僕は、イワシだ!
2014-08-12
「〜は」の使用法用例として有名な「僕は、ウナギだ。」
それは使用する場面のみならず・・・
担当する学校図書館司書教諭講習「読書と豊かな人間性」の(90分×4コマ)×4日間が終了した。様々な理念に基づく対話・議論をはじめ、ブックトーク・読み聞かせなどの活動を実施し、受講者の方々が産み出す創造的表現に自らも学び楽しむ点が多々あった。講習に対する感想をいただいたが、その中に「何より先生自身が楽しそうに学んでいるような姿勢であることから、授業の原点を感じました。」というものがあった。この講習は、物理的時間的に負担とも言わざるを得ない面もあったが、このご意見によって自分自身がそのような認識で「楽しんでいた」ことを、ふと自覚させられた。
「三人寄れば必ず我が師あり。」とは『論語』にある至言であるが、講習という「輪」に対して相互の立場で集ったにしても、各自の「学び」がそこに起ち上がると考えたいものだ。もはや一指導者が、知識のみを振り翳し一方的に話し続け、受講者は受身この上ない状況の中で朦朧としている空間には、「学び」はないと考えている。それならばむしろ受講者が、自主的に本などから知識を得た方がましである。活動・活用してこそ知識欲が増し、”使う”ことによって知識は個人の発想となり、いつでもどこでも使用できる力となる。そして指導者側にとっても、受講者は「師」なのである。
今回「読み語り群読」が展開された作品の中に、「イワシくん」という絵本があった。海で自由に泳いでいた「いわし」が、漁をする網に捕獲され市場に出回り、ある小学生の「男の子」に食べられる物語である。しかし結末で、その「男の子」は翌日の学校のプールで思う存分に泳ぐことができる活力を得ている。「男の子」と「イワシ」が同化したように、活き活きと輝いた眼の「イワシくん」の表情で絵本は結ばれる。この素朴な物語の中に、実に重要な日本語・日本文化の視点が発見できた。
日本語教育の用例として、「僕は、ウナギだ。」は有名だ。文脈なく抽出されたこの文は、母語話者としては常識的に妙であるとか、擬人法を駆使した詩的表現なのかと詮索する人も多い。だが日常生活に返すと、蕎麦屋などで数ある品目の中から「うな丼」を選択するという文脈が与えられれば、至って自然な言葉遣いである。解釈を施し外国人に説明するならば、「僕は、ウナギ(を素材にした丼を注文するの)だ。」という意味になる。「主語」のあり方を考える意味で、汎用されている用例なのである。
だが今回出逢った絵本はこの文例に、それ以上の「哲学」が潜んでいることに気付かされた。「僕は、ウナギだ。」の言葉の延長上に、「ウナギを食べる。」という行為がある。すると「僕は」他ならぬ「ウナギ」という生物を食べ栄養として活用し、自ら生きる活力を得るのだ。生き物の命を「いただきます」という行為は、自らを「生かす」ということである。貴重な生命を「いただいた」恩恵に感謝して行動しなければならないだろう。よって「僕は、ウナギだ。」は、まさに文字通りであり、「ウナギ」のような生き生きとした活力をもって生活しなければならないはずだ。誠に言葉の奥行きは、深いものである。
絵本「イワシくん」(実に輝かしい眼が印象的である)
その翌日、僕は懇意にする料理屋で「イワシ(くん)」をいただいた。
「僕は、イワシだ。」言葉の海を自由に泳ぐことができる!
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