悲喜交々に尺度伸縮
2012-12-31
心の尺度を伸縮させよう悲しい時こそ自分に敬愛なる尺度を
喜びの時こそ他者に敬虔なる尺度を
一昨晩、馴染みのワインバーで行われた「忘年会」ならぬ「望年会」。
店主に締めのお言葉をと僕から依頼すると、
こんな趣旨のことをおっしゃった。
語彙としてこの通りではないが、
僕なりの“解釈”で、再構築してみた。
1年、人それぞれ色々あるが「心の尺度を伸縮させよう」と。
内装の偶然か意図的か、
お店の入口に一番近い席の前には、
一面に鏡がある。
僕も何度かその席に座ったことがある。
店主は「隅っこで申し訳ない」というが
この席は特等席だと思う。
なぜなら自分の知らない自分に気が付けるから。
たとえ他のカウンター席に座っても、
グラスが積み重ねられた棚越しに
自分の顔が映るのを見るのもしばしばだ。
物理的にはどうあれ
僕がこの店に行く理由は、
店主のことばに自分の心が映るから。
悲しい時も
喜びの時も
自分を見つめる鏡の如き存在。
今年も色々あった。
しかし、多くの人々に助けられた。
そして、僕の中にある3軒の馴染みの店に助けられた。
大晦日がやって来た。
「希望」への接続点たる1日。
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「For The Team」という思考
2012-12-30
昨日の小欄には、松井秀喜について僕自身の思い出を綴り、大絶賛する内容を書いた。だが、殆どの人が彼を悪く言わない理由を知りながらも、気になることが一つある。それは松井が貫いた「For The Team」という思考である。その姿勢は日本球界のみならず、MLBの選手達にも賞讃されたのは事実だ。だが、この数年の契約状況を鑑みるに、単に「結果が出せない」のみではない何かが作用していたように思えてならない。敢えて言うならば、MLBと日本球界の評価基準の違い。大きく言えば、日米双方の根本的思考の違いの中で、松井秀喜はシーズン最後までユニフォームを着ることができない状況に陥ったとも言えるのではないだろうか。甲子園で全打席敬遠をされた時、松井は「敬遠も(チームが勝つ為の)戦術ですから」と淡々としていた。そしてどの打席でも嫌悪感を露わにはしなかった。高校生としてこれほどの人格者がいるだろうか。巨人軍に入団してからもその姿勢は変わらなかった。ファンがどんな反応をしても松井は“いい人”だった。むしろ僕などは、そのファン側の反応に憤慨したのは、昨日も記した通りだ。MLBに行ってもまた同じ。インタビュー等でも「チームが勝てたのが何よりだ」といった発言が目立っていた。長年在籍した“ヤンキースの為”に松井はプレーしていた。その証が、09年のワールドシリーズMVPという結果であろう。
松井を尊敬する一野球ファンとして、僕が再び憤慨したのはこの時だ。ヤンキースという球団は、ワールドシリーズMVPと翌年以降の契約を結ばなかった。手首や膝の怪我で窮地に追い込まれていた松井にとって、このワールドシリーズの舞台こそ、次年度以降の契約を勝ち取る為のアピールの場であった。そこで松井は堂々たる結果を出した。しかし、松井の“気持ち”は球団には伝わらなかった。こんな契約状況は、MLBを観ていれば常にあることで、さして目くじらを立てるほどのことではないが、日本球界の理屈からすると、ファンとして甚だ憤慨しなければならない出来事であると思っていた。
その結果、エンゼルス・アスレチックス・レイズと渡り歩く選手生活晩年の中でも、松井の姿勢は貫徹されていた。レイズに移籍した初打席で好機に本塁打を放ったのは記憶に新しい。ただ、膝の状態でDH(指名打者)のみでしか起用できないことや(それでも守備について奮闘していた時期はあるが)、格段に本塁打が多いわけでもないという選手としての要素を、MLB球団が高く評価することはなかった。殆ど「結果=数字」が全てのMLBの非情な世界で、松井が貫徹して来た「For The Team」という思考は高くは評価されなかったともいえるだろう。僕たちファンが、ついつい日本球界復帰を望んでしまう感情の機微も、実はこのような日米球界の、大きく言えば日米社会の断層における大きな齟齬を根強く含み込んでいるのではないかということである。
敢えて端的に物申すならば、MLB(米国社会)で仕事をするには、“いい人”だけでは通用しないということにもなろう。松井秀喜は、あくまで「日本的人格者」であった。彼を尊敬する僕としては、このことを批判するつもりは毛頭ないのだが、彼自身が言わないからこそファンとして気付く責務があるのではないかと思っている。大概、松井秀喜が好きか、イチローが好きかという二項対立の問いになると、ファンが明確に二分する。「For The Team」の姿勢を貫く松井ファンから言わせると、イチローが個人成績のみに賭けてきた(ように見える)マリナーズでの姿勢を批判する。ましてやWBCの折に、イチローが「日本代表の為」という姿勢で野球に賭けると、松井ファンはイチローを揶揄していた。「なぜ日常で「For The Team」ではないのに、この時とばかりそうなのか」と。一方で、WBCに関して言えば、松井秀喜は所属への「For The Team」を貫き、シーズン開始前(3月)に開催されるこの大会には、2度とも出場していない。僕としては一度ぐらいゴジラが「For The Team」を捨てて、日本代表のユニフォームを着るべきではなかったかと痛切に感じていたのである。ワールドシリーズMVPになっても次年度契約を結ばない屈辱に比べたら、シーズン前に「日本代表」のユニフォームを着ることぐらい、何でもないことであろう。(少なくとも松井を尊敬すると言っていたヤンキースのスーパースター・ジーターは、米国代表のユニフォームを着ている。)
節度もなく、今日も松井秀喜引退に関して考えたことを書き連ねた。
だが、ここに日米球界の思考の齟齬と
大きく言えば、日米社会における断層の大きな歪みが見えて来る気がする。
「For The Team」という思考を持ち出しさえすれば、
それを美徳として日本人は納得する。
僕たち日本人にとって松井秀喜は、宝のような野球選手であった。
だからこそ、本人の感情の如何は別として、
ファンとしてこの日米格差に自覚的になるべきだと考えている。
日本野球と日本社会の未来の為にも。
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僕にとっての松井秀喜
2012-12-29
初めて彼のホームランを生で観たのは、神宮第二球場だった。星稜高校の打線の主軸として秋の神宮大会に出場していた。僕が教員として勤務していた高校と対戦していた時のこと。高校生・松井秀喜が撃った打球は、ライナー性ながら高さもあり、ゴルフ練習場との境にあるネットの上方を大きく揺らし、なお先まで飛びそうな勢いを余していた。高校生でこれほどのホームランが撃てる打者はそうそういない。甲子園で全打席敬遠されたのは翌年の夏だった。松井秀喜の引退を惜しむ声が各方面からあがっている。「結果が出せなくなった」と彼らしい表情で会見にて淡々と語った。かくも多くの人々が彼の存在を、大きく評価しているのには理由がある。僕がまだ巨人ファンだった頃、ジャイアンツ球場の自主トレを観に行っていた。クラブハウスから球場までの階段付近にいると、松井秀喜がその大きく頑強な身体で歩いて来た。あるファンが、写真撮影をお願いしたのだが、友人がトイレに行ってカメラを持って行ってしまっているという。普通ならそれを聞いて即座に無視してグランドに向かうのが他の多くの巨人選手であった。しかし、松井秀喜はしばらくその場で立ち止まり待った。そのファンは、周囲にいた他のファンの好意で撮影してもらうことになり、一緒に写真に収まった。驕らないファンを大切にする姿勢。これこそ松井秀喜の人柄である。
巨人時代に東京ドームの天井に打球が当たりながらもスタンドまで飛んだのは、打球に驚異的なパワーが乗っているから。年間50本塁打、背番号にその数を刻み目指した王貞治の記録には及ばなかったが、巨人軍の歴史的なホームラン打者であった。実は、先月僕は宮崎の巨人軍がキャンプ時に使用するホテルに宿泊した。ホテルの方に話を聞くと、松井秀喜は夜になるとどこか山の方に出掛けて行き素振りを繰り返していたという。昨日の報道を聞いてその行動の意味がわかった。長嶋監督と暗闇の中で素振りを繰り返したのが、選手として印象深い出来事であると語っていた。多くの選手が大広間の畳を上げて素振りをするらしいが、松井は集中できる暗闇という環境を求めたに違いない。その暗闇の中で、長嶋監督はスイングの風切り音を聞き続けたという。その結果、日本を代表するスラッガーに成長した。
一部の心ないファンが、彼を「裏切り者」と呼称したのを僕は忘れない。彼自身の決断を尊重せず、球場でこうした発言をするファンの態度が僕は許せなかった。松井秀喜は巨人軍から巣立ちMLBの扉を開いた。この球団の閉鎖的なファンの態度以外にも様々な要素があったのだが、この時季を機に、僕は幼少の頃からの貫徹して来た巨人ファンという自分を潔く捨てて、MLBのBaseBallに熱中した。03年のポストシーズンのこと、僕が熱中し始めていたボストン・レッドソックスと松井秀喜の所属するヤンキースが、壮絶なバトルを展開していた。好機に松井が右翼線の二塁打を放ち、ヤンキースがシリーズの流れを手にした。走者となった松井は、その後2塁から本塁生還。この引退の際にもテレビで映像がよく流れる、本塁に滑り込んだ後ゴジラが吠えるかの如く大きな口を開けてガッツポーズでジャンプする松井の姿が目に焼き付いた。僕の応援するレッドソックスは、松井の前に敗退した。
その後は、好敵手として対戦相手のヤンキースにいる松井秀喜を現地で観て来た。ボストンの本拠地・フェンウェイパークでも何度となく好機に本塁打を撃たれたのを観た。松井秀喜が打席に入ると、ボールパークの風が一転する。「撃たれそうだ」と僕は胸の中で抱きながら、レッドソックス投手の配球を観ている。おおむねその予想は、僕の期待を裏切って的中する。松井秀喜とはそういう選手だ。アメリカで彼のホームランを観ると、僕は必ず高校時代の彼の特大ホームランを思い出していた。スーパースターが居並ぶヤンキースの選手達に尊敬されていたという松井の野球に対する熱い姿勢。それはいつでもどこでも変わらなかった。
松井秀喜は、常に「チームの勝利の為に」ということを口にする。そして行動でそのことばを裏切らず全力でプレーする選手だ。あれは僕が、中学教員として修学旅行の引率をしていた時のこと。青森のホテルでバスの出発直前までテレビで、ヤンキース対レッドソックス戦を観ていた。レッドソックスの打者が放った詰まった左翼前の当りを、松井が直接捕球を試みて左のグラブごと芝生内に巻き込んだ。ちょうどそのあたりで出発しなければならない時間になった。松井の怪我がどの程度なのかが大変気になったが、部屋を後にした。引率者の中で唯一、野球の話題を理解してくれそうな旅行業者の添乗員さんに、松井のことを興奮して話したと記憶する、「骨折の可能性がある」と。案の定、怪我知らずだった松井が、左手首を複雑骨折していた。
左手首の怪我からも何ともなく回復したように見えたが、左打者スラッガーの左手首の怪我は、打撃に微妙な影響を与えた。球を明らかに押し込めなくなった。それに加えて膝の痛みが増した。こんな松井を観て、10年間の日本でのプレーを主に人工芝上で行って来た“ツケ”が回ったのではと、個人的に「人工芝球場廃絶論」を僕は今でも唱えている。野球は芝の香りが漂う場所で行うべきだ。主に強打者が膝を痛めるケースは、松井秀喜のみにあらず。もし僕自身のこうした愚考が的を得ているとしたら、松井秀喜にはそんな経験を今後の日本野球の為に発言してもらいたと思う。
昨年は、アスレチックスの緑色のユニフォームの松井をボストンで観た。日本人のオバサン2人が、ボールパークで松井の打撃練習を見守る僕に話しかけて来た。聞くと松井秀喜の大ファンだという。そして僕に「なぜ松井を応援しないのか」と問われた。レッドソックスのジャージに身を固めた僕を、オバサン2人は不思議がった。アメリカで野球を観ている日本人は、日本人選手を応援している筈だ、という固定観念が僕には甚だ疎ましかった。しかし、彼女ら2人にその理屈を説明する必要はなかった。僕は、明らかに彼女たち2人よりも、松井秀喜のことを知っているし、尊敬している自負があるから。その場で彼女ら2人が、最高に気分よく過ごせるようにボールパークの美味しいものを教えて上げたりした。それが松井秀喜から、僕が学んでいた姿勢である。松井秀喜は常にファンを大切にしている。井の中の蛙の如く、日本球界で鼻高々になっている愚弄な馬鹿天狗選手とは、出来が違う。僕のMLB観戦の中には、常に松井秀喜が光り輝いていた。
引退を機に、僕にとっての松井秀喜の思い出を書き連ねた。
日本球界に復帰して欲しいという願望を持つファンは多いだろう。
だが、それを松井秀喜が選択しないのは、僕にとっても自明のことだ。
今にして彼にそんな期待を掛けるならば、
日本の野球ファンがもっと成熟すべきだ。
ありがとう松井秀喜。
お疲れさま、ゴジラ!
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次なる一歩へ大掃除
2012-12-28
今週になって部屋の大掃除を進めている。当初の計画ほど思うようには進んでいないが、見栄えが変化するという小さな達成感を積み上げながら、各場所への施しを続けている。毎度、同じようなことを考えてしまうのだが、どうしてこれほど不要なものを保持しておくのだろうかと、この時点にならないと感じない不思議にも陥る。日常から捨てるものの選別が求められているはずなのだが。仕事柄、なるべく多くの情報を収集したいという欲望が根本にある。学部時代から集めて来た論文コピーなどは、その象徴的存在だ。掃除をしていると、いつか通って来た過去の記憶が蘇ったりする。こうした思い出に深入りすると、自ずと掃除は遅滞する。大掃除の効率如何は、潔い過去への“割り切り方”が握っているといってよい。
中高専任教員をしていた時に、どこの学校であっても職員室の机上というのは、面白いほどに個性的であった。常に広々としていて書類整理が上手く為されている方もいれば、書籍やら書類が山積していてメモ用紙一つ置いても気付かれないであろうという如き机上の方もいた。僕は、おおむね前者であったが、それを保つには、書類のファイリングと廃棄を日常から心掛ける必要があった。
この数年でよく聞かれるようになった“断捨離”という語彙の理念によると、不要な物を「断ち・捨て・離れる」ことで新しい未来が開けて来るという。埃を被った過去の遺物にこだわっていては、そこから先の人生において重荷となってしまうことも多い。身体の細胞が新陳代謝を繰り返しているように、居住空間というのも、いかに素朴で常に新たな空気で満ちているかということが重要なのだろう。
こうして文章化することで、
あらたな自覚を促し、
今日も大掃除に励もう。
新しき年のために。
前を向いて歩くために。
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電動ソファの退去
2012-12-27
自宅リビングでかなりの面積を占有していた電動ソファが退去して行った。1年半ほど前から、表面の合成皮革がまだらに剥がれ始め、その小さな片々が部屋に散乱するようになったからだ。かろうじて、タオルを表面に掛けて使用していたが、さすがに限界。昨日、業者に引き取られて行った。ほとんど衝動買いとも言ってもいい。電動でリクライニングし、しかも期間限定値引きの最終日という販売店の戦術にまんまと乗って購入した。だが当初は、DVDをじっくり鑑賞するには最高の指定席であった。友人が訪れた際には、かなりその座り心地に魅せられて、自らの家にも似たようなソファを購入したということもあった。
しかし時とともに、この足を投げ出すという姿勢に疑問を抱くようにもなった。(リクライニングすると連動して足の裏部分が上昇する。)これは怠慢の象徴の如き姿勢であり、決して腰に良い状態でもない。読書に適しているかといえば、それほど集中できるわけではない。次第にただその巨大さだけで実用性に欠ける代物となっていった。
電動部分は未だ健在。仮に表面の合成皮革を張り替えれば、まだまだ使用可能だ。だが、顔を箝げ替えたとしても精神的にこの巨大な代物を部屋内に置いておく気持ちには到底なれなかった。思い出は多々あれど、既に商品としての賞味期限は切れていた。改めて衝動買いへの悔恨が湧き上りつつ、電動ソファは3部位に解体され業者が部屋から運び出して行った。
座るという行為は大変重要であると最近痛感する。書斎の椅子等は何度となく納得するまで買い換えた経験もある。寝る場所と同様に部屋で落ち着ける場所を造り上げることを大切にしたい。それが文字を読む、映像を見るという情報入力に大きく影響を与えるからだ。怠慢な部屋構造は、怠慢を生み出す。洗練され機能的な構造があればこそ、行動にも好影響が及ぶであろう。
そんなことを考えながら、大掃除に励む日々が続く。
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『クリスマスだからじゃない』特別な毎日こそ
2012-12-26
今年もクリスマスという“特別な日”かのように仮構された1日が過ぎて行った。バブル期頃からであろうか、その仮構としての虚飾度が表面的に増しているのがたいそう気になっている。それだけに日常をどのように過ごしているかが試されているかのような逆説に、自らを陥れたりもする。イブは、馴染みの洋食屋さんに出向き、奥さん手作りのケーキを家族のように御相伴にあずかった。こんなありがたさも、僕自身の日常の行動に依拠する。(と自負する。)クリスマスソングの一押しは何か?という問いがある。先ほど、“バブル期”と書いたのは、それが山下達郎の「クリスマスイブ」と関わっているからである。当時、JR東海の新幹線CMに使用されたこの曲は、クリスマスに恋人がやっと逢える切なさを、この上もないほどに演出し未だに市民権を得ている。だがしかし、今年のクリスマスソングとして僕が一押しであったのは、桑田佳祐のアルバム「I Love You Now&Forever」(2012年7月発売)に初めて収録された「Kissin’ Christmas(クリスマスだからじゃない)」(松任谷由実作詞・桑田佳祐作曲)である。
「道行く人の吐息が星屑に消え
気づいたら君がそっと手をつないだ
忘れちゃいたくないよね今夜の瞳
泣きそうな街中よりキラキラして
クリスマスだから言うわけじゃないけど
何か特別な事をしてあげる」
こんな歌い出しの曲であるが、静かな雰囲気に劇的な影は封印され、素朴な恋人達の心が見え隠れする。「泣きそうな街中」とはどう解せばよいか。はてまた「何か特別な事」とは何か。
「これから何処に向かって進んでるのか
時々わからなくて哀しいけど
きっと大丈夫だよね今夜の瞳
新しい日を夢で変えてゆける
クリスマスだから言うわけじゃないけど
何か大切な事ができるような」
このように続く2番の歌詞では、これからの2人の行く末はわからず、「哀しい」という日常が顔を覗かせる。しかし、このクリスマスの日の「瞳」を見る限り、今後を「夢で変えてゆける」ことを確かめ合う2人がいる。そして「何か大切な事ができるような」と、クリスマスの意義を噛み締める。
曲の後半は、いくつかのリフレインで構成されるが、そこで述べられるのは次のような歌詞である。
「今年の出来事がすべて好きになる」
そしてその理由は、
「今年の想い出にすべて君がいる」
と吐露して曲は結びとなる。
またリフレインの合間合間には、
「主は来ませり」のメロディや
「もういくつ寝るとお正月」というコーラスが挿入され
クリスマスムードとともに
これが終わればお正月に向かうという
日本的情緒への接続が意識されている。
あなたにとって
「何か特別な事」
「何か大切な事」
とは何ですか?
「泣きそうな街中」の電飾やクリスマスケーキといった
表面的な「特別」のみではない
「何か大切」なものを胸に刻みたい。
そんな心穏やかな1年のまとめとしてクリスマスは過ごしてみたい。
“バブル”という虚飾に嫌悪感を抱いていただけに、
僕はあらためてこの曲で、真に豊かなクリスマスの感情を獲得できた。
それは、様々に喜怒哀楽はあれど
「今年の出来事がすべて好きになる」
ことである。
さて!
いよいよ「もういくつ寝ると」と数える時が来た。
特別な毎日を今日も生きる。
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「面倒見が良い」とは何か?
2012-12-25
クリスマスイブの夕刻、何気なくTwitterを見ていると「面倒見が良い大学」という評価基準に対する内容が目についた。そしていくつかのリプライを@KONITASeiji @eutonieのお二人と交わすことで、緩やかな意見交換と体験談の交流をすることができた。これは僕自身にとっても大変有意義な時間となったので、小欄にも書き留めておきたい。果たして「面倒見が良い」とは何か?この点を評価基準として諸方面で大学がランキング付けされている。その多くは就職試験や採用試験に合格する為に、手取り足取り指導をするという点を「面倒見が良い」と定義しているようだ。だが、就職の関門突破にあたり指導者が“小手先の技術”において手を貸したところで、果たして本人の為になるのだろうかと甚だ疑問を抱かざるを得ない。Twitter上の交流でも、むしろ「谷底に落として自ら考えさせる」如きことがあってこそ社会に出せるのであるという意見で3人が同意した。
巷間では大学に限らず、中高においても次の進路の関門(入試)にのみ目を向けた指導を綿密にすることが「面倒見が良い」とされているようだ。そして所謂、受験指導にのみ躍起になる学校が増えている傾向がある。入試問題集を教科書代わりにして、まさに“小手先技術”を授業で教え込む。またいかにも“魔法”かの如く明解な解説をするかが“良い授業”と位置づけられる。その結果、入試に関係ないという基準で切り捨てられる科目も出て来る。この現実を鑑みるに、中高教育とは何かと大きな疑問に直面することも多い。
かつて僕が学部・大学院に在籍していた頃は、研究会・ゼミというのは徹底的に叩きのめされる場であった。先生も甚だ厳しかったのと同時に、先輩達が徹底的に研究発表の疑問点を追究し、吊るし上げるが如き状態になったものだ。「なぜここまで根本的に否定されなければならないのか」という気持ちになったこともしばしばであったが、そこが“谷底”なのであった。その厳しさがあったからこそ、学会で研究発表しても十分に耐えられる力が養われた。同時に他者の発表に対しても批評的に質問ができる意識を強く持った。
要するに、「面倒見が良い」の定義は、「厳しい」ということに尽きるだろう。それでこそその後の世界で自ら行動できる力となる。学問でも古典芸能でもそれは同じであるという意見交換に大変共感するTweetが連続した。「芸は盗む」ものであるという点もまた重要だ。例えば論文の書き方でも、師匠のスタイルや先人のものを見た上で、自らの型を造り上げて行く。何も“マニュアル通り”に実行すれば論文を書けるようになるわけではない。そこに自らの思考の錬磨が自ずと要求されることになる。
学部時代の恩師宅に伺って、初めて書庫に通してもらった時は大変嬉しかったのを記憶している。その時、恩師は「ちょっと疲れた」などと行って僕を置いて書庫から退散してしまった。それは、「ここにある本をチェックせよ」というメッセージに他ならなかった。同時に「読んでいない本は貸してあげよう」という意味でもあった。その結果、何冊かの本を借り出して持ち帰り、短期間で必死に読みあさったのも、今は良い思い出である。お借りした本を厳重に梱包して郵送にて返却すると、恩師はその本を大切に扱う僕の姿勢に対して驚くほどに賞讃してくれた。たぶん、「貸した甲斐があった」という気持ちになったのであろう。何度となく「本気で研究する気があるのか」という趣旨のことを言われ、僕の甘さを随所で指摘される厳しさを経てこそ、恩師の愛情に接する機会に到達した思いであった。僕は、“崖を這い上がった”のであった。
そんな恩師との思い出を心の奥底から引き出してくれたTwitterでの交流。
いつしか自分の本棚から恩師の著書を取り出して、改めて感極まった。
それは、「まだまだ甘いぞ」という恩師のことばが降りて来たようでもあった。
僕にとってこの上ない、聖夜のひとときとなったのである。
「師とは死後も自分の中に生き続け、導いてくれる方ですね。
で、その師匠を呑み込んでさらに大きくなることが使命になる。」
@eutonieさんのこんなリプライが心に深く響いた。
少なくとも、教育の場は「サービス業」にあらず。
「面倒見の良い」ことは「厳しい」こと。
と自覚できる教員であることが僕の使命でもある。
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居住地域のCafé忘年会
2012-12-24
居住している地域に気の置けない仲間がいるか?東日本大震災以後、特にこんなテーマについて深く考え、そして行動をして来たつもりだ。マンション居住で管理費のうちから町内会費は支払っていても、なかなかその町会行事に顔を出す機会にも恵まれない。これは僕自身の育って来た感覚からすると、あってはならないことであるが、ある意味で僕も「東京人」と化しているのかもしれない。そんな自分なりの課題を解決してくれているのが、近所の馴染みのCafé(小欄にブログリンクあり)である。開店当初から偶然にも足を運び、店主夫妻との人間的な交流を楽しませてもらっている。お店の1周年・2周年の会では、落語や朗読をやらせてもらった。そしてこの2年間、「文の京12時間リレー」に常連仲間のチームとして参加して来た。この日は、Café主催の忘年会。実に楽しい時間を仲間たちと共有することができた。
店主が素人落語を愛好していることもあって、この2年ほど大学の研究会を通じて落語に取り組んで来た僕とともに、こうした機会には一席披露することが恒例となっている。この日僕は「親子酒」、店主は「御神酒徳利」を披露した。僕の方は、「酒呑み噺」に初挑戦。登場人物が次第に酒に酔って行く過程や、泥酔した時の台詞が見せ場となる。枕としてどれほど酒にまつわる小咄などを盛り込めるかにも腐心した。僕自身としては納得したできとは言えないが、忘年会に先立ち「酒呑み」のあり方を可視化して提供できたのは、なかなかよかったのではないかとも感じられた。勿論、店主の一席も次第に聞き手を惹き込む巧妙な展開。にわか占い師が算盤を弾くたびに、なぜか運命が開けて行くというおめでたい噺でお開きと相なった。
このように、15名という地域に居住する方々の前で、落語を通したライブ空間を創造することができた。全員の顔が見える、そしてお互いが親交を深めて行く機会。(もっとも僕自身は、「親子酒」の演目上、次第に仮想的に酔った気分になって来て、皆さんの顔が何重にも見えてしまったが)その後は、楽しく談笑する時間が過ぎて行った。
まさに年を忘れ、時間を忘れるひととき。その最中には、今年開催された第50回民謡「江差追分」全国大会で優勝した方(道外優勝者は初)の“特別公演”もあった。まさに日本一の歌声をライブで僕たちは共有したのだ。落語に民謡という古典芸能が彩りを添え、地域での仲間たちとの心が豊かになる時間が過ぎて行った。
地域の方々とどんな交流を持つか。これは“都市生活者”の大きな課題ではないのだろうか。その課題に居住地域のCaféが一つの示唆的なあり方を体現してくれている。そして勿論、僕個人としてもこのCaféで様々な話題を語ることで、この2年半ほど精神的に救われて来たことも数知れない。店主ご夫妻の優しさ温かさと社会的問題意識の高さは格別である。
名に違わぬ“年忘れ”。
ある方が会の最中に発した名言。
「忘年会」の「ボウ」を「望」にしましょう!
皆さんの新しき年が、「望み」に満ち溢れていますように。
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「脱皮できない蛇は滅びる」考
2012-12-23
ある著名な知人の方が、Tweetに「脱皮できない蛇は滅びる」(ニーチェ)を引用していた。例えば今回の総選挙の結果を受けて落選者は、議員本人はもとより秘書の方々も職を失い、短期間に議員会館を退去しなければならないのが現実であったという。選挙等の場合は、今回の状況を鑑みてもそうであるが、風が吹けば華々しく当選するが、逆風となれば大変悲惨な結果を突きつけられる。むしろ人の真価というのは、厳しい状況でこそ見えて来るのではないかと思われる。一処に安住し変化のない生き方が礼讃された昭和の時代。急速な経済成長を背景に、保険制度を始めとして社会保障の安定に根ざした、生涯雇用が一般的であった。勤続何十年といった節目に組織に表彰され、いかに特定の組織で滅私奉公し勤め上げるかということが美徳とされたわけであろう。もちろん、現在もその流れを重視する組織がないわけではない。だがしかし、就職状況自体の悪化・早期退職制度の導入・非正規雇用の増大などの社会情勢により、その美徳は大きく変化してきたことも否めない。
野球界などを見ていると、所属チームに対しての考え方が日米で大きく違うのを痛感する。日本の選手はチームへの帰属意識が高く、最初に所属したチームへの愛着が大きい傾向は否めない。(もちろん自らが安定した成績を収めて行く必要があるが)更には出身校のある地域のチームに指名されたりすると、本人もファンも喜ぶという傾向もある。ところがMLBの選手を見ていると、チームへの帰属意識よりは契約条件などを優先した判断をすることが多い。大変ファンにも愛されていた選手が、ライバル球団との契約を結ぶことも稀ではない。例えばこのオフの状況において、イチローは大幅な減棒(他球団の中には更に好条件もあったにも関わらず)であってもヤンキースとの契約を選択し、上原は複数のオファーの中から新たなチームを選択した。ある意味で、イチローは日本的スター選手らしき選択というように感じられるが、上原は自ら称する「雑草魂」的な選択をしたといえる。
野球界といえば、やはり王貞治の生き方も注目される。東京読売巨人軍の本塁打王として、現役引退後も監督として巨人軍に仕えていた。しかし、ある転機を得て福岡に球団を移設した「ダイエー」、その後の「ソフトバンク」の監督に就任し、今や「会長」として九州における野球の拠点を確立した。長嶋茂雄は「読売巨人軍終身名誉監督」であるが、王貞治は監督人生で新たな脱皮に成功したともいえよう。この流れなくして、第1回WBCでの日本代表監督としての成功もなかったように思われる。
「脱皮できない蛇は滅びる」
どれだけ自らを活性化して人生の脱皮を果たすことができるか。
世界観を拡げた帰属意識を以て、前向きな生き方をしたいものである。
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記憶の奥底にある公園
2012-12-22
両親の住む実家を用があって訪れた。現在の居住地からバスに乗れば程なく行ける場所であるが、この日はたまたま買物をして隣接する地下鉄の駅から、故郷の街を歩いてみた。昔から健在であるお店もあれば、すっかり違う店構えになってしまっている街角もある。その変化を目にすると、自分の記憶の奥底にある、最近では起動していない中枢が刺激されるようで、妙な感情に支配されるひとときとなった。酔いどれで帰宅途中によく寄ったラーメン屋は、既に違う店に。髭面の店主は麺を釜から上げると、上下に大きく揺さぶり全力で湯切りをするのが印象的であった。幼少の頃に憧れであった、多くの玩具が展示されているお店は左右の店をも巻き込むマンション建設用地として、鉄塀で囲われていた。パンク修理をよく持ち込んで、おじさんが作業しながら世間話に興じていた自転車店は、まったく跡形もなく暗い街の一隅と化していた。
どうも人間は、変化しているものから強い印象を受けてしまうようだ。僕が通学していた小学校の方面に道を辿ると、道路区画が大きく変化していた。行くつもりはなかったが、ついつい小学校まで足を運んでしまった。校舎は色こそ塗り替えられているが、建物はそのまま。1年2組・2年2組・3年3組・4年4組・5年4組・6年4組の教室が塀の外から今でも目で追うことができた。僕の学びの出発点である〈教室〉がそのまま存在していた。
学校の裏手には、親友が住んでいたアパートがあったはずだ。しかし、今やそれはマンションに。そのアパートの親友の家には何度となく遊びに行ったことがあった。ある時、校庭で野球をしているとそのアパートが火事になってしまった。「火事だ」の声に僕たちは野球を中断し学校の裏門に走った。僕は呆然としながら自宅が燃えてしまっている親友の表情を見た。苦悶を押し隠し、自分で自分に「大丈夫だ」と言い聞かせるような気丈な表情が今も忘れられない。彼は今どうしているのだろうか。
そして学校の裏手から、よく遊んだ児童公園へ。そこは驚くほど昔と変わっていなかった。思わず「ひょっこりひょうたん島」を模した砂場に囲まれた中央の山に駆け上がった。遊具からトイレまで何も変化していない。時間旅行で小学生に戻ってしまったような不思議な気持ちに支配されながら、公園を見回した。“缶蹴り”の“鬼”が、缶を置く場所はあそこ。僕たちは山の陰から公園の外を巡る道路、トイレの屋根の上、果ては公園に隣接するマンションの踊り場まで駆け上がり、そこから“鬼”を観察し、缶を蹴るタイミングを計っていた。けっこう危険かつ無法なことをしていたものだとも今にして思うが、その経験が行動力や戦術性を学ぶよい機会であったのではないかとも思う。
小学校方面に今一度戻り、そして実家の方へ。意義が感じられない道路計画により、通学路であった区画は大きく変化していた。明治・大正期から文士や芸術家が多勢住んでいたこの街の雰囲気を、道路工事が破壊していた。果たして街の発展とは何か?大きな道路が中央突破し、マンションが立ち並べば“発展”なのか。街に存在していた「文化」を貴重な足跡として保存しようとする優しく温かい眼差しがあってこそ、街は喜ぶのではないのだろうか。そして人もまた。
故郷未だ忘れ難く
時折、こうした記憶の奥底に眠る襞を刺激することも必要だろう。
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