個の活動主体を尊重する
2014-05-22
なぜ〈教室〉に集うのか?なぜスポーツジムで汗を流すのか?
他者なくして自己はわからないゆえ
毎週水曜日は、朝一番から授業である。約60名の学生が、ほぼ遅刻することもなく〈教室〉に集う。「知識」は教科書を読めば知ることはできる。だがそれは、ただ「知った」に過ぎない。場合によると、「字面を(空過して)読んだ。」に過ぎないかもしれない。その「知識」を本当に「わかり」(理解)、その上で「できる」(実践)できるようになるには、〈教室〉というライブ空間が必要になる。
われわれは、「個の言語活動主体」である。言語により思考し、理解し、表現し、社会と繋がっている。まさに「言語を操る」ということは、「生きる」ということでもある。ゆえに言語を疎かに扱ってはならない。〈教室〉の学びから、言語活動主体となる健全な社会を構成する人間を育てなければならない。それだけに〈教室〉に集う意味が十分に伝わる講義をしなければならないはずだ。
スポーツジムでも、同様の構図を感じることがある。お金をかけてまで、運動をしに同じ場所に集う意味は何か?自分で自宅周辺を走れば済むことではないのか?この日の、スタジオレッスンでも痛感したが、他者が躍動する姿を見るということは、限りなく己を奮起させてくれるものだ。心肺機能・筋力・柔軟性などを高めるには、苦痛を伴うのが必定である。そこで己に勝てるかどうかで、身体トレーニングのレベルが決まる。他者の取り組む姿勢や激励の言葉によってこそ、独りでは成し得ない域にまで己を高めることができる。
社会生活とは言語を介して集うことだ。
その一期一会のライブ空間に、「学び」が生まれる。
日々の大切な「生きる」の為に、言語で今をここに記すのである。
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