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いまここにいる不思議

2013-12-31
掃除をしながらふと考えた。
「いまなぜここにいるのだろうか?」と。
「当然」であるはずの日常も、実はそうではない。
歩いて来た道程の多様な彷徨を、あらためて実感する。
まさに人生は旅なのであるが、どんな旅を好むかである。

今年1年を締め括るべく、近所の懇意にする料理店の暖簾をくぐった。店主夫妻とはもはや、「顧客」というより「友達」だとお互いが認め合う仲である。話していると、「(僕が)この地に来てまだ1年と経ってないのが不思議だ」ということになった。もう何年も付き合っているような錯覚に、お互いが陥ってしまっていた。考えてみれば、それほど「質」の高い会話を繰り返して来たということであろう。

店主とは無条件に気が合う。お互いに元来は都会の出身であるが、地方に自ら来て、新しい人生を切り開いたという意味で彼は先輩でもある。なぜ地方の生活がよいのか?困った点は何か?当地の食材や自然環境のよさはどれほどか?等々の話題に触れるたびごとに、感性の一致を相互に感じている。まったく異なる業種にありながら、豊かな「生き方」を語り合う時間が過ぎて行く。

「挑戦する人生」という意味でも大変気が合う。一所に安住していれば、いられないわけでもなかった。僕の場合も、初任校である私立中学高校に定年まで勤務するという選択肢がなかったわけではない。だが、社会人として大学院に在籍し、私立ながら公募によって他校に移籍して、研究ができる環境を求めた。仕事との両立は並大抵なものではなかったが、常に前向きに進んで来たという自負がある。その結果、現在の勤務地に到達するという”運命”が待っていた。

そんな2013年回顧を肴に、美味しい酒の時間となった。
そして「まだまだ挑戦やろ!」と店主が呟いた。
すっかり肩の力が抜けて、気分もよくなる宵のうち。
語り合える親友がいればこそ、自己の真の姿が見えて来る。
帰宅して床に就き、いまここにいる”必然”が感じられるようになっていた。
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2013トレーニング継続を振り返る

2013-12-30
通算157回。
今年ジムに通った回数である。
多いか少ないか?
2日に1回には満たないが、3日に1回以上は。
今年のトレーニング事情を覚書として記す。

決して小欄に公表するのが目的ではないが、一つの糧にはなる。昨年は年末にこのような記事を書いていないが、一昨年は142回というトレーニング頻度が記してあった。個人的な手帳を見れば済むことだが、友人たちに公言して自らの糧にするように、不特定多数の方々への公表というのも意味がないわけではない。なにより後の自分自身が見返した時に、確実な足跡として意識できる。

そこで今年の月別トレーニング回数を記す。

1月=9回
2月=8回
3月=7回
4月=14回
5月=13回
6月=12回
7月=18回
8月=16回
9月=18回
10月=17回
11月=12回
12月=13回

勤務地が東京から地方へ移る準備に追われた1月〜3月は、かなり低調である。特に送別会を多数開催していただいたり、両親との関西旅行などに明け暮れた3月は年間最低回数である。しかし、ポイントは4月である。新しい環境での仕事が始まったが、並行するように新しいジムに通い始めて14回を記録している。新しいジムのトレーナーさんたちに、大変温かく迎えていただき、僕自身のやる気を喚起させてくれたことには、心より感謝したい。聊かこのあたりの事情を記しておきたい。

東京では全国ネットのジムに通っていた。地方に出張に行っても同系列のチェーンがあり、ほぼ同じ内容のレッスンを受講できた。それ以上に、僕の通っていた東京のジムでは、スタジオプログラム担当のトレーナーさんごとに、所謂「ファン」となっている方が多くいて、その”相性”をトレーニングの糧にしているような方が多数存在した。もちろん僕自身も、ある女性トレーナーさんの大ファンで、彼女の担当クラスに参加することで、トレーニングへのアドバイスも随所にいただきながら充実した”フィットネス”を実践していた。これはこれで僕自身を支えてくれたことは、過去の小欄に何度も書き連ねた。

地方へ赴任するとその県には、ジムの全国ネットがなかった。実は、僕にとって重大問題であった。新しく選択したジムには、同様のスタジオプログラムもない。それまで4年間ほど継続して来たトレーニングの流れが、断絶されるのではないかという思いがした。しかし、そこで考えたのはトレーニングの原点である。プログラムに参加することよりも、”フィットネス”の質に自分自身が眼を向けるようになった。現状の自己の身体をあらためて省みて、今何が必要かということを見定めようとした。そこに4月以降も、トレーニングが継続できた”秘訣”があると今にして思う。

そうこうしているうちに、新しいジムのトレーナーさんたちとも親しく話をするようになった。新しい職場のことやご当地事情、そして僕の好きな野球の話、更には東京のジムとの違いなど、忌憚なく話せる方々がたくさんいた。次第にスタジオプログラムからして、”手作り”感のある内容がとても好きになって行った。夏場に向けて暑い中でも、むしろトレーニング頻度が上昇したのは、こうした素朴な人間関係に根ざしている。地方では地方のよさを活かしたジムの活用法を見出したといえるだろう。

7月からは、東京で参加していたスタジオプログラムを、僕の通っているジムでも導入した。次第に、そのプログラムを楽しむ会員さんたちと親しくなった。10月にかけての頻度上昇維持は、トレーナーさん・会員さんたちとの人間関係が確立したことと相俟って、より僕自身の身体を引き締めた。たぶんトレーニングの原点を見つめ直したことで、今年作り上げた身体は、過去のどの時点よりも自信が持てると断言できる。

昨日は、チーフトレーナーさん担当のクラスに参加。
充実した”トレーニング納め”であった。
新しい環境への適応という課題を背負いながら、
今年もトレーニングが、僕の心身を支えてくれた。
「来年も頑張りましょう!」チーフのことばにまた励まされた。
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映画「かぐや姫の物語」雑感

2013-12-29
「今は昔、竹取翁といふものありけり。
 野山にまじりて竹をとりつつ、よろづのことにつかひけり。
 名をば、さぬきの造となむいひける。
 その竹の中に、もと光る竹なむひとすぢありける。
 あやしがりてよりて見るに、筒の中光りたり。
 それを見れば三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。」
(『竹取物語』冒頭文より)

映画は、引用した『竹取物語』原文冒頭の語りと、映像がリンクする場面から始まった。今や小学校5年生の教科書に掲載されており、多くの小学生が暗誦までできる冒頭文である。原文であるから解釈が難解であるわけではなく、自然と物語世界に入り込む”語り”が映画でも「機能」していたと見てよいだろう。”昔物語り”冒頭文が誘引する伝奇的世界への扉が、声と映像によって開かれる思いがした。

竹取翁が生業を立てていたのは、「野山」のある鄙の地である。急成長し続ける「かぐや姫」は、「たけのこ」と呼ばれ自然の中で生活する子どもたちとともに戯れ遊ぶ。「鳥・虫・獣」にふれあい、草木や花が季節ごとに”うつろふ”ことを実感し、人間も”生き物”としてこの地球(ほし)に生きている「手応え」を感じ取る。だが、竹から「黄金(こがね)」を発見する翁は、この子を都で「高貴な姫」として育てようと決意する。このあたりに監督・脚本の高畑勲ならではの、「都鄙対照物語」が仕組まれて、物語は都へ舞台を移し求婚譚が展開することになる。

5人貴公子の求婚は、原典においても著名であるが、あらためて「貴公子」とは何か?と考えさせられる。財力や家柄に加えて、その社会に沿った姑息な処世術のみを身につけ、「この世のものとは思えない」ほどの「美しさ」を宿す「かぐや姫」を「得よう」とする。その権力に依存しきった男たちの愚かさを、すべて「かぐや姫」は露見させ暴いて行く。もちろん「わたくしから求婚されて喜ばない女はいるはずはない。」などという帝(みかど)の申し出、いや「夜這い」も拒絶する「かぐや姫」の気丈さが描かれている。

だが「かぐや姫」はひとり苦悩する。自分のせいで多くの人々が、不幸になったと。そして「高貴」でいることが、人間らしく生きることから隔絶した「嘘」の世界であることを悟って行く。そしてまた鄙の地で自由奔放に生を躍動させる自身の幻想に浸る。「都鄙対照」は、「財力・権力」対「自然・愛情」の対比となるが、「生きる手応え」を実感してくにはどうしたらよいかという人間としての命題を、この映画は僕たちに突きつけてくる。

「まつとし聞かばいま帰り来む」
百人一首16番「在原行平」歌の下句である。
「立ち別れ」と「帰り来む」という人情の彷徨。
月の世界に帰れば、人間界でのすべての記憶を失うという。
「生きる手応え」あらば、失わないものもあるやもしれぬ。

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「成熟した消費者」であるためには

2013-12-28
「安さ」を求めるということ。
それは至極当然の心情かもしれない。
僕自身も暫くは「安さ」を求めていた。
だが、ここ数年「安さ」が怖くなった。
なぜそんな境地に至ったのか考えておきたい。

ファーストフードが嫌いである。特に具体的な名前を挙げるのは避けるが、よく評論的題材にされる米国文化の象徴的なあり方を体現する会社などは。その食材に関しても、かなり昔から”都市伝説的”な噂が後を絶たない。だがそうした”誇張”はさておき、果たしてどんな産地のどんな食材を使用しているのかは、僕ら消費者には一向にわからない。「安さ」と、世界中どこで食べてもほぼ「同じ味」が保証されているという「安心」から、消費者の食指は「手軽さ」の上に動き続ける。だがそれらを食することで如何に健康を害してしまうかは、批判的映画やネット上動画などに検証結果のドキュメンタリーが掲載されており、なお一層、僕のような消費者の「恐怖」を増大させる。

珍しく風邪を引いたせいもあるが、石油ストーブを購入した。もちろん巨大なホームセンターで、自然と眼に入ったのでそこでの相場は知っている。だが購入先は、懇意にする不動産屋さんから紹介された居住地域にある個人経営の電気店である。先日、僕の両親の仕事関係で既に商品を所有している機器の、ちょとした取り付け工事を行ってもらったのが縁だ。両親が個人経営をしている中で生育したもので、僕自身はこうした個人経営のお店を贔屓にしたくなる。たとえ巨大ホームセンターで「特価」などと表示され、更には「ポイント」が蓄積されたとしても、このお店で購入したいという心理が働いた。更に端的に述べるならば、ホームセンターで「1円でも」、いや「1000円も」安かったとしても、僕の購入先の選択は変わらなかったということである。

たぶん商品規格・性能は何ら変わらない。だが、家まで届けてくれてストーブの使用法や注意点までを詳細に説明してくれる。空箱も引き取ってくれる。(僕はシーズンオフに保管する為に、空箱は所有しておくたちであったが。)保証書の確認もして、もし商品不良のときはすぐに来てくれるという。僕は商品を購入したと同時に、「安心」や「地域での人との関係性」を付加価値として得たのだ。たぶん故障することはないといえばそれまでだが、メーカーから仲介する「人」が見えない中で購入した商品によって、家で「炎」を発することは、厳密に考えれば「怖さ」を感じてもおかしくはない。理屈をこね回すよりも明確にいえば、「地域の住人」としての「付き合い」を大切にしたかったということであろう。

こんなことがあった折しも、内田樹氏の『街場の憂国論』(晶文社2013年10月)を読んでいた。その第2章に「さよならアメリカ、さよなら中国」(139頁〜149頁)では「成熟した消費者」について論じられている。その定義をここに引用しておこう。

 「「成熟した消費者」とは、パーソナルな、あるいはローカルな基準にもとづいて商品を選好するの で、消費動向の予測が経たない消費者のことである。
 同じクオリティの商品であっても、「国民経済的観点」から「雇用拡大に資する」とか「業界を下 支えできる」と思えば、割高でも国産品を買う。あるいは貿易収支上のバランスを考えて割高でも外 国製品を買う。そういう複雑な消費行動をとるのが「成熟した消費者」である。
 「成熟した消費者」は、その消費行動によって、自国の産業構造が崩れたり、通過の信用度が下落 したり高騰したり、株価が乱高下したり「しないように」ふるまう。」(140頁)

この「成熟した消費者」に対して、「1円でも安ければそちらを買う」のが「未成熟な消費者」だと内田氏はいう。(以下、アメリカ・中国との経済的な関係性については同書をご一読願いたい。)


巨大都市で生活していた時も、僕は「地域」と「人」を基準に消費行動をとっていた自負はある。だが家電品販売等は特に、購入したい「人」そのものを既に都市は喪失してしまっていた。やむを得ず「他店より1円でも高ければ値引きします」という消費循環の中で、ポイントの恩恵を目標にして結果的に、ある巨大なオールラウンド量販店での購入がほとんどであった。そこにこそ僕自身が聊か感じ取っていた、日本経済全体への「怖さ」が表面化していたのかもしれない。都市生活の消費行動は、防災などと同様に、「怖い」のである。

 職業上の使命としても、「この地域の教育をどうするか」ということを率先して考えるべき立場になった。都市銀行の支店がないこと、ファーストフードもないわけではないが少ないこと。それに対して地方銀行があり、個人経営の飲食店が多数ある。「教育をどうするか」は必然的に「地域社会をどうするか」に連動する。居住地域を散歩していると、見知らぬ子どもたちが僕に挨拶をしてくれる。(いはんや大人をや、である。)この地域に住むべき「成熟した消費行動」をとるべき必然性の中に僕はいるのである。

9カ月間という居住期間を経て、
話せる「人」がかなり増えた。
この年末年始も、
この地域で過ごそうと思うほど気に入っている。
「成熟」が何だ!と笑うなら笑えばいい。
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虚構の歌詞コミュニケーション

2013-12-27
人は歌う、歌いたくなる。
無意識に口ずさむメロディ。
そしてまた深く歌詞の内容を咀嚼することも。
現実の日常語にはない虚構の力。
”歌う”ということは、人としての根源的な活動領域に位置するのだろう。

友人と久し振りにカラオケに行った。年末ということもあり、今年一年の様々な想いを歌に載せて反芻した。春爛漫の桜の中、希望を抱いて新天地に来た頃。夏の暑い盛りに、様々な心の揺れに左右されていた頃。そして寒さが身に染みる中で、温かい心を探している年の瀬に至るまで。季節の逡巡に沿って好きな曲を好きなように歌った。(どうしても僕の場合は、「サザン」か「桑田佳祐ソロ」の楽曲になるので、総量的には夏をテーマとした曲が多いのだが。)


同時に、友人の歌う曲に耳を傾けた。日常での会話と違う声の質に載せて、様々な言葉が繰り出される。文学研究に携わる身としては、その奥深い解釈までがついつい気になって来る。必然的にカラオケで歌う曲のテーマは、「恋愛」が大半である。今まで知っていた曲でも、新たに知った曲でも、「恋愛」にはこんな機微があったのかと気付かされることも多い。古代からして和歌の起源は、「(恋の気持ちを)訴える」(ゆえに「うた」という語源説がある)にあると云う。サザンに限らず、その歌詞の奥深さから拾うべきものが多いことを再発見した。

選曲にもよるが、カラオケで歌う曲の歌詞が、歌い手の日常と重なるわけはない。とりわけ最近は閉鎖された部屋の中で”演じる”ことが多いこともあり、その空間に入ると同時に「虚構」の己に成り代わる。人口に膾炙しているか否かは別として、巷間に投げ出された曲を一人の演じ手として歌う。日常でこんなことが言えたらよいと思うことも、「虚構」の力が容易に表現し訴えさせてくれる。そこに「現実以上の現実」を垣間見ながら、人情の機微に潜む切なさとかやるせなさ、そして温かさを汲み取って行く。その部屋から出ると存在する「本当の現実」を扉越しに意識しながら、「虚構」と「現実」の彷徨を楽しむ。

ボックス式の閉鎖的カラオケが嫌いだという人もいる。だが前段に記したような「虚構」の効用が発揮されるならば、扉を境に出入りする意味もあるのではないかとふと思った。元来、歌詞そのものが「虚構」に依存しているという事実も鑑みて、カラオケを歌うことで得られる「発散」の正体を、コミュニケーションの観点から考えてみたくなる。この日も、ご多分に漏れず爽快な気分でボックスの扉から現実世界に”帰還”した。これは単に、好きな曲を思いっ切り歌ったのみでは済まされない、心身の浄化作用があると感じ取った。

今年気に入った書物の中に次のことばがある。
「難しい理論より、美しい歌をうたおう」
客観性だとか普遍性とかいう「理論」では、人のこころは動かない。
ことばで語れない「美しさ」に出逢ってこそ、心は揺れ始めるのである。
それゆえに「ことば」を理論的に考究するという、逆説の中に僕はいる。


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ジオラマの魅力

2013-12-26
手に取れない世界を凝縮して、
眼前に展開するジオラマの世界。
ときにその精巧さに驚くことがある。
現実をコンパクトに再構築する行為。
そこのある想像力と柔軟で豊かな心。

再び絵本の話である。あべはじめ作の『クリスマスのよるに』(BL出版2013年)では、母親と二人暮らしの少年が、一人でクリスマスイブを過ごし不思議な体験をする物語である。そこで焦点となるのが、机上にあった"スノードーム"である。硝子玉の中に降雪の光景を再現した、コンパクトなジオラマである。そこで少年が体験したこととは・・・?

僕も少年の時から、ジオラマが大好きであった。高級なものは身近にはなかったが、「サンダーバード秘密基地」の模型が、自分で作れもしない年齢ながら欲しくて、母親に組み立ててもらった記憶がある。その基地からは1号から4号までの救助機が出動動作をし、宇宙ステーションである5号は、針金に支えられ基地上空に浮いていた。サンダーバードは、「災害救助」がそのストーリーの要であるから、出動以後はテレビで見たものを再現するか、自分の中で「物語」を創作してミニカーを使用したりして、「救難」する物語を想像し再現していたものである。

僕が研究する平安朝和歌にも、ジオラマが登場する。洲浜や屏風絵といった類のものがそれで、その虚構の光景を基にして、作歌するという行為がなされる。自然を一旦はコンパクトな把握できる世界に凝縮して、それを如何にも自然そのものであるかのように言語で再構成するという芸術的作業である。書物の中の文字文化のみならず、人間は鳥瞰的な世界観を立体的に再現し言語と関わらせることで、豊かな心と想像力を練磨してきたといってよい。

いま読んでいる書物に、次のような一節を見つけた。「カチカチに固まった身体で精密な運動をすることはできない。」その書物でも指摘されているが、「思考」でもまったく同じことが言える。柔軟な心があってこそ、精密に物事を考え判断することができるのだ。精巧なジオラマを生み出す精緻な作業にも、たぶん手先のみならず想像の柔軟さが求められているはずである。そこに僕たちは、世界観を感得できるゆえに、そのコンパクトな"虚構的現実"に魅せられるのであろう。

絵本の中の豊かで温かい心のあり様。
いま国語教育で必要なのは、こんな部分かもしれない。
Xmasを過ごして得られた感情の機微。
絵本によって、また新たな自分の心の方向性に気付く。
いつも童心を忘れぬ無邪気さの中に身を置いていたい。
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『サンタさんありがとう』のあたたかさ

2013-12-25
「クリスマス・イブのひになりました。


 プレゼントをつつみおわったサンタさんがいいました。
 「さあ、これでじゅんびがすっかりできた。
 くまさんもきれいにリボンをむすんで、
 でかけるしたくをしなくちゃね」


 くまさんはそーっと、サンタさんにちかづくと
 サンタさんにいいました。
 「ぼく・・・ずーっと、サンタさんといっしょにいたい。
 なんでもおてつだいするし、
 いいこにするから、
 ここにいてもいいでしょ?」

『サンタさんありがとう』(長尾玲子さく・福音館書店1998年)より



クリスマスイブの夜には、悲喜交々の物語がある。
最近出逢ったクリスマス絵本の中で、最も心の温かくなる一品から。
ロマンスやファンタジーの世界を、冷めずに享受する素直な心。
子どものみならず、大人が失ったものを取り戻せる時間。
就寝前にいまいちど読んでみた。

豊かな夢が見られた。
朝になって嬉しいこともあった。
絵本が教えてくれる世界観を大切にしたい。

冒頭に引用した「くまさん」はどうなるのか?
ぜひご一読いただきたい。



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僕にとっての「全国大会」

2013-12-24
スポーツでも文化活動でも、
全国大会のレベルというのは、見た目以上に過酷だ。
表面上の論評はできても、
その背後には様々な苦悩と努力がある。
試合を生で観ることで喚起されるものとは。

従姉妹の娘が、バスケット高校全国大会である「ウインターカップ」に出場している。夏には、高校総体にも出場し、僕は近県在住ゆえに観戦に行った。再び親類が集まっていた東京で、いや、彼女が出場したから親類が集まった東京で、試合観戦をする機会を得た。幼少の頃から知っている可愛い娘が、今や僕を遥かに超える身長になって、全国大会で闘う勇姿には感慨深いものがあった。この舞台に至るまでの過酷な練習などのことが、必然的に想像された。

僕自身は、スポーツはしていたが全国大会に及ぶほどの選手ではなかった。だが、出身高校のバスケット部が伝統的に強く、同級生たちは当時の全国選抜大会(春3月開催だった)で3位に入る好成績を残した。自ずから体育の授業のレベルも甚だ高く、バスケット競技をやる時はかなりの試合が展開されていた。体育担当教員がバスケ部コーチであったので、彼が授業中に「つまんないなあ〜」と独り言をいうと、部員が呼応して"ダンクシュート"までを魅せてくれたりもした。

それでも体操競技を扱う授業で唯一僕は、「全国レベル」の彼らを凌駕できた。大体にして、前述した担当教員がバスケ専門のため、体操が甚だ苦手なようであった。マット運動や跳び箱に鉄棒の演技見本は、僕がクラスの全員に見せて技術指導もした。体力テストとなれば、得意の瞬発系下半身を活かして、垂直跳び85cmを記録し、全国大会レベルの級友から尊敬される栄誉を得ていた。こんな学級環境が、全国レベルを考え批評する思考を養ってくれていた気がする。

教員に就職してからは、学級担任や授業担当をしている生徒たちが、全国大会で闘っていた。一般的に考える以上に、1年生からの下積み生活は厳しく、レギュラーに残り脚光を浴びる生徒は一握りである。彼らの日常を支援している立場として、むしろレギュラーになれずに志を失いかけた連中のケアが、教員としての責務でもあった。それでもなお、野球やサッカーが大好きで応援団として頑張り続ける者も多かった。そんな青春群像と付き合ってきたことが、僕の中に何かを起動させてくれたのは確かだ。

それは、僕が高校・大学で抱いていた志の再起動であった。「国語(文学)」に関連した「教員」になることは揺るがなかった。学部卒業後には、前述したように高校教員となった。暫くは無我夢中の教員生活を送っていたが、ふと自分も「国語(文学)の全国大会」で勝負すべきではないかと思い立ったのである。そこで一から大学院への受験勉強を再開し、一般入試で合格し、修士から博士後期課程まで研究に取り組むという苦闘に挑んだ。「全国大会」の壁は甚だ厚いと感じたが、もはや後戻りはできなかった。その結果が、2009年の学位取得に至るわけである。

人生は、いつからでも「全国大会」に挑戦し直せる。
そして「世界大会」という更なる高みがある。
一度きりの人生ゆえに、存分に欲張りたいと思う。
今、僕自身が立つ舞台を冷静に捉え直すこと。
従姉妹の娘の姿が、それを再び教えてくれた。
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親類が呼び起こす記憶

2013-12-23
デパートへ買物に行くこと。
レストランでのお子様ランチ。
地下食料品売場の喧騒。
何か楽しみなものが、買ってもらえること。
久方に、母の買物に付き合い思い起こした記憶。

その場にあった"リカちゃん人形"。
ふざけて思わず投げつけた。
すると、解放されていた窓から外に飛び出した。
田んぼの表面に頭から突きささった。
人形の持ち主である従兄妹が、大泣きした。

実家のある街の駅。
外観は大きく変わった。
駅から実家までの道を歩くと蘇る、数知れない記憶。
青春時代の甘酸っぱさが、未だに味わえるような。
街は変われど、育って来た感覚はいつまでも身体の中に。

両親や兄弟。
そして従兄妹と会うことで、
呼び起こされる記憶。
自分の原点回帰となる貴重なとき。
距離に関係なく大切にしたい時間。
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「朗読の理論と実践の会10周年記念シンポジウム」を開催して

2013-12-22
前ぶれもなく会場に声を投げ掛ける。
果たして一人一人に届いているのか?
〈教室〉での「声」の存在を考えてきた10年間。
カジュアルな服装、参加者はすべて「さん」付で呼ぼう!
この会から巣立った多くの教員たちがいる。

ちょうど2001年頃であっただろうか。「しし座流星群」が大量出現し、巷間の話題をさらった。僕も東京の夜空を見上げて、いくつかの彗星を見ることができた。その時の「願い事」が今年叶った。それを「願い事」だと僕は信じて疑わないが、同時に自分自身の「意志」でもあると思っている。「願い事」をすれば、それは強固な「意志」となり、10年という歳月をかけて現実になるものなのだ。

少々、個人的な感慨を述べたが、中高教員として〈教室〉での「声」を検証し続けてきた10年間を経て、僕は今、教員養成の使命を帯びた大学教員となった。今僕が語れることは、この10年間で出逢った全ての方々から学んだことが基礎となっている。高校現場で『平家物語』群読を行うことに対する「危うさ」を指摘する批評的な態度。古典教材と「声」との関係性。「絵本語り」に読むことの始原を見出すこと。「漢詩朗誦」を教育現場で活かすための日中交流。中学校定番教材『走れメロス』を「声」で読む授業。拙著に含まれるこうした各章のテーマは、この研究会におけるシンポジウムに支えられてきたのだ。

2007年度を中心に展開した「早稲田大学ことばの力GP」があったことも、僕にとって幸運だった。俳優・朗読家・声優といった「声のスペシャリスト」の方々に出逢った。そのコラボレーションした講義から、「教育現場にもっと声を」ということを自信を持って声高に語れるようになった。そして早稲田大学教育学部に「授業に活かす朗読講座」という教職科目が設定され、初代担当者となった。その授業の受講生たちとの出逢いがまた、僕の「意志」を一歩ずつ確かなものにしてくれた。そこから巣立って今や現場の教員となっている若者たちが、「声」を基点とするこの会に、同窓会のように戻ってきてくれた。

「朗読は人をつなぐ」
この研究会を行って来て、僕自身の内部から自発的に出てきたことば。
それを、この日のイベントであらためて実感できた。

パーティーになって、僕の大好きな詩、谷川俊太郎さんの「生きる」の冒頭に、
各自が「今年の一番」を創作して付け合わせるという余興が行われた。
そして「現役」と「OBOG」組に分かれ3班を構成し連句式にことばを織り成して行った。
僕は、全体の冒頭になった。

「生きるということ
いま生きているということ
それは
自分の研究室の扉を開けるということ」


そして多くの参加者の「今年一番」が、
豊かな「声」によって投げ掛けられた。

そして会場を出たとき、
「これからの10年」が起動した。
「声」にこだわる新たな歩みが始まったのだ。
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