3.11あの日からの時間
2012-03-12
9日(金)の14:46が過ぎた。日付ではなく「金曜日14:46」という生活循環的な“あの日”の記憶が深く身体化している。あの時、体感した揺れ・家具倒壊による個人的衝撃・信じ難い映像・国家的危機とも思われるその後の複合震災。そんな“恐怖”が単なる記憶のみではなく、身体に刻まれているような感覚があるのだ。
そして11日の14:46が、1年「366日」という閏年として1日を多く付加して巡ってきた。
百貨店で買物中だった僕は、店内に流れるアナウンスに促されて静止して、黙祷を捧げた。それは、第一義的には被災された方々への哀悼の意であるが、
この1年間という自らの時間をも消化し、先に進む為でもある。
その瞬間、8.15正午と同じく、
3.11.14:46において、この社会は今後いつまでも黙祷を捧げ続けるべきだと自覚もした。
いくつかのTV番組が、特集を組んでいたようだが、僕は一つとしてそれを観なかった。これは他者の捉え方や意見で整理ができる問題ではないと思っているからである。自らが主体的に情報を集め、精緻に思考し、実際に行動しない限り、この災禍の傷跡から本当に立ち上がることはできないのではないかと痛感している。それが、この1年を僕が生きてきた率直な感想である。
子供の頃から僕たちは、「8.15を風化させてはならない」という論調を徹底的に聞かされてきた。それにも関わらず、軍を再び持つべきであるとか武装を強化すべきという暴論が、いつしか涌き上がってくる。あの戦争で犠牲になった方々の痛切極まりない思いを、いつしか簡単に踏み躙る発言がされてくるのだ。それはなぜか?「風化させてはならない」のではなく、その後を生きる人間が、その“今現在”の問題として視野を拡げて繊細な思考を持たないからである。「忘れてはならない」ではまったく低級であり、各自が「自分の問題意識として思考」せねばならないということだろう。8.15を捉える姿勢自体が、この国では長い年月を経ても成熟せず、混沌としたまま放置されて今に至るのである。
1年が経った。
それは過去になったという意味ではない。
この未曾有の災禍は、収束など見えないほどの長い時間の中に放蕩していくのである。
同時に、この国土の自然は更なる搖動を引き起こす可能性を十分に秘めている。
歴史というせめてもの“猿知恵”に学べば、その発生は「絶対確実」であるはずなのだ。
8.15以後の復興と高度経済成長は、世界史的にも稀な「成果」であっただろう。
それだけに、今、この国に生きる僕たちは、どこか傲慢になっていないだろうか。
一人一人が知性と教養に満ちた思考をしない限り、平穏は無償では手に入らないのである。
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