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複言語教室で「俳句」に挑む

2014-05-21
60億のことば
個々を尊重しその思考に触れる
日本的短詩型文学という共通の表現方法を試みて

大学の国際連携の一環として、留学生対象の授業を国語講座の教員3名でオムニバス担当をしている。昨日からは、僕の担当回が始まった。〈教室〉に行くと、出身地別の仲間たちによる小集団の個々から、複数の言語による交響曲が聞こえて来た。第1回のテーマは、「90分で俳句を創る」である。

受講者の第2言語としての日本語レベルは、「中級」である。だがその「中級」にも幅があると同時に、出身地によって「漢字」の理解に大きな隔たりがある。(台湾出身者は「漢字」の理解度が高いということ。)なるべく誤解を招かないよう「和語」によって、口語を音声で伝える。また使用するプリント類は、極力ひらがな表記としたが、漢字を使用する場合は「俳句(はいく)」のように「ふりがな」を付けた。

彼らは予想以上に抵抗感なく、「俳句」の創作に前向きに取り組み始めた。中には芭蕉の「古池や・・・」の句を知っている者もいた。それでもやはり「17音」というのは「短い」という感覚があるのだろう。だが、台湾では「漢字一字」というような”詩”も、現代にはあると留学生に教わった。この日は、「食べ物」に関する俳句を創作するというテーマとした。

日常会話を中心に日本語習得に取り組んで来た彼らが、その語彙の「音数」にこだわるのは、初めての経験であるようだ。「5音」の「食べ物」の名前を挙げるということが、最初の課題となるわけだが、「ん」「ー」「っ」は数えるのか?「ゃ」「ゅ」「ょ」は、どうするか?などその「数え方」からして日本語音声の問題に関わって来る。さて、日本語を母国語とするみなさんは、このあたりの把握は大丈夫であろうか?

90分で達成感を味わう。
17名全員が俳句を創作できた!
その成果は、いずれ小欄でも紹介する。
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俯瞰せよ!視野は限りなく広くせり

2014-05-20
出張帰りの航空機
天候によっては他の空港着陸か引き返すという
さて!そこでどのように腰を据えるかである

中部から関西での研究学会を終えて、月曜日の午前中に勤務校へ戻るべくフライト。どうやら朝からの悪天候で、地元空港への着陸が困難な場合が想定されているようだった。その「了承を」という趣旨のアナウンスが、出発待ち合いロビーに流れた。午後には授業もあり、もしもの場合はどのように動こうかと、聊か思案する時間が続く。

米国での搭乗経験から、急なフライトキャンセルに対し感覚的には慣れている。基本的には「予定外」に動じないのが肝要であるということだ。様々な可能性を「疑いつつ信じる」、という矛盾する柔軟な精神のあり様が求められる。そうだ、航空機から自らの小さな存在が位置する土地を俯瞰するかのように、視野を限りなく広く保つことが求められるともいえよう。

日常生活もまた、同じかもしれない。己が「こうなるだろう」と考えていたことが、思い通りにならない場合の方が多い。いやむしろ「こうなる」に縛られて、自由な翼を失うとも換言できる。その「こうなる」が成されないと先に進めないと思い込み、ある地点で固着してしまうこともある。その時こそ己を俯瞰することで、「こうなる」が「余計なこだわり」であると悟るべきだろう。

時は止まらず天候は変えられない
複合的に絡み合った己に対する嫌悪感
俯瞰せよ!視野は限りなく広くせり・・・



追記:
この日は、予定から10分遅れはしたが、
着陸時に天候は回復し、無事に帰着できたのであった。

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刺激が進む力になる

2014-05-19
己を揺り動かす力は何か?
安定の中でいつしか忘れてしまうことは?
刺激なくして前進なし。

なぜ研究などをしているのだろうか?そこに挑もうとしている契機は、何であったのか?その原点となった研究者の存在や著書があるものだ。歩みを進めると、見えなくなってしまっているものがある。もう既に完成されたと思い込んでいた研究も、視点を変えれば新たな地平が見えてくるものだ。

日本文学の相対化のために、比較文学研究に取り組んできた。外国人研究者ならではの、視座が新たな契機を生み出す。そこに展開した発表・講演・ディスカッションを刺激として、自らが考えたい分野との関連を考える。学部時代の方が、今より自由奔放に考えていたことも改めて思い知る。青くさい推進力を今一度取り戻そう。

懇意にする先生方が掛けてくれたことば
固着しつつあった僕の今を溶解させてくれる
今一度腰を据えて文学に向き合いたい
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「わたし」を立ち上げる

2014-05-18
自分なりの意味を見出す
夢中になり楽しむこと
60億のことばがある

春季研究学会の季節となった。自らの研究の相対化のためにも、また新たな刺激を求めて動き回る。発表を聴いたならば、極力質問に立つ。単なる受け手であるのではなく、そこに対話を醸成するためである。その議論に時間的な制約があるのは、甚だ残念であると思うこともしばしばである。

文学を読む上でも、「テクストの作り手と受け手との間の関係における平等を発見する。」ことが重要である、といった引用のある研究発表を聴いた。「作り手」が文学ではなく、研究のそれであってもまた、同じことが言えるのではないだろうか。権威的な「作り手」という幻想が、「読んでいるそのものに浸り込み、夢中になり楽しむ」状況を破壊する。

「わたし」を立ち上げることができるように、虚飾なる権威や管理から、僕たちは解放されなければならない。「僕たち」とは、もちろん学習者の多くを含む。文学と教育の融合には、こんな視座があることを悟る。そうしてしばらく、「わたし」との対話が醸成される。

いつしか京の街へ
ここは刺激的だ!
今日もまた、言語の枠を超えた議論に臨む。
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己を炙り出す時間

2014-05-17
両親と過ごす生活
己の過去と今が炙り出される
そしてまた見知らぬ都会へ行けば

1週間ほど、両親が僕の自宅でのんびりと寛いでいた。若かりし頃から、仕事・仕事の歩みを止めない生き方をしてきたゆえに、慣れない"長期休暇"を別荘で過ごすような感覚であったかもしれない。特段、旅行というよりは、自然に囲まれ都会の喧騒を忘れ心落ち着ける時間になったようだ。

己が今どのような状態にあるのか?一地方の街で小さな"こだわり"の穴の中で過ごしていると、わからなくなることも多い。生まれてこの方、僕の全てを知っている両親が共通した空間にいることで、新たに見えてくるものがある。公私両面にわたり、今為すべきことは何かが炙り出されるような時間を過ごした。

都会の実家へと帰る両親。奇しくも僕は他の都会へ出張するために空港へ。一足先に飛び立つ両親を乗せた機体を眺めつつ、出張先での新たな学びに期待を抱く。都会に降り立ち、見知らぬ群衆が様々に蠢く店で一献。捨てきれぬこだわりと、果てしなき大海への視線が交錯する。己の中の対話が、新たな今を提供してくれる。

今を生きるということは、
果てしなく過去と未来を背負うということだ。
この刺激あってこそ、人は前に歩みを進める。
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喧嘩嫌い

2014-05-16
喧嘩は嫌いだ
ともかく、何があっても
幼少の頃からの僕の思い。

「男の子なら1度や2度は、喧嘩をしたことがある。」という俗言は嘘だ。身体的な喧嘩など、1度たりともしたことがない。小学校のときも「この野郎!」と思ったことがないわけではないが、身体的な闘争に及ぶことは、自ずと回避する術を知っていたように回想できる。中には兄の威厳を頼りに、僕やその友人たちを脅かすいう悪質な輩がいたが、無益な”闘争”をするよりも”逃走”する道を選択していた記憶がある。

また、「道化」という方法も身につけていた。その方法を選択することが最良なのかどうかは別として、大変有効な手段だったと今にして思う。所謂「ガキ大将」に対して、僕はドリフターズの加藤茶さんのような言動を日常的に繰り返し、すっかり”奴”を(僕の)”ファン”にさせてしまっていた。いつの間にか、武力のみでしか己を誇示できない「ガキ大将」よりも、自分の方が「大人」なのだと自認していたように思う。サーカスで一番の技術を持っているのは、「ピエロ」だということを何かの本で読んだことからも影響を受けたのだろう。

本当の「大人」になってからは、「喧嘩」をしなかったかというと嘘になる。特に自分が信じたことに対して権威を笠に着た侵害が為されると、「喧嘩」的状態に至ったことがないわけでもない。だがしかし、その際にも明らかに僕は拳ではなく、ペンや弁舌で信念を守り通したと自認する。その結果、過度の権威的威圧を受けてしまうこともあったが、僕の中にある「信条」を守り抜くことは貫徹できた。

だがともかく「喧嘩」は浪費であり、下劣であり、当事者双方を深く傷付け合う。坂本龍馬が北辰一刀流免許皆伝でありながら、その剣を決して人に振り翳すことがなかったように、「近代以降」という概念があるとすれば、そこでは「交渉」によって闘争は回避できるのである。(もちろん、幕末の権威的な拘束から逃れる為に、龍馬が銃弾を使用した事実はあるのだが。)にもかかわらず、闇での不意を打つ剣によって龍馬が落命したことからも、武力がいかに下等な行為かと歴史を反芻すると、常に思いを致す。

「守る」という詭弁が危ない。
武力を翳す「ガキ大将」と同等の位置に立つのか?
僕は絶対に、ペンと弁舌を駆使する「大人」であり続けたい。
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真に批判されるべきものは何か?

2014-05-15
立場変われば言うことは変わる
だがどんな立ち位置でも筋は通したいものだ
価値観の壁を作らない柔軟な対話ができる人でありたい

漫画の内容に対して、地方自治体が抗議の意を提起している。理由は、その地域の風評被害を助長するからだと云う。だがしかしこの問題は、一漫画に対して批判の矛先を向けるべきものなのだろうか?もとより、その「風評」の起因となったのは何だったのだろうか?批判すべき「元凶」に対しての調査や情報公開が曖昧であるから、「風評」が巷間を駆け巡りこのような「不幸」を生み出しているのではないだろうか。

一つの問題に対して、「漫画制作者(出版社)」か「地方自治体」かという二項対立の図式で「批判」が往来すること自体に、大変な違和感を覚える。この短絡的な構図の中に問題を押し込めて、「被害者」が「(風評を助長したとされる)作品制作者」を叩き、その「叩く側」に、問題を精査すべき政治家までもが加担する。こうした誤った構図の陰で、「風評」の元凶たる要因を作り出した人物たちは嘲笑しているに違いない。

漫画はもとより、フィクションを前提としているのではないだろうか。そこに描かれている内容を、どのように読むかは「読者の仕事」であり、多様な解釈が許容されて然るべきである。仮にこれが未来の予想図として描かれたならば、たぶん躍起になって批判する輩も現れないのではないだろうか。未だ現実が見えぬ現在進行形の棚上げされた(したい)内容であるからこそ、多方面からの批判となっているのではないか。「被害者側」の気持ちは他人には計り知れない。だからこそ、この問題の本質を精査し漏らさず情報公開し、「現実」とどう向き合って行くかという道を、まさに「国」を上げて取り組むべきだ。

漫画は日本の誇るべき文化である。
そこに描かれた食文化もまた同じ。
制作者の真意を汲み取れる「言葉」を持つ市民でありたい。
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過程や内実を見定めたい

2014-05-14
出来上がった文章だけが大切なのか?
表面的な看板に左右されるのか?
過程や内実を見定める眼を持ちたい。

学部3年生のゼミで、自己紹介文チュータリングの時間を設けた。文章の作成過程はこうだ。構想メモを元に口頭で発表した内容を録音し、それを文字起こしする。そこに自己添削を加えて提出する。僕が、文法・語彙・主述関係・修飾被修飾関係などの適切さを判断し、書き言葉としてアカデミックな色彩を施しつつ添削する。それを修正してきた文章に対してゼミの場で「チュータリング」を実施するのである。既に三段階の「過程」を経ている。

僕が施したように、他者(指導者)の添削というのが従来からの文章上達方法であった。だがそれでは一時的に「紙上」で文章はよくなっても、書き手である学生本人は育たない。これは僕の母校で全学的に実施している「文章チュータリング」という方法である。他者との対話の中から、書き手自身が納得し、文章が適切かつ精度あるものとして書けるよう、育てるという方法である。何より出来上がった文章よりも、「過程」を大切にする点に特徴がある。

日常生活でも、「内実」に十分こだわりたいものだ。巷間では、表面的な「結果」のみが批判され、その作品の真意が見過ごされてしまう風潮が否めない。物事の核心を歪めているといった批判は、元来そこに存在する「事実」を様々な社会的都合で歪曲して来た証拠である。「批判するという行為」そのものが、「批判の対象として浮上することだ」ということに権威者側にいる人間は気づかない。この「炙り出し」を勇気を持って敢行した作品制作者の熱意こそが、社会を健全に保つ為の生命線であると僕の眼には映る。

人は社会的に、性別・年齢・職業・経歴など変え難いものを身に纏い生きている。世間一般において「こうである」という公約数的な線で、その人を判断しがちだ。だがしかし、一般的な尺度に則って生きている人ばかりではない。むしろ、前述した「変え難い」ものに抗する姿勢で自らの歩みを進めている人々も多い。人に掛けられている社会的「看板」よりも、その人が「どのように個性的に生きているか」という「内実」を見定める姿勢を持ちたいものである。

話題が多岐に及んだ。
しかし重要視すべきは、
「過程」と「内実」に他ならないと、僕は確信している。
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学びが活きるのはいつか?

2014-05-13
学校で「文法」を教える。
それが(言語)生活に反映するのはいつか?
即時的な結果だけを求めるのが、「活かす」ということではないような・・・

「国語学」の成果を、国語科教育に「活かす」ことを、大学院の授業で院生たちとともに考えている。果たして「修飾語」という「文法事項」を教えて、子どもたちの言語生活は豊かになるのだろうか?そんな疑問が、院生から提起される。文構造などが「活かされる」場は、どこなのだろうか。

はてまた、久し振りに再会した友人の「会話」が、実に明解で分かり易い日本語になっていたことに、気づいたという経験を提起した院生もいた。主述関係の明確化をはじめ、表現が錬磨されることで、社会人として豊かな言語生活を送ることができている友人の存在が、示すものはなんであろうか。

「学び」は、即時的に(言語生活に)「活きる」ものではないというのが、上記二つの事例に対する僕の見解である。「学ぶ」時点では、その知識・技能や活用法(場面)が、「わからない」のである。ゆえに学習者は、それが「活きる」とは思わないのが、「学校」という場所ではないのだろうか。

何らかの経験を経て、自らを客観視する場面や、社会人経験をして多くの他者と接するようになって初めて、「学び」を「活かす」場面を切実に体験する。よく社会人になって「もっと学んでおけばよかった」とか、あるいは「学校では教えない・・・」といった類のTV番組は、この種の「経験」をしている人を対象に、「活用」や「笑い」を提供するという構造がある。

とはいえ、やはり「学校」でも「活きる」ものであるという想定のもとに「教えたい」ものである。その「活きる」が、子どもたちにとって直近で実利的な「入試」のみであるという現状は、過去に遡上して様々な弊害を生んで来たともいえるだろう。ゆえに即時的ではない「学校」の「学び」ではあるが、そこにささやかながらも「夢」を提供できる「授業」にするのが、僕ら国語教育研究者の役目なのである。

楽しい授業とは、
やはり「活かす」可能性を提起する授業である。
院生たちとともに「学び」の工夫への意欲が起動した。
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母の日にはともに過ごして

2014-05-12
母の日
物品のプレゼント以上に考えたいのは、
ともに過ごし楽しみ語り合うこと。

僕の自宅に、東京の実家から両親が訪れている。2月3月4月と年度切り替えの時季には、仕事上聊かの苦労も多く、なかなか落ち着かなかった両親。ようやく1週間の休暇をとって骨休めをしている。都会の喧騒から離れ、この自然豊かな地での”普通”な生活に、いたく満足しているようだ。

実家の真ん前がスーパーであるゆえ、深夜・早朝から荷下ろしのトラックの騒音が喧しい。寝ていても騒音によって深い眠りにつけないのが常だ。一転、僕の現在の自宅は、深夜にTVの音も憚られるほど静かな住宅地である。深い眠りからの覚醒には、早起き鳥の鳴き声が目覚まし代わりとなる環境だ。

休日であるこの日は、手軽に車で行ける範囲である霧島温泉へ。霧島神宮に参拝し新たな力を得て、爽快な好天に恵まれた中、展望浴場が自慢の温泉に入浴した。宿の選択がよかったのか、GW明けであったからか、お風呂も空いていてゆっくりと硫黄と湯の花の競演に酔い痴れた。もちろん父と二人で男性浴場に入っていると、「貸し切りだわ」という母の声が女性浴場から響いて来た。

夕飯は、自宅近所の馴染みの焼肉店。めったに肉を食べない母が、「宮崎牛は柔らかくて、美味しい」といって口にする姿が印象的だった。特にカーネーションの花を贈った訳ではない。ただ夕食後も自宅ダイニングで語り合う時間。こうしたともに過ごす時間こそ、何にも代え難い最上のプレゼントである。

時には大変個人的な
「母の日」の日記を書いた。
ささやかな幸福を噛み締めて。
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