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予定はまず付箋貼付から

2013-02-28
2日〜3日短いだけだが、特異な2月がもう終わろうとしている。
毎年のように瞬く間に過ぎ行く1ヶ月であるが、
今年は様々な予定を綿密に妥協なく詰め込んで消化した。
2月と3月は曜日構成が同じ。
来るべき3月に希望を見出しながら。

どのくらいの予定を入れることが可能かを計る為に、手帳の月間予定表の欄に付箋を貼り付けるという方法を試みた。絶対にしなければならないことは、書き込むのであるが、実行しようかどうかという予定はカテゴリーごとに色を変えて貼り付けておく。週の始め頃になって実行可能だと見るや、書き込みに変更する。こうした方式で行った結果、想像以上の予定を“書き込む”ことができた。

しかし、実行不可能となった付箋も3枚ほど欄外に残されている。これらは、それぞれ春休みや夏休みに実行しようということになりそうだ。それでも、羽田空港からの帰途に打合せを実行するとか、土曜日の午後と夜に2件の予定を消化するとか、実に効率よく計画を履行することができた。最初から絶対的に予定を詰め込んでしまうと身動きが取れなくなるが、“可動”できる付箋方式による予定の構築は実に柔軟で便利であると実感した。

かくして新しい動きを多く重ねることができた2月。
あっという間に、プロ野球キャンプも1ヶ月が過ぎる。
次年度への準備期間として貴重な1ヶ月といえるかもしれない。
余寒の中にも新しい芽吹きが見え始めている。

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熱い視線に魅せられてはや幾年月

2013-02-27
お店に行ったりすると“担当者”へのこだわりが強い。
その店の「質」に対する評価を大きく左右する。
いわば相性ともいえるような“人”との関係性で店舗を選択する感覚。
それは弱冠20歳頃にからの傾向でもあった。
特に整髪に関してのこだわりは人並み外れたものがある。

大学2年生の時に、自宅近所に“ヘアーファッション”と称する店舗が新規開店した。それまでは、いわゆる街の「床屋さん」に通っていた。高校時代までは、部活動をしていた為に角刈りで通しており、特に店舗を選ぶ必要性も感じなかった。しかし、大学生ともなると“格好をつけたくなる”時季が訪れて、どうも「床屋さん」では不服が募る結果となって来ていた。「床屋さん」には僕の両親が街の中で“義理”のある方であったのだが、一言断って“ヘアーファッション”の扉を開いた。

その店に行ってみて、客を飽きさせないサービスと技術の高さには驚くほどであった。「先生」と呼ばれる方が、自由自在に鋏を駆使して雑誌にあるような希望通りの髪型に仕上げてくれた。その時から、この店に惚れ込み月に1回の励行が楽しみになった。するとその「先生」が髪を切る場面を、背後から無我夢中に見つめている視線に気づいた。最初にシャンプーをしてくれる、当時の僕と同年代の青年である。

大学2年生であった当時は、「学問」の“真似事”を始めようと思っていた時季(1年生の時は語学に夢中)であった。何事も洞察力と集中力が大切であると感じながら、未熟な甘さが目立った頃だと今にして思う。だが、この全く異業種の同年代らしき青年が、熱い視線を先達の整髪技術に向けて、盗み取らんとするような姿勢を示していたことは大変刺激になった。一足早く、“プロ”の道に歩み出そうとしている、“迫真の視線”ともいったらよいだろうか。

次第にその青年は、シャンプーとシャービングのみならず、カットに“デビュー”することになった。すると僕は必ず彼に髪を切ってもらうべく、日曜日の朝一番にそのお店に出向いた。他のスタッフよりも必ず最初にスタンバイしている彼が笑顔で僕を椅子に案内してくれた。次第にその店の中でも、僕はその彼にしか髪を切らせないので、「専属」などと呼ばれるようになった。

僕が大学卒業後も暫くは楽しいカットの時間が続いていたが、彼が実家の店に戻らなければならない日がやってきた。他のスタッフに“担当”を託して彼は店から去った。暫くは、彼自身の意志は「この店を大切にして欲しい」という思いにあると受け止めて、他のスタッフに髪を切ってもらっていた。だが、どうもしっくりしない。決して技術が劣るわけではないのであるが、この感覚は何であろうという疑問ばかりが先行した。

そんな疑問を持ちながら髪を切ることに耐えられなくなった僕は、ささやかな決断をした。電車を乗り継いで30分ほど、彼の実家店舗に行くことである。かくして、あの爽快で心休まる豊かな時間が戻った。概ね注文はする場合もあったが、大抵任せておけば季節や状況に合わせた髪型に仕上げてくれる。僕がどんなスタイルが似合うか、そしてどんな髪質か、どんな髭の固さがあるかなど、ほとんどのことを熟知してくれている。

その彼と昨晩はカットの後に、これまでの思い出を語り合う時間が持てた。
様々なことがあった。
だが、そのいつでも僕の髪型は彼が作り上げてくれていた。
彼は今や、若手スタッフ3名を抱える尊敬される「先生」である。
だが、あの20歳の時の熱い姿勢は何ら変わらない。

“プロ”とは人を魅了する視線が注げるかということ。
今後も彼との交流を通して学ぶことも多いだろう。
人生街道をともに歩んでいるかの如く、かけがえのない友人である。
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恩師たるものは

2013-02-26
先週末と昨日と、中学と高校の恩師に再会した。ともに国語の教師である。元来、教員になることを疎んじていた僕にとって、この2人の存在は大きい。しかも、国語・社会(歴史)英語はもとより、体育のどの教科の教員になろうかという二次的選択においても、影響が大きかったわけである。教員というのは、意識無意識を問わず、生徒の人生に様々な角度で影響を与えるものである。

僕は、比較的自分自身でこうした恩師と繋がり続けている。年賀状はもとより、様々な節目での報告を絶やすことはない。“同業者“となった今では、当時の授業等のことが、「実はこうであつた」というような裏話にも花が咲く。また、その当時、僕ら生徒には見えない決断が恩師の中にもあったことが知られて来る。

それは単なる“回想”なのではなく、“今”の話だとふと感じることがある。中学高校でお世話になって、それっきりという人も多いであろう。だが、その後の人生で継続的に、当時接した“大人”に関わり続けるということで見えて来るものがある。未熟だった自分が何を考えていたかを知ることにもなる。そして当時から“今”までの距離を知る最大の指標となる。

思えば遠くに来たもんだ
人生の芽吹きの時季を回想することで
新たな前進への力が湧いて来る。


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「サザエさん」と「カツオ」の関係ではないが

2013-02-25
幼少の頃、『サザエさん』を見ていると、
カツオはサザエさんの子供なのかと勘違いしていた時季があった。
長女夫婦が、弟妹たちとともに両親の家に同居するという構成が、
理解できなかったからであろう。
タラちゃんにとってカツオやワカメは叔父・叔母であるということも。
(現に「カツオ兄ちゃん・ワカメ姉ちゃん」とタラちゃんは呼称している。)
もちろん、磯野家においてマスオさん家族は「フグタ」という姓である、
ということを幼少の身では気づく術もない。

そのサザエさんの影響を受けていたわけではないだろうが、僕自身も幼稚園から小学校低学年にかけては、「家にはお姉さんが2人いる」と、「家族の絵」などに描いていた記憶がある。次第にその「2人のお姉さん」が、「叔母」であることがわかってきた。それにしても、両親とともに叔母と住居をともにするという家庭環境から学んだことも多かったと記憶する。

年上の“叔母”は、絵が得意だった。様々な油絵を描き展覧会で入賞し、みんなで上野の美術館まで見に行ったこともあった。その風景画に憧れて、見よう見まねで鉛筆によって絵を描いたこともしばしばであった。現に、幼稚園のころから絵画教室に通い始め、小学校の半ばまでは毎週水彩画を描いていた。

年下の“叔母”は、ギターが得意だった。僕が幼少の頃には、まだ高校生だったのだろう。文化祭にみんなで行って、叔母がギター演奏する姿に憧れた。その影響か、幼稚園でアコーデオンやエレクトーン教室の門を叩いたのだが、基本的な素質がなかったのか、すぐに辞めてしまっている。今思えば、あのとき鍵盤をしっかり学んでおけばよかったなどという、遥かなる“後悔”に及ぶ時もある。

しばらくぶりに、この叔母2人と会った。
年齢は重ねても、その口調や感性は変わっていなかった。
祖父・祖母の墓参に行き、しばしの昼食を楽しんだ。
話しているうちに、幼少の頃の“僕”に戻る。
そういえば、「僕」と呼ばれていたことも思い出した。
記憶の見えない襞に光を当てるのもよい。
前進ばかりのみならず、人生には回想も時に不可欠である。

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伸び切った身体は思考しない

2013-02-24
なぜ〈教室〉での音読・朗読がつまらないのだろうか?
僕自身が拙著の中で大きな疑問点として投げ掛けた命題だ。
指名されて読む側も、聞く側も決して楽しめることはない。
むしろ、「国語」(文学作品)への嫌悪感ばかりが増幅する。
こんな国語教育が実践されてしまっている〈教室〉を
何とか改善しなければならない。

『朗読の教科書』(パンローリング株式会社刊)の著者・渡辺知明氏による、「日本コトバの会」の講義に参加させていただいた。内容は、御著書「第6章文学作品の表現法」の前半の講義。朗読から表現よみへと上達するには何が必要か。文学作品の音声表現の基本は何か、といったテーマでの講義と実習であった。

内容からして、僕自身の国語教育研究との関連から、小欄に記したいことは多岐に及んだ。各論は個々に今後詳細に検討するとして、大きな“問題”について覚書としておきたい。それは「読む姿勢」としての「上体の落とし込み」である。

〈教室〉で指名読みを行う場合、中学校・小学校と発達段階が低ければ低いほど、「正しい姿勢で読みなさい」といった指導が付随するだろう。だがその「正しい」が大抵の場合、「背筋を伸ばして教科書を前に構えた“伸び切った”姿勢」であるとされる。渡辺氏はこの点を注視し「伸び切った姿勢では読めない(表現できない)」と断言する。この硬直した姿勢というのは、文学作品を豊かな“表現”として読むことにおいては、実に“不適切”な読み方なのであるという。僕は、こうした“伸び切った姿勢”で行われる〈教室〉での音読を、「教科書読み」と拙著の中に記した。豊かさのかけらもない、読む側も聞く側も幻滅していく頽廃極まりない読み方である。だが、そんな“不適切な音読”が多くの〈教室〉で今も尚実践されている。

ではどんな姿勢が、「表現よみ」に適しているのか。それは渡辺氏の御著書『朗読の教科書』36・37頁に記されているので、ご興味のあるかたは参照されたし。一言でいうなれば、「大日如来像」の「リラックスした姿」であるという。巷間に流れている印象深い“声”は、多くがこの「リラックスした姿」で語られているという。「伸び切った姿勢」を敢えて使用しているのは、バスガイドとエレベータでの案内係であるとも。こうした方々の“声”が特異に響くことで効果を発揮しているのは、この「姿勢」に起因しているという。

そして何より重要なのは、「伸び切った姿勢」であると“思考は排除される”ということ。学校現場で学習者が、背筋を伸ばして硬直した身体での「ハイ」という返事に思考は伴わない。自己の批評性を排除し、鵜呑みにするための「伸び切った」身体といえるかもしれない。国語の時間に限定していえば、必然的に“思考なき音読”が空しく〈教室〉に響くのである。

音声表現を体系的に考えた著書はそう多くはない。
そんな中で、渡辺氏の御著書は様々な観点を提示してくれている。
最後に、この日の講義の冒頭で示されたことを覚書としておこう。

〈朗読の成分〉
放送50%
俳優・声優20%
音声訳20%
学校・読み聞かせ9%
表現よみ1%

朗読が実践される現場の割合。
僅か1%+9%の議論が、渡辺氏と僕との領域である。
だがしかし、少数ゆえに精緻に考えたいという自負が、
お互いの中に巣食っていることを確認できた。
今後も様々な交流を通して、
「伸び切らない姿勢」で学び合いたいと思える豊かな出逢いであった。
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ライブ『カナリヤと、すてきななかまたちと、ちいさな木』

2013-02-23
「あなたはあなたになるために生まれてきたのよ。
 この世界には、意味のないことはひとつもないの。
 すべてのことには意味と目的があり、
 それを知るには、気づくこと、学ぶことが必要なのよ。」
(葉祥明著『The Great Story of Little Tree』晶文社刊より)

グレートマザーツリーが、代々、森のリトルツリーに語り伝えることば。
小さなこの絵本に込められた人生の寓話。
素朴なことばから生きることの深淵が見えて来る。

これまでにも何度か、春口あいさんが語るこの作品に触れて来たが、この度はまた格別なライブであった。フルートのすずきかすみさん・アコーディオンのうめのえりさん2人のユニット「カナリヤ」とともに、コントラバスの内山和重さん、パーカッションのくどうげんたさんが加わり、原作絵本の世界観を、声と音とでライブ空間に立ち上げた。原作に様々な音を受け容れ許容する“余白”が見え隠れするからこそ、声と各楽器の響きが融合し、「ちいさな木が豊かに成長する物語」を表現した。

作曲担当である「カナリヤ」のうめのえりさんに、ライブ後に話を伺ったが、この絵本を読みながらピアノに向かい、いくつもの旋律が現れて来たのだという。いわば絵本が持つ“呼吸・音律”を感じ取る音楽家の感性ともいえようか。そして演奏自体が、決して春口さんの語りを超えることなく、心地よい融和の中で進行したことも特筆しておこう。特にパーカッションは、こうしたライブではどうしても“響く”存在になるのだが、ある時には熱がこもり、ある時には静寂を破らない微妙な入り方であったことが、僕としては大変印象深かった。

またこの絵本語りの前には、「カナリヤ」演奏している間に、絵本作家のはまのゆかさんが、キャンバスに即興で絵を描き上げるというパフォーマンスも実演された。村上龍氏『13歳のハローワーク』(幻冬社刊)のイラストも担当したはまのさん、その心の琴線をくすぐるかの如く人々に安心感を与える絵が、見事に描き上げられた。


声と音と絵と。
様々な要素が融合し豊かな世界観が立ち現れて来る。
表現者はカテゴリーにこだわることなく、
様々な分野の人々が手を取り合って融合して行くことで、
更なる豊かな世界観になることが思い知れた。

朗読・旋律・輪郭。
目に見えない豊かさを現実に見せるもの。
「木の成長物語」を「主人公はあなた」と実感させるもの。
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二軍にこそ誇りあり

2013-02-22
宮崎では、WBC日本代表がキャンプを行っているサンマリンスタジアムの華々しさの裏側で、同じ運動公園内のひむかスタジアムを中心に、プロ野球巨人の二軍も汗と泥にまみれた練習を行っている。4年前に訪れた時も、1日だけこの二軍練習を参観に行った。ちょうどその時は、僕が高校時代に担任をしていた選手が二軍に在籍しており、海岸線をランニングし防風林の合間から帰って来た際に、偶然会うことができた。

彼は声を掛けた瞬間、誰が来たのかと不思議そうな表情を見せたが、
その後、やや残念そうに次のように言った。
「WBCを観に来たんですか?」
確か僕自身も彼に対して、「WBCをやっているので宮崎に来た。」といった趣旨のことを口走っていた。事実この時、WBC日本代表キャンプがなければ、宮崎を訪れてはいなかった。彼の表情には、「WBCが来ていなくとも、二軍を(目的に)観に来て欲しい。」といった気持ちが存分に溢れているように読めた。この時、プロ野球を表面だけ観ていただけでは何もわからないと実感した。

そのような意味で、今回の宮崎訪問でも巨人の二軍練習を観に行った。特に「育成選手」と思われる、背番号3桁台の選手が基本練習をしているのに興味が持てた。打撃の基礎となるトスバッティングを丹念に繰り返している姿が印象的であった。またキャッチボールから遠投に伸ばし、中堅の位置で打球を処理して本塁に返球する練習を繰り返した後、マウンドから投球をするというハードな練習をしていた投手の姿が目に焼き付いた。

今回は併せて、赤坂英一氏著『プロ野球二軍監督—男たちの誇り』を読んだ。選手同様、二軍監督という役目は大変厳しい。育成した選手が一軍に上がれば、自分の元を去り、一軍(球団方針)の要求通りの選手を適宜供給しなければならない。たとえその手腕が優れていても球団方針と合致した指導でない場合などは、何の前触れもなく突然の解雇も稀ではないという。しかし、プロ選手として、社会人としての日常的な生活から、ファンサービスをする態度、思い上がった傲慢さの矯正に至るまで、指導すべきことは山積している重労働だ。華々しさに満ちた仕事ではないが、このポジションをこなせる人こそ、“プロ”とは何かを知っているのではないかという感慨を抱くことのできる好著である。

プロの指導者として、実は二軍監督こそ教育者であり育成者であるのだ。
そんな思いを抱きながら、しばし二軍練習から学べるものを探した。
華々しい舞台の裏側に、こうした教育があることを観る者として忘れてはならない。
人生にも様々な一軍・二軍があるだろう。
挫けずに二軍を指導できるような忍耐強い教育者でありたいと心に誓った。
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世代論としての“沈滞”

2013-02-21
真面目で授業を休むこともない。
何事も指示通りに履行する。
与えられた課題は無難にこなす。
されど、
個性的な発言や目立つ行動は控える。

いわば、最近の学生の表面上の印象である。いつの時代も“世代論”は語られて、「若者は変わった」という論調が巷間を闊歩する。「新人類」「宇宙人」といった類のことばが過去にも語られ続けてきた。そして何の根拠もないのだが、「平成生まれ」の若者が、今は就職し社会人となっていることを“新世代”として語ることもある。学校では、「平成生まれ」が「中学に入学して来た。」「高校生になった。」「大学入試を受験した。」などと節目ごとに、特異な世代が進出してきたかのような会話が頻繁に行われて来た。

もちろん学生個々と話していると、その個性は様々であり“典型”では語れないのは自明のこと。よく大学の校風にも照らし合わせて、「○△大学の学生なのに・・・である。」という語り口を耳にすることもあり、僕たちもついつい語ることがある。自分の学生時代とは、こんな点が変化したという“学生文化”の断層を意識した発言である。それが全く無用な“評価”であるというわけでもなく、時に現状分析として必要であるとも感じることも多い。

特に最近感じるのは、自発的な行動を起こさないこと。裏を返せば“指示待ち”ということ。小中高という学校生活を通じて、全てを与えられ面倒見のよい教育環境に育ったからだろうか。また社会環境の上でも、Web(携帯スマホ等を含む)から多様な情報が与えられ、“指示通り”にクリック(タップ)すれば全てが実行できるということの影響もあるような気がしている。〈教室〉の雰囲気も年々、“内向き”となってきたことが否めず、その心の扉を開くのに時間や多様な手段を要すると感じている。

唐突な話題転換のようだが、奇しくも今年は第3回WBCが開催される。その日本代表チームには若手有望株の選手も多い。だが、過去2回の代表チームに比べて、とても大人しい雰囲気が全面に漂っている。多くの選手がマイペースなのである。悪くいえば、個性なき沈滞ムードが漂っているともいえよう。メジャー組がいないという価値基準以上に、世代的な“雰囲気”が握るものがあまりにも大きいように、僕には見える。

変化してこその世代。
その長所が活かせるような教育を実行すべきであろう。
指導者と学習者(選手)の間で、
様々な意見交換が有効に為されるコミュニケーションこそ、
今現在求められている課題なのかもしれない。
それは、教育現場も野球チームも同様である。
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免疫力を高めるには

2013-02-20
前回風邪をひいたのがいつだか記憶が定かではない。
たぶんこの10年ぐらいは確実にひいていない。
ひきそうになっても翌朝には回復している。
これを科学的に“免疫力が高い”と呼ぶのだろう。
果たして自分はなぜそれが高いのかを考えてみた。

日経Web版を読んでいると、「免疫力の維持に役立つこと」という記事を発見した。そこに示されていた内容のうち、「日常に運動を取り入れる」「規則正しい生活を心がける」などは、自分に該当する最たる項目であると思う。そして何より大切なのは、精神的な要素であろう。記事は次の三点が重要であると伝えていた。

1「無理にイヤなことをしない」
2「「なるようになる」と考える」
3「仲のよい人とたわいもないことを話す」

「1」の項目は、仕事上難しい場合も多いだろうが、抑が「好きな」ことを仕事にできたら何より幸せである。僕は、新任で中高教員であった頃から、学校へ勤務に行くのが楽しみで仕方なかった。もちろん年数を重ねるごとに様々な“しがらみ”が増えて、「イヤなこと」が皆無であったわけではない。だがしかし、〈教室〉で子供たちに接することを忌避したいと思ったことは一度もない。たいていが「イヤなこと」は職員室内であったというわけだ。

「2」の項目は、奇しくも僕の父親の口癖だ。自らの力で商家を営んで来た父の実体験から出たことばなのであろう。僕自身が、困難な状況に陥った際に話をすると、必ず「なるようにしかならない」と告げてくれた。何歳になっても父に励まされる自分がいる。実際、人生には自分の力ではどうしようもないことが山積しているものだ。

「3」は、「たわいもないこと」が重要。酒の席にまで及び、顰めっ面で話している輩を目にすることがあるが、むしろ“意味がない”と感じるようなことを話すのがよいのだろう。そして無条件に“笑う”こと。僕は時折、「ドリフターズ」の往年のDVDを観ることがあるが、その腹を抱え込んで笑ってしまう感覚が、最近の巷間には少なくなった。落語などが伝える「たわいもないこと」にこそが、身体に好影響を与えているということである。

自己診断の如く、「免疫力の維持」について考えてみた。
いずれも要点は、“人生を楽しもう”ということ。
顰めっ面をしていては、己の持ち時間が無駄になるだけだ。

好きなことを
流れに逆らわず柔軟に
仲間と楽しみながら
=免疫力は増進する、のだろう。
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電話の声の“モード”

2013-02-19
商家に育った僕にとって、電話が鳴るとなるべく早く取ろうと身体が反応する。
そして受話のことばは、「○△でございます。」と敬語モードとなる。
もっとも最近は、電話で要件を応答する機会もめっきり減った。
現在の仕事上では、明らかにメール等の伝達手段の方が要領を得るからである。
ただ、その“電話の声”というものに対して敏感であるのは今も変わらない。

かなり久し振りに電話で会話できた人物がいた。その声は昔と何ら変わらない。そして僕との関係性も、昔のまま保存されているような気になって来る。それでも、その人物と久しく会わない間に、相互に様々な変化があった。それゆえに最初はついつい“敬語モード”になった。それが一番、“安全”なことば遣いであるからだろう。

今回、その人物に電話をする契機となった方の“ススメ”で、次第に年功序列な会話となった。そのモードで会話をすることで、昔の自己を思い出したりもした。電話を終えてから、その人物と会わない間に、僕自身が仕事上では“敬語モード”を使用することが多くなったことに気付いた。それでも商売上の敬語とは違う、“緩やかな丁寧語”モードである。それが「授業」の発言としては一番適切で、品位があると今は感じているのである。

電話の声には、その人の生き様が見えて来る。巷間でそれを意識して聞くと、いきなり声の“モード”が変化する人々も多い。一瞬にして“対外的な仮面”を“声”の上で装うのである。相手が誰であるかわかると、再び“モード”変化をする。もっとも最近は、携帯で通話相手が受話の前に判明している場合も多いので、最初から“モード”を構えることができる。

声は人柄を表現する。
その人がどのように生きて来たかも。
電話の声は、間接でありながらの直接会話という断層に、
むしろ何事かを立ち上がらせているかもしれない。
まことに声のみの表現は難しい。
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