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あの夏の甲子園

2012-08-23
いつも夏休みは甲子園だった。それは小学校のときからTV観戦の対象であった。次第に野球がより深くわかるようになり、同年代が出場しているころには、スコアブックを付けながらTV中継を観ていた。甲子園は「夏に始まるが決勝を終えると秋になる」と言われる。単なる気温という以上に、甲子園とともに夏休みが終わるという感覚が強い。その決勝後の閉会式で観る、優勝旗はこれ以上ない憧れの的であった。

教員となって甲子園の応援引率という、願ってもない“仕事”に巡り会えた。東東京の予選は7月初旬には始まるので、まさに1ヶ月半近くはスタンド観戦の日々が続く。あの神宮球場の雰囲気もまた格別である。東東京での優勝が決すると、すぐさま甲子園応援の準備。約10日後には甲子園の応援に出掛ける。初戦から3回戦ぐらいまでは、試合毎に東京と大阪を夜行バスで往復。お盆の大渋滞に巻き込まれたことも多々あった。だが、その往復にも数々の思い出がある。

新卒、数年目にして勤務校が全国優勝。実に幸運であった。その道程の全ての試合を(東東京予選から)スタンドで見守った。勝ち進み負けないということは、並大抵ではない。幾度も窮地があった。だが普段教室で教えている生徒が大逆転タイムリーを打った時など、スタンドで涙が止まらなかった。外部から観ている以上に、選手たちの性格から出場までの苦難を知っているだけに、勝利の感慨は一入であった。

そして生まれて初めて、あの甲子園の優勝旗を目の前で見ることができた。優勝した日の夜は野球部の宿舎に泊まらせてもらった。翌日、備品を載せたトラックを東京まで運転するという、願ってもない“仕事”を任命されたからである。全国で一本しかない高校球児の憧れの深紅の優勝旗。その荘厳さにたじろぐほどであった。

僕の青春の甲子園は、高校時代ではなく若き日の教員時代であった。高校教員として、ほぼ夏休みの全てを野球に費やした。まさに青春そのものを体験することができたと今更ながら振り返る。その時の決勝戦の日の体験を、当時の学校の雑誌にエッセイ風に僕は書いている。その今にして読めば拙い文章に、当時の様々な思いを読み取ることができる。

ふと準決勝の甲子園の試合をTV映像で観て、こんなことを思い出した。選手たちはもとより、アルプススタンドで応援する人々の苦労を想像する。同時に悲喜交々な気持ちに同情してしまう。そしてまたこれだけ年数が経ても、準決勝・決勝の間に休息日もなく闘い続けなければならない大会運営のあり方に、甲子園の変わらなさを見る思いもある。

あの頃に立ち寄っていた甲子園周辺のお店は、今でも元気に営業しているであろうか。
今では、この決勝戦の日に、全く違った場所で仕事をしている自分がいる。

連戦の中で選手の身体に影響がないことを願いながら、
選手と応援団の人々の決勝での健闘を祈る。

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