組織ゆえでない人との繋がり
2013-03-30
この2ヶ月ほどで、多くの人々と語らう時間を持つことができた。
少々無理をしても人と会う約束をし続けて来た。
中高の恩師から大学・大学院時代の先生。
研究会やサークルの先輩後輩。
教え子たち。
そして掛け替えのない友人たち。
総合的に僕が語り合った人々を一括りにすると、
“組織”に依存せず人として繋がっているということだ。
往々にして建前が優先する“組織の理屈”よりも、
人としての繋がりこそ重要だということをあらためて思い知った。
仕事をする組織との関係も、時代によって、そして年齢によっても大きく変化する。昨日の小欄に記した新任教員の頃は、“組織”に所属しているという感覚ではなく、楽しい“仲間”と毎日を過ごしているようであった。当然ながら上司への愚痴もないわけではないが、それを仲間同士で冗談半分に語らうことで、ストレスにもならず、また組織の中での泳ぎ方を自ずと先輩教員から教わった。僕自身の感覚でいうならば、まさに大学のサークルが延長され、ある種の“教育サークル”活動が進行しているかのようなものであった。年度末には小集団による温泉旅行も催された。次第に若手だけの温泉旅行を僕自身が幹事役を買って出て開催したこともあった。こうした人との繋がりの濃厚さが、現場での対応を支えていたわけである。組織はやや冷遇する傾向があったゆえに、むしろ人間的関係が強固に形成されていたのかもしれない。
対照的に組織の理屈を最優先に運ぶ場もあった。人事を始めとする待遇に関して異様なまでに執着し、己の安泰を求める為には他人への非難も辞さない風潮があった。換言すれば、他人への非難をすることで自己への非難を躱すという、「攻撃は最大の防御」といった行動を実践する人々が多い場ということだ。その組織特有の“力の持ち方”が存在していた。最近になって思うのは、年賀状の存在である。その組織を離れてからというもの、ほんの一部の人からのみ年賀状が届くようになる。ということは組織に属している間に来ていた年賀状は、概ね“建前”の象徴であったとうこと。ゆえに、冒頭に記したこの2ヶ月間において会うことができたのは、当該組織の中からは唯一1人であった。
蓋し、
あらためてこの2ヶ月間、
温かい気持ちを寄せていただいた、全ての方々に深い感謝の意を申し述べたい。
やや自画自賛することが許されるならば、僕はこのように思う。
組織に依存しない豊かな人間関係を築こうと努めてきたことが、
この機会に象徴的に“かたち”になったということであろう。
こうした人間関係を持てる“教員”であること。
僕が、“教員”である理想の前提条件である。
全ての方々の思いを胸に、新しい出逢いがもうすぐそこにある。
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