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3.11からの2年間

2013-03-12
14時46分どこでどんな状況であったか。
忘れようにも忘れられない時間の記憶。
命があってここまで生きて来られた。
身体に刻み込まれた記憶は、あの日あの時を常に蘇らせる反応をする。
自宅近くの横断歩道で信号待ちをしていたあの日の場所に立つだけで。

3,11から2年間という時間が経過した。この間、僕たちは何を考え、何をして来たのか。被災し命を落とした多くの方々のご冥福を祈るとともに、生き続けられる僕たちが、何をしていかなければならないかを深く考えたいと痛感する1日であった。果たしてあの日から、何が変わったのか。

学校等では半旗が掲げられている。記憶を退化させない一つの象徴的な方法であろう。また被災者の方々の慰霊式典も開催された。「第二の戦後」とも呼称されたこの未曾有の大震災に対しての政府としての姿勢が見える。記憶を保存し式典として形を整えるのももちろん重要であろう。だが、あの日から僕たちの中に巣食ってしまった“思考”をどのように表現し未来に継続していくかという意識の上での前進というものは、何をどのように表現したらよいのだろうか。

「安心・安全」の崩壊。そして「情報の信頼性」が揺らぐ。この大震災は、地震と津波という自然の猛威のみならず、福島第一原子力発電所事故という人災を伴う複合的災害として、今も尚多くの問題を抱え込んでいる。大きな枠組みで語るならば、戦後日本社会の裏側が大量に露出したといえるかもしれない。2年前の担当政権による対応にも多くの“過ち”があったであろう。だがしかし、それを局所的な“過ち”では済ませることのできない、日本社会そのものが抱え込んでいる負の裏面が構造的に明らかになったのである。

「復興」へ向けての合い言葉として「一つになろう」といった類のものが喧伝されるが、果たしてそれだけで真の「復興」は遂げられるのだろうか。「一つになる」ということで、個々が置き忘れてしまう重大な“意識”があるように常々感じている。いわば、僕たちの生きる社会が、どのような構造の上にどのような悪弊を抱え込みながら歩んでいるのかを“思考”すること。その意識の高さを喚起しない限り、真の「復興」はあり得ないのではないのかということである。

小欄にも「2011.3.11以降」というカテゴリを設置し、様々なことを思考してきた“つもり”である。そこに刻み込んだ意識を更に錬磨し進化させていく必要性を、この2年目にして新たに誓うのである。

この2年間を自分はどのように歩んだのか。
そんな個人的な振り返りを重ねてもやはり
忘れてはならない“意識”がそこに刻まれている。

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