。

年賀状に関する考え方も年々変化しているように思われるが、東京から離れたこともあり、唯一年賀状が1年1度の消息となっている方も多い。お世話になった方もいれば、中高教員時代の教え子で毎年必ず年賀状をいただく方もいる。やはり新年の挨拶という目的を超えて、年賀状の持つ意味も重要であると考えたくなる。挨拶としての社交辞令でなければ尚更、その紙面に工夫を施したい。干支の絵柄や富士に御来光などでは、あまりにお世辞のような葉書になりかねない。そこでなるべく今年1年の中で撮影した写真から、ベストショットと思えるものを年賀状に映し込むような工夫をしている。写真を選ぶ際には自身で今年を振り返り、見えていなかった機微に気付くこともあってとても良い機会となる。かくして午前中は論文、午後は年賀状へ専心する日々が、暫くは続くことになる。

商家に育った性分ゆえに
年末の追い込み仕事の感覚が嫌いではない
今年のうちにできることは何だろう?あと1週間で元日である。
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今年の出来事は好きですか?

2015-12-25
「今年の出来事がすべて好きになる。
 今年の思い出にすべて・・・・・。」
(桑田佳祐「クリスマスだからじゃない」より)

平常心のXmasとでも言おうか、普通に過ごす日でありながらやはりどこかで意識しない訳ではない1日となる。授業が終わったのをいいことに、早朝から研究室に出向き論文を書き始める。研究の目的や問題の所在といった序の部分は、その後の執筆の牽引力となる大切な部分に他ならない。それが自然と導き出されて文章になることが、自分自身の問題意識が具体化している訳で、そうした際には文章を書き記す推進力が増す。自ずとしばし”Xmasどころじゃない”思考回路となった。昼食は馴染みのうどん屋へ、年内は大晦日まで営業していると確認したり。Xmasは同時に年内があと1週間という指標でもあるのだ。その後、図書館で資料を探し3冊の本を借り出し、更にはタブレットに電子書籍アプリを試験的に入れてみた。冬休みをいいことに、読みたかった書籍を何冊か「電子版」で読んでみようかなどと画策する。

夕餉はやはりチキンをメインにサラダを添える。昨日の小欄で紹介した小さなクリスマスツリーのイルミネーションが室内を照らし、大好きな桑田佳祐さんのXmasソングを掛ける。冒頭に記したのはソロナンバーからの1曲であるが、そのサビの部分では「今年の出来事」や「思い出」を回想するといった内容であり、途中に「もういくつ寝るとお正月」というメロディも挿入されている。この曲を聴くと自ずと今年1年が回想され、記憶を辿りながら様々な出来事や出逢った人々などに思いを馳せる。ただそれだけでこの日の目的は達成されたようであり、特にケーキを食べる訳ではない。聊かの意識を持ちながらも、自分なりにこの日の意味を見出したい思いがある。そしてあと1週間で何ができるか、そして来年はどんな出来事や出逢いがあるだろうか。

年明け公開講座へ遠路から受講者の方が参加されるという一報
誠にうれしくもありがたきことかな
ケーキやプレゼントではなく、自分の生きる今を見据えて・・・・・
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「気」に接し色褪せないために

2015-12-24
何年ぶりだか箱の紐を解き
小さなXmasツリーを出してみた
白い枝に電飾鮮やかである筈だったが・・・

東京から現在の勤務地に移って3年目の年末を迎えている。移住当初はさしあたりのアパート仮住まいであったが、現在の家屋に落ち着いてちょうど2年の月日が経過した。概ね生活用具の整理も進んだのだが、中にはクローゼット内で眠り続けていたものもある。休日にあたりゆっくりとした時間を過ごしながら、ここ何年も顧みなかったXmasツリーをそこから出してみた。通常の緑色で樅の樹木に模したものではなく、ファイバーのような繊維状の白い枝に電飾が灯るタイプの小さな代物である。過去には鮮やかな白色に電飾の多彩さが美しかった印象が強かったのだが、箱から取り出してみて聊か驚いた。その白色の枝が尽く黄ばんで色褪せているのである。まさにこれが年月なのだと自分に言い聞かせつつ、恐る恐るコードを差し込みコンセントに繋いでみた。すると、電飾は問題なく多彩な光を放った。ただどうしても僕の感覚では、あの元の白色の印象から抜け出せず、その黄ばんだ枝の色が気になって仕方ない。しかし冬至の翌日ゆえ、早々に辺りは暗くなる。すると電飾のみが目立って、枝の色は特に気にもならなくなった。2晩ほどであるが、この光の彩を楽しんでもよいのではと考えるようになった。

しかし、保管のみで使用しない品物は劣化するものだと、あらためて世の定めを感じる今日この頃である。「気」に曝すことの大切さというおうか、動かさないものは生物も品物も退化してしまうのである。ちょうど夜の10時から、80歳になりなんとする長嶋茂雄さんのインタビュー番組が放映されていた。その最後で長嶋さんは「現在の夢は何ですか?」と問われて、「走ることですね」と答えていた。脳梗塞からのリハビリをメディアに公開した理由は、「全国でこの病気と闘っている人たちに、勇気を与えたいから」とも語っていた。どんな苦境にあっても長嶋茂雄は長嶋茂雄なのであり今も尚、「走りたい」という願望を絶やさない。古き良き昭和とは、この「背番号3」とともに世相が活性化してきた時代でもあった。「スイングは音ですね」と語る長嶋さん、やはり「気」の流れこそが何事においても基本になるのではと、傍らで光るXmasツリーと見比べながら痛感する宵の口であった。

淀んだ水は腐敗する
長嶋さんの「走りたい」という願望の彼方に人々は希望を見据える
自分自身の思考・身体・身の回りを劣化させないために心掛けておきたいこと。
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人は体験で磨かれて行く

2015-12-23
人物重視傾向という採用試験
学生はその「人物」をどう磨けばよいか?
直接・間接・疑似体験を通して・・・・・

年内の授業も最終日となった。ゼミ3年生との相談から、有志による勉強会を開いた。採用試験に関して知識や御経験が豊富な先生にお願いして、集団討論や面接対策について要点を演習形式で伝授いただく機会を得た。昨年も同時期に同様の勉強会を開催し、現4年生はこれを契機に採用試験で健闘をしたという実績十分の勉強会である。その中で昨今の採用試験では「人物重視傾向」であると指摘された。小中高校での「体験学習」をどのように指導するかという演習問題を考えることとも相俟って、自ずと「体験」の重要性に話題が及んだ。「体験」には、「直接」「間接」「疑似」の三種類があるわけであるが・・・・・。

Web上の「体験」は、もちろん「間接」であり内容によっては「疑似」である。その領域を彷徨し有意義な場合もあれば、思い違いをしてしまうこともある。護られた空間に存在することが保証され、情報を受身になってしかも自分で恣意的に選択できるために、「痛い目」に会うことはない。能動的に発言したとしても自己の思い込みの域を護るばかりで、批評を客観的に受け止めることは少ない。それはSNS上の恣意に満ちた発言を見ると、いつも感じることである。(もちろん、小欄上の発言も恣意であることを認めつつも、思惟深ければと願って)それゆえにやはり「直接」体験をどれほど積めるかによって人は磨かれるのであろう。大学の講義もゼミの場も、こうした勉強会も、まさに「直接」体験に他ならない。それゆえに「間接」や「疑似」の領域と何ら変わりない内容を施していては学生は伸びないということになる。自ら思考し自ら行動で理解する内容を常に模索するのが、僕らの仕事ではないかとあらためて思う次第であった。

相手がどう思うかを全面的に受け容れる
直接体験から逃げないで自己を批評に曝す
人を育てる難しさ、人を育てる歓び、人を育てる尊さがこの身に染みて・・・
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ご当地日本一はこれだ!

2015-12-22
夫婦円満
通勤時間の短さ
良い子どもが育つ、いずれも日本一!

比較的早めに大学から帰宅してテレビを付けてみると、夕刻の番組で「ご当地日本一自慢」のような特集が放映されていた。それがちょうど居住している宮崎県で、偶然チャンネルを合わせたものの、とても興味深く見入った。まずは「通勤時間が短い県」として日本一で、平均「17.7分」だと云う。確かに僕自身も徒歩10分程度で車なら2分ほどであるから、この平均値に貢献しているかもしれない。市街もコンパクトにまとまり、居住地・繁華街・海岸線・耕作地・河川敷などが実に便利に配合され、交通渋滞などもほとんどない。それゆえに仕事と趣味などの時間が有効に使えると云う。更に「スポーツ行動率日本一」だそうで、マラソンを始めゴルフにサーフィンなどに興じる人が多いと云うこと。僕自身は具体的な競技をするわけではないが、ジムでもそれは実感でき、自宅周囲の知人でもサーフィンのために移住した人が複数思い浮かぶ。

特筆すべきは「夫婦円満」が日本一だと云う。何を尺度にそう断じるのかと思いきや、先ほどの通勤時間の短さで夫婦がともに行動できる時間が多いと云うのも一因らしい。また、子どもの出生率は全国2位であり、保育園の数などが充足しており待機児童がおらず「良い子どもが育つ日本一」だと云う。いずれも夫婦円満の為せる技ということで、おまけに「夜の営みを好む女性の多さ日本一」など(受信料で成り立つ放送局としては、バラエティ性を狙った項目であると思ったが)というのも紹介されていた。もちろん農業・漁業・牧畜業・林業などが盛んであり、食材が豊かであることも、上記様々な項目の要因になっていると推測できる。この番組でも紹介されていたが、都会からの移住者も多く、IT企業なども足場を移すところもあると云う。僕の場合は、公募によって偶然に職を得たのであるが、実に好ましい環境にいるのだと、あらためて幸福を感じるひとときであった。

番組を視終わって
懇意にする方々と地鶏の名店で忘年会へ
人々が優しくて繋がりが密である、というのも日本一だと実感する夜となった。

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