質問内容こそヒントなのだ
2013-09-30
研究発表に添えられた質問時間。例えば、30分の発表に10分間。
毎度、この部分の充実こそ貴重だと思う。
だが、時間切れという場合も少なくない。
質問内容こそ自己研究のヒントでもあると心の内に書き留める。
質問時間に複数の手が挙がる。その研究分野にたぶん一番精通した方が指名を受けることが多い。だが、他の分野からの視点での質問も重要だ。限られた時間内であるゆえに、専門分野であるならば、要点を絞った質問をすべきであろう。派生的に複数の質問を羅列すれば、答える発表者側もその場での十分な対応が困難になる。ましてや発表の枠外とも思える質問は、基本的に他の時間にすべきであろう。
発表者側の受け答えで、昨今気になる言葉がある。一通りの答えをした後に、「お答えになっていますでしょうか?」と添えるのである。少なくとも研究学会の発表であるならば、「答えになる」妥当な”答え”をすべく最善を尽くすべきではないか。前記のような言葉を添える発表者を見ると、当初から躱したのか逃げたのかと、その姿勢を疑ってしまう。少なくともその後に批判が残ったとしても、真っ向から”答えた”という姿勢を示すべきではないだろうか。
この日の研究学会でも、僕自身、何度か挙手をすべく身構えた。いずれの機会とも時間切れとなってしまった。もちろん質問時間になってすぐさま挙手をすればいいのであろう。だが、この分野に対してはこういう知見でよいのかどうか?などという疑問を抱き始めると、質問の状況を窺ってしまうこともある。そしてまた「はっ!」と気付かされることには、その質問しようとした内容は、自己の研究によって更に明らかにすべき点ではないかと自覚することが多いということだ。
基本的に研究においては、特に研究学会の場では、その参加する者全員が公平であるべきだろう。それゆえに発表者がねじ込めなかった分野について、聴衆として新たな場に名乗りを上げて答える義務もあるのではないかと考えた。そのような意味では、今回の学会発表を聞いていて、自己の問題意識がいくつも耕された。次は僕自身が発表の場に出て、この疑問に対する分析結果を公表する番である。11月に予定されている研究発表に向けて、尚一層の研鑽を積もうと決意している。
質問とは一方的に「教える」のではなく、
相互に「気付き合う」ためにあるのだ。
極当たり前のことであるが、
質問者・発表者双方の姿勢から、
それに気付いていない場面を目にすることもある。
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遅延にも焦らず
2013-09-29
交通機関の遅延をどう受け止めるか?自分で考えていた予定が次々と崩れ去る。
だが焦るべからず。
変更された時程でこそ出会えるものがある。
時に運命に身を委ねるのもいい。
出張の朝、早々に空港にいくと予約していた搭乗便が遅延となっていた。数日来、頭の中で描いてきた研究学会会場までの行程が、その場で崩れ去った。遅延時間は45分、その微妙な時間差で、何ができて何ができなくなるのか?幸い研究学会開始までには時間に余裕があったのだが。
アメリカに行く経験が多いために、航空機の遅延には慣れて寛容になっている。場合によると、1泊が強制されたことも経験した。複数の乗り継ぎ便がありながら、各便が尽く遅延するという負の連鎖に巻き込まれたこともある。その時の外国人たちの対応の潔さには、学ぶところが多かった。怒りも落ち込みもせず、すぐに次の対応を冷静に行動している人々が多いように見えた。
電車などをはじめとして、日本ほど交通機関が正確な時間に運行する国はあまりない。5分や10分程度の遅延でも、アナウンスでは謝罪の言葉が連呼される。そして通勤の乗客たちは苛立ちの表情を滲ませる。耐え切れず経路を変更する者や、携帯で一斉に諸方面への連絡が始まる。
この日は、自分の航空機の遅延をTwitterに書き込むと、ある知人から「遅延も旅程のうちです」と返信があった。まさにそうだ。その言葉にすぐさま落ち着きを取り戻し、ゆったりと空港で朝食をとった。この余裕がいい。その後に予定していたことも、問題なくこなせて、無事に開会時間には研究学会会場に到着できた。
人生にも遅延や遠回りがある。
学会懇親会で、修士時代に同じ授業で学んだ方と再会した。
彼はその実力通り、順調な歩みを続けていた。
僕はようやく大学研究職での道を得られた。
道の歩み方はそれぞれだが、味のある僕自身の回り道を自覚した。
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素顔のままでいい
2013-09-28
人はどれほど素顔のままでいられるのか?例えば、朝起き抜けでどこまで外に出られるか。
玄関まで、新聞を取るポスト、はてまた近くのコンビニ?
寝癖ある後頭部で仕事面というギャップ。
しかし、素顔のままでというのは悪いことでもない。
人は、いくつもの「仮面」をかぶり社会生活をしている。子どもの時分から、親に対して、学校でのそれ、それぞれの小さな社会的な顔等々。だが、根が正直であれば、極力素顔のままでいることも可能であろう。まったくの「仮面」なしというのは、厳密には難しいのかもしれないが、心根と行動がかなりの線で一致していると思われる人を見ると、ある意味で信頼できるイメージを抱くことができる。
親子・親戚・夫婦・恋人・友人・師弟・上司部下等々それぞれの関係で、どれほど「素顔のままで」いられるのであろうか?その「素顔」の”露出度”によって関係性の濃淡が左右されるようにも思う。建前の「仮面」をかぶれば、いつかは関係性が拗れる原因となりかねない。「腹を割って」という成句もあるように、「素顔」で話し合えるのが人間関係の尺度のようでもある。
サザンオールスターズの初期の曲に「素顔で踊らせて」がある。その一節に曰く。
「ためらいはとうに止めて心躍らせてよ
恋すれば誰もかれも 辛いこともあるよ
素顔のままでいい」
恋愛関係にある男女が「素顔のまま」を求める心の機微を語る、
絶妙なバラードである。
せめて、自分自身の心に向き合う時には、
本当の素顔を意識してみるべきだろう。
生きる上で苦しまないためにも、その自覚が重要であるように思う。
「素顔のままでいい」
それでこそ初めて自己も他者も「心躍らせる」ことができるのだろう。
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リレーの醍醐味
2013-09-27
秋、運動会の季節である。この行事が好きであったか否か?
思い返せば幾多の思い出がある。
なかでもリレーの走者として、
次の者にバトンを渡す緊張感は堪らなくいい。
小学校低学年では、決して足が速い方ではなかった。早生まれのせいか、幼稚園からむしろ”鈍い”部類の子どもだった。しかし高学年になる頃から、不思議と足が速くなり出した。今考えれば、自分の部屋が4Fにあり、毎日何回も急な階段を昇り降りしていたのが、脚力強化に繋がったのではないかと考えたりもしている。
足の速さに比例して、勉強も”鈍さ”を解消し、また学級委員などにも自ら立候補するようになった。この頃から、歩く・走ると脳との相関関係が読み取れるという訳である。中学校に入学すると、足の速さは常に学年一番であったと記憶する。プロ野球入団テストの1次基準が、50mを6.3秒以内であることを知り、そのタイムを目指した。毎朝毎朝、走り込む日々であった。
高校に入学すると、6.1秒(50m)が記録できるようになっていた。学校には陸上部で5.9秒で走る男がいて、彼にだけは勝てなかった。だがクラスでも、クラブ対抗でも必ずリレーに出場するようになった。特にクラブ対抗で、400mトラックのコーナーで2人を抜き去ったことは記憶に鮮明だ。偶々、器械体操部の同期生には足の速い奴らが多く、クラブ史上に残るリレー2位を記録した。(バスケット部が全国トップレベルの実力で、そこだけには敵わなかった。)
こんなことを思い出しながら、人生にもリレーがあると最近思う。だが、バトンを貰う相手、渡す相手は、偶有性に満ちた中から、理屈では説明できない縁で結びつくものだ。そのバトンを渡すタイミングが絶妙に合致し、不思議と潤滑に物事が進行する場合もある。そしてまた、人生の走り方には流儀がある。日常から日々、どのような習慣をもって生活しているか。バトンに象徴されるものに刻まれた、生活の表層がある。
生々流転。
生きるとは、この中に身を置くことでもある。
バトンを渡し、新たなバトンを受け取る。
「ゆく河の流れはたえずして、しかももとの水にあらず。」(『方丈記』)
流れの中で、出逢えた人々に心から感謝である。
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緩やかな速度の効用
2013-09-26
ハイブリッド車カタログに表示された高い燃費。それを実現するには、運転に工夫が求められる。
どれほど必要最低限のエネルギーで走るか。
緩やかな速度の効用。
速度を上げた車に次の信号で追い付くことしばしば。
停車してエンジンを切るとその間に走った燃費が表示される。換言すれば、その運転時間内に、どのような走りをしたかが可視化されるのだ。苛立って速度過剰になっていないか。果てまた緩やかに柔らかく停止時に発生した蓄電をフルに活用して走っていたか。機械はある意味で、正確に人の心が反映した行動を数値に置き換えてくれる。
何事も「行動第一」というのは、特にここ最近の信条である。思考を疎かにするわけではないが、直感的に行動することで何かが見えて来ることが多いと感じているからだ。「行動」が見えるとすぐに準備を始める。交通機関の予約・先方へのアポイント、更には自分の立場を表明し突き進むかの如く邁進する姿勢。根っから下町育ちの江戸っ子気性が備わっているせいか、前に前に速度を上げて行動しようとすることを標榜していることが多い。(それは小欄を読んでいただいていても、ご理解いただけるであろう。)
だがしかし、ときに緩やかな速度とか、静止して考えることも必要だと気付かされた。「急いてはことを仕損ずる」の格言通りである。止まってみて、どんな燃費で走っていたか計器を見つめるような時間。内面の思いとは裏腹に、思っていた以上にアクセルをふかし過ぎていないか。高速道路を走行すれば、一般道では発見できる興味深い物事が見えてこないかもしれない。
緩やかにときに静止する。
均衡のとれた一点を見つめ直す。
人の心に触れるには、こんな柔らかさも求められるであろう。
語らいの中に、穏やかな自己を発見する。
畑で農作物を育てるのには、時間と労力が必要なように。
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一点凝視ーバランスの身体感覚
2013-09-25
片足立ちになり様々なポーズでバランスをとる。なかなか日常生活の中ではしないことだ。
それだけにいつしかこの”能力”は極端に衰退している。
ではバランスを保つ為にはどうしたらよいか。
一点凝視こそ極意であることをあらためて悟る。
ジムで全身のバランスを整えるプログラムに参加している。肩甲骨・股関節・足の裏面から腰周辺の柔軟性、コア筋力(四肢以外の筋力・主に腹背筋)を始めとするインナーマッスルの強化、そしてバランス感覚等を養う内容だ。派手さもなく、むしろ精神的に落ち着きを求める如きプログラムであるが、この目的こそ実に大切であると最近特に感じている。
さて、そのバランス感覚である。日常ではせいぜい靴下を座らずに片足立ちで履くことぐらいしか、実行しない行為であろう。その靴下をどのように履くかは、身体年齢のバロメーターであるとも云われる。ジムのプログラムの場合、片足立ちとなり、しかも上げた方の足を手で押さえつつ腰以上の位置で保つとか、あるいは前傾姿勢で手を伸ばしたりもする。この時に、揺れない為に一番大切なのが、一点凝視なのである。
視線がこれほど身体バランスを支配しているものかと、愕然とするほどの発見でもある。身体がバランスを崩して揺れているのは、必然的に視線が揺れているのだ。スタジオの床板の継ぎ目とか、節のような模様を発見し凝視することで、身体はバランスを格段に取り戻す。人間の頭の重さを感じるとともに、知らぬ間に衰えている身体感覚の怖さを感じ取る瞬間である。
僕は、高校時代に器械体操をやっていたせいで、バランス・柔軟性には自信があった。それだけに今現在の自己の身体レベルにたいそうな不満がある。筋力強化という見た目に成果が出るトレーニングを「陽」とするならば、「陰」ともいえるこうした隠れた身体感覚を呼び覚ましておくことも、年齢とともに必要であると強く感じる。自己の身体は自覚次第でコントロールできるのである。
日常の思考でも、視点が揺れることはないだろうか?
視点が定まらなければ、バランスを崩しそれが行動に及ぶ。
ある一点に定めたときに、絶妙に身体が”止まる”瞬間がある。
その境地を思考でも発見し続けるべきではないだろうか。
一点凝視・・・この絶妙な身体感覚に学ぶ。
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聞き上手は語り上手
2013-09-24
聞くことからすべてが始まる。相手の問い掛けに的確な対応をするということ。
語ることで自らの考えを纏めて行く。
また反応を受け容れるということ。
そうして初めて、心のカタチが見えて来る。
心の中で自問自答することも重要だと考えたのが一つの動機で、小欄の文章を1400回以上も連ねている。自問自答であるならば、己だけが読める日記帳にでも記せば済むのかもしれない。だが、敢えてこうした欄を設け公表することで何かが産まれると確信している。己の足跡として、情報蓄積の場として、そしてまた聞き上手語り上手になるための一指標として。
親友と話していて、こんな話題となった。そこで教わったのは、僕は語ることで自分の考えを纏めて行くタイプだということ。忌憚のない思いを語り、そして忌憚のない反応を貰う。相互の心に陰を作らず。そうすることで鏡のように、親友のことばから自分自身が浮かび上がって来る。たぶん親友の中でも同様の作用が産まれているのであろう。一定の時間を話すことで、お互いにスッキリした爽快感があった。
自問自答を繰り返せば、いつしか独善に陥る。そこから脱却するには、こうした親友からの批評的なことばが必須であろう。「なぜ・・・しないのか?」「・・・はしているか?」「それは、”らしく”ないのでは?」といったことばには、「はっ!」と気付かされることが多数ある。思いっきりそれをぶつけてくれる人、それが親友である。
こうした会話から産まれる効能として、聞き上手語り上手になるという点がある。研究上のやりとりでは当然のことかもしれないが、意外にそれを疎かにしている研究者・教育者をよく見掛ける。まずは相手の話を真摯に受け容れるということ。それが自らにどんなに都合の悪い批評であっても、正面から受け止めるべきである。
聞き上手に偏ってもいけない、
語りのみしか放出しない輩を、「上手」とは呼ばない。
相互の心の内に、新たな意味付けを創るということ。
コミュニケーションの出発点。
生きることの原点でもある。
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秋の一歩を味わう
2013-09-23
四季折々いずれも好きであるが、殊に落ち着いた雰囲気の秋が好きだ。
昨年までは残暑に惑わされてその味わいも疎かにしていたが、
今年は新たなる土地で、秋の一歩の存在感が大きい。
景物も食物も、そして物事の運びも。
まだ暑さを感じるうちに、叢の虫の音を聞く耳。冷房に頼らず、涼風を窓から招く爽快感。いつしか斜陽の時間は早くなり、曙の光も起床時間より遅れ始める。青空の高さは増して、乾いた空気が流れ始める。至って自然の当然なる摂理であるが、今年は日々、そのような変化に対して、より敏感になった自分がいる。
葡萄や梨が店頭に並ぶ。その色彩自体が、たいそう秋の味覚を刺激する。こうした果物に対しても、都会では新鮮さが感じられず、特に食指が動かすこともなかった。だが今年は、地元産の葡萄や梨、それに極早生蜜柑などを必ず買うようにしている。食生活の上でも、果物類の補給は大切であると、ある書物に教わったところでもあって。
暑さから抜け出すと、何らかの変化が生じる。もちろん身体上では、風邪などに用心が必要でもある。だが、暑いうちに苦心した行動が、次の段階に進むのを眼の当たりにするのは、実に気分がいい。暑さで育てられた作物が、収穫される時季。人事においても、具体的な収穫を見つけたいものである。
「秋は哀しき」とは、中国詩文から和歌に移植された観念である。
その「哀しき」を日本人は、「愛しき」に変換して来た。
味わい深き秋の一歩を大切にする日常がいい。
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「進め、進め、」と朗読しよう
2013-09-22
夜な夜な、夢かうつつか、武者小路実篤の詩を朗読していた。
もちろん正確に暗誦していたわけではない。
ただただ、繰り返される「進め 進め」のフレーズに魅せられて。
前進する力を与えてくれる珠玉のことば。
「進め、進め、」
武者小路実篤
「自分達は後悔なんかしてゐられない、
したいことが多すぎる
進め、進め。
麦が出来そこなった!
それもいゝだろう
あとの為になる
進め、進め。
家が焼けた!
それもいゝだろう
新しい家がたつ
進め、進め。
人がぬけました
仕方がない、
更にいゝ人が入るだろう、
進め、進め。
何をしたらいゝのかわからない!
しなければならないことを
片つぱしからしろ、忠実に。
進め、進め!
こんな歩き方でもいゝのか。
いゝのだ。
一歩でも一寸でも、信じる道を
進め、進め、
神がよしと見た道は
まちがひのない道だ
進め、進め。
兄弟姉妹の
幸福を祈つて
進め、進め。
つい足をすべらした、
かまはない、過ちを再びするな
進め、進め。
後悔なんかしてゐられない、
したいことが多すぎる、
進め、進め。」
今年度前期の「授業に活かす朗読講座」で、ある学生が即興で朗読した詩。
遅刻したことへの容赦を求め、途中参加でも遅れじとする意志が感じられた。
一つの朗読素材として、ここに提示しておきたい。
「自分達は後悔なんかしてゐられない、
したいことが多すぎる
進め、進め。」
そうだ、進もう!!!
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人としての年輪
2013-09-21
樹木は、その年輪を見ればその成長が見える。だが人はどこを見れば過去の足跡が見えるのだろうか?
あくまで自己の記憶の中にそれはあるのか。
どんな過去でも厳然と受け容れ、
それを成長と見る人としての年輪。
ある知人、いやもう親友と呼ぶべき方と深夜に及んで話した。お互いの”今”はどうであるかと。過去の様々な紆余曲折、喜怒哀楽のすべて、様々な人との関係性、そして今舵を向ける方向性等々・・・。それほど具体的な話をしている訳ではないのに、なぜか頷ける点がたくさんあった。
人は誰しも消すことができない過去がある。記憶の中で上手に己で意図的に操作し、刻まれた瑕疵を稀釈することはできる。それでもなお、”現実”としての過去は、消え去ることなく存在し続ける。だが、大切なのはそれを引き摺らない潔さではないか。刻まれた年輪は如何ともし難いのであるから。
人は産まれたときから、両親という一定の「枠」の中に存在している。だが、その「枠」は様々に変化する可能性がある。そして成長とともに、その「枠」から離脱すべきときが来る。するとまた自ら多様な「枠」を作り出し、その中で生きて行く。学校も仕事も居住場所も結婚など諸々、何らかの縁で結ばれた「枠」に入り込み自己を醸成し、はてまた時が来ればそこから離脱することもある。
年輪を意識したとしても、人は”今”を生き続けるしかない。何かを見て聞いて嗅いで味わい触れて、そして思考する”今”。ただただその自己を受け容れていくしかない。どうせ受け容れて行くならば、潔く今自己が存在していることに感謝して、今日の一歩を標せばよいのだろう。今日まで歩んだ一歩一歩に、後悔の念を抱いて躊躇するよりも、思いっきり”今”の歩みを大切にしよう。
思考・感情があるからこそ揺れる人としての年輪。
謙虚に山の斜面に立ち並ぶ樹木を見て思うことがある。
樹木の放つ芳香が漂う環境に戻っての感情。
樹木にも節目があるならば、
人にもまた節目がある。
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