前進を予祝する1日
2014-03-31
歩行者天国という反転。無数の人々がそれぞれの思いを抱いて歩む。
いつしか雑踏の中の「わたし」を自覚する。
眼鏡の微調整、衣類の選択、そして豊富な品揃えの書店。ここだ!という買い慣れた環境に店員さん。"こだわり"と信頼がそこにある。まさに次年度の更なる歩みの身支度を整える。いつしか視線は、喧騒に埋没することなく前に前に向き始める。
育った家での喩えようもないやすらぎ。両親との柔らかな会話が生み出す安心感。幼少の頃からの僕を育んだ環境とことばに、明日への糧を発見する。まさに両親の結婚記念日という僕の存在そのものにとって忘れてはならない日を、豊かな心で過ごすということ。
あの頃と同じ味、家族で節目ごとに前進を予祝して来た老舗レストラン。
さあ!準備は整った。
第2ラウンドのプレイボールは間近だ。
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支えてくれた人たちとの再会に
2014-03-30
年度最終週を迎えいくつかの思いがつのる向こう3年間というものは大仰ではなく人生の岐路であった
その時季に僕を支えてくれた人たちとの再会
ふるさとに訪ねたいものは何か?両親、育った街、そして世話になった人たち。その選択のあり様が、直近の僕の生き方を顕に反映しているようだ。長い間育った土地を離れて1年。特にこうした思いが最近は複雑だ。
0からの挑戦、先の見えない格闘。己を奮い立たせ、親しい人たちに励まされて、暗中の果ての光を求め続けた。その光たる新世界に今は身を置いている。過去の洞穴のごとき小径を歩いていた己を今は穏やかに振り返ることができる。
精神は身体の奮起に支えられる。数え切れない絶望に直面しても、先に進む勇気をくれたのは身体的トレーニングへの取り組みであった。しかもそれはトレーニングそのものではなく、確実に勇気をくれたある一人のトレーナーさんの存在だった。久しぶりに受ける彼女のレッスンは、やはり教え導くとは何かを考えるためのヒントが満載であった。レッスン後のささやかな会話と握手が、また明日への元気を何倍にも増幅させてくれた。
新しきこの1年間で得られた邂逅、同僚が東京で個展を開いていた。彼との奇遇ともいえる縁。「想次元」と題された作品を見るにつけ、思考の可能性とともに空想と現実の距離が可視化された。そしてまた、その作品群が都鄙を往還するのかと思うに、移動の混沌的な思考から何を生み出すべきかという課題を考えさせてくれた。
そして住んでいた地域の人々との再会へ。親友の経営するCafeに心を寄せている仲間たちだ。2度にわたる12時間耐久リレー大会出場というイベント。僕自身が店主である親友とともに演じた素人落語。幾つかのアクセントが、利害を超えてこの仲間たちを結びつけている。都会の闇を彷徨う孤独から救い出されたのは、この地域Cafeの存在であり、人々の温かい心であった。
都会に来ると時間が足りない。
まだまだ会いたい人は多いが、今回はこのへんで。
喧騒の中で自分の何かが確実に変化している自覚。
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ありがとう友よ!!!
2014-03-29
どの程度の深浅で語り合えるかどれほどの開放度で話題が進行するか
熟した会話は自らの心を助ける
2ヶ月ほどだが、
やや心理的に長い期間を経て
親友たちと語り合った
語り始めてわかった
これにいつも助けられていたのだと
熟するとは何か?
語り合う深さとは?
心の扉をどこまで開けられるのか?
そこを考えられてこそ親友なのだ
いつしか均衡のとれた心が
戻ってきていた
ありがとう友よ!!!
こうした夜が人生には必要なのだ。
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春を惜しむこころ
2014-03-28
さくらがほぼ満開となった。それに寄せる僕たちの思い。
「春のこころはのどけからまし」
ちょうど1年前はどんなこころで同じさくらを見上げただろうか。1年にほんのわずかの時間しか咲いていない儚き花に、僕たちは強い思いを抱く。いや儚きがゆえに時間を凝縮させて、人間に様々なことを考えさせるのであろう。さくらには多様な意味で、日本文化のあり方が詰め込まれている。
最近、さくらに限らず花を愛でるこころが豊かになった。日常の喧騒からふと花の美しさに眼をやると、失っていたものが蘇るような気になる。そしてまた、その香りや色彩の豊富さに驚かされることも多い。せめて身の回りの自然とともに生きているという実感を日々持ちたいものである。
それにしてもこのさくらばなの存在は、日本の社会を4月始まりに固執させる上であまりにも大きな影響力を持っているようだ。蕾から開花し満開となり風雨に散り行くという、栄枯の時間的振幅を眼に見えてはっきりと僕たちに悟らせるからだ。そこに人の世の運命(さだめ)を誰もが読み取るのである。
春を惜しむは、さくらを惜しむこころでもある。
満開のさくらを前に、学生が登校しない時季なのが悔やまれるほどだ。
週末はさくら前線を、少々追いかけてみようと思う。
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本気と実践力をもってして
2014-03-27
試験のための、模擬授業のための、ではなくて、あくまで実践力へ活かせ。
知識は活用してこそ本物なのである。
学生による採用試験自主勉強会も3回目を迎えた。今回は、教職大学院で実習指導などをともに担当して来たベテラン実務家の先生に依頼し、集団討論の要点などをお話しいただいた。長年、現場や教育行政に携わって来たご経験に根ざした意義深い内容に、学生たちの眼は輝いた。
なかでも冒頭に記述したことは、あらためて重要であると再認識した。1次試験対策で覚える知識を、存分に2次の集団討論や面接、更には現場で教員になってからも活用すべきであるということである。試験対策のための知識ではなく、実践に活かしてこそ意味があるというのだ。
そしてまた採用試験に対しては、「やる気・本気・根気」をもって、効率よい学びを日常生活に埋め込むことが肝要であるということも示された。そうした生活の確立が、教員となってからの日常を組み立てる礎になるはずである。何事も試験を突破さえすればいいのではない、現場に活かしてこそ意味があるのだ。
この機会は、あらためて僕自身の講義のあり方にも大変参考となった。
知識は学生が情報を読めばいい、講義はそれを活用できる契機を提供すべきなのである。
本気と実践力をもってして、教育へ待ったなしの現場に身を置く更なる自覚が芽生えた。
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長嶋ランで次なる一歩へ
2014-03-26
湾曲した海岸線に打ち寄せる波。陸地から突き出した島影が見える。
遥か太平洋を遠望し己の心を見つめ直すひととき。
ジムが休館日のせいもあったが、どうしても走りたい場所があった。ちょうど1年前のこの日、大いなる希望を抱きこの地に住み始めた。365日の一歩ずつを回想しつつ、そしてまた明日への一歩へ繋ぐが如く、実際に自らの脚を動かして大地を踏み締めたかった。
かつて長嶋茂雄さんが監督だった頃、キャンプ中に毎朝その砂浜をランニングし、優勝祈願のため、島にある神社まで歩を進めていたと云う。その同じコースをゆっくりとランニングした。速度や時間も気にせず、ただただ己の心を潮風と交錯させてみる。
神社に参拝し叶えたい願い事ひとつ、いや欲張って二つ目も。だがその二つの願い事は連動した関係にある筈だ。まずは己の日々の生活を、今まで以上に密度のある質の高いものにすることが、この願いを叶えるために僕自身がすべきことである。すると心の中に嘗てない思いが浮かび始めた。
再び島から海岸線沿いに歩を進める。
次第に黄昏どきとなり遊歩道に明かりが灯る。
海を抱きしめる長嶋ランで次なる一歩へ!
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卒業式で思いも新たに
2014-03-25
人生のいくつかの節目。卒業式もその一つだが、
僕たちの職業にとって、この行事の存在は何とも大きい。
現勤務校の卒業式と祝賀会が挙行された。全国的にも有名なコンベンションホールにて、盛大に執り行われる。この1年間、様々な指導の場で接した学生諸君が、新たな船出を迎えた。同時に自分自身の1年間をしみじみと振り返る時間となった。
毎度、卒業式に参列して抱く感情には一定の型がある。思い出を振り返るのも当然であるが、同時にこれから担当する学生諸君との「日常」を大切にしようと、新たな決意が発動する。その延長上に、己の「日々」の質をより一層高めるべきだという気持ちが高ぶる。
思えば過去の高校教諭時代に担任していた思い出深い連中も、この3月には大学卒業を迎えている。また前年度の非常勤先の生徒たちも、高校を卒業したことだろう。〈教室〉で学ぶ者に出逢うということは、この卒業式という日に向かって歩み始めるということだ。教員にとって、この日は過去と未来への交差点に他ならない。
この卒業式を以てして、
僕が現勤務地に赴任して1年を刻んだということにもなる。
そしてまた、新しい朝を迎えようとしている。
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調理と洗い物の達成感
2014-03-24
休日に調理。恒例となった作業が、1週間分の朝食を産み出す。
その手際たるやまさに慣れというもの。
カレーなど簡単なものしか作らないが、朝食は自家製を心掛けている。最近は免疫力を高める素材、そして何よりも地元産の安心できる食材を使用することを主眼にしている。野菜類も肉類も地元産で全てが揃う。「地産地消」の掛け声もあって、殆どのものが揃うのは嬉しい。
調理の手順も、かなり手慣れたものになってきた。野菜のカット、肉とともに炒めて煮込む。更には別添にした方がよい野菜類を茹でる。かくして野菜大盛りカレーの出来上がりである。同時並行してフライパンやボール類を洗う作業も忘れない。出来上がった時に台所は、実に綺麗に整っているのが気持ちいい。
調理と洗い物は眼に見えて「達成」が顕著だ。買物から通して、自らの口に運ぶまでの工程を全て把握できる。生ゴミと廃プラとを巧みに分けるなども、その過程で重要な所作だ。こうした達成感に浸りながら、ふといくつかの小さな発見がある。
様々な思いを巡らす1週間。
その毎日の朝食は納得行くものを食べたい。
週1回でも調理をすることから多くを学ぶ。
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ホームセンターの利用法
2014-03-23
膨大な商品を販売している。果たしてその詳細をすべて説明できる店員はいるのか?
商品選びを迷いに迷い、ふと思った素朴な疑問。
浴室のシャワー器具を少々改良したくて、ホームセンターへ向かった。適合する”セット商品”があってすぐに選べると安易に考えていた。ところが僕の所望するような使い方をするには、いくつかの商品を組み合わせなければならないことがわかった。果たして僕自身がその組み合わせを考えて、自宅の浴室に設置可能なのか否かと甚だ迷った。
ホースの口径と器具の適合サイズなどを詳細に検討しているうちに、かなりの時間を費やした。最初から店員に質問することも考えたが、正直なところ店員であっても詳細に僕の所望に答えられるかどうかという不安があった。またその適合性を詳細に伝えて、それに答えるだけの”サービス”には対応しないだろうという予測があったので、まずは自分で商品選択の目処を立てた。
案の定、ホースを必要サイズだけカットしてもらう段になって、店員を呼び出したのだが、やはり僕の予想したような対応であった。ホースに関連していくつかの質問をしたが、その答えは曖昧であった。そしてホースの長さの選択を迷っていると、「ではもう少し考えますか?」とそのカットという仕事から逃れたいような言動に至った。僕は実際の長さを尺で採寸した際の具体的な物品を見ながら、浴室の状態を想定したかったのだが。それでも1分ほどのうちに決断を下すと、「2.2mでお間違いないですね。」と念を押してホースを店員はカットした。ある意味で当然の対応なのかもしれないが、僕にはどこか腑に落ちない感情が去来した。
たぶんあれほどの膨大な商品を抱えたホームセンターで、その詳細まで理解している店員は皆無だろう。特に「日曜大工」的な部品購入に関しては、確固たる「自己責任」社会であることをあらためて自覚した。一昔前であれば街に金物屋さんがあって、詳しい知識を持った”おっさん”が、細かな部品に関しても、おせっかいなほどに説明をしてくれたという経験が僕にはある。量販店の存在は、やはり全ての面で僕たちに「Do it yourself」を求める社会になったということだ。
だが、こうした「自己責任」を全面的に否定するつもりはない。この日も、自分の眼で選んだ商品を自宅へ帰って組み合わせて、完璧に浴室に設置できたときの快感は喩えようもなかった。幼少時に、プラモデルを完成した時のそれに似ている。父の仕事が建築関係であるがゆえ、さすがにその血脈ももっているのではと自慢げな感情に至った。今も尚、街の電気屋さんとも良好な関係を結び、時折商品を購入している。それと「Do it myself」の均衡が大切であり、何ができて何ができないかを見極める眼が必要だということだ。
教育もまた同じ。
今や「自己学習力」を育む方向性が求められている。
ホームセンターでの迷いから、一つのヒントがまた得られた。
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里山と絵本と狂言鑑賞
2014-03-22
花も咲き始めた里山で、絵本の世界に心癒され、
古典芸能に笑い興じるひととき。
現在の赴任地に来て以来、季の節目ごとに訪れている里山がある。「木城えほんの郷」そこには巷間の喧騒をいつしか忘れさせてくれる、癒しのひとときが待っている。車で小1時間ほど走り、次第に山と渓谷の際にある「落石注意」の看板が目立つ道をひた走る。その道の風景そのものが、異世界への入口を十分に感じさせてくれる。いつしかファンタジー満載の空間へ僕らを誘う。
絵本はただ何となくページを繰っていてもいいのだが、著作者の原画を見ることで更に深い興味が湧き立つものである。この日は、『ますだくん』シリーズや『パパカレー』・『「けんぽう」のおはなし』などで著名な武田美穂さんの原画展が開催されていた。登場キャラクターの愛くるしさ、描画素材への関心、巧妙な立体的描写など、絵本のみではわからない「絵画」の魅力が存分に味わえた。
星が輝き始めたら「開演時間」という妙の中で、「お花見狂言会」を鑑賞。昔話に曰く「冬の間に山に籠っていた「サ(田のこと)の神」が、人々に田んぼの作業を始めるように知らせるために里に下りて来る。その「サの神の座る場所」という意味から、「さくら」という名をつけて人々はお花見を始めるようになった。」という。その他様々な花に囲まれ、人々は「まれ人」の芸能者を招き、神を讃え大地の恵みと人々の幸せを祈願するという世界を現実に再現したのが、この狂言会である。
茂山狂言会の方々によって、「鬼瓦」「水掛聟」「蝸牛」の三演目が水のステージの輝く星空の下で演じられた。里山に響く狂言の所作・台詞や笑い声を、神も照覧。天空と山々の自然と僕たち鑑賞者が一体となって、狂言の演じ手に視線を注ぐ。未だ寒さも堪えるのであるが、「たき火」の暖もよろしく、笑いを発することで心が温かく穏やかになるのが自覚できた。古典芸能の本来的な意味とは、実はこうした自然との共生を求めたものなのではないかという思いを、新たに発動させてくれるステージであった。
里山にあるファンタジーの現実。
この逆説に満ちた空間がとても好きだ。
自然の神に出逢うために、今後も節目ごとに訪れたい。
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