「罵倒と否定」の前に
2012-08-31
国会の空転、近隣諸国との相互理解なき関係、原発政策の行方、東日本大震災からの復興等々、国内外の状況は何かと歯がゆいことも多く不安の方が先立つ社会情勢である。政治への不信は拡大し、急進的な改革を断行するかのような喧伝を行う者に注目が集まる。同時に、この不安な社会の背後で「罵倒と否定」のことばが溢れている。Web上の匿名発言はもとより、公共の場に於いての理性なき要求や暴力へとエスカレートしているとも聞く。だがしかし、「罵倒と否定」の蔓延は社会にとって決して健全とはいえず、相互崩壊を誘発し自滅の方向に進む危険性を孕んでいるだろう。朝日新聞8月30日付「論壇時評」で、高橋源一郎氏が太田昌国氏の評を引いて「そこは「相手を罵倒することも否定することもな」い場所だ。そして、そんな場所を作ることだけが、「罵倒と否定」の社会を変えられるのである。」と結んでいる。「そこ」・「場所」とは、「金曜デモ」のことを指し、「日常生活では味わうことのできない時『解放感』」を感じると太田氏は述べ、更に「楽しさや解放感がある時の、人間の学び方は、広い、深い、早い」としている。また、柄谷行人氏の「人がデモをする社会」(『世界』9月号)から、「デモで社会は変わる、なぜならデモをすることで、『人がデモをする社会』に変わるからだ」という発言を引用し、(柄谷への)質問者の想定以上に「「本質的」な答えを返したのだ。」と高橋氏は評している。「デモでは変わらない」、「選挙でしか社会は変わらない」と思っている(柄谷への)質問者に対して、その前提を転倒させたことばにこそ、社会を変える端緒が見えるということになるだろう。
デモとは、概して集団が徒党を組んでというイメージを持ちがちであるが、決してそうではない面もある。細部の思考は多様であっても、一つの方向性に対して考える起点とする。それが現在のデモのあり方ではないかと感じる節がある。「AかBか」の二項対立しか行き場のない方向性の提示は、「わかりやすさ」という単純化の中に市民を落とし込み、多様で個性的な意見の喚起を拒絶する。これこそ選挙で大勝する勢力が利用する方法であり、市民はその術中に嵌り込んではならないはずだ。哀しいかな、現状の代議制民主主義では、こうした「○」か「×」かを問うような構造が否めず、社会を変える契機にはなりにくい。それは、この10余年の歴史を見れば明らかであり、だからこそこれほどの政治不信が渦巻いているという現状を、個人個人が自覚する必要があるように思う。
高橋氏は先に述べた「論壇時評」で、こう強調する。
「国家と国民は同じ声を持つ必要はないし、そんな義務もない。誰でも「国民」である前に「人間」なのだ。そして「人間」はみんな違う考えを持っている。同じ考えを持つものしか「国民」になれない国は「ロボットの国」(ロボットに失礼だが)だけだーというのがぼくの「ふつう」の感覚だ。」
「罵倒と否定」その反対側で、「無関心と無言」を決め込む輩もいる。
僕たちは広い視野で学ぶ場を身近に設け、
個々の多様さを見つめ合うことから始めるべきであろう。
「社会」を構成する「一人」として「変える」という意識を持つことが大切だ。
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予想もしないことばの交響ー連句会に参加して
2012-08-30
唐突にその場で出された句に、連なる句をつける。付かず離れず、関連をもちつつ展開のある、何ともいえない微妙で相反した関係性の句が連接していく。各参加者が思い描くことばの世界は多様である。他人が考えもしないようなことばの選択や配置。その場に、旋風を起こすがごとき革新的な発想。自らが作成した句と他者の句を見比べながら、ふと納得する一瞬がある。決して権威的な何かに迎合することもなく、座の“空気”はあくまで公平である。連句を国語教育に活かしている中学校の先生が行うワークショップに参加した。高校時代から俳諧・連句は好きであったが、研究対象には和歌を選んだ。学生時代に高校の恩師に連れられて1度だけ本格的な連句会に参加したことはあったが、ほとんど付けることはできず、参加者の方が手伝ってくれて体裁を保つ一句を投じただけであった。その割には、大学時代も芭蕉の連句を扱う授業には、惹かれていたのも確かである。今回は実に格好の機会となった。
発句が提出され、それにこの日の宗匠たる主催者の先生が脇を付ける。季節柄、秋の句で始まり、次第に「月」を詠んだ句へと序の何句かが付けられていく。「月」が意外性のある月面着陸といった観点で詠まれた句が採択されると、一躍付け方が動きだし日常的な「雑」の句に展開する。そうした中で、様々な句を発想する脳裏は通常とは違う使い方をしているような気になる。おのれのことばの引き出しにどんな選択肢があるか。意表を衝いた内容を狙い過ぎれば場の方々に伝わらず、いかに連座しつつもかけ離れたことばを構成できるか。そんな楽しみで句を付けるごとに閑かな興奮が抑えきれなくなって来た。
均衡と反発。この相反する状況を場の空気の中でどのように叶えるか。場に従順でありながら、場を裏切る。決して一定の“空気”に支配される、没個性の妥協的な感覚では叶えられない文芸的境地。時間を忘れ、自身を忘れ、雑念が排除されるような豊かな時間を体験した。この創作的なことばの交響と人間関係の麗しさに、日本文化の精髄があるのだろう。優しくて厳しい。温かくて冷たい。受け入れつつ追い込む。そんな相反する感覚を、随所に味わう機会であった。
もはや、連句は癖になりそうである。
そしてまた、創作を言語活動の一環として国語教育での展開も興味深い。
ことばの響き合いの魅力を存分に引き出す日本文化こそ美しい。
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いつの間にか「絶滅」でいいのか?
2012-08-29
ニホンカワウソが「絶滅」と判断されたという報道をみた。最後の目撃が北海道で1955年、本州以南では79年というので、かれこれ30年以上も存在が確認されていないわけである。「カワウソのような比較的大きな動物が長期間目撃されていないことや、生息調査などの結果から絶滅種と判断した。」(朝日新聞8月28日付夕刊)ということだ。もちろん「絶滅」に至る過程で、「絶滅危惧種」に指定されていたわけであるが、そのような形式的な“指定”など、ほとんど意味をなさず日本の国土からカワウソは完全に(感情的には一縷の奇跡を信じたいが)消えた。カワウソという語彙に、最近出会ったのも「獺祭」という山口県の銘酒によってである。その名前の由来が中国故事にあり、カワウソの習性をユニークな物語風に捉えたものであること。かの有名な正岡子規が雅号に「獺」の文字を使用していることなどを、酒蔵の命名に触れて確認したことがある。その酒の味わいの深さとともに、カワウソという生物が観念的にではあるが、身近に感じられる機会であった。新聞に掲載されていた79年の高知で撮影されたニホンカワウソの写真の表情が、何とも微笑ましくも虚しくも感じられた。
新たに8種が「絶滅種」、419種が「絶滅危惧種」に環境省は指定したという。この自然豊かな国土において、そこに生息していた“仲間”をヒトは次々と死滅させている。何とハマグリさえも絶滅危惧種で、「干潟の埋め立てや護岸工事などで生息環境が悪化」したという。「潮干狩りなどでも外来種を放して客に採らせる場合がほとんど」であるという現状。自然に親しむという行為自体に、何という虚飾の構造が埋め込まれているのか。こうした生物が絶滅して行くことに、まさに本気で「危惧」の念を抱くことなく、開発の波を止めることもなく、いつのまにか「絶滅」と指定し、この国土から完全に名実ともに抹殺してしまう。ニホンカワウソの怨念やいかに、である。
日本人は自然と共生して来た豊かな国土で“生息”していた。しかし、戦後の高度経済成長、いや明治維新以降の近代化の波が、次々と自然を破壊し自らの利のみを追求してきたことか。その間に、環境汚染や戦争という惨禍により、ヒト自らをも多大な犠牲に晒して来た。もういい加減に気付くべきだ。自然との共生とはどういうことかに。さもないと、ヒトそのものが「絶滅危惧種」に指定されてしまうほど、危険なものに汚染し尽くされてしまう可能性がある。
後戻りはできない。
だがまだ間に合う。
今こそヒトとしての理性が試されている時だ。
ニホンカワウソの愛くるしい表情にせめて報いたいと誓う。
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大小の身体表現
2012-08-28
落語で所作は重要な表現要素といえるだろう。九州は水俣の施設を慰問し、同行した落語家さんが、最初に「所作だけで何をしているか当ててみましょう」といった問いを投げ掛けた。蕎麦を食べる・鰻を捕まえる・釣りをする等などの所作について、施設の方々が笑いながら答えていたのが印象的だった。そしてまた、それを演じている落語家さんの表情は、音を立てて食べ・手が滑り・獲物が掛かったかのようなリアル感がある。僕自身もあの表情というものを学べないものかと、新たな欲求が高まっている。スポーツジムで時折、ダンスの要素を中心にしたエクササイズに参加することがある。音楽に合わせて身体全体を使用した表現。動くことで何が表現できるか。果てまた、担当トレーナーさんも、「狭い鉄格子の隙間から抜け出すように」とか「大空に向かって皆さんの花火を打ち上げましょう」といったことばで、身体表現のイメージを具体化してくれる。これによりただトレーナーさんの動きに対して真似をする以上に、個々の参加者の個性が引き出されてくる。想像力が身体表現を磨いていくわけである。
何らかの世界を再現するには、必ず為手と受手双方の想像力が必要になるだろう。だがしかし、やはり絶対的に音声と身体を使用して、どれだけリアル感をもって為手が作品世界を表現できるか。表現者が想像できる限界まで作品世界に没入し、“その世界の人”になれるかどうかは大変重要な表現要素であるように思う。その為にも、様々な作品世界を知ることはもとより、多様な体験を表現者自らがしているかどうかも重要であるといえる。蕎麦は音を立てて食べる。鰻を素手で掴む。釣り糸を垂れて待つ。などの経験があるかないか。そしてまた、ジャングルジムのような鉄格子を潜り抜けたことがあるか。花火を至近距離で見たことがあるか。等々の体験的要素が、身体表現をリアルにしていくはずである。
大小の身体表現。
これと音声表現との関連。
実に複雑かつ精緻な関係性が求められそうだ。
いずれにしても多様な表現世界を体験することで、
自身の新たな境地が発見できるのは確かである。
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「ゴリラ風船」はいずこへ
2012-08-27
「家内安全・商売繁盛〜・・・爆笑、ウッウッウッウッ!!!」「男の子は、ボクシング!」
「女の子は、バレーボール!」
こんなフレーズを、コミカルな表情を作りながらパフォーマンスする「ゴリラ風船(商会)」という縁日の露天があった。必ず周囲には人だかりができて、そのゴリラによく似た中年男性の語りの世界に聞き入った。僕が小学校の頃までは、この時季のお祭りで、このパフォーマンスを見るのが一つの楽しみでもあった。あの「ゴリラ風船」は、いまいずこにいるのだろうか。
久しぶりに日暮里の“お諏訪さま”こと諏訪神社の祭りに両親とともに足を運んだ。昔と変わらず、西日暮里駅上の崖の上にある社から、日暮里駅裏手の路地に至るまで、かなりの距離を縁日の露天が立ち並ぶ。そして老若男女、様々な年代の人々が夕涼みのひとときを楽しんでいる。夜になって大詰めの神輿が「宮元」から出され、現代的視点からするとやや“無謀”とも思えるように、露天が出ている前の狭い路を進む。その掛け声と神輿の揺れ加減。何とも魂が揺さぶられる思いがする。
諏訪神社境内の神楽殿では、「江戸祭りばやし」が奏でられている。昔は、お神楽も奉納されていて(この日も、時間帯によって行われたのかもしれないが)、その妙に幻想的な動きが子供ながら気になった。境内にも所狭しと露天が立ち並ぶが、冒頭に書いた「ゴリラ風船」は、必ずその鳥居から入ってしばらく行った左側、人が周りを囲んでも支障のない位置で、豪快な声を響かせていた。各々の露天で売っているものは昔と大きな違いはないと思うが、風船を一つ売るのに、あれほどの“話芸”を持っているような露天は、もはやない。
今でも、その幼少時の記憶は鮮明だ。極めて「ゴリラ」に似た顔、いや似せた表情。下唇を突き出して、上目遣いで白目を剥く所作は実に印象的だ。「ボクシング」と称して風船をパンンチングする勢いはかなりのもので、その速さと迫力に圧倒された。風船に鉢巻き状に巻き付ける細長い風船を膨らませながら、その端々に噛み付いたりもする。場合によると、本当に噛み切る瞬間があって囲んだ客たちを驚かせる。風船が破裂するというのは、起こってみれば何ということもないが、不意な破裂音に至までの緊張感は格別なものがある。俄な爆発音のスリルを子供ならではに味わっていた気がする。
「ゴリラ風船」はいずこへ。
街に楽しめるパフォーマンスが生きていた。
あの名物露天はもはやないが、
祭りの縁日を見ていて、
変わらないものは変わらないでいい、
などと下町の逞しさに嬉しくもなった。
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場の流れに乗るー未完の妙
2012-08-26
昨年まで1年半ぐらいの間に落語を学んだ。その際に師匠から指摘を受けた重要なことは、「説明し過ぎ」という点である。教壇経験が長いゆえに、聴衆全員に「理解が行き渡る」ことを念頭に語る“性癖”が染み付いている。わからない者、いわゆる「落ちこぼれ」を作らないようにせねば、という意識が自ずと説明を過剰にする。良く言えば「丁寧」、悪く言えば「くどい」のである。たぶん、教壇に立つ者は、程度の大小はあれ聊か経験があるのではないだろうか。神保町のBon Vivant主催による「屋形舟の会」が行われた。昨年来行われているこの会は、フォークシンガーの浜田伊織さんが船上LIVEを行う。昨年、僕の落語修行発表会を観に来てくれた店主が、このLIVEの前座として「落語を一席」と勧めてくれた。願ってもない場であると思い、この“大役”を引き受けることにした。それにしても今回は、昨年の修行と違い、短期間で何らかのネタを披露できる状態に作り上げなければならない。自分で自分を追い込みながら、自らの語り能力を試すような機会であった。
昨夜、聴いて下さった方々がどのようにお感じになったかはさておき、僕の中では練習不足が否めなかった。噺の筋は一通り頭に入ってはいるが、所作を始めとする表現がどこまで効果的かは疑問であった。しかし、不思議なことに昨日、屋形舟の出港する品川に向かう際には、殆ど楽しみな気分になっていた。そして直前に原稿を見直すとか家でリハーサルをすることよりも、早く品川に行きたくなった。
集合時間より早めに品川に到着。出向いたのは旧東海道の宿場が立ち並んでいた地域。京浜急行の新馬場で下車した。地元・品川神社にこの日の芸の成功を祈願し、旧東海道のあたりを散策した。本陣跡などいくつか江戸の面影を今に伝える街の光景にふれながら、次第に気分を高めて行った。あとは屋形舟に乗船する桟橋に至り、この日の来場者と様々な懇談を繰り返した。
もはや、直前に噺を“なする”ことよりも、現地がどんな雰囲気になるかを捉えることに気持ちを注いだ。そして前座の時間となった。ここからはまさにLIVE性そのもの。聴いて下さっている方々の気分を、自らの語り世界とどのように同調させていくか。最低限の説明で、どのくらい想像力を働かせていただくか。「場の流れに乗る」といった気分で落語は進行した。そして予想以上に皆さんそれぞれが楽しむ笑顔が見えた。
完成度からいえば、たぶん70%ぐらいであろうか。
その“未完”な噺こそが、聴衆を大切にする結果となった。
多くの方が、面白かったという感想を述べてくれた。
野球の経験がある方ならわかるであろう。
70%の力の入れ具合こそが、最高の飛距離を生むことを。
力任せに力んだスイングに妙はない。
聴衆が想像をする余白。
学習者が自ら質問する余白。
語り過ぎない。
まさに未完の妙を体験した気分だった。
落語からまた一つ学んだ。
さて、次はこのネタを師匠にご指導願うことにしよう。
「品川心中」でございました。
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郡読音楽劇「銀河鉄道の夜2012」公演
2012-08-25
「重ねる」とは実に様々な意味がある。まさに「多重」という語彙にもなっているように、複数の要素が複数の状況の中で、接触し刺激し合い反応して何らかの表現として結果となる。「群読」という表現行為は、まさにこの「重ねる」ことの多様さに根本的な存在理由がある。異質なもの同士や時代を超えたもの同士の邂逅。個々の声とテキストとの取り合わせ。そしてまた声のみならず、演じ・舞い・奏で・仕組む・という多元的な要素が、一つの劇的空間を創り出して行く。「重ねる」ことへの意識は、この劇の脚本・演出を担当している能祖将夫氏により、パンフの挨拶文に示されたコンセプトである。桜美林大学プルヌスプロデュース・市民参加企画「銀河鉄道の夜2012」を観た。市民と学生が半分ずつ計130名ほどの応募者からオーディションを経て選ばれた12歳から70歳までの方々が参加する群読音楽劇である。稽古は直前の6日間という短期集中で行われるという。様々な年代の方々が公演を含めた期間を通して生活を「重ねる」ことで、宮沢賢治の世界観を創作的に表現する。
「朗読」と「劇」の違いは何か?常々、朗読発表会を実施すると学生たちと模索するこの境界。どこまで「声」に依存し、テキストを読むことのみで聴衆の想像力に訴えてよりリアルな表現を達成して行くか。そこに「朗読」、またその延長上の「群読」があると基本的には考えている。演じて動くこと・背景に流れる音楽的要素などはあくまで補助手段である。複数の人々が声を重ねるという実に単純な響きに、テキストのことばを再発見する表現者と聴衆の交流の場が「群読」であろう。そしてやはりこの場合にも、ライブ性が何よりも重要な要素になる。
今回の群読音楽劇は、限りなく芝居に近く音楽性にも長けている。主役・ジョバンニとカンパネルラは、舞台上で台本を読む行為はなく全てを“演じ”切る。これは既に僕の考える「群読」の域を超えている。他の出演者は、台本を構える場面もあり、台詞として語る部分もあり、「群読」と「演劇」を往還しながら進行する。終盤で「重ね」られた「タイタニック」の場面では、沈み行く船の中の混乱を描き、出演者が床に伏せる中で台本を見ているのが、象徴的にその二面性を物語っていた。「朗読」と「劇」の違いというのも、実に多重な考え方が可能なのであるとしみじみ見入った。
このようなことを考えている僕からすると、この「群読音楽劇」を観ていて混乱を来すことも多い。「朗読」を“聴こう”として台詞から想像力を働かせていると、出演者はいつしかその場面を、舞台上で演じている。自己の朗読を聴く想像力が、上手く演技と重なれば一つの落し所が発見できるが、その多重性にたじろいでしまう自分を、劇中に何回か発見した。音楽的なリズム感・そして豊かなダンスの表現。こうした要素を融合して行く、多重な鑑賞眼が求められるということであろう。まだまだ、多くの芝居を観て学ばなければならないという自覚を高めた。
それにしても賢治のことばは屈強であり優しい。台本の随所に賢治の詩の一節が「重ね」られていたが、「銀河鉄道の夜」がベースにありながら、その詩のことばが多様な声により跳梁する。その響きは強烈である。賢治の果てしない世界観とは、多様な表現の方法を容易に受け入れる包容力があることを認識した。賢治のことばをもっともっと噛み締めたくなる。
「ほんとうのさいわいはなんだろう?」
ジョバンニの声が響く。
それはまさに、この時代を生きる
僕たちへの問い掛けでもある。
桜美林大学プルヌスホールにて、8月26日(日)まで公演。
(横浜線・淵野辺駅前)
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おい、もう一度、顔をみせてくれ
2012-08-24
戦没した無名の詩人・竹内浩三。その詩を朗読し深い感銘をうけた。
「わかれ」という詩を今日は読者とともに読みたい。
「みんなして酒をのんだ
新宿は、雨であった
雨にきづかないふりして
ぼくたちはのみあるいた
やがて、飲むのもお終いになった
街角にくるたび
なかまがへっていった
ぼくたちはすぐにいくさに行くので
いまわかれたら
今度あうのはいつのことか
雨の中へ、一人ずつ消えてゆくなかま
おい、もう一度、顔をみせてくれ
雨の中でわらっていた
そして、みえなくなった」
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あの夏の甲子園
2012-08-23
いつも夏休みは甲子園だった。それは小学校のときからTV観戦の対象であった。次第に野球がより深くわかるようになり、同年代が出場しているころには、スコアブックを付けながらTV中継を観ていた。甲子園は「夏に始まるが決勝を終えると秋になる」と言われる。単なる気温という以上に、甲子園とともに夏休みが終わるという感覚が強い。その決勝後の閉会式で観る、優勝旗はこれ以上ない憧れの的であった。教員となって甲子園の応援引率という、願ってもない“仕事”に巡り会えた。東東京の予選は7月初旬には始まるので、まさに1ヶ月半近くはスタンド観戦の日々が続く。あの神宮球場の雰囲気もまた格別である。東東京での優勝が決すると、すぐさま甲子園応援の準備。約10日後には甲子園の応援に出掛ける。初戦から3回戦ぐらいまでは、試合毎に東京と大阪を夜行バスで往復。お盆の大渋滞に巻き込まれたことも多々あった。だが、その往復にも数々の思い出がある。
新卒、数年目にして勤務校が全国優勝。実に幸運であった。その道程の全ての試合を(東東京予選から)スタンドで見守った。勝ち進み負けないということは、並大抵ではない。幾度も窮地があった。だが普段教室で教えている生徒が大逆転タイムリーを打った時など、スタンドで涙が止まらなかった。外部から観ている以上に、選手たちの性格から出場までの苦難を知っているだけに、勝利の感慨は一入であった。
そして生まれて初めて、あの甲子園の優勝旗を目の前で見ることができた。優勝した日の夜は野球部の宿舎に泊まらせてもらった。翌日、備品を載せたトラックを東京まで運転するという、願ってもない“仕事”を任命されたからである。全国で一本しかない高校球児の憧れの深紅の優勝旗。その荘厳さにたじろぐほどであった。
僕の青春の甲子園は、高校時代ではなく若き日の教員時代であった。高校教員として、ほぼ夏休みの全てを野球に費やした。まさに青春そのものを体験することができたと今更ながら振り返る。その時の決勝戦の日の体験を、当時の学校の雑誌にエッセイ風に僕は書いている。その今にして読めば拙い文章に、当時の様々な思いを読み取ることができる。
ふと準決勝の甲子園の試合をTV映像で観て、こんなことを思い出した。選手たちはもとより、アルプススタンドで応援する人々の苦労を想像する。同時に悲喜交々な気持ちに同情してしまう。そしてまたこれだけ年数が経ても、準決勝・決勝の間に休息日もなく闘い続けなければならない大会運営のあり方に、甲子園の変わらなさを見る思いもある。
あの頃に立ち寄っていた甲子園周辺のお店は、今でも元気に営業しているであろうか。
今では、この決勝戦の日に、全く違った場所で仕事をしている自分がいる。
連戦の中で選手の身体に影響がないことを願いながら、
選手と応援団の人々の決勝での健闘を祈る。
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僕にとっての加藤茶
2012-08-22
どんな子供だったかと問われて、自らの過去を振り返る。かなり幼少の頃からの記憶が鮮明に残っている。だが記憶の確かさに比して、その行動は決して冴えたものではなかった。幼稚園では集団行動ができずすぐに泣く。小学校に入ってもおっとりしていて、2年生で九九を覚えるのもクラスで最後であった。だが、小学校3年生になってクラス替えがあり、やや威勢のいい連中が多いクラスの中で、いつしか一つのキャラクターを“演じる”ようになっていた。それが当時は黄金期であった「8時だよ全員集合」で活躍していた加藤茶のキャラクターである。実は、先日の九州旅行の際に、羽田で飛行機に乗った瞬間、加藤さんが座っているのに気付いた。よっぽど声をかけて握手をするか、一緒に写真でも撮ってもらおうかと思うほど心が躍った。しかし、僕の後ろからも一般客がどんどん乗り込んでくる状況で、その行為は加藤さんに迷惑がかかると判断して、そのまま通り過ぎた。旅をともにしていた方々に後で話すと、全員が全員「奥さんは一緒だった?」と聞かれた。その時は、仕事での移動なのか、僕が見たときは一人であった。僕自身は、20代の奥さんはともかく、加藤さん自身に、ある種の尊敬の念を持っている。それはたぶん、小学校3年生の時の体験に根差しているのである。
小学校で他人に抑圧的に接し、理不尽な行動を強要するクラスメイトがいた。そうした際に、僕は力で応戦せず加藤茶ばりのギャグで返答した。すると相手もその反応に対して、笑いを浮かべる。やがて各学期末のクラスの「お楽しみ会」などで演じる寸劇などでも、僕はまさに加藤茶キャラを演じて、またそれが自分でも実に納得のいく配役であると思っていた。そうした1年間を過ごしたクラスも4年生で再びクラス替え。その4年生からの僕は人が変わったように、学級委員になるような級友に対抗するがごとく立候補したり、また、走るスピードも次第に速くなって行った。
こうして1年ほどであつたが、“公的”に加藤茶キャラを個性にすることが、自らの学級という小社会の中での“生き方”を方向付けた。以後は、比較的私的な世界の中で、加藤さんを“尊敬”している。次第に志村がドリフターズの中でも人気を極める時期になったが、僕にとってドリフのギャグ主役は、加藤茶にほかならない。もちろん今でも、ドリフの過去の映像を見ると、加藤さんのギャグに腹を抱えて笑ってしまう自分がいる。
こうした経緯で、
加藤さんに現実に一瞬であっても出会えた経験は、
何やら運命的なものを感じるのである。
聊か小学校3年生のときの自分を思い返してみよう。
きっと運命が開けて来るに違いない。
僕にとっての加藤茶は、幸運を呼ぶ存在なのである。
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