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「ある人」に「語り掛ける」

2014-08-21
「原稿を読むのではなく
 歩に語り掛けるつもりで読んだらいい」
 緊張する花子の心を落ち着かせたことば。

大学に行く前に、連ドラ「花子とアン」を視るのがほぼ習慣になってしまった。その上、ここのところの微細な展開に目を凝らしていると、聊か涙腺が緩むことも多い。「あがり症」の花子が、臆していたラジオ出演を決断するのは、亡き息子・歩がラジオ好きで、その放送内容を真似て遊んでいたことを思い出したからだ。物語外から眺めてみても、この歩を演じる子役の「ラジオ放送」は実に心を打つ演技であると感想も添えておこう。

さて、緊張で局のアナウンサーにも不安視されている花子が、無事にラジオ放送を終えるのは、冒頭に記した夫のことばがあったからである。ここに「語る」ことの「鍵」をみた思いがした。〈教室〉で行われる「読み(音読)」は、聞き手をほとんど意識せず意識させずである。それゆえに無機質な所謂「教科書読み」なるものが横行する。聞き手さえ意識できる環境を整えれば、「読み」は劇的に変化するものだ。それはこれまでの僕自身の実践からも確かである。

これを一昨日の小欄の記事に即して考えると、「作文」などの「書くこと」でも同様である。「読み手」が明確にされない文章作成ゆえに、意欲も湧かず評価のみを気にした無愛想な表情の文章になるのである。「書く」のではなく「伝え書く」のである。しかも具体的な対象が特定できれば尚更いい。花子の場合は、無念の死を遂げた天国に居る息子・歩へと電波に乗って声が届くように、という強い「意志」をもって語ったゆえに、ラジオを聞く多くの子どもたちにも、その心が届いた結果となったわけである。

授業も講演も放送も同じ
ある人に語り掛ける
あなたにとって「ある人」とは誰ですか?
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