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「免許(資格)」とは何か?

2014-08-28
「教員免許更新講習」
この制度の是非や如何に?
相互の負担を超えようと努めて・・・

この夏(8月)の講習担当は通算6日間(+出張講演1日)、4週間のうち丸1週間は講習があった計算になる。それも最終日を迎えた。朝晩の風には涼しさが感じられるようになり、秋物の果物が店頭に並んでいる。もはや前期授業を終えた、8月上旬が懐かしい気持ちにさえなる。たぶん更新講習を受講している方々も、新学期を直前にして様々な思いを抱いていることだろう。

現場で「教える」からには、自らの研鑽が欠かせない。それは僕自身が教員として生きて来た上での、信条でもある。学べる環境を求め、学ぼうとする意欲を持ち続けた。それは今も同じで、自らの研究を邁進させていなければ、学生たちに講ずることは失礼であると思う。それでも、中高教員時代には、部活動や様々な雑事に追われて研究が滞ってしまうこともあった。現場の「忙しさ」の要素の中に、「教科研究」を必ず含み込まなければ、個々の授業は危ういと言えるのではないだろうか。

それだけに更新講習というのも、単に制度としての「免許」を更新するだけのものであってはならないと切に思う。丸1日(朝9時から夕刻5時まで)という時間内で、現場の授業に応用できる”刺激”を提供すべきであろう。その上でもこだわりがあって、即座に授業に「役に立つ」だけではならないとも思う。「授業」をしたことがある者ならば自明のことだが、「知識」や「技術」を理解したからといって、そのまま「授業」に反映されるわけではない。その方法なり内実なりを、自らが創造的理解を経るように体験しなければ、他者には提供できない。

もとより「更新」というのは、そうした要素は含まないものなのだろう。「自動車運転免許更新」を行えば、視力が認定され、場合によっては事故に対する注意喚起は行われたとしても、決して「運転」そのものが上手くなるわけではない。あくまで「資格認定」の要素だけが厳然として行われるということだ。問題なのは、「資格認定」を振り翳しておきながら、「授業力」も増進させようとしていることかもしれない。いや、その考え方そのものが、この「制度」が実施されている発想に反するのかもしれない。「教員免許」においても基本的な「運転条件」の「資格認定」を旨としているのであれば、それはあまりにも時間的精神的負担が、相互に大き過ぎるように思われる。

「役に立つ」という発想?
「免許(資格)」の意味?

子どもたちに「意欲」を求めるならば、
教員こそが「意欲的」になれる環境を創るべきだろう。
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