積み上げて来た煉瓦〜日中国交正常化40年に思う

2012-09-30
9月29日をもって日中国交正常化40周年という記念すべき節目を迎えた。しかし、現状は周知の通り、祝賀ムードは愚かこの40年間で一番険悪な事態に直面している。尖閣諸島をめぐる相互の主張は相容れず、国連での首脳演説を聞いても真っ向から対立し、非難の応酬という様相で固着しているように見える。こうした国家の対応を目に耳にして、市民が感情的に立腹し中国では反日デモが巻き起こる。“デモ”とは呼んでいても、日本企業や店舗が襲撃されたりして一部の市民が暴徒化している。この様子を見てたぶん僕たち日本人は、“信じ難い”という感覚のズレを感じざるを得ないであろう。「相互理解」などという域からは、かなりかけ離れた状況を現実に見聞する。だが、ではなぜあれほどの「反日感情」が渦巻くのか、それを今こそ冷静に考えてみる立場でありたいと、僕自身は願っている。違和感を覚えた時に、立腹し対峙するのはいとも簡単だ。だが、その違和感を契機に思考する“文化人”でありたいと、この事態を前に痛切に感じている。

村上春樹氏が朝日新聞への寄稿で、この二十年ほどの東アジアにおける「文化圏」の成立を指摘し、「このような好ましい状況を出現させるために、長い歳月にわたり多くの人々が心血を注いできた。」と述べた。そして「文化の交換は「我々はたとえ話す言葉が違っても、基本的には感情や感動を共有しあえる人間同士なのだ」という認識をもたらすことをひとつの重要な目的にしている。それはいわば、国境を越えて魂が行き来する道筋なのだ。」という点を強調し、各方面からの反響も大きかった。さすがは村上春樹である。今回の事態によって、「地道な達成を大きく破壊してしまうことを、一人のアジアの作家として、また一人の日本人として、僕は恐れる。」と憂いている。これこそ“作家”として“文化人”として全うな感覚ということができるだろう。文化の交流を道筋にした「多くの人々の心血」を無視して、喧嘩腰で吠え、市民を煽り、暴論をもとに突飛な行動を実行させ、事態収拾の糸を錯綜させるような感覚を、僕たちは慎重に憂えなければならない。間違っても仮に、そうした姿勢を英雄視する風潮があるならば、それは歴史の過ちに申し開きができないだろう。


大学学部の第二外国語で中国語に出逢い、漢詩を中国語で音読する美しさに魅了された。日本の古典和歌は中国文学からどれほどの影響を受けているのかという観点から卒論を書いた。その後、何度も中国を訪問し史蹟(詩蹟)を巡りその文化の深度をこの目に焼き付けた。社会人として大学院受験の際、外国語は中国語を選択した。受験勉強の為に日中友好を旨とする中国語学校に約2年間通った。北京大学出身で中日英の比較言語を専攻する、厳しい中国人の先生に教わった。授業中に睡魔に襲われると容赦なく立たされ、また勉強が不十分だと厳しく叱咤激励された。たぶん、社会人相手の講座で、日本人教師ならこれほど厳しく生徒に対応はしないだろう。彼女は、“老師”(教師)として妥協がなかった。その結果、僕は大学院入試を一般受験で突破することができた。まさに言語を通じて文化の機微に触れて、違和感を覚えたところから自らの心血を注いで踏ん張り、新しい人生を切り開くことができた体験である。

その後も、平安朝文学を比較文学の立場から研究し大学院を修了するに至る。大学院の研究室へ来訪した中国人の日本文学研究者とも親しく交流した。日本の高等学校でどのように古典を教えているかを実地で見たいという希望で、僕が勤務する高等学校の授業に招待したこともあった。和歌について高校1年生がプレゼンする授業を見学していただき、中国人の彼女からコメントもいただいた。古典詩歌を媒介として日中の教育についても意見交換ができた。

「音読・朗読」についてもまた然り。東京外国語大学大学院に留学中であった日本古典研究者とも盛んに交流した。彼は、古典詩歌の研究者であったが、同時に「漢詩朗誦家」でもあった。「長恨歌」など中国古典詩の数々を、実に見事に朗誦した。僕が責任者をしている「朗読の理論と実践の会」では、彼を招いて、「漢詩朗誦を考える」のシンポジウムを開催した。そこでも彼の朗誦を何篇か実演してもらった。彼が中国語で朗誦した漢詩を、僕が訓読(日本語)で朗読する構成で実演した。二人の声による交互の朗読の響きは、まさに日中友好という概念を、文学を媒介として眼前に実現させるかのようであった。これこそ「国境を越えて魂が行き来する道筋」なのであった。

大学の教え子の一人が、3年間勤務した会社を退社し1年間の語学研修の為、この8月から北京に留学した。彼女は自称“オタク”というが、サブカルを通じて日中の架け橋になろうとする、次世代の「魂が行き来する道筋」に踏み出そうとしている。それでも北京での日常を綴った彼女のブログでは、反日デモの喧噪の中で、肩身の狭い思いをしている。他者に問われて「私は韓国人です」と答える日々であるともいう。それでも大学での中国人の友人たちからは、「大丈夫か?」といった心配する声が届けられるという。そうした環境に身を置き、「東アジア文化圏」で新しい「道筋」を模索している一人の若者がいることを、日本に居て何でも言い放てる僕たちは、決して忘れてはいけない。

僕自身は、決して大きな煉瓦を積み上げた訳ではない。
だが、多くの日中双方の人々が「友好」を希望して、
無数の「文化の煉瓦」を地道に努力して積み上げて来たのだ。
そして今も積み上げようとしている。

その積み上げた煉瓦を、村上氏のいう一時の「安酒の酔い」で、
「粗暴に単純化された論理で反復的に」破壊してはならない。
酒場でそんな「安酒」に酔った人物がいれば、
すぐさま「愚痴な人物」と疎まれるはずである。

僕たちは積み上げた煉瓦を守る為に、
文化人としての“理性”を決して忘れてはならない。
それでこそ、グラス一杯がたとえ高額であっても
至高の価値ある「文化の酒」が味わえるのである。

「安酒」のガブ呑みは、どんなことがあろうとも御免である。


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“落語地方”方言

2012-09-29
恒例・金原亭馬治さん「種の会第21章」を大塚あのあの音楽堂で。この日の演目は、「天狗裁き」と「百川」の2席。双方ともに登場人物の会話のやり取りに見所のあるネタで、語りの部分はほとんどないといってもいい。登場人物の発話の特徴を巧みに演じ分けなければならない。ちょうどそんな落語の会話に興味が湧いていたところだったので、存分に勉強になった2席であった。

「天狗裁き」では、登場人物の「夢」の内容が知りたい人物が次々に変遷していく。女房・隣人・大家・お奉行そして天狗というわけで、主人公のキャラクターを固定しつつ、相手を演じ分けて行く必要がある。もちろん発話のみならず、表情に代表される所作の変化も見所だ。町人からお奉行そして天狗という大胆な変化に対応した馬治さんの多様な所作は、観ていて痛快であった。僕自身、なかなか表情の変化まで神経が行かないだけに、今後の課題として貴重な意識を持つことができた。

さて2席目は、有名な日本橋の料亭「百川」に奉公に来た田舎者の噺。どうやらこの江戸でも一・二を争う料亭が、宣伝のために実話を落語化したのだという。主人公が、いきなり客のご用聞きに行かされるが、そこで発する方言を客人たちが取り違えて大騒ぎとなるのが、この噺の根幹である。よってこの田舎者の方言を客人がいかにも“聞き間違える”発話が求められる。言おうとした元の発話の内容も、聴衆が分からなくてはならず、その微妙な方言の巧みさが見所である。

「この主人家の抱え人でごぜぇます。」
「この四神剣の掛け合い人でごぜぇます」

という両方に聞き取れる方言発話が要求されるわけだ。

客人たちは、祭りで使う隣町の「四神剣」を質入れして遊んでいるという状況設定があり、「四神剣」という単語に神経質になっているからこそ、聞き違えるという噺の設定が巧みでもある。それにしても田舎者の方言を、実に巧みに発話していた馬治さんの好演であった。

会の後で、馬治さんに「方言」について聞いた。

「どこかの地方の方言を元にして話しているのですか?」と。
「いやいや〜“落語地方”の方言でごぜぇ〜まして」

お後がよろしいようで。
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夕焼けが美しい ただそれだけで

2012-09-28
夕焼けが美しい
ただそれだけで
僕の心は動く
何らかの意味を求めるのではなく
その美しさをことばにすることもなく

いつからこんなに夕焼けが美しいのだろう
その光景は季節の巡航を悟らせる
澄んだ高い空があるから
夕焼けも映える
それが堪らなく美しい

一日で成し得たものは何か
人はその日を振り返る
それは本当にやりたいことですか
おのれの魂が共鳴していますか
されど“意味”は夕焼けで無力化される

一日の終わりを告げる
地球規模最大の行事
素朴に飾らずただ自然に
雲間の居所 偶然の配色
夕焼けが美しい
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下地勇「10th Anniversary Tour〜 NO LIMIT〜」with下舘直樹

2012-09-27
懇意にするギタリスト・下舘直樹さんがバックバンドに参加する下地勇さんのライブを、渋谷duo MUSIC EXCHANGEで。“10周年”と題するこのライブ、下地勇さんの魅力が存分に味わえる豪華な内容であった。下地勇さんは、沖縄県宮古島のことば(宮古口=ミャークフツ)の歌詞をブルースやレゲエ等のリズムに載せて唱うシンガーソングライター。沖縄地方では、オリオンビールのCM曲でも有名である。Wikipediaに拠れば「宮古口」は、琉球語の一方言で、特に話される島によっても差が激しく通じにくいが、約5万人の話者がいるという。また「音韻」上次のような特徴があるというので引用しておく。



「i、ï、u、e、o、aの6母音体系を持つ。日本語本土方言のoとuがuになり、eがiになり、iがïになっている。
子音の独立性が高く、kiv(煙)やim(海)のように子音単独でも一つの拍をなすことができる点で日本語の中では独特である。また古いワ行がバ行に変化したと見られる例などがある。」




ライブ開始からこの「ミャークフツ」による歌詞が、絶え間ない波のようにライブ会場に押し寄せた。もちろん意味を考えることはかなり困難である。その曲調と流れによって、曲の総体を感じ取るしかない。時折、キーワードになるようなことばを発見しようと耳を研ぎ澄ますが、すると曲全体の魅力からは遠ざかるような気がしてしまう。ここでも「意味の呪縛」に雁字搦めな自己を発見した。

「音の力」を楽しむ。昨日の小欄に記した詩人・谷川俊太郎さんから学んだことだ。特に“教育関係者”は「意味」を考えすぎるということ。ここでいう「意味」とは、単語レベルの「ことばの意味」という範疇と同時に、「メッセージ性」とか「心情表現としての意味合い」という範疇が考えられる。些細な「ことばの意味」に巻き取られて、総体から発せられる「音の魅力」を享受することを疎かにしてしまう。詩と音楽の達観者によるパフォーマンスを二夜連続で味わい、「音の力」を大切にする姿勢・方法を教育面でも深く考えるべきだと痛感した。

さて、下地さんの曲を聞いていると、いつしか南の島の自然豊かな雰囲気の中に居るような気分になる。何物にも逆らうことなく自然と共生し、なおかつ“生きる”ということに前向きで貪欲な島の生活文化。そんな“人”としての迫力が、曲の随所から伝わって来た。僕たちは、勝手に「沖縄地方」と一括りにしてしまいがちであるが、その各島には各島のことば=文化があるということ。行政的管轄といった“作為”を超えた人々が生きているということ。「国家」の中に沖縄、そして宮古の島々があるのではなく、そこに海があり島があり人が住んでいるという「郷土」があるということ。下地さんの「ミャークフツ」にはそんな訴えがあるように、僕は“解釈”した。本当に「美しい」というのは、こうした個々の文化を尊重し交流し享受し合うことなのではないだろうか。「美しい国」はいらない。個々の「美しい郷土」こそ大切にすべきなのである。

その下地さんの魅力的な曲の数々を、バックバンドが支える。下舘直樹さんのーギターの旋律が、「ミャークフツ」を引立てる。時に激しく時に穏やかに。主役を輝かせる音として、この上ない力を発揮する直樹さんのギター演奏。一流ミュージシャンのバックという舞台で、直樹さんのギター演奏を聴いて、改めてその実力に感服した。そこにはやはり“直樹哲学”が生きているように思えた。

音楽の力
ことばの力

「音の力」を本当に美しく感じられる人でありたい。
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谷川俊太郎トーク+詩の朗読「意識下から“ぽこっと”生まれることば」

2012-09-26
紀伊國屋サザンセミナーで開催された、詩人・谷川俊太郎さんのトークショーと詩の朗読へ赴いた。自らの半生を語る映像記録DVD(紀伊國屋刊)の発刊記念でもある。また2年前に刊行された『ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎詩と人生を語る』(ナナロク社刊)の内容にも通じるトーク。そのテーマは「意識下から“ぽこっと”生まれることば」。「意識下」ということの意味合いと“ぽこっと”という擬音語(擬態語?)を使用したあたりに、深い興味を覚え開演を待った。

谷川さん曰く、詩とは「言語化される以前の状態で意識下にある」のだと。よって何らかの契機で「湧き出てくる」ものであるともいう。それを若い時分はノートに書き綴っていたのだと回想する。電子化が進みPC等で詩を記すようになってからは、推敲が容易になったので最初の段階から詩はかなり変化して行くのだという。その過程は、上書き保存してしまうので形にはならないが、そんな推敲過程にも大きな価値がありそうだ。また、「かっぱ」などの作品で知られる「ことばあそびうた」は「出方が違う」とも。そこには「感情(気持ち)」があるのではなく、「煉瓦を積み上げる」ように自然な工程があるのだという。

前述「ことばあそびうた」などは、「子供の方がすぐに覚える」と体験的に指摘。「大人は意味を考えてしまう」と批判的だ。詩とは「意味+音の力」であると谷川さんはいう。その「音の力」に対しては、幼ければ幼いほど敏感であるということ。そこに「メッセージ性があるわけではない」と言い切る。「喩えば、鳥の群れがある一羽の声で一斉に飛び立つように」また、「詞として読むと何ら感激しないのに歌として歌唱すると感激する」といった感覚が「音の力」であるという。その延長上で、「ことばの力」というものを疑い続け、闘い続けて来たのだという詩人の矜持が顔を覗かせる。

「(詩の)ことばの力」とは、「金・権力・学問とは大きな違いがある」と谷川さんはいう。「シュプレキコールの対極」にあるのが「(詩の)ことばの力」であると。となると「意味」に雁字搦めになった僕たちは、詩を果たして本質的に読めているのかという不安がよぎる。DVDの中で、ある高校生が「詩にどんな気持ちを込めていますか?」という質問をする場面があるが、それに対して「かっぱ」の詩を一気に暗誦し、「これに気持ちがあると思いますか」とやり返す。これが谷川さんの真骨頂である。高校生は、まさに学校教育の中で育っている真っ最中であり、それゆえに「気持ち」を質問する。学校教育の中で詩は「気持ち」を問われるものだということなのだ。確かに、授業・試験で「作者の気持ち」を問うことは国語教育の常套手段。だがしかし、この「意味」を、権威付けし作為的説明を付加することが、詩人の感性からは遥かに貧弱に見えるのだろう。国語教育でいうところの「読解・鑑賞」という理論や授業実践を、今一度根底から見直すべきであるという課題を谷川さんからいただいた思いがした。詩は「教えられない」のである。

「“意味”を無化し、ことばの生きている手触り」を大切にする。「ことばとは他と向き合ってこそ出てくるもの」。その「ナンセンス」なあり方こそ、「ことば」の深淵を見つめることになる。この単純そうにみえて、詩人が生涯を重ねて得て来た奥深い境地。「メッセージはゼロ」と微笑む表情に、「ことば」と格闘してきた年輪が滲み出していた。

それにしても、谷川さんのユニークで優しい語りと、そこに表現されるお人柄には大変感激した。一般的に詩人などといえば、無骨で野放図なイメージばかりが拡大してしまいがちであるが、谷川さんは人として豊かであるということがライブから伝わってくる。80歳を過ぎても、年間40カ所以上の講演・朗読等の催しに一人Tシャツ姿で登場する。そのTシャツに刻まれた「ことばあそびうた」と、その穏やかな笑顔という存在自体が、「意味を無化」した「詩」そのものであるともいえる。それはあの、これ以上ないくらい自然体で自己の詩を朗読する姿に表れている。力まず、訴えるわけでもなく、作為を究極に排除した朗読。その境地に至るのは容易ではないだろう。それこそ、詩を“ぽこっと”生み出す詩人ならではの語りであるということができるだろう。


僕たちは、「意味の呪縛」から解放されなければならない。
「音の力」を信じていくべきなのであろう。

ただ、その隙間には、ことばで説明するには難解な道程があることを
指導者は心得ておくべきなのかもしれない。

「ことばの力」そして「音の力」との格闘。
谷川さんという先達から、多くの恩恵を得られた一夜であった。
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追(終)われない携帯

2012-09-25
新型スマートフォンの発売が、傍目に見ると異常なぐらい加熱している。発売の数日前から店頭前に並び、我先にと新機種を手にする人々がTV取材を受ける。新機種の性能や不適合に関する話題も、Twitter上などに氾濫する。同時にスマートフォンで使用されるOSもバージョンアップし、その変更点に関する様々な(素人)論評も喧しい。“新型”を希求する気持ちが尋常もなく高まり、まさに携帯に追われるような人々の生活意識である。

どんな場所でもPC並の情報処理能力があるスマートフォンの存在は、確かに便利である。家でもPCを起動させなくてもできることは格段に増えた。また、出先においても全てのメールをいとも簡単にチェックできる。SNSへの投稿もいつでもどこでもできる。ところが、この「いつでもどこでも」という利便性が、人間を縛る結果になっているという弊害を生み出していることも見逃せない。僕たちは、情報に追われ、付き纏われ、急かされることで精神を擦り減らしているかのようだ。「いつでもどこでも」“終われない”携帯を手にしている。

かつて、今にいう“ガラケー”が普及し着信音が流行り始めた頃、職場のトイレに入ると個室の中から、独特な着信の曲が流れて来た。即座に持ち主が頭に浮かび、立って固定した姿勢を保ちながら笑いをこらえるのに苦慮した。すると持ち主は、個室の中で「もしもし」とその着信に応答し始めた。日常的には忌憚なく大きな声で話す持ち主が、やや躊躇し「はい、○×です。」と微かな声で応えているのを聞いて、更に笑いをこらえる限界点ぐらいに達した。笑いならぬ、息をはくことで“ガス抜き”をして、トイレから廊下に出てから思わず爆笑してしまったことがある。比較的、想像力が豊かな僕は、明らかに個室の中の光景を脳裏に描いていた。

「いつでもどこでも」は生理現象の間も容赦しない。今ではスマートフォンに、様々な情報の“お知らせ”機能が設定されているだけに、それが鳴れば(振動すれば)即座に反応する人も多い。その時、もし他者と会話しているとしても、その「現実」の会話は一時的に無視され、メールの返信かSNSへの反応に精を出す。いわば「2番目の現実」が優先されることになる。返信がどれだけ早いかということにも気持ちを砕く人も少なくない。

今月はWeb環境のない土地で、3日間を過ごす経験をした。情報は一切なし。だが心は平穏であった。それでもスマートフォンを使用して写真だけは撮影した。多機能は、単なる写真機と化した。情報世界から離脱することで、様々に純粋な思考が起動した。何からも束縛されない、支配されない、追われない時間。現代人には、そのような時間が必要なのではないかと痛感した。

睡眠直前まで、あのスマートフォン画面を見ていると、明るさを感知する脳内作用が刺激され、安眠を妨げるという報告を読んだことがある。また、ある心理カウンセラーに聞いた話では、(睡眠前)寝床に社会的な柵(しがらみ)を持ち込むことが、精神的安定を乱すとも。もちろん携帯電波を受信する物体が睡眠する身体の傍らにあれば、電磁波の影響も少なからず受けることが予想される。かつての電話のように、スマートフォンの反応は、深夜を意図的に避けることもないのだから。


情報や時間による束縛が、人を疲弊させている。
「いつでもどこでも」の利便性を自己規制すべきだろう。
“終われない”携帯を、“追われない”携帯へ。

持ち主の、“生きる”という「現実」を大切にしたい。
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文の京12hリレー参加結成会

2012-09-24
昨年から地元カフェ店主夫妻と常連さんで構成するチームで参加している大会。今年も来月20日と開催が近づいた。この日は、そのチーム結成会が開かれる。新たに加わった方2名を含み、昨年の参加メンバーが顔を揃えた。昨年は暗中模索の中、12時間で公園の周回コースを93周走った。あくまで結果は結果として後からついて来た。この経験がどうしても基準値となる今年の大会。チームの目標は、ズバリ100周である。

経験値は、様々に功を奏する場合もあれば、むしろ邪念となる場合もある。知らない道を歩き通していたら、いつしかある地点に着いていたというとき、その道の距離はあまり苦にならないことが多い。距離を意識せず、ただひたすら“今”を走り続けるからであろう。知っている場所に行こうとするとき、その場所までの距離が観念化して、人の中で“感情”が付加される。ゆえに、予想以上に困難を極めるという経験は誰しもあるのではないだろうか。今回は、明らかに後者である。こうして文章として語ること自体が、邪念そのものであるともいえる。

無心に帰るならば、ただ自分のベストを尽くすのみということになるだろう。周回の順番が来た時に、襷を受け取り次の走者に繋ぐ。その繰り返しに他ならない。次の走者に、ただ襷を渡すという小さな感慨を求めて1周1.2Kmを走破する。そのたびごとに“焦り”の心境よりも、無心になれるや否や。まさに小欄のタイトルにも掲げている「虚往」の心境が求められるのではないかと思っている。


僕たちは、マラソンや駅伝で専門的に鍛え抜いた選手たちですら、その身体性を超えて、精神的な邪念で自らの身を持たせることができない光景を、何度も映像を通じて目にしている。マラソンのTV中継で一定の視聴率がある稀少な国の住民である。マスコミの喧伝による期待に押し潰された選手の悲劇をいくらでも知っている。苦闘に歪む表情をカメラが捉え続ける映像を、2時間半近く見続ける精神性を有している。敢えて、そんなことに自覚的になってもいいのではないかと思う。

かつて、サッカーW 杯に日本代表が初出場したフランス大会のとき、試合中にガムを噛むとか、笑顔でプレーしている日本人選手が批判されたことがあった。世間は「必死でない」ということばを選手に浴びせたと記憶している。だがしかし、「必死(な表情)」とは何だろうか?欧米のB級映画に登場する“侍”の、あの妄信よろしき洗脳的表情であろうか。一方では、移籍後好調であるイチローが、笑顔でプレーする姿を好む“感覚”を、最近では耳にするようになった。

かつて、米国のカールルイスが短距離を走るとき、ゴール前の追い込みでこそ笑顔であるから記録が伸びるのだと語っていたのを思い出す。長嶋茂雄さんが、「カール」と得意の英語で呼びかけて、相互に笑顔でインタビューしていたことが懐かしくもある。やはり笑顔が身体を躍動させるのである。と僕は信じている。

地元の方々と、未知への時間を楽しむ。
僕は、こうした笑顔での挑戦こそ
最善の身体性を発揮するのだという感覚を楽しみたいだけでもある。

さて、結果は如何に?
来月20日午後6時に号砲が鳴り響く、
文京区教育の森公園である。
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お彼岸の風景

2012-09-23
暑さ寒さも彼岸まで。
東京地方は一昨日の雷雨から各段に涼しくなった、
と感じた。
そして秋分の日を迎え、
両親と共に先祖の墓参へ谷中を歩く。

生まれた家の近辺を歩いてみると、
いくつもの過去が記憶の中から顔を出す。
鉛筆・消しゴム等を買いに行った文房具屋さん、
その近くの駄菓子屋さん
今や店はなく、ただ記憶の中にだけ、
店のおばさんの顔がふと浮かんでくる。

寺へ向かう坂道を登る。
東京に二十八箇所あるという「富士見坂」の一つ。
遥か離れた新宿あたりにマンションが建ち
富士山が拝めなくなることへの反対運動が巻き起こった。
街の景観を死守しようとする人々の気持ちが生きている。
都市の無情
江戸情緒は今や過去の遺物。

父が、通った小学校について語り始める。
今はマンションになっている敷地の片隅から
野球で打撃をすると左翼後方の墓地まで打ち込んだと。
木造平屋であったという教室棟、現在は自転車置き場だ。
小学校の思い出は都市の住宅事情に追い越される。

墓参。
自分がこの世に存在する一理由。
「先祖」という血脈の中の自己。

今でも賑やかな商店街へ。
幼少で記憶もない頃、
父の車が急ブレーキを掛け
助手席から前へと転がり落ちたという。
記憶のない自分史の現場に立つ。

お彼岸の風景。
夜になれば虫の音。
両親と共に栄養補給もよろしく
夏の疲れを癒す一日。
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一歩と躊躇、どちらの後悔を選びますか?

2012-09-22
後悔先に立たず。
一歩を踏み出した後悔と
躊躇して殻に籠る後悔とどちらを選ぶだろうか?
そんなことを改めて考えてみた。
そして聊か過去を振り返ってみると
おおむね「一歩」を踏み出した場合に
「後悔」はその原型を留めず、新たな世界が見えて来る。
一歩を踏み出せば「後悔は先に立つ」ともいえる。

例えば一日を考えてみよう。どこかに出掛けようと考えたときに、出向いてみれば何か新たな発見があるはずである。しかし、家に閉じ籠っていたら、何ら変哲もない時間だけが過ぎ去る。大きな差になった一日を、どれだけ繰り返すかにもよるが、後にそれは甚大な生き方の差になりかねない。ゆえに今日の一歩が非常に大切だということになる。

日本人の留学生が減少していることが各方面から報告されている。米国の大学での状況を知るにつけ、アジア系留学生の多くが、中国・韓国・台湾で占められている。どこに行っても日本人といった感覚であったという90年代からすると、隔世の感がある。それは単に、経済的な状況の変化が要因なのであろうか。ある方から、そんなことを問い掛けられてしばし懇談する時間を得た。するとその会話の中から見えて来たことは、「留学」という“意欲”のみならず、日本国内における「学ぶ」意欲が減退しているのではないかということだ。確かに過去に比して、学生が自ら学びたいことを意欲的に学ぶという姿勢が、影を潜めている印象が拭い去れない。

比喩的に述べるならば、内側に閉じ籠り、外からの刺激に対してすぐにでも割れてしまいそうな危うい殻で身を守りながら、あくまで受身な姿勢で学んだ気になっているということであろうか。まさに今日の一歩の積み重ねがないということになるだろう。前述したように、その蓄積の果てに来たる差は、甚大なものにならざるを得ない。

「留学」のみの問題ではない。
「今日の一歩」を踏み出すや否や。
過去に踏み出してきたことを自覚するだけに、
あらためて“今”の「一歩」を疎かにしてはならぬ
と反芻する一夜であった。
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「眼鏡」を意識する

2012-09-21
いつぞやだいぶ以前に、「なぜ眼鏡も着替えないの?」というCMがあったのを思い出した。時と場所、用途に応じて眼鏡をかけ替えようという販促効果を狙ったコピーである。確かに無頓着であれば、どんな場面でも同じ眼鏡で過ごしてしまうことも多い。だが、仕事の服装には適すると思う眼鏡を、プライベートな場面においてカジュアルな服装で掛けて撮った自分の写真を見たとき、信じ難いほどの違和感を覚えたことがある。せめて仕事と私的な時間ぐらいは掛け替えてもいいのではないかと思うようになった。

眼鏡というと、もちろん視力矯正の為の実用性を伴う道具である。同時に「おめがね」といった語彙で使用すると、「物の形・性質・よしあしなどを見分ける尺度としての目」(『新明解国語辞典』第6版)という意味にもなる。俗に「色眼鏡で見る」といった用例で使用する場合である。こうした意味での「眼鏡」は、誰彼に関わらず無意識のうちに掛けているものである。むしろ意識しようとする方が難しいのかもしれない。知らず知らずのうちに、一定の「眼鏡」を使用しているのが一般的であろう。

日本人の性質を鋭く批評したルース・ベネディクト『菊と刀 日本文化の型』(講談社学術文庫所収)に次のような一節がある。
「ある国民がそれを通して生活を眺めるレンズは、他の国民が用いるレンズと異なっている。われわれがものを見る時に必ずそれを通してする眼球を意識することは困難である。」
(中略)
「眼鏡の場合に、眼鏡を掛けている当人がレンズの処方を知っているなどとは、最初からわれわれが期待しないように、われわれは国民が自らの世界観を分析することに期待をかけるわけにはいかない。もし眼鏡のことについて知りたければ、われわれは眼医者を養成し、眼医者の所へ行きさえすれば、どんなレンズでもちゃんと処方を書いてくれる。きっとそのうちにわれわれは、社会科学者の仕事こそ、現代世界の諸国民において、この眼医者と同じ仕事を行うものである、ということを認めるようになるだろう。」



ある「文化の型」に中で生活している以上、何らかの「眼鏡」を必然的に掛けてしまっている。その眼鏡を外見的に意識できたとしても、その処方までを思考することはなかなか難しい。日常生活においても、ある人が眼鏡を掛けている場合、そのデザインや顔全体の均衡性などに意識が行き、どんな処方で、どんな目的で使用しているか等は考えることは少ない。それが「眼鏡」の“第二の意味”となった場合には、尚更であると言わざるを得ない。

「文化」は、広く国民全体を言う場合もあれば、個々人の中での独自の「文化」をさす場合もある。その個別の文化を、いつしか僕たちはある「眼鏡」で見てしまっていないだろうか。その「眼鏡」の処方が偏向すればするほど、「いじめ」などの「他者排斥」の意識に発展する要因にもなる。今一度、自らがどんな処方の「眼鏡」を使用しているかを、十分に思考すべきではないだろうか。

そしてまた、状況に応じて柔軟に
「眼鏡」を掛け替えることも必要であるかもしれない。

一旦は、自分の観念の枠外に出て
自らの「眼鏡」の処方を意識してみよう。
そこに恐ろしい程の発見があったりするものだ。

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