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どんな状況でも「救助」へ

2014-08-23
自然の前で人間は無力か
災害時にいつも心をよぎる
「平和」とは日常を「護る」こと・・・

広島での土砂災害のニュースを視て、たいそう心を痛めている。幼い子どもたち、そして救助中の消防隊員の方が犠牲になってしまった。更には数多くの行方不明者の方々の安否は・・・。あくまで「日常」を保っていた街で起こった自然による悲劇。地元消防をはじめレスキュー・警察や自衛隊などが懸命の捜索を行っているのは映像を通してわかってはいる。だがしかし・・・。

どのような災害時においても、その状況の如何を問わず更なる迅速な救助能力を組織的に保有できないものかとやるせない思いを抱く。二次災害の危険性があるだろうことも承知の上だ。85年日航ジャンボ機墜落時も、夜で現場には近づけないと報道されていた。東日本大震災の折も、「救助」という意味ではあまりに無力であることを悟った。そして今回も。一夜にしてどんな状況でも自然の「急襲」(という語彙が適切かどうか疑わしいが敢えて)に対して国民を「護る」という救助隊能力を保有できないものかと切に思う。災害発生時から72時間以内が、生存の可能性を高める境界であると誰もが知っているゆえに。

このように考えるのは、あまりにSFチックなのだろうか?僕が幼少時に夢中になった「サンダーバード」のような未来の「国際救助隊」が、今や実現してもよさそうであると考えたい。かの首相は、「国際的な紛争に巻き込まれ可能性のある日本人を救い護るようにする。」と力強く語った。愚かな人為的紛争を前提としたこの発想以前に、この国では自然と共生する為に居住する人々を「護る」必要がある。あらゆる困難な状況が想定される紛争への対策として、機動的な”装備”を拡充するぐらいなら、まずは「国際救助」を前提とした組織を編成すべきではないのか。それこそが「積極的」な「平和」を護る行為ではないか。人一人の「日常」を何としても「護る」のである。

あらためてこの列島での「生きる」を考える
すべての人々において「対岸の火事」ではないと悟り
自己の「日常」を護り、政治に鋭い目を持ちたい。
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