教員であるということ
2013-03-29
授業をどのように成立させるか?そこから全てが始まった。
新任教員として教壇に立った日が、今にして思い返される。
初年度にして高校3年生「古典」担当。
生徒の方が学校の全てを熟知していた。
次第に授業の50分間は、彼らのペースになっていった。
授業担当クラスの全ての生徒の顔と名前が一致するまでには、暫くの時間を要する。その時間の猶予が与えられる間もなく、生徒たちは自分たちが心地よい座席に“移動”していた。目的はもちろん“おしゃべり”か“睡眠”。その授業中として両極端な行為は、教壇に立つ僕が発することばを黙殺することに等しい。著書にも書いたエピソードであるが約1ヶ月の後、僕は「うるさい!!!」と怒りの大声を〈教室〉で上げる。しかし効果は一瞬であるばかりか、生徒の心と大きく乖離する原因を作ってしまった。更に“睡眠組”に対しては、“机間巡視”(教育実習等でよく使用される用語)をして、肩を叩き(ご時世柄「肩に触れ」と表現した方が適切かもしれない)目を覚まさせるが、それも数分すれば元の状態に戻ってしまう。
教材研究を入念に行い、「古典」の魅力を存分に伝えたいと構想しても、肝心の伝える場である“授業”が成立しない。教員となって最初にぶつかった大きな壁。伝える為にはどうしたらよいか?そんな模索が僕の中で繰り返された。最初に考えたのは、彼らは日常でどんなことを考えているのだろうかと想像すること。全国レベルで強豪とされる運動部を2つ有していた僕の最初の勤務校では、独特の環境があったといってよい。多くの生徒が考えているのは、部活動で“成功”すること。極端にいえば、15時以後の放課後が彼らの真剣勝負の場であった。ならばその“成功”の為に、少しでも“利益”になるようなスポーツ競技上の逸話やら、勝負を決する機微にまつわる古典の話というものをしてはどうか。自ずと授業では「マクラ」が重要になった。
初年度を終えて、2年目以降になるとこの「マクラ」が有効に機能し始めた。(と思い込んでいたのかもしれないが。)世に言う「雑談」によって生徒の興味をまずは教壇に向けることに成功したといえるだろう。(もちろん全員というわけではないが、比率として)僕自身もスポーツを大変愛好しているという関心の高さが、生徒の意識と合致して来た。そこで感じたのは、〈授業〉とは、聴く側の生徒の感覚を大切にするべきだということ。決して授業者の思考を押し付けたのでは始まらないということだ。
以後比較的、運動部の生徒とは良好な関係を結ぶことができた。その原点は、〈教室〉に座って授業を受ける者には敬意を払って対応するということ。これはどんな面においても「人として」の原則であるように思われる。例えば、酒場のカウンターで一人グラスを傾けていたとしよう。店の人や隣に座った客と会話がしたいなら、まず「相手の話を聞く」ことが第一であるはず。世間には、こうした場で一方的に自分のことを話し尽す輩も見掛けるが、本人にとっても周囲の人にとっても無益な時間となってしまう。人と人とのコミュニケーションの原則は、相手への“敬意”に他ならない。
授業とは絵空事ではなく「対話」である。
聴き手に伝えようとするコミュニケーションの場である。
様々な困難もあるが、「人として」深く模索したい。
僕の経験から思うこと。
最後にある歌詞を引用しておこう。
「人として人と出逢い
人として人に迷い
人として人に傷つき
人として人と別れて
それでも人しか愛せない」
この歌詞、ご存知の方も多いであろう。
ドラマと現実は違うと言う声が常に聞こえて来る。
だがしかし、教育に「愛」が必要なのは間違いない。
「それでも人しか愛せない」のである。
教員になって本当によかった!
- 関連記事
-
- 〈教室〉では疑問の声こそ大きく (2013/05/21)
- 定着ではなく愛好へ (2013/05/11)
- 古典教育における小中高の連繋を考える (2013/05/10)
- 学生はなぜ講義で前に座らないのか? (2013/05/09)
- 学び合う「現場」がある (2013/04/25)
- 大学入学で何が変わるのか? (2013/04/04)
- 「役に立つ」を超えて行け! (2013/03/31)
- 教員であるということ (2013/03/29)
- 教員は学び続けるべきだが (2013/03/08)
- 大学院修士「共通選択科目」の意義 (2013/03/01)
- 世代論としての“沈滞” (2013/02/21)
- 「学校」とは楽しいところ (2013/02/05)
- 全学級35人断念=「費用対効果」への疑問 (2013/01/27)
- 誇りと現実の報酬 (2013/01/24)
- この年代に不運が続くのはなぜ? (2013/01/15)
スポンサーサイト
tag :