都会の空気を汚したのは誰だ
2013-03-07
春霞立てるやいずこ朝の遠景がだいぶ変わった。
富士の高嶺も見えづらくなり、
やや黄色に霞んだ“東京砂漠”の風景が眼に入る。
気温の上昇とともに春の足音が大きくなってきた。
こうした視覚による春と比例して、僕は花粉症歴が長いので辛い季節の到来となる。マスクと花粉防御用眼鏡を装着し外出するという“不自由”さを伴う。そして自宅室内には、空気清浄機をフル回転させる。こんな対策とともに、ここ数年免疫力改善に努めて来たので、症状は比較的穏やかだ。
元来、杉の木の多い日本の風土の中で、花粉と人間は共生していたはずだ。それが今では花粉が出にくい品種の研究など、人間の都合に合わせた対策も進むと聞く。医学的に「アレルギー」と呼称すれば簡単に理解した気になるが、果たしてその要因をどのように考えたらよいのだろうか。アレルギー反応を起こす物質の存在のみを過大視して、忌避して済む問題なのだろうかと考えることがある。
毎日のように中国での大気汚染の深刻さと、日本の国土にも飛来して数値が上昇することが報道されている。北京などの映像でその汚染は可視化され、尋常でない状況であると認識する日本人は多いだろう。だがしかし、これは嘗ての日本も通って来た道なのではないだろうか。中国都市の場合、元来、大陸性による西からの風に乗って、砂漠の粉塵が舞い来るので黄色な大気であることも差し引く必要があろう。
都市集中の密集した居住環境が、大気の質を汚染して来た。花粉症も一概にアレルギーというよりも、大気との関係性も大きな要因と考えられている。杉木立だけを“悪者”に仕立て上げるのも人間の傲慢。これは己の仕掛けた所業による“反応”なのだと考えた方が妥当なのかもしれない。
抗アレルギー薬を服用すれば改善する症状だとはわかっている。
だが昨年来、その方法で対応していいものかと疑問視している。
身体が発する自然な反応を人工的に抑制すれば、
また他の面に弊害が出るのではないか。
己の身体に正直でありたい。
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