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時を忘れるとき

2014-06-20
文章作成に没頭
ふと時計を見ると
思いがけぬ時間になっていたり・・・

時間の上で仕事をするのか、それとも仕事の背後に時間が流れているのか?などと、とりとめもないことを考えることがある。授業やその準備・事後処理は、やはりいずれも時間枠を意識して行うことが多い。90分でできることを、如何に効率よく実施し学生に学びを提供するかということ。授業前後に学生が自ら学ぶような仕掛けも講じるようにしている。これは時間枠で行う仕事だ。

一方、自己の研究はどうか。いざ文章を書き始めると、時を忘れることが多い。その書くリズムができてくると、時間概念は無関係になるようなスポットに嵌り込むような感覚だ。やや強引にでも書く推進力に任せて、ともかく一気に書き尽くすといった状態になるときがある。まさにスポーツで言えば、自分の力以上のものを出したといった感覚である。

時間に縛られるのは現代人の宿命。
だがしかし、没頭のときの幸福を少しでも多く味わいたい。
時は創り出すもの、父の至言でもある。
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前のめりに歩んでこそ見える光景

2014-06-19
ポジティブになるには
たとえどんなときでも「前のめりに」
些細なことから元気が湧き出す

幼少の頃に「巨人の星」をTVで観ていると、坂本龍馬の「たとえドブの中でも前のめりに倒れて死にたい」といった言葉を主人公の星飛雄馬が語る場面が妙に印象深かった。だが、その『意味」はほとんどわからなかった。「前のめりに倒れて」しかも「死ぬ」ということが、幕末の志士としての龍馬の生き方として理解に近づいたのは、高校生になって『龍馬がゆく』を読んでからであった。幾多の困難を乗り越えて、あれほど前向きに生きられた坂本龍馬、それは野球漫画の主人公・星飛雄馬にも投影されていたということだ。

この思いがあるからか、比較的「前のめり」な生き方をして来たと思う。中学生の時に野球部の合宿先であった千葉県外房にある知人の寺に友人らと訪れた際に、高さ7〜8mもあろうかという堤防から、寺の住職である知人が海に飛び込んだ。海面から上に向かって知人は、僕らも飛び込めと言葉を投げ掛けた。僕を含め3人の仲間内で、果敢に海面に身を投じたのは僕だけであった。防波堤の真下にはテトラポットがあり、一定の距離を飛び出さなければ大変なことになる。そのとき妙な勇気が起動し、僕は空中に身を投げ出した。友人らの声にもならぬ声を尻目に、僕はかなりの深さに至る海中に存在する己の身体の存在感と、その刹那に行われた行為の反芻に、小さな人生を見た思いがした。「飛び込んでこそわかる夢がある」と・・・

就職してすぐに1人の友人とともにフランスの知人宅を訪れた。そこから電車で欧州を縦横無尽に走り回る無法な旅をした。有名なピサの斜塔に行ったときのこと。頂上まで柵のない外廊を昇り、降りるのは内部にある螺旋階段であった。そこでは年末であったために、数人の米国人グループが「ジングルベル」を歌い始めた。僕も調子に乗って(英語歌詞は定かではなかったが)一緒に歌い始めた。地上階まで降りる頃には、すっかりその米国人らと仲良くなった。その流れでピサの駅まで行ったときのこと。フィレンツェまで戻る電車の発車番線が変更になるというアナウンスに僕らは気づいた。友人は「乗り遅れては困る」と懸念し、自分たちだけで変更された番線に移動しようとしたが、僕は少し離れた処にいて変更に気づいていない米国人グループに、それを教えに行った。友人は「(自分たちが)乗り遅れたらどうする」と言わんばかりに大変な「嫌悪感」をその表情に示した。だが僕は、彼らとともに変更されたプラットホームまで再び会話を楽しみながら米国人らと歩いた。どうせなら、彼らとフィレンツェで酒の席さえも共にしてもいいなどと、僕は考えていた。だが結局酒を呑んだのは、友人と二人であった。

防波堤の上で躊躇すれば不安や恐怖だけが増大する。
内に籠れば小さな価値観から脱することができない。
前のめりに歩んでこそ見える光景に出逢わない人生はごめんだ。
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ラジオ出演します!

2014-06-18
7月20日(日)16:00〜17:00オンエア
MRT放送「サンデーラジオ大学」
わたくしの出演が決まりました。

やはりまた人との邂逅が、新たな経験をもたらしてくれた。初のラジオ番組出演である。小1時間の対談番組であるが、自己の人生や研究の歩みについて語る内容である。番組名の如く、一般の方々向けに、興味深く思われる研究の成果を話すというもの。さながら「公開講座」を電波に乗せてお送りする如きである。

この日は、聞き手となるアナウンサーの方との打ち合わせ。さすがは「対話のプロ」である、僕自身の内側に潜むものを、次々と掘り出してくれた。それはもう実に「聞き上手」という表現では足りないほどに、巧みなインタビューであった。僕自身、約2時間ほど何とも気持ちよく語り続けることができたのだから。このこと自体が、僕にとっても大きな学びであった。

語り続ける中で、自己の存在価値を再確認するような機会となった。やはり「ことばの力」は偉大である。なぜ「今」があるのか?現状の研究に至るまでの道程を、自身の語りの中で再確認した。さながら己の過去を「再演」したような感覚であった。臨書(書道)・武道の型・素振り・音楽のカバーそして朗読等々、上質な「型」をなぞることで自らの創造的な「姿勢」が出来上がって来るものだ。「今」に連なる「過去」を反芻する意義は、計り知れない大きさがあった。

さて本番はどうなるか?
聞き手1人との対話が、
多くの方に向けて電波に乗るという不思議に、僕は耐えられるのだろうか?
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中学校1年生はいいね!

2014-06-17
好奇心旺盛な視線
問い掛けにも素直な反応
音読の大きく豊かな声

附属中学校で来週、研究授業を1コマ行うことになっている。これは共同研究の一環で、「国語教育研究」なる講義で大学生に「授業方法」を講じている”大学教員”が、いざ現場でどれほど有効な授業ができるかを提示するという、いわば”試される”が如き機会である。附属中学校側からの強い要請で実現する運びとなったが、僕としては前向きに実施したい気持ちで一杯であった。

いきなり「研究授業」というのも、あまりにも生徒たちとの関係性が希薄なので、この日は「帰りの会」に”特別出演”することをお願いしていた。与えられた「10分」の中で、即効性のある交流ができるや否や。僕の「ライブ即興性」が問われる機会であった。6時間目が男子は「プール」という不利な状況の中、担任の先生が生徒たちを席に落ち着かせてくれて、いよいよ僕の登場時間となった。

冒頭に何らかの「バクダン」が欲しかった。そこで先日、出張の際に購入したある”代物”を椅子の上に置いた。そして「遠い大学から来たので、疲れました。座らせてもらいます。」と言って座った。すると〈教室〉で為されるべきではない「炸裂音」が響き渡った。生徒たちはすぐに「ブーブークッション」と見抜いていたが、すかさず「今、どんな音がした?ことばで言って。」と最前列の生徒に問い掛けた。生徒はやや恥ずかしそうに「”ぶー”です。」とか答えたが、女子生徒に至っては照れながら「同じです」としか答えない。しかし順次繰り返し聞いて行くと次第に「ぶーぶーぶりっ」などと滑稽な擬音語を発言する男子も現れた。

その後は、谷川俊太郎さんの「おならうた」をみんなで音読した。「なぜ共通の音でも人によって違った擬音語を答えたのだろう?」と問題意識を高めつつ、詩の中の「ぶ」「ぷ」「す」などと文字で書いてあることばを個々の生徒に「声(音)」で表現してもらった。次第に「声」のみならず口腔や口唇を巧みに使用し、ユニークな「音」を出す生徒も現れた。女子生徒も次第に物怖じせずに、「これは詩ですよ」というと「擬音語」を発するようになった。しばらくは擬音語「音読」のユニークな披露の時間が持続した。

あと残り2分。さて山村暮鳥「雲」の音読となった。まずは何も文字情報を与えず「先生の言う通りに詩を声にして」と言って「おうい雲よ!」と始めた。すると予想以上に大きな声で音読を返してくれた。「では最後に窓の外の空は厚い雲に覆われているけど、雲に向かって詩を投げ掛けよう!」というと、多くの生徒が手をメガホン状態にして、更に大きな声で詩を音読した。いやこの時点で、十分「朗読」といっても過言ではなかった。生徒たちの表情が更に豊かに見えた。

ということで、僕は久し振りに教壇から中学生の伸び伸びとした表情を見た。中学生に授業をするのは何年ぶりだろうか?それにしても特に「中学校1年生」というのはいい!初顔合わせながら、こちらの仕掛けに即応しシラケることなく励行してくれた。音読の声も個性的で豊かである。この好奇心や意欲というものを、形を少しずつ変えながらも、中2・3、そして高等学校へと持続できる柔軟な発想が必要なのだろう。教育とはやはり意欲(やる気)の醸成という点が、大変重要であると再認識する機会となった。

さて来週の研究授業本番は如何に?
1コマのみの投げ込み授業。
教材も教科書にない詩を選択した。

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W杯に映る自分史

2014-06-16
日本代表初戦
日曜日午前ということもあって
久し振りにTVでサッカー観戦

本田という中心選手の先制ゴールで、幸先よい船出に見えた試合前半。だが後半はまったく好守に不甲斐なく、悔いの残る失点で試合を落とした。何とも後味の悪い逆転負けである。試合後にそのままTVを視ていると、お昼のニュースで15分間も時間を費やしW杯についての報道。試合経過はもちろん、日本各地の応援風景が映し出され、その後は敗因の分析が。そこで提示されたのは「疲れて足が止まった。」であった。大会前のテストマッチでは、逆転勝ちなど”好結果”を残していたにもかかわらず・・・

ふと4年前のW杯において、自分はどのような生活をしていたかが気になった。小欄を紐解くと、いくつかの記事があった。どうやら4年前は、大会前のテストマッチで結果が出ず、岡田監督の更迭も辞さない論調が巷間を駆け巡りながらも、本大会に入ると好結果を残し、惜しくもベスト16でPKで敗れ去ったのだと思い出した。大河ドラマでは『龍馬伝』が放映され、人生の「志」とは何かといったことを盛んに僕は考えていたようである。このような文章を書く習慣が、4年間の僕自身の変化を巧みに映し出してくれるのであった。

8年前はどうであったか?たぶんあまりW杯の記憶もないので、他方面に興味を深く抱き、研究に邁進していた頃だったか。往々にして”へそ曲がり”ではあるので、巷間がW杯について”騒いで”いると、どうも冷静でいたくなる性分がある。その性分もこの8年前前後に、僕自身が獲得した研究者として自立する姿勢であったのではないかと、今にして振り返ることができる。

12年前の「日韓共催」大会の時は、どうだったか?日本代表メンバーに、教え子がいたこともあり、かなり興奮して大会を観ていた記憶がある。当時は中高教員であったが、生徒の要望で放課後の講堂にて、”パブリックビューイング”を開催したほどだった。僕自身も教員仲間と学校で観戦するか、家で観戦するかなどの選択に揺れていた時季でもあった。まだまだドップリとした「現職教員」である自分が透けて見える。

16年前は・・・日本代表の初出場フランス大会だが、まずは「16(年前)」の数字に驚く。もっと言えば、「ドーハの悲劇」は「20年前」である。スポーツが盛んな学校の中高教員として、まさにそのスポーツを礼讃し、そこに没入していた自分が、新たに「志」を学問に向け始め大学院修士課程を目指そうとしていたのが、その頃なのである。あらためて時の流れの積み重ねに驚かされ、今また更なる原点回帰の自覚が芽生えるような思いである。

今大会の記憶は、何を伴って僕の記憶に刻まれるのか?
この16年間で変わらないこともある。
常に喧騒の中ではなく、あくまで冷静に日本代表を観戦したいと願うことだ。
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公開講座の共感度

2014-06-15
講義で語りかけた際に
どれほどの共感があるか?
今年度公開講座第2回目を終えて

第2回は「声で味わう詩歌の抒情(1)」というテーマであった。僕自身が、これまでの朗読会などの経験で積み上げて来た「詩歌」を中心に、公開講座仕立てにして提供した。三好達治「土」、山村暮鳥「雲」、古今集恋歌、百人一首と和歌披講、漢詩「春暁」、井伏鱒二『厄よけ詩集』、そして谷川俊太郎「明日」「生きる」である。そしてまた新たに吉野弘「冷蔵庫」を加えてみた。

比較的冒頭で声の準備運動をするために、山村暮鳥「雲」は大変有効な詩歌である。この詩は、実はこの宮崎の地に大きく関係していた。それは日本の野球漫画に燦然と輝く名作「巨人の星」において、主人公「飛雄馬」が熱愛をする看護師・日高美奈さんによって大空に向かって口ずさまれる詩なのである。その土地こそが巨人のキャンプ地・宮崎であり、デートを繰り返す場所が日南海岸あたりの想定であるようなのだ。時代なのであろうか嘗ての漫画というものは、登場人物に詩歌を朗読させるのである。素晴らしき!

こんな話題も提供すると(幸い受講者は概ね「巨人の星」には理解を示してくれた。)、「では最終行の「磐城平」を、近くにある「権現平」に代えるといいいですね」といった意見が出された。詩歌はまずパロディから慣れると創作の契機にもなる、といったことも紹介したので受講者の意欲は旺盛である。何より大学生の授業にはないような、こうした共感度の大きさが、公開講座のやり甲斐でもある。この日の最後は、例によって谷川俊太郎「生きる」のパロディ創作。各自のこの半年に感じた「生きる」を一行詩にして持ち寄る。その内容を分類整理して、何連かの詩を作り、「生きているということ いま生きているということ」を全員で朗読しながら、各自のオリジナルな一行を読んで行く。実に充実した「生きる」の声が、〈教室〉に響き渡った。

共感度の高い市民の方々との
声の交響が実に面白い!
いつかは市民のみなさんとの朗読会が実現できればと夢想する。
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詩歌の授業は難しいか?

2014-06-14
詩歌を教材とする授業
教員もこれを難しとする者が多い
というのが一般論なのだが・・・

学部講義「中等国語教育研究」で、「詩歌教材授業の実践」を扱った。冒頭から「詩歌教材授業はなぜ難しいか?」という問題意識の共有を行った。「(教材に)書かれていないものを読み取り、想像するので「正解」が得られない。」とか、「指導者と学習者の間で、受け取る感覚にズレが生じるのではないか」といった意見が出された。また現場では、敢えて「詩歌教材」は避けてしまうという実情も提起された。

僕自身は、詩歌そのものが大好きであるから、その授業も得意である。教材の魅力を知れば自ずと授業は得意になると思っている。「何とまあ感覚的なのか」とお叱りを受けそうであるが、まずはそこが大変重要であると思う。古典和歌・俳諧に漢詩を含めて、概ね詩歌には魅せられているゆえに、授業での勘所も捉え易いのである。まさに「好きこそものの上手なれ」なのだ。そのような意味で、国語教育研究はある分野で文学研究との融合を図る必要があると考えている。

まずは学部生に詩歌の魅力を伝えることだ!
来週はこの日の全体議論と班別構想を経て、
代表者による近現代詩教材の模擬授業を行う。
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家守は見ずや君が・・・・

2014-06-13
自然に囲まれた環境
夜となれば静寂と澄んだ空気と
生きものも活動的になる頃・・・

玄関の扉を開けると、その振動で何物かが地面に落ちて「ピチッ!」と音を立てた。すると尻を振るようにして逃げ去ろうとする、”ヤモリ”の姿が見えた。どうやら扉の上部に張り付いていたらしい。こちらも急に扉を開けたので、驚いたのと振動に耐えかねて手足で張り付いていられなくなったようだ。これが一昨日のこと。

昨日も郵便物を取ろうとして、玄関の扉を開けた。この時は、特に落下して音を立てる物はなかった。郵便受けにあった研究学会からの葉書を取り出して振り向くと、やはり玄関扉の上部に”奴さん”は張り付いていた。するとこちらの視線を感じたのか、扉の隙間に逃げ込んだ。さすがに”住居侵入”だけは避けたいと思ったので、どうしようかと思ったが、あらためて扉を開いた。すると隙間から外側に飛び出そうとして、再び自らの手足の吸盤の力以上の振動を受けたのであろう、再びあの「ピチッ!」という音を立てて、地面にその肢体を叩き付けられ、コミカルな動きで逃げ去ろうとした。

近所に長年住んでいる友人に聞くと、この時季からヤモリは増えると云う。だがまったく害もなくむしろ虫を食べてくれて、愛嬌ある存在であると一笑していた。都会育ちの僕としては、やはり爬虫類というのはやや抵抗があり、こうして小欄に記述するほどの重大事として取り上げているほどの意識である。だが、友人は「名前でも付けてやればいい」と笑っていた。そうあの扉を開けた瞬間の慌てぶりとか、「ピチッ!」という落下音、それに尻振り歩きに至るまで、考えてみればコミカルな存在である。元来、その呼称である”ヤモリ”は、「家守」であり文字通り「家を守る」存在であるのだ。たぶんこの家の以前の持ち主の頃から、住み着いているのではないだろうか。

自然に囲まれるというのはこういうことだ。
理念のみではない「共生」を肌で感じ取ろう。
家守は見ずや君が・・・・などというフレーズとともに
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江戸っ子は気がみじけぇのよ

2014-06-12
落語に登場する「江戸っ子」
概ね「気がみじけぇのよ」と啖呵をきる
定義では僕自身も「江戸っ子」に違いないのだが・・・

僕の「母語」の根幹が「江戸言葉」であるので、落語を学ぶ際には有利だった。ついでに短気な場面を演じるのも、そう苦労はなかった。幼少の頃からの生育環境で、父の「短気」をいつも見て来たからであろう。かくいう僕も、次の行動のことを考えるとほぼ生理的に、背筋がむず痒くなるような衝動を覚える。一つの行動に「けりをつけて」、次に次に進みたい性癖がある。

だがしかし、本当に「短気」なのかというと、他者から見ればそうではないようだ。中学校で野球部の副主将をしていたが、「主将の暴走を抑える役目をよくこなしている」と、担任の先生は褒めてくれていた。高校教員の時に部活動顧問をしていて、なかなか戦績では芽の出ないチームを、我慢強く育てていると言われたことがある。むしろ何かを信じて「待つ」ということに、寛容なのかもしれない。

とは言っても「江戸っ子は五月の鯉の吹流し・・・」である
口先だけで「短気」と言い、「寛容」と言っているのかもしれない。
せめて人情と行動力のある「爽快」と「温厚」に置き換えて「江戸っ子」の伝統を守りたい。
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「野球道」の再定義

2014-06-11
桑田真澄・平田竹男著『新・野球を学問する』
を読んでみて考えること多く、
ここにその主旨について聊かの覚書を記す。

留学生向けオムニバス授業担当も、先週火曜日で終わってしまった。彼らとまだ様々に「日本文化(事情)」について語りたく、名残惜しい気持ちで一杯である。その授業の中で、「日本文化」としての「野球」を扱ったのだが、僕自身としても十分な理解を得ていないと思い、更に資料を読みたくなった。その先鋒たる著書として冒頭の一冊(新潮文庫)を選んだ。

同書は、桑田真澄さんが現役引退後に社会人大学院修士課程で学んだ修論の成果について、指導教授であった平田竹男さんとの対談形式で語り出したものである。その主旨として重要なのは、「野球道の再定義」である。明治以来、学生野球に始まりプロ野球の隆盛に至るまでの歴史の中で、「野球」が「道」として根付いて来た理由と、その悪弊について改善を促す重要な提言がそこには示されている。

第二次世界大戦中、「敵性」であるはずの「野球」がなぜ生き残ることができたのか。それは飛田穂洲という人物が、「野球(道)」は「精神の鍛錬」「絶対服従」「練習量の重視」の三点を旨として行うべき競技であると定義し、当時の軍部の意向に沿うものであることを主張し、有意義なものと見なされるように運んだ為であったという。だが問題なのは戦後に至っても尚、その三点が「野球」という競技の性質から離脱することなく、今日にまで至っていることであるというのが、桑田さんの主張である。

いま「「野球」という競技の・・・」と書いた。だが、これは「野球」に限らず日本のスポーツ界全体に波及し、特に学校での部活動を中心に蔓延してきたとも言い換えられよう。更に言えば、「学校教育」全体に悪弊として蔓延し尽くしたといっても過言ではない。極端なもの言いが許されるならば、「国語教育」でさえも、「精神鍛錬」「絶対服従」「練習量重視」がはびこり、個々の「読み」を疎外する「授業(教育)」が実践されてきてしまったともいえるかもしれない。我々は、知らぬ間にこうした特殊事情の中で「野球」を偏見から守った「思想」を、「教育」の重要課題であると勘違いしている節はないだろうか。

そこで桑田さんが、あらたなる「野球道」の定義を試みた。「精神鍛錬」に成り代わり「心の調和」を。それは野球・勉強・遊びの均衡を図り、バランスのとれた人間を目指すということである。「絶対服従」に成り代わり、「尊重」を。それは指導者・選手が相互に尊重し合い、また審判や対戦相手、そして「自分」を「尊重」する態度を重視するということ。「練習量の重視」に成り代わり、「練習の質の重視」を。効率的・合理的な練習を行い、最新のスポーツ医学を導入し、(練習での)失敗も奨励するということ。この三点こそ、新しい時代の「野球道」のあり方として普及すべきであると桑田さんの主張は明解である。

「野球」以外でも、こうした転換の視点が必要であることに気づかされる。
桑田さんのような発想とともに日本の「教育」を再考すべき、
と深く考えさせられる好著であった。
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