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「ごきげんよう」を語る声に

2014-08-16
日常的には既に特殊な語彙なのか
だが声を発する主によっては、実に良好な響きである
「ごきげんよう」から考えた69年目の夏

前期中の大学院担当授業にて受講生たちの会話に曰く、「ごきげんようと挨拶してみたらどうか」と耳に入って来た。その挨拶言葉が持つ一定の品性について、受講者同士が「あなたは似合うか否か」などと談笑している様子であった。会話の隙間に僕が曰く、「以前に非常勤をしていた学校では授業開始終了時には、そのように挨拶していましたよ。」と。受講生たちには現職教員も少なからずいて、早速現場に帰ったらやってみようなどという会話が、空想段階で語られていた。それ以上に会話の中身を詮索はしなかったが、たぶん朝の連ドラで美輪明宏さんが語りを担当し、番組の結びを「ごきげんよう」としていることが発端ではないかと推測できた。

その美輪明宏さんが、夜のニュース番組で戦時下長崎での被爆体験を語っていた。ことばに喩え様のない閃光と轟音。市内で眼にした親子の遺体のほとんどすべては、必ず男親・女親を問わず子どもを、覆い被さるように擁護する姿勢で固まり焼け尽くされていたという。そして戦争が起こるのは「頭の悪い方が政治を行うからです」と断じていた。美輪さんは「平和」への願いを込めた歌をこれまで多く歌って来た。戦争の恐ろしさを、ましてや原爆の怖さを肌で知っている方のことばは重い。こうした語りを確実に僕たちは次世代へと引き継がねばならないだろう。「頭の悪い方」は、「ごきげんよう、さようなら」である。

美輪さんの語りの中で、いま一つ気になったのは現代社会についての警鐘である。日本社会に「無意識の画一化」が蔓延しているという。音楽の調子にも本質的な強弱は薄れ、男女問わず画一化した黒系の衣装が目立つ。「黒」というのは、生物上では自然な色ではなく、まさに暗黒の「闇」を象徴する色だという。表面上の画一ならず、その内面までもが・・・。「平和とは、異なる文化や心を認めることです。」と、長崎という国際都市で育った美輪さんは語る。まさに画一化した、いや画一化させられた若者たちが、脳天気な表情を浮かべ「8月15日」が何の日であるか言えないのである。小欄で繰り返しのべているが、「国を護る」とはこうした現状を憂え、確かなことばを継承していくことではないのだろうか。

この日はまた、昨年の10月に94歳で亡くなった、やなせたかしさんのことばにも共感を覚えた。「正義」を信じて兵士として戦地に赴いていたが、その「正義」が1日にして「逆転した」という体験である。僕たちもこのことは”理論上”わかってはいるが、実体験として語るやなせさんのことばは重い。そして「逆転しない正義は、献身と愛。」だという。その信念は、晩年になってヒット作となった「アンパンマン」の随所に具象化して描かれている。こどもたちの眼前にも、こうした貴重なことばが、形を変えて継承されているのだ。その「アンパンマン」の〈読み〉を深めるのは、僕たち「おとな」の仕事ではないのだろうか。

大学正門には弔意を示し国旗が掲揚されていた。
「形」ではなく、多様で異質なことばこそ語り継ぐべきだ。
69年目にしてあらためて危機感を深めた1日であった。
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