偶然街で会ったなら

2015-08-31
「ここでお会いできるとは」
相互に思いを同じくする方々
コンパクトな地方での生き方が見える

2015年夏あなたは、何をしていましたか?そんな問いを5年後に受けたら、何と答えるであろうか?「5年間」は長いようで短い、それは次の3.11が「5年目」になることを考えると、信じ難い思いに曝されることからも実感する。9,11からは来月で「14年目」になるのだ。この「誰もがそのとき何をしていたかを覚えている日付」がともに大惨事であるというのも、人間社会の性であろうか。そして今夏また、「大惨事」を誘引しかねない流れが社会を覆い尽くしてしまっている。その大海の中に投げ出され、僕たちはどんな「泳ぎ方」をすればよいのだろうか?

様々な思いを抱きながら街に出ると、コンパクトな地域性からか知人と出会う。僕の公開講座を受講していた方、短歌関係で知り合いになった方、それぞれが「この夏」の行動を心身に刻み込まんが為か、街へと足を運ぶ。その偶有性から、再び新たな思いが起動し始める。人と人とが顔を付き合わせて偶然出会える街。生活の素朴さ同様に、人情を通い合わせることができる事こそ「地方創生」の原点に据えられるべき概念であろう。個々人が己を見つめ、そして社会の方向性を注視する。具体的な人と人との繋がりが見えることで安心感が生まれる。元来が国土の狭いこのくにでは、こんなコンパクトな地域性こそが生きる上で重要であったのではないだろうか。

夜は懇意にする料理店
「5年後この店はどうなっているか?」
店主の呟きを己に当て嵌めて考えてみたりもする8月末。
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素朴な空間 日々の一歩

2015-08-30
焦点を定めた掃除を積み重ねる
そして日常から物品を溜め込まない
家の中が綺麗だと気運が変わると云う

梅雨時の長雨を経て気温が上昇し、予想もしない様々な状況が生じているのだと、この夏は意外な局面で痛感した。天候気象の影響を受けながら、その都度違う状況に適応するということは、まさに自然の中で生きるということ。大都会のマンションに住んでいた頃は、排ガスの煤塵を侵入させない為だと思い、殆ど窓を開放した換気など無頓着であった。それでも24時間換気システムや空調によってできる偽造の「空気」が、快適なのだと思い込んでいた。どうやら都会には、「無菌・抗菌」といった幻想が溢れ、手摺・吊革に至るまでそうした加工が施され、関連商品の売れ行きも好調だと聞く。

それが今や、家の換気こそ快適なのだと180度の発想転換がなされた。それは季節の逡巡など自然の摂理と穏やかに付き合うことであり、その自然が提供する正負の事態を真っ向から受け止めるということだ。混沌とした大都会の人口密度と同じように、以前は周辺に物品が氾濫し尽くしていた感があった。それが3.11を契機に、持ち物は素朴な方がよいといった感覚が根付いた。地方赴任の際に、だいぶ整理されたのではあるが、未だ都会生活の残骸がないわけではない。こんな思いから、この日は自宅の清掃に徹した。対策をすべきことを施し、寝室に焦点を絞った。何事も一つ一つ解決して行くこと、そして施したらその感覚を継続することが大切だ。僕が愛用しているPC・タブレット・スマホ同様に、整理されて素朴な意匠に象徴されるような「生活」を求めていきたいと心に念じながら・・・・・。

生活感覚が変革したとき
新しい「自分」が始まる
素朴な空間で日々の一歩を大切にすることを忘れまいと。
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閑かさが欲しいとき

2015-08-29
耳に心地よいBGM
さりげなく凝ったインテリア
食事にも喫茶にも・・・・・

3年目となれば、何軒かの馴染みの店が大学及び自宅周辺にできる。既にその各店に足を運ぶと、自ずとこの2年半の足跡が思い出される。赴任当初はこうであったとか、こんな人とこの店に行ったなどと思い返すことで、聊か現在いる土地に住んだ「自分史」が刻まれていることに気付く。そんな馴染みの店でも、僕にとって特異な存在の一軒がある。冒頭に記したような居心地の良さがあり、迷った時はその店に行けばほぼ間違いないという重宝な隠れた名店である。素朴で実に優しく誠実そうな御夫婦が経営しており、米国の田舎町に忽然と出現するカントリーハウスのような趣なのである。

誰しもがそうであろうが、仕事や日常に滅入ってしまうことがある。思考は停滞し思うように工程は運ばず、心のエンジンが空転し進むべきタイヤがスタックするような運気になってしまうような状態。その悪循環をリセットする「閑かさ」が、欲しくなることがある。まさにこの店は、格好の条件を具えているといってよい。一つの特徴として、僕としては珍しくも、店主御夫婦と殆どと言ってよいほどに”世間話”を交わしたことがないということだ。ただし、御夫婦それぞれの笑顔と丁寧な対応に深い安心感を覚える。もしかすると僕は、無自覚にも切羽詰まった表情をしている時があるかもしれない。だが、このご主人に「お疲れさまでした」といった声を掛けてもらうと、大変穏やかな安堵の気持ちが生じるのである。

素朴なプロの味を見習いたい
二十年以上の年輪を重ねたお店の表情
ときに「察し合う」文化をどこかで恋しく思っているのかもしれない。

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声の力宮崎ーSkype会議

2015-08-28
今年度もまた彼らがやって来る
女優&ギタリストのやさしい声と音色
10月後期始めの1週間・・・・・

昨年度から「芸術家派遣事業・演劇部門」に参加させてもらっている。今年度も、10月早々に友人の女優&ギタリストのカップルが宮崎にやって来る。小学校1校・中学校1校・公開講座に加えて、昨年度公開講座で感銘を受けた方が有志でLIVEを企画してくれている。「朗読は人を繋ぐ」とは、僕が常々口にしていることだが、まさに「声の力宮崎」企画が定例になるべく今年も繋がったのである。昨日は、この企画のため友人の女優さんと約1時間超のSkype会議を持った。メールでは立ち現れて来ない「対話」から、次々と「声の力」企画構想が浮かび上がる。中心的な企画以外では、僕の講義2コマにおいても特別ゲストとして、「声の力」の真髄を学生たちに伝授してくれる。

企画内容としては、中学校定番教材の太宰治『走れメロス』を中心に、今回は特に芥川龍之介の作品に注目する。芥川の短編小説は朗読すると実に読み易い。なぜなら句読点の打ち所が、朗読(音読)の呼吸と尽く一致するのである。それに加えて、『蜘蛛の糸』の冒頭に見られるような敬意に富んだ文体があるのも興味深い。あらためて「冒頭文」「朗読」「句読点」の問題などを、現代小説(芥川賞受賞作などを例にしたい)と比較してみる企画などが考案された。小説に加えて絵本読み語りでも、彼らの真骨頂たる作品が踊り出す予定だ。更には、昨年度に僕の懇意にする飲食店2軒を訪れたのだが、その各所でも朗読やギターのリクエストをいただいた。今年は既に、その余興用作品の準備にも入った。2軒のうち一方の焼肉店店主は管楽器を嗜んでいるので、ギターの音色との共演を事前に予定しようかと考えている。

考えるだけでワクワクする企画会議
今年も動き始めた声の力
そして何より聞いてくれる方々(子どもたち)の笑顔と出逢える幸せ。
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Yちゃんの風船

2015-08-27
風船に釘では容赦ない
実行してその哀れさに己が泣き出す
幼い日の思い出はいつも胸に・・・

現在、教員免許状を取得しようとすると、福祉施設等での介護等体験実習が必須となっている。これは、僕らの時代にはなかった「制度」であるが、教員養成系学部の指導者としてその実情を知っておく必要があると考えている。幸い現在の勤務校に赴任してから、当該委員会に入ることができた。毎年、10名弱の学生班が構成され、学内での事前指導や実習先での基本指導を担当している。昨日も基本指導が実施されるので、7名の学生を引率して福祉施設を訪ね、学生とともに担当の方から実習中の心得をはじめ、施設内の案内をしていただいた。僕としては大学院修士在学中に「共通科目」として履修した「発達障害論」で、この分野の現場実践と理論の両面を学んだ。当該科目の担当の先生とは今でも懇意にするが、「ノーマライゼーション」の考え方を多様な視点で学ぶ、最良の機会であった。そんなことも回顧しながら、福祉の現場で学生とともにしばしの時間を過ごした。

福祉施設を訪れると、僕自身の胸に必ず浮上して来る人物がいる。幼い頃に近所でともに遊んでいた、Yちゃんのことである。自宅から至近に親同士の関係から幼馴染みであった友人がいて、その近辺の路地裏で遊ぶのが当時の僕の日常であった。鬼ごっこやボール遊びなど、路地裏でできる範囲の様々な遊びに興じたが、常にYちゃんも分け隔てなく同等に遊びに参加していたと記憶する。というのは「大人」になって考えてみれば、Yちゃんには知的障害があった。だがしかし、僕たちは遊びの中で彼を特別扱いすることもなく、鬼ごっこであれば「鬼」に指名したり、ボール遊びでも彼を狙って他の者と同等の腕力でボールを投げつけていた。”あの”時代にして、まさに「ノーマライゼーション」を実践していたことになる。だがしかし・・・

こんな感覚が根付いていたある日、みんなで風船を膨らませて遊んでいたときのことである。その遊んでいた路地裏に工務店があったゆえに、僕たちには釘が眼に入った。「風船に釘」となれば、悪戯心があるとついつい風船に突きつけたくなるのは、ある種の人情なのかもしれない。しかも自ら所有する風船は絶対に護りたいという思いが、心に強く念じられた。そんな中、幼馴染みのガキ大将的存在の者が、他の者の風船を釘で割るという行為に及んだ。僕は親からもらった大切なお金で買った自分自身の風船を、絶対に割られたくないという気持ちが高ぶった。たぶん、そのガキ大将的存在の者に、”気に入られる”べく迎合した行為で防衛すべきと考えたのであろう。あろうことか、僕は釘を手にしてYちゃんの風船を衝動的に割ってしまったのだ。その瞬間、Yちゃんは猛烈な勢いで泣き叫んだ。その光景を眼の当たりにして、僕は耐え難い感情を抑え切れずに、Yちゃん以上の声を上げて泣き叫んでしまった。ガキ大将的存在の者は、「何でお前が泣くんだよ?」と言って首を傾げた。だが僕は、その刹那で自分が犯してしまった「罪」に、泣き叫ばないではいられなかった。しかも幼いながらも、Yちゃんが僕らの中でも「弱者」であるという思いが起動して、より泣き声を高ぶらせたと記憶する。「なぜ僕は卑怯にも弱い者の風船を割ってしまったのか」という取り返しのつかない悔恨に、自らどうにもできない謝罪の思いが心の奥底に低回した。風船は二度と元には戻らないのに・・・・・

防衛の為の攻撃は取り返しのつかない過ちとなる
ガキ大将にはYちゃんの思いを想像することができなかった
あらゆる他者の気持ちを思い遣る想像力の尊さを、僕は体験的に手に入れた。
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「40年説」今何処にいるのか

2015-08-26
(1)「向日的時代」(『坂の上の雲』の時代)
(2)「魔の40年間」(陸軍参謀本部支配時代)
(3)「もっともまっとうな国のかたち」・・・

戦後70年のみならず、明治維新から考えて僕たちは今何処にいるのか?などと考えることが多くなった。昨日の小欄に記した『日本戦後史論』を読了したが、そこに提示されていた司馬遼太郎の「近代史120年の40年説」(『この国のかたち』で提示)という一史観がとても気になった。冒頭に記したのがその枠組み(便宜上(1)〜(3)と稿者が付す)であるが、(1)は日露戦争の戦勝によって終焉を迎え、「坂の上」から転がり落ち(2)という時代を経てこの国は「滅ぶ」。そのことを漱石は『三四郎』の冒頭で「広田先生」に予言として語らせていることは、先日の小欄にも述べた。(3)の40年間は、まさに僕の両親世代が歩んだ戦後復興と高度経済成長の時代である。東京五輪を中間点として、長嶋・王に象徴されるスーパースターを擁し自動車・家電品の普及など生活水準は格段に向上しつつ、公害病などの問題も表面化していた。そして「オイルショック」を経て「バブル崩壊」で終焉を迎えたということになろうか。

その後、1985年から30年が経過した。「バブル崩壊」後の「失われた20年」を経て、「東日本大震災」を経験する。既に「右肩上がり」は望めないとわかっていながらも何事かを否認し隠蔽し、直前の「40年」が成し遂げた「もっともまっとうな」を無理矢理追い続けることから覚醒せずにいる。2000年代に入った頃から、「何かがおかしい」とは自覚しながら社会は暗澹たる迷路から抜け出す術を知らない。PC・携帯・スマホなどの個人的ツールは格段に進歩しつつ、公害病ならぬ何かとっても肝心なものを失う”病い”に侵されている。野球一辺倒であった大衆スポーツは、サッカーの隆盛をはじめとして多様化した。にもかかわらず、一球団一極集中的な嗜好は未だ偏在し、それが「メッキ」を貼った権威であると気付きもせずにいる。この時代の「長嶋・王」は、既にその活躍の場を多様さを受容する米国に求めるようになった。「歴史は繰り返される」のだとすれば、現在の「40年」は「魔の・・・」に近い方向性と認識した方がいいのだろうか?「昭和はよかった」などと、「まっとうな」時代に懐古趣味的な気分を持つのは、その兆候なのかもしれない。

歴史は未来に定められる
いま現在が、僕たちが生きている40年の分水嶺なのだろう
これを「魔」にするか「理」あるものにするか、瀬戸際に立たされているのかもしれない。
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台風と『日本戦後史論』

2015-08-25
大きな勢力の台風15号
過去に甚大な被害をもたらせたコースとか
雨戸を叩く激しい雨風の音を聞きながら・・・

九州に赴任してからというもの、台風に対する考え方が変わった。接近・上陸の機会が格段に多くなった上に、急迫の事態に対する「想定」を現実味を帯びてするようになった。強風により電線が切断されるとか、他の家の屋根瓦が飛ぶとか、家の前の道路が増水で通行不能になるといったことである。それでも自宅は高台の地を選び2階屋であり、全ての窓には雨戸が設置されており、前述したような「想定」への備えは整っている。それでも尚、(東京で)「過去に経験した事のない」風雨の強烈さを台風ごとに実感する。それが1000Km以上の南に位置することであり、海水温が関東近海とは違う地理的環境であるということだ。何事も極端になると現実逃避の発想が伴うようだが、僕は逃避はしたくないという現実直視の感覚をもち続けており、それがまだこの風土には十分に馴染んでいないことかとも思う所以でもある。沖縄地方の台風映像などを観るに、更に極端な状況が日常茶飯事だと知るにつけても。

台風などが来ると「臨時休校」となる。僕が中高教員だった頃、授業を打ち切り急遽下校などの決定が下され教室で生徒に伝えると、多くの生徒たちが満面の笑みを浮かべて心から喜んでいた。中には”ガッツポーズ”をする者もいて、教壇に独り立たされた僕はあくまで”建前”により残念そうな表情を演じ続けていたと記憶する。教師は授業を平常に続けたいと心から願っているという建前を翳して、本心を隠蔽していたのだ。内心では、生徒と同等に”ガッツポーズ”をしたかったにもかかわらずである。(時に親和的な学級では微笑みがこぼれていたはずだ)それは、休校となって自分の時間ができれば研究に時間が割けるという独特な自己の立場を含み込みつつ、単純に「休みは休みである方がいいに決まっている」という感覚の入り混じったものであった。専任教員であると同時に大学院生として研究をしているのは、それほど時間が欲しかったのであると回想できる。時に研究に(すべての時間を)没頭したいという願望が肥大化し、学校や社会そのものが「大混乱」に陥ったらよいなどという妄想を抱くことがないわけでもなかった。これは世に云う「カタストロフィー(大惨事)願望」ということだろうか。

文章が迂遠したが、台風の強い雨風の叩く音を聞きながら『日本戦後史論』(内田樹×白井聡  徳間書店2015)を読んでいた。内田氏・白井氏の対談集である同書では、現在の社会状況が面白いように炙り出されている。第二章「純化していく永続敗戦レジーム」の終末部分には、「自力で今の日米秩序を変えたり、補正したりする力もヴィジョンもないので全部ぐちゃぐちゃになるようなカタストロフの到来を望んでいる。」(内田氏の発言)といった一節があった。そのような「破局を期待」しているからこそ、「様々な形態のリスクをあちこちに仕込んでいる。」というのだ。その例は、「日中、日韓関係・原発・首都圏への一極集中・格差拡大の放置・アベノミクス」などであると内田氏は述べる。これらすべてを「安定・保全」の為だと建前を喧伝し、実は破局的なリスクが仕込まれているという見方である。考えてみれば、既に「大惨事」を僕たちは経験している。それがこの国を滅ぼすほどの「リスク」であると3.11で学んだ筈である。あの時、この国は大きなパラダイムチェンジをしなければならないと誰しもが一時は悟った筈だ。その「筈」が「筈」のままに、急転直下また「リスク」満載の方向へと時代が逆行している。

3.11後に、学校は無条件に10日間ほども休校(僕の勤務校)になったし、卒業式といった欠くべからざる通過儀礼も中止か延期に追い込まれた。されば、そんな「休みは休みでよかった」のであろうか?自宅書斎の”壊滅”という憂き目に直面していた僕は、研究どころかそれも儘ならず、この社会のあり様に不安ばかりを募らせていた。「失われた20年」の後に、本当に「失ってしまった」という失望感から立ち上がるのに、書斎”再生”と同様に1ヵ月ほどのリハビリが必要だった。奇しくも、僕自身がその4月から、大学非常勤のみに専念するという自己の決断した経済的”リスク”に立ち向かおうとする船出の時期でもあった。そして2年間の漂流の後に、僕は現在の位置に漂着した。やはり「大惨事願望」というのは、幼児性を伴う心性であるとあらためて痛感している。この南国の地に住み慣れたから、台風など”リスク”の内には入らないという心性もまた、盲目的馴化なのではないだろうか。報道では「強烈な」「過去に経験のない」などという脅し文句を並べ立てながら、その脅威が国を本当に壊滅させるかもしれない稼働中の川内原発を”襲って”行ったことには一言も言及されない。真の「大惨事」は、既に隠蔽され始めている。一つの台風の”リスク”が、人命を奪い生活の尊厳を脅かすのであるという認識を持つことが、「馬鹿」であると思い込まされる世の中になってしまった。まさに「戦後のねじれ」が、この歪みを極限まで振り切らせようとしているのではないだろうか。

処々で繰り返される爆発もまた
噴火に温暖化など僕たちの生活は大丈夫なのか?
「バカ」に「馬鹿」と呼ばれても、僕は人文学が築く想像力を信じている。
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命の限りああ無常の蝉よ

2015-08-24
自宅リビングの網戸
何処からか蝉が飛来して張り付く
最期の力を振り絞って次第にその動きは・・・

昨日は二十四節気の処暑、暑さがやみ次第に冷気が加わって来る時節。日中はともかく、確かに朝晩の風には「冷気」が感じられる。人間以上に周囲にいる虫たちは、時節の変遷に敏感なようだ。自宅でのんびりとした休日を過ごしていると、何処からともなくまだ蝉の声が聞こえて来る。だが、既に一時季に比べてその声は弱々しくなってしまった。そんなことを考えていると、冒頭に記したように一匹の蝉が飛来して、リビングの目の前の網戸に張り付いた。その様子は、いかにも弱々しく、やっとの思いでその手足を網戸の細かい目に挿し入れて、そこにしがみついたという具合であった。鳴きもせずただそこで最期の時を待つかのような姿に、思わず命の無常さを感じる光景。世に生命あらば、無常が必然なりではあるのだが、それをまざまざと感じる休日の午後であった。

蝉の命は儚くてなどと思うのは自由であるが、さて人間はどうなのだろう。戦後70年という節目の年にあって、尚一層生きて来た時代とこれからの時代の変遷に対して意識が高まる。いま僕はどんな時代にどのように「鳴いて」いるのだろうか?などと考えて蝉について聊かWeb検索などしてみると、どうやら蝉は昆虫の中でも長寿であるらしい。野外にいる蝉の成虫は約1ヵ月ほどの寿命、更には土の中で幼虫である期間は3年から17年と長いと云う。(Wikipedia日本語版「セミ」の項目参照)生きるということは、長い年月を掛けて積み上げ成長する期間があって、その後に天敵が多い空間で後の世代に命を引き継ぐ為に懸命に”生きる”のである。僕たちの眼に見える蝉の姿は、彼らの一生からすると僅かな時間なのであった。もしかすると人間も同じかもしれない。見えない過去に思いを馳せ未来を想像して初めて、生きることができるのかもしれない。よってやはり人間が”生きる”為には、「ことば」によって過去と未来を今に再現させることが必要なのだろう。

季節は秋に変遷する
この年の「いま」は今しかない
一日の休日にも意味があると、夕刻には海辺を歩き春先からの変転を顧みる。
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行動に後悔はあらず

2015-08-23
「前だけを見て進め」
母が伯父に諭されて常に聞いたことば
それは同時にいつも僕の行動を支える

行動した後悔と、行動しなかった後悔では、その質が大きく違う。前者はどこか納得を伴い爽快感さえあるのだが、後者は悔恨を伴い陰鬱な気分が低回し続けるようだ。「後悔」とは辞書に拠れば、「あとになって、自分のやった事を振り返り、どうしてあんなばかな事をしたのかと、自分の思慮の足りなさをくやしく思うこと。」とある。例によって『新明解国語辞典第6版』からの引用であるから、聊か皮肉めいた語義解説である。行動しようと思ったことは「ばかな事」とは感じておらず、また行動する時点で「ばかな」かどうかの判断は難しい。行動して「ばか」だと悟ったとしても、それは悪い意味での「ばか」にはならないのではないか。それに対して行動しなかった臆病さを悟るとき、取り返しのつかない「ばか」さ加減に自ら失望してしまうのではないだろうか。よって「後悔」にも”作法”があるような気がしている。

「行動」といえば、僕が尊敬する坂本龍馬をすぐに思い浮かべる。彼ほど行動力に満ちていて、時代を先読みし、思うがままに邁進した人生を送った者をそうそう他には知らない。もちろん、司馬遼太郎『竜馬がゆく』に拠る虚構性からの影響も大きいのだが、野球漫画『巨人の星』でいつも主人公の父・一徹が語っていたように、「たとえドブの中でも前のめりに死にたい」といった龍馬の信条は、「行動」と「後悔」を考える上で僕が指標としたい発想でもある。常に時代や社会は変転する。その潮流の中にあって、どのような選択をするか?大学を選択した時も、初任校(私立)も、転任校(私立間)も、大学非常勤となり大幅な収入減を選択したときも、そして地方大学での専任を選択したときも、僕に「後悔」という文字はなかった。いずれも「行動」してみなければ、本当に「ばか」かどうかわからなかったからであり、当時は「無謀」と呼ばれても、それが後には「果敢」という語彙に変換されるようになったからである。同じように、いまこの社会の潮流の中で、僕が「行動」すべきことをするだけである。

自己批判を伴う行動
後に笑える「ばか」でもありたい
行動し人と繋がる、龍馬の時代も今の時代もここから全てが始まるのである。
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笑う教室福来る

2015-08-22
「英語を使うのを許せるのは長嶋さんぐらいですね!」
受講者の方々の笑いが湧き起こる
この反応があれば自然と話も流暢に退屈せず・・・

前回の倍ほどの受講者が集まった、免許状更新講習の担当2講座目。最初の80分で「音読・朗読」という方法の理論的な内容を講義する。冒頭から例によって唐突に詩を読み掛け、その後受講者とともに詩を音読し合って準備運動。その日の参加者との呼吸を計る時間である。次第に受講者の眼差しが僕の話のツボに突き刺さるようになる。となれば自然と冒頭に記したようなことばを挿し挟む。ことばを投げたときにその反応が大きければ大きいほど、話し手としては気分が良くなる。すると話題が詰まった心の箪笥の引き出しが、次々と開き始める。さすれば更に受講者の眼差しが熱くなる。世にこれを「好循環」と云う。

このような”笑いのツボ”を共有するような講義ができるのが、この教員免許更新講習である。などと昨年に担当したあたりから実感するようになった。日常の学生への講義では、こうはいかない。己を贔屓目にみれば、実質上は”そう”なっているにもかかわらず、学生たちが反応を自己規制しているような気がしてならない。つまり「講義中は笑うものではない」という、ある意味で「真面目」ともいえる観念に学生たちが縛られているように感じている。視点を換えれば、やはり現職教員の方々とは世代が近いのかもしれない。更新年次は10年ごとに設定されているので、僕より上の世代から同世代、一回り下の世代まで10年おきの年齢構成の教員の方々が受講する。冒頭の「長嶋さん」ネタなどは、その最たるもの。「長嶋」という苗字だけで「ミスター長嶋茂雄さん」であると判断し、その発言が必要以上に「英語」を散りばめることを心に留めているのは、やはり世代の問題なのだろうか。そういえば、僕が教員初任者だった頃、高校生は大いに僕の話に笑ってくれていたものだ。

その後のワークショップも笑顔が数多く
心を躍動させながら学ぶ姿は嬉しい
笑う教室で学びを楽しく!それでこそ福が来るのではないか・・・
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