五輪は観ていて普通でしょうか?

2012-07-31
正直言って、ロンドン五輪が始まってから、まともにTVで何らかの競技をまだ何も見ていない。毎日の忙しさもあり、時差の関係もあり。MLBの重大な試合であれば、全く時差は問題にしない自信があるが、どうもそれほどの“気力”が湧かない。前回の北京大会の際には、米国に滞在していた。すると米国メディアは日本のように五輪一色になるわけではなく、通常通りのスポーツ報道に加えて、五輪を報じる程度であった。幼少の頃から五輪というとTVの前にしがみ付く姿勢が、いつしか僕の中では過去のものになった。そしてまた、TV中継のアナウンサーや解説のことばに辟易し、競技の「現実」を“物語化”してしまうような、テーマ音楽付の脚色に嫌気がさしているのも事実である。

更に穿った見方をするならば、今年の関東での電力需給量はどの程度なのだろうか?昨年はWeb上などに使用電力量が必ず表示されて、その度合いが高くなったら節電に協力しろと社会的に喧伝されていた。ところが、今年は五輪のメダル数などが特集として表示されている。この暑さによる冷房の使用と、五輪関連のTV番組の過剰視聴によって、電力需給量は問題ないのだろうか?収束と値上げを決め込めば、庶民の節電は必要ないというのだろうか。まったく筋が通らないというのはこういうことである。

平和な社会として五輪を謳歌し、選手の懸命さから勇気を貰うのもいいだろう。スポーツ好きであるゆえに、それは全く否定しない。仕事等に余裕があれば、五輪を隅々まで観てみたいという願望が、僕の中に微塵もないわけではない。だが、今の意識でそれをする気にはなれない。たぶん、社会の流れとともに自分の中で、昭和時代の“五輪謳歌”とは、明らかに違う何かが心に巣食っている。社会とスポーツの関係も冷静に批評的に見つめてみたいという思いが、この約10年間止まないのである。

まあこれはロンドン五輪を、まともに見る時間のない人間の負け惜しみであるのかもしれない。人生を振り返れば、何歳ぐらいの時にこの五輪があり、こんな選手が活躍したということを指標にして、記憶の襞を拡げてきたのも確かである。単に2月29日があるということだけではなく、この世界的イベントがあるからこそ、4年間という時間の長さを認識できるのかもしれない。北京からの4年間で自分はどんな道を歩んで来たか。傍観者でなく五輪を観るには、そのような人生史的な指標として機能させるのが、僕には重要だと思える。

まあ、それにしても最大限の節電をしながら、
この祭典に興じる理性は持ちたいと、へそ曲りは語るのである。


明日からは関西で講演の為に出張し数日滞在。
来週は、九州でのフィールドワーク。

単に僕の中での優先順位が違うだけなのだろう。
そしてその根底に、
社会の流れに迎合したくないという信念があるのも確かである。
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声を上げ声に屈せず

2012-07-30
昨日の小欄で書いたように、横並びをよしとする社会傾向が加速する。当たり障りなく余計なことには口出しせず、問題意識を懐深く仕舞い込み、あるいは問題意識自体を持とうともしない。流れに任せて空気を読み、それに同調することだけに神経を先鋭にして過ごす。批判をうけることを忌避し、議論して意見を対峙させることもしない。いつしか、こうした無抵抗に生きることをよしとする風潮が日本社会に蔓延しつつあるように思う。

「声」という語彙は多義的である。
辞書に拠ると次のようにある。(『新明解国語辞典第6版』三省堂)
1(人や動物が)発音器官を使ったりして、それぞれ独特の方法で出す音。
2第三者の考えや、生活者としての意見。
3風評
4物の音で、人間に何かを感じさせるもの。
5それが近づいて来たことを知らせる何ものか。

いわずもがな、「声を上げる」というときの「声」の意味は、2番。
「考え」や「意見」を表明するということである。
1番の「声」が、「(人間や動物が)」とあることで、余計に穿った見方をしたくなるが、
「考え・意見」は「人間」しか言えない。
群れの流れに従うままに生きていたのでは、
人間的な「声」を失っていることにもなる。


「声」による非難に曝されることを恐れるのも、人間社会独特かもしれない。
この場合、3番「風評」の意味であり、一定の群れの中で「噂」されることを恐れ本来的な行動が委縮してしまう場合がある。たちが悪くなると、意図的な「風評」を群れの内部に伝播・充満させ、その力で自らの立場を保守するような、悪意ある「声」を上げる者が存在する。政治家や有名人も然り。風評を恐れるがゆえに、本来の「考え・意見」を控えてしまう場合も多々あるだろう。

だが、僕たちは「声」を上げることを恐れてはいけない。
そしてまた「声」に屈してはならない。

そうした社会であることこそが、健全であるはずだ。
大人の社会がまずはこの姿勢を示し行動しなければならない。
さもないと「いじめ」問題などは、より地下に潜行し覆い隠されていく。


声を上げ声に屈せず。
そのように行動することで、
悪意ある者を弾劾すればいい。

理不尽や不条理に黙っていてはいけない。
何よりそれを見過ごしてはいけない。
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「普通に」でよろしいのか?

2012-07-29
最近、学生の会話を聞いていると「普通に」という語彙が目立つのに気付く。何やら食べ物の話でも、「普通にハンバーガーにした」とか、「普通にコーヒーを飲んだ」とか。たぶん、その延長線上で「何曜日の何限は普通に・・・の授業にした。」などと授業選択についても、この形容で修飾し会話しているのではないかと予想する。日常的な食生活から、大学生活に関わる選択まで、彼らにとっては「普通に」をよしとするのであり、対義語の「特別に」であることは、あまり心地が良いものではないようだ。ましてや「特殊に」や「特異に」になれば、周囲からどういう眼で見られるかを懸念し、きっと“全力で”避けるに違いない。

将来や人生についてもまたその傾向がある。「適当に」「楽」をして生きていきたいと感じるような発言や事象によく出会う。人と違った個性的で「特別な」人生を歩もうとするのではなく、「普通に」生きていきたいと願うのである。『普通に生きていきたい』というフレーズだけを読めば、まあそれはそれで豊かな生き方であるとも思う。だが、若い時代に大志を抱くこともなく、頽廃的に「適当な」人生を願っている若者というのは、どうもいただけない。

「普通に」の頻用は、横並び志向の際たる表われではないだろうか。周囲の“空気”に同調し、「出る杭」になることなく、個性を殺し主張をせず、ただ平然と過ごしていく。あらゆる選択において「普通に」「適当に」のラインが何より重要である。だいたいにして、何を基準に「普通に」なのだろうか。その「普通」の基準作りの為には、あらゆる視聴嗅覚を動員し、その場での「普通」基準の情報収集に努める。そして「適当」である「普通」のラインを見極めようとする。周囲の状況先にありきで、自らの個性はあっさりと置き去りにしている。

もちろん、現在の学生世代が全てこのような状況であるとはいわない。だが、日常生活の中で使用する「普通に」という何気ない語彙に、その気質が炙り出されて来ていると考えてもよいのではないだろうか。やや大仰な物言いが許されるならば、「いじめ」などから自己防衛をして生き抜いてきた、小中高校での生活感覚が、自ずと「普通に」こそ最良であるという観念を、若者に植え付けているのではないだろうか。「出る杭」にならない処世術を、日本の教育環境は産み出しているのではないだろうか。


「ヒトに自分がいなくなった日
 ヒトはたがいにとても似ていた」
(谷川俊太郎「空に小鳥がいなくなった日」)


「普通に」でよろしいのか?
自己表現に関わる研究をしているだけに、
その社会的風潮に大きな懸念を抱いてしまうのであるが。
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地域性への対応

2012-07-28
大学は今週で(先週の大学も)授業を終えたが、来週からは“夏の”といった行事が目白押しだ。今年は特に出版社主催の高校教員向け講演を大阪(8月1日)と東京(8月6日)で2回実施する。テーマは「「漢詩教材」音読・朗読の授業実践」。高等学校の授業において、扱いが単調になりがちな「漢詩」について、「声」を使った多様な読み方と授業実践を紹介する。同時に、実際に参加者をいくつかの班に分けて朗読発表をしてもらおうかと考えている。

特に大阪での講演は、内容と共に「関西気質」への対応をいかにすべきかなどという配慮を考え始めた。会場全体で声を出そうというような場合、東京より意欲的に参加してくれるだろう、などという単純な予測を立てている。果たしてそのような予測でいいものか否か。この日は、関西出身の店主である店で、そんな話題を投げ掛けてみた。

すると奇遇にも、関西在住の知人やよく出張に行くという方がカウンターにいらした。結論として、講演の最初でいかに聴衆の心を掴むか否かが重要であるという話になる。とっておきのように奥に話を仕舞い込むことなく、最初からトップギアで行った方が功を奏するというアドバイスだ。逆な見方をすれば、東京人(関東人)は、どちらかというと“オチ”を最後まで温存し、格好のタイミングで出そうとする意図を持ちがちである。ただ、そこには注意が必要で、最初からトップギアで“滑る”と、もはや相手にはしてもらえないというリスクがあるという。自分が持っている聴衆の“掴み”感覚を、やや変更して臨む必要性がありそうである。まあ、実際に生身であるから、自分は自分のプレゼンをするしかなく、小手先の変化に走る方がむしろ不自然であるということも確かであろう。

こうした話をしていると、日本全国の「ご当地気質」の話題になった。北海道のスーパーの標識には「ここから100km 」の表示があるとか、沖縄の人が多様な言語感覚を持っているとか、狭い日本列島の中でも「異文化」と感じられる現象が、考えてみればいくつも散見されるという話題である。これは話していても実に面白かった。知らぬ間にカウンターコミュニケーションが全開となり、実に楽しい憩いの時間を過ごすことができた。

こうして話していた実感からふと考えたが、人と繋がるには飾らないということが第一であるという素朴な発見に回帰した。意図的に何かを仕組もうとした時に、まさに「策に溺れる」ことになりかねない。自分の持っているものを素直に率直に聴衆に向けていく姿勢に優るものはないだろう、という結論を一夜にして得た。

人と話すのはこの上なく面白い。
要は講演であろうと、こうしたコミュニケーションを成立させるか否かが重要である。
などと結論めいたことを考える宵のうち。

8月の特別な時間がもう眼の前である。
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空気を押し自重を感じる

2012-07-27
「トレーニングをしています」というと、大抵は重いバーベルを挙げるイメージが伴うようだ。筋肉に大きな負荷を加え、いかにも励んでいる印象が強いからだろう。だが筋トレには適度な休息日も必須。筋断裂を修復する構造で、次第に筋力が増進するわけであるから、修復中に更なる負荷を加えるのは、不合理でもあり不健全ともいえるかもしれない。フィットネスに対して、あまりに専心すると本末転倒な禁欲主義になりがちだといわれるので、ふと自省する時間も必要であるということだ。

週に1回は参加したい太極拳やヨガの動きをベースにしたエクササイズ。トレーニングには違いないが、これに参加する際の意識は特別である。極めて緩やかな動きの中で、空気を押し込むような感覚になるのが貴重だ。更には自然なバランスの中で、自重を感じていく意識の覚醒。身体のことばを60分間聴いて行くような柔らかで豊かな時間が過ぎていく。柔軟性を求めてはいるが、無理に“痛い”ところまで曲げる必要もない。まさに「自然」の境地に自己を還していくような時間になる。

エクササイズの最後には、仰臥し眼を閉じて動くことなく全身をリラックスさせる。鼓動を感じながら、何も思考せずに魂の深淵を目指す。仕事や日常のことはもちろん、いつしかスポーツクラブにいることも忘れ、穏やかな「自分」だけがそこにいる状態となる。この時間を求めるがために、空気を押し自重を感じる60分間。まさに「無」を求める境地に達する。

仕事の堆積、暑さへの嫌悪、そして社会への失望。
様々なことが日常に存在する。
だが、この極めてオリエンタルな動きから得られる柔軟な心は、
自身の存在を、また新たな方向へと解放するようでもある。

空気の中で、自重を大地に載せて
いまここに自分が存在している。
週に1回ぐらいは、それを自覚する必要がある。
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授業は出逢いの場である

2012-07-26
「恩師」というと、大学・大学院の指導教授はもとより、何人かの師の顔が浮かぶ。卒論・修論などに関わる深い関係で結ばれる師とは、やはりその後の人生においても多くを学ぶ、いわゆる「末永い」関係を構築して来ている。だが、そうでなくとも、例えば通常の授業という至って大まかな関係性の中でも、深く影響を受け、その後も永くお付き合いを願っている師もいる。なぜそのような深い人間関係を結んで来たのかを、ふと考えてみる。

もちろん、授業内容に発する学問的分野において自身が大変興味深く追究しているということも大きい。同時に師との相性というか、話せる感覚というような部分が大きく影響しているようにも思う。その師の話を聴いていて、どれだけ日常的な刺激が得られるか。また師もどれだけ自己を開示し、奥深い考えを語るのか。まさに人間的な部分で双方が好意的関係を結べるか否かが、とても重要な気がするのである。

今年も前期(春学期)の授業が終了した。4月から15回、毎週毎週、定時になると同じ教室に同じ顔が揃った。約4か月の間にも、生活の中で個人個人における気分の浮沈は当然ながら存在する。場合によると、途中で授業を脱落する者も現われる。次第に、そのクラスの持つ独特な雰囲気が生じて来る。少人数のクラスであればあるほど、個々の学生の毎週の変化が目に止まる。次第にお互いが、その場に集まることを深く望む感覚が生じて来る。

今期のスピーチクラスの最終回。特に8名であったクラスは、上記のような雰囲気に溢れていた。最終回を迎えて、このクラスを今日で終えることに寂しさが伴った。学生たちもそれを口にしていた。スピーチクラスは、自己紹介に始まり、思い出や経験などの自己開示が必然的に授業内で行われる。それゆえに、お互いを深く知る契機ともなる。通常の講義科目にはない学生同士の繋がりが生じ、そこに関わる担当者としても、まさに彼らの深遠なる部分に対してコメントをする場合も少なくない。コミュニケーションを実践的に扱う科目ゆえの、面白さが存分に感じられる授業であった。

「もう水曜日のこの時間に教室で会えない」
といった寂寥感を伴いながら、この日は全員で楽しくフリーな会話の時間を持った。


 僕が大学院時代にお世話になった、全く異分野の師が常々語っていた。
「授業とは出逢いの場である」と。
となると授業が終わってから、どう関わるかが重要になる。


一部の学生と帰路の電車に同乗しながらふと思った。
この8名がどのような学生時代を過ごし、
どのように社会に進んでいくかが知りたいと。

人間的コミュニケーション
たぶん、学問で理論的に計れない部分が、
授業には存在しているということなのだろう。


秋学期になり成長した彼らとの再会が、今から楽しみである。
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イチロー移籍による葛藤

2012-07-25
MLBのシアトル・マリナーズでプレイして11年目となるイチローが、ニューヨーク・ヤンキースに移籍した。もちろん日本のマスコミも、速報として一斉に「電撃」などという形容で報じた。僕は、このニュースを早朝からTwitterで入手していたが、その受け止め方には尋常ならざるものがあった。非常に簡潔に述べるならば、心から敬服する一番好きな選手が、心から打倒したい一番嫌いな球団に移籍したということだからだ。

MLBに心酔して約10年。03年04年のポストシーズンで繰り広げられた、レッドソックス対ヤンキースの壮絶な闘いを観てしまった僕は、迷うことなく野球観戦の足場を、日本プロ野球からMLBに“移籍”させた。そしてもちろん、選手年棒総額が突出するヤンキースをレッドソックスが打倒する姿に、すっかり心を奪われた。03年は松井秀喜の活躍もありヤンキースが勝利しワールドシリーズに進んだが、04年は3連敗から4連勝という離れ業でレッドソックスがワールドシリーズ進出、その勢いのまま制覇という“劇的ドラマ”を観てしまった。人生を変える書物があるように、この04年の壮絶な“野球ドラマ”は、僕の野球観を大きく転換させたといってよい。爾来、ボストンレッドソックスの並々ならぬファンとしてMLBを観戦して来ている。

この03年04年の死闘に象徴されるように、レッドソックスとヤンキースは永遠のライバルだ。いわば日本でいうところの「伝統の一戦」である。レッドソックスに心酔している以上、ヤンキースは邪悪で金満な“悪の帝国”球団なのである。実際に、僕がニューヨークに観戦に行ったとき、レッドソックスのキャップにTシャツでトイレの列に並んでいると、横に居並ぶ大男から激しいブーイングを受けた。生理現象を消化する場所でも、敵方のファンを嫌悪するほど、両チームのファンは試合中に熱く燃え上がる。ボストンでも、双方のファンがやり合う姿を何回も目撃している。ボストンの本拠地球場では、先発メンバー発表の時点から、壮絶なブーイングをヤンキース選手に浴びせる。もう既におわかりであると思うが、昨日というのは、僕がイチローに対してブーイングをしなければならない立場になった日なのである。

イチロー自身が、会見において涙目で語っていた。シアトルを去るには、激しい葛藤があったと。だが、若手中心に構成され始めている球団の中で、自分の存在が宙に浮いていることを自覚した結果、なるべく早くシアトルを去るべきという決断をしたという。現実的に、イチローの年棒や交換条件を満たす球団は限られているはずだ。そしてもちろん、この時季の移籍というのは、ポストシーズンへの闘いが視野に入る。アメリカンリーグ東地区首位のヤンキースこそ、この2条件を満たしイチローが念願のワールドシリーズに出場する可能性を大きく持っている球団である。そんな本人の思い以外の諸条件においては、イチローがヤンキースに移籍する必然性があると判断できる。このことは、正直なところ予見していなかったことではない。ただ、その予見をする僕の妄想の中でも、イチローがあのピンストライプのユニフォームを着ることには、甚だしい嫌悪感があったのも事実である。いまそれが現実となった。

日本でMLB球団といえばヤンキースだった。現在ほど日本人選手が渡米していなかった頃、MLBのキャップ=ヤンキースであった。そんな独占市場の延長で、未だにそれほどの信念もなくヤンキースが嫌いではないという人がいる。だが、今回のイチローもそうだが、財力に物を言わせて有力選手を買い漁る体質に対して、僕はアンチテーゼを示したい。必然的に内部から昇格を狙う若手選手に機会はなく、それを「常勝を義務付けられた」などという帝国主義的思想で正当化する。財力任せの強引な組織体質は、ある意味で米国に存在する全能感ともいうべき抑圧的思想に通じる。広い意味で述べることが許されるならば、日本が米国によって様々な先鋭的に“見える”提供物を押し付けられてきた歴史の根底には、こうした体質が潜んでいるのではないかとさえ思いたくなるのである。少なくとも、日米両国元来の体質の違いを考慮するならば、この全能的思想の華々しい産物を、痩せた日本列島が、虚飾を施すために身に纏い不均衡極まりない姿になってしまっているのではないかとさえ敷衍して考えてしまうのである。ヤンキースは、その思想をわかりやすく球団経営という形で、僕たちに見せてくれている。それだけに、30球団で年棒総額3位のレッドソックス(ヤンキースとは大きな違いがあるのだが)が、ヤンキースを倒すこと。はてまた映画「マネーボール」で描かれたように、遥かに財力の劣るオークランドアスレチックスが、球団経営上で様々な工夫を凝らしながらヤンキースを倒すことは、米国内でこうした抑圧体質に気付いている人々を、この上なく熱狂させるのではないかと思う。

僕自身、日本人一ファンとしては、イチローを帝国主義に奪われたかの如き衝撃がある。それだけにイチローがそのヤンキースで、どれほど自分の哲学を堅守し続けるかには、甚だ興味がある。いや、どうしても貫いて欲しいと願う。移籍初日から髭を剃っていたなどという外見上のことは、さておくことにしよう。(もはや髭のイチローは見られないだろう)彼の野球人生において、今、何をするべきか。敬服するファンとしては、そこを十分に冷静に見守りたいと思う。移籍後のラインナップで「8番・ライト・イチロー」という今までに野球を始めた幼少時にさえ経験したことのない座席に腰掛けたイチローが、何をするかを。幸いシアトルのファンは彼を温かく見送った。ニューヨークのユニフォームを着たイチローに総立ちの拍手が贈られた。深々とそのファン達に向かい二方面に礼をしたイチローは直後の打席で中前打を、いとも簡単かのように打った。「センター前ならいつでも打てる」という哲学を体現するかのように。そしてすかさず二盗を試みて成功させた。彼らしい贈り物をシアトルに置いて、イチローはニューヨークの人になった。聊か、個人的な希望を述べるならば、選手生活の最晩年に、もう一度シアトルのユニフォームを着て欲しいという願いを持った。


松井秀喜がワールドシリーズMVPに輝き、最大限その勝利に貢献した直後のオフに、契約を結ばなかった球団。日本人ファンなら、もっと怒っていいはずだと思った。

日本人として、野球ファンとして心酔するイチローを、
邪険な扱いをした時に、僕はこの球団を許さない。
それゆえに、レッドソックス対ヤンキースの試合では、
僕は躊躇なくブーイングをするだろう。

僕の中で、
イチローへの愛情の形が、180度反転した一日であった。
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“ヒト”としての500日間

2012-07-24
谷川俊太郎氏の「空に小鳥がいなくなった日」という詩がある。「森にけものが」「海に魚が」いなくなっても、「ヒト」は、「道路」や「港」を「つくりつづけた」とある。自然とそこに共生する生き物を無視し、“ヒト”は自らのエゴで自らが便利だと考えるものをつくりつづけた。たとえそれが一時的な利便であるとしても。やがて、「街に子どもが」いなくなり、「ヒトに自分が」いなくなるとつづく。それでもなお、「ヒトは公園を」つくりつづけ、「未来を信じ」つづけるとある。最終聯には、「空に小鳥が」いなくなり、「空は」涙ながしても、「ヒトは」「歌いつづけた」とある。

この詩が収められた詩集『空に小鳥がいなくなった日』(サンリオ出版)が刊行されたのは、1974年のこと。それから38年の月日が経過した。そして今、「森」「海」「子ども」「自分」「小鳥」は果たしてどうなっているだろうか?「ヒト」は「道路」「港」「公園」をつくりつづけ、未だに「未来を信じ」て「歌いつづけ」ているのだろうか。この詩を読むと、38年前のことばで気付くべくであったことに、まったく気付かずに過ごしてきてしまったのではなかという後悔ばかりが心に浮かんできてしまうのである。僕たちは、なぜ気付かなかったのだろうかと。

自然と“ヒト”は、なお一層隔絶しつづけ、人工的な虚飾の産物のみを自己満足で増殖させつづけている。街は「にぎやか」にちがいないが、「子ども」や「ヒト」の顔は見えない。街の中で、「ヒト」は誰しもが同じことばを発し、同じ行動をしていなければ危ういと感じ、共生ではなく打算と欺瞞に満ちた同調を基底に生活している。もはや「自分」を見出すのはかなり困難な社会となってしまった。僕たちは、なぜそれにも気付かずに、ただ従順にお互いに「自分」を殺し合い、仮面を被った顔で生活しつづけているのだろか。もういい加減に、それに気付いてもいいのではないだろうか。

この500日間で僕たちが体験し考えたことは、その大部分がこうした過去40年~50年の日本社会を見直さなければ解決しないことばかりである気がする。それだけに、自分が生きている社会がどのように動いてきたのかを、僕たちは知るべきではないか。眼前にある現実を見つめた時に感じる喩えようのない矛盾は、こうした過去が強引に「つくりつづけ」てきたものに他ならず、同時にそれに気付かなかった僕たち一人一人の責任なのではないか。文学は語っていた、だがしかしそれを無視しつづけてきた“ヒト”としての羞恥をせめて感じるべきではないだろうか。

今や政治家にさえ、「自分」がいなくなった。
それでも平然と「未来を信じつづけ」よというのか?
「涙ながし」ている「空」を取り戻すには、
僕たちが“ヒト”として気付いて行動するしかないのである。



毎度、飲み物を注文し配達してくれる近所の酒屋さんがある。
昨日、注文すると若旦那が娘さんを台車に載せて我が家の玄関を訪れた。
僕は思わず「お名前は?」「いくつ?」という「人」としての声を掛けることができた。
「子ども」が「街」にいたのだ。

その時、僕は思った。
「まだ間に合う」のではないかと。
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「声の力―文学の力」恩師を偲びて

2012-07-23
朗読会の興奮冷めやらぬ休日、卒業生3名と恩師の墓参へ。この前期終了頃となると、5年前に急逝した恩師の命日前後のことが自ずと思い出される。そして、墓前から奥さまの自宅へと伺い、恩師と対話する時間を持つことにしている。4日前が命日にして、墓前には既に多くの花が手向けられていた。その場所で、毎年のように今の自分を改めて省み、今何をすべきかを問い返す。その心を天に居る恩師へと託すひとときである。

奥さまの自宅に伺うと、恩師の優しい表情の遺影が僕たちを迎えてくれる。そして奥さまとの対話を繰り返すことで、いつしか恩師と話しているかのような錯覚に陥る。新たに出版した著書のことを始め、近況などをほぼ1年に1回会う卒業生とともに語り合う。奥さまの柔らかなことばによる著書への批評は、恩師の気持ちを代弁しているかのようで、「あとがき」に記した「(天においでになる先生にも)にもこの一書を捧げたいと思う。」の下りが、現実として報われた思いになる。いつしか対話は、卒業生の近況にも及び、彼らも社会人として確実に歩みを進めていることが知られてくる。国の中枢機関で重要課題に携わる者、地方自治体で公務員として奮闘する者、新たに留学を志す者、誰しもが前向きに人生を歩んでいる。その前向きさを聞くにつけ、更に自らも前進せねばという気持ちにさせられる。

生前の恩師に教えられたことは、教壇に立つ以上常に「日本一の教材研究」を目指せということだ。教えるということは、その教材の内容に深く精通していなければならない。特に自らが専攻した平安朝文学においては、妥協なく研究すべきであるということ。「教材」はすなわち「文学」なのであり、「国語科内容学」を専攻とする以上、学会でも通用するようなレベルの研究をできるべきだという志である。それはまさに「文学を精緻に読む」ということであり、そこに古典への興味をこの上なくそそる魅力が見えてくる。「文学」との対話を極めるには、文学研究へのあくなき情熱が必要であるのだ。

その「文学」を「声」で表現することに個人的な研究課題を置いている。その音声表現が人を惹き付けるのは、「声の力」と「文学の力」の二要素が融合するからであると、一昨日の朗読会で改めて感じた。享受(理解)から表現を担う「声の力」。そして表現される内容として深遠なる森の如き奥行きで人を魅了する「文学の力」。今回の朗読会で表現された『和泉式部日記』を聴いていて、いつしか日記文学の泰斗であった恩師の研究のあり方が思い出された。「日記文学」のもつ1人称語りの要素。その素材を対象として、3人称的物語手法を以て描こうとする作品の本質。「声」にしたときに、それはやはり単なる内省的な作品でないことが自覚される。

恩師は生前、大学や社会の中で「文学がもっと大切にされるべき」と語っていた。そんなことばを、改めて奥さまの口から聴いた。そのためにも、中学校・高等学校を始めとする教育現場で、そして大学教育の場で、「文学」が鮮やかな光を放つように人を魅了するものとして表現されなければならない。その「文学」と「国語教育」の接続点に配慮することを、恩師は常に忘れていなかった。教科書編集に自ら携わること然り、大学院で現職教員を大切にしてくれたことも然り。まだまだ恩師には到底及ばないが、その「文学」と「国語教育」との融合という自分の特性が活かせる分野おいて、恩師の意志を引き継いでいることもまた、奥さまとの対話で確認できた。

ひととせにひとたび来ます恩師の墓前。
七夕が誕生日であった恩師の心を鑑にして、
その1年の自分を照らし出す。


「声の力」「文学の力」
今日からの1年も、この課題が様々な成果となるよう、
また気持ちを入れ替えて精進して行きたい。

そして改めて
「文学を大切にする社会にしたい」
と心に誓うのである。
すると恩師の遺影が僕に小さく肯いていた。
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文学に酔いたい

2012-07-22
朗読発表会当日。朝から多様な妄想を抱きながら大学へと向かう。それでも事務的に必要なことを頭の中で整理することが優先されて、なかなか豊かな想像に浸ることも許されないような心境。使用教室の視聴覚機材の鍵を講師室で借りていざ会場へ。10時開始の最終リハをスタートさせる。予想にもまして順調に最終リハーサルは進行した。前夜の段階で不安のある班に関しては、映像・効果音との合せ方の確認が必須。朗読表現にどこまで他の要素を含めるかは、様々な考え方があろうが、各班の工夫に任せた“演出”を成功させるために、一通りの“合わせ”に腐心する。

開場すると参加予定の高校生たちが来校。次第に一般の方々の姿も見られるように。知人でご来場いただいた方々への挨拶などをしつつ、オープニングの時間が近づく。そして時刻は13時を回り、まさに開口一番、恒例により僕自身の詩の朗読で会は始まった。この発表会の第一期受講生で、現在は教員として教壇に立つ「ヒト」との声の交響である。その声は、何の前触れもなく会場に響いた。するとすぐにそこはライブ空間に転換した。「声」を人々の間に差し込むことの妙を味わいながら、その後、スクリーン表示の担当席に座る。

僕は基本的に、全体の進行に気を配りながら会を見守る立場であった。しかし、次第に発表される朗読表現のライブ性に、引き摺り込まれるような感覚となる。事務的なことしか聞こえなかった“仕事耳”は、いつしか文学を聴く、“感性耳”へと変化してくる。授業の早い段階から課題として来た芥川龍之介『杜子春』の朗読。やはりクライマックスで両親が姿を変えた馬たちが鞭に打たれ、「おかあさん」の声を発してしまうシーンには、涙がこぼれる。これは、個人的に読書をしている際も、幾度か繰り返している“行為”であるが、それを学生たちが様々な模索を繰り返し朗読作品に仕上げたことへの感慨が重なる。

更には読み聞かせ『手袋を買いに』(新美南吉)。「ヒトとは怖いもの」という点において、人間とは何かということを改めて浮き上がらせる。素朴な絵と「声」の交響により人間味とは何かという命題を、聴き手に柔らかに伝えてくる。

院生・修了生を中心にした朗読チームによる太宰治『失敗園』。ある男が、家庭菜園に生きる11種類の植物たちの声を速記するというあらすじ。特段な演出もなく、「声」のみで何ができるかという試行錯誤が、一つの表現として結実する。全員が現場の教壇に立つ者たちが、自らの「声」に自覚的になるための貴重な機会と位置付けての朗読であった。

後半は、読み聞かせ『こんとあき』から。「ぬいぐるみ」である「こん」と「あき」の心温まる交流。どんな時も「あき」の不安を「だいじょうぶ。だいじょうぶ」と励ます「こん」の優しい声が、響き渡る。どれほど“ヒト”として童心の如く感性豊かに生きることが大切かを、改めて届けてくれる絵本世界を見事に再現した。

古典散文の朗読は、今回、平安朝文学である『枕草子』『和泉式部日記』と中世軍記の『平家物語』を組み合わせた。その作品性の差を、季節の逡巡の中に配し、それぞれの作品をどのように読んだら効果的であるかという模索であった。同じ班の裡に、「平安」と「中世軍記」が同居したことで、練習の段階から様々な切磋琢磨が生じた班である。その結果、相互の文学の魅力を存分に引き出す朗読表現になったと感じられた。

こうして4月からの授業を通じて「朗読」を実践的に考えて来た学生たちが、一つの表現を多くの人々の前で発表した。各班の声を聴いていて、いつしかその各作品の持つ深淵に惹き込まれ、陶酔するような感覚になった。「声」の力と「文学」の力が、見事に一つのライブ表現となったからである。

文学に酔いたい。
「声」を出し、そして聴いて酔いたい。
そんな原点がまた改めて自分の基本的な課題であると認識された。

まだまだ書き尽くしたいことは多いが、
本日のところは、寝ぼけ眼での所感のみにて。

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