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長崎の祈りは永遠に

2014-08-10
また8月9日午前11時2分が来た。
平和祈念式典でのことば
2年前は参列していたあの場所で・・・

南海上から台風11号が、日向灘を北東に進み暴風雨の被害を懸念しながら過ごした1日。未明から激しい風雨が雨戸に叩き付け、何度も目を覚ましては台風情報や家の周囲を確認し、落ち着かないままに明け方を迎えた。自然の猛威に対して人間は無力である。どんなに文明や科学が進歩しても、自然の力に対しては受身である。いや、「受身」と”二項対立的図式”に落とし込もうとすること自体が、大変傲慢な発想なのかもしれない。自然は自然のまま、何ら悪意もなくただ大地を保有し季節を逡巡させ生息するための条件を整え、時にその元来持っている威力を表面化させる。いやむしろ生物たる人間そのものが自然の一部なのであるが、唯一の高等な存在だという勘違いが、自然を対立的に観察し支配しようとする醜い自我を露呈する。かくも人の世の行状とは傲慢で悪辣に偏向したものかと、こうした折に省みる。

7万4千人の命を奪い、数え切れない人々に心身ともに過大な傷を負わせ、69年という歳月を経ても尚、多くの人々の苦しみは癒されない人の世の暴挙。原子爆弾投下という非人道極まりない事実を、僕たちはどのように受け止めていかなければならないのだろうか。そんな想いをもって平和祈念式典のTV中継を観ていた。長崎市長・田上富久氏の「平和宣言」は、恒久の平和を願う長崎市民の、いや日本国民の、人類の想いを代弁していた。未だ1万6千発の核弾頭が世界に存在し、それらが使用されてしまえば、20億人が飢餓難民となって苦しむという予測。人間そのものの行為が、これほどの脅威を抱えている愚かさを、僕たちは再認識すべきと考えさせられる、実に冷静で厳格な宣言であった。そして勿論、「憲法9条が揺らいでいる」ことへの「不安と懸念」に対しても忌憚のない指摘を実行した。

また被爆者代表として、力ある言葉を投げ掛けた城臺美彌子さん。被爆したご自身のみならず、被爆三世の孫が急逝したという哀しい事実を語った。まさに被爆という悲劇は今もなお、人々を哀しみで苦しめているのだ。そしてもはや僕自身が書いたのでは伝わらない渾身の訴えを述べた。その一部を以下に引用しておこう。

「そのためには核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。
しかし、現在の日本政府はその役割を果たしているのでしょうか。今進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。
日本が戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。一旦戦争が始まると、戦争が戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか。
日本の未来を担う若者や、子どもたちを脅かさないで下さい。平和の保障をしてください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないで下さい。」



もはや追加する言葉は要らない
「解釈」や「見解の相違」ではない
人としてどう生きるかということである。

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