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呼吸法を見直す

2012-01-31
 先日の研究発表を終えた後、発表会場や懇親会の席上で何人もの方々から「声の通りがまた良くなりましたね」という感想をいただいた。発表会場は満席なら300名は入るかという大教室。もちろん教壇上に固定マイクがあり、それを通しての口頭発表であったが、気分的には殆どマイクを必要としないという感覚で話し続けた。執拗にマイクに向けて顔を近づけたり、身体寄りにマイクの向きを変えたりする行為もしなかった。それが逆に功を奏し、地声とともにマイクが拾ってスピーカーから流れ出る声が上手い具合に調律されていたのだろう。こうした発表会場の環境はともかくも、自分の中では「通りがよくなった」核心的な原因を一つだけ自覚している。

 それは呼吸法である。昨年後半からジムでヨガや太極拳の動きを導入した“ヒーリング”というクラスによく参加している。そのクラスのインストラクターは、呼吸法について「鼻から吸って鼻から吐く」という要点を説いていた。そしてつい先週のクラスでも、「現代人は呼吸を吐く量が減少している」という統計結果を紹介していた。特にストレスの多い現代社会の中で、呼吸を吐くことが疎かになっているというのは思い当たる節がある。特に冬場は寒さで身体が硬直し、肩をすくめて余計に呼吸が十分にされていないのではないかという“自覚症状”を強くした。特に「鼻から吐くこと」に関しては、どうしても口に頼る傾向があるような気がする。

 更には鼻から吸って、腹筋のCoreな部分、つまり腹筋を円状だとするならばその核心部分を固くしたまま暫く維持できる筋肉コントロールが重要であるという。最近、特に注目を浴びている「Core(体幹)training」の基本的な考え方である。もちろん腹筋に限らず、背筋や肩甲骨と骨盤の周囲にある筋肉強化と柔軟性も重要になる。そのCore部分を鍛える為には、横隔膜の上下運動を促進する為の呼吸法が不可欠だということだ。「鼻から最大限に吸って、鼻から全部吐き切る」ということを、今この文章を読むのを一時中断して実行していただきたい。腹筋Coreがどこにあるか少しは意識できるのではないかと思う。

 昨日の小欄に書いた、女優・春口あいさんは、ヨガインストラクターの仕事もしている。朗読とヨガ呼吸法との関係を少々だけ質問したが、ヨガには「鼻から吸って鼻から吐く」のみならず、様々な呼吸法があると話してくれた。その奥行を習得することは、更なる発声の進化が見込まれるような気がして、興味が尽きなかった。呼吸法を見直すだけで、声の通りがよくなるという効用が顕著になった。特に持続的に話すことが仕事の小生にとって、その発声の僅かな隙間で「鼻から吸える」ことの自覚が、大変有効な要素であることを発見した。

Core部分を鍛えれば、腰痛や肩凝りも防止できる。
呼吸法を見直すとストレスが吐き出せて、心も爽快になる。
真偽のほどはわからないが、「鼻呼吸」を意識すれば花粉症治癒にも有効だという。

“呼吸”
その人が生きている証を、もっと大切に見直すべきである。
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「春はここから」春口あいさん+下舘直樹さん朗読会

2012-01-30
 厳しい寒さが続いている。身体をすくめて硬直させ、浅い呼吸でその寒さに耐え、温かい空気や飲み物を欲望する。受動的に与えられた“暖”は、刹那的に身体を回復させはするが、またすぐに冷え切ってしまう。“暖”を持続するには、自らが動き細胞を覚醒させ力を外に向けて出してゆくことで初めて叶う。一歩ずつ歩くことで、自らが温かくなる感覚。そうだ!心身は確実に「春」を待望している。


 そんな気持ちで会場に入ると、次のような詩を読む「声」に魅了された。


 ことしも生きて
 さくらを見ています
 ひとは生涯に
 何回ぐらいさくらをみるのかしら


 茨木のりこ「さくら」である。


 ものごころつくのが十歳ぐらいなら
 どんなに多くても七十回ぐらい
 三十回四十回のひともざら
 なんという少なさだろう


と続く下りを読む「声」を聴いて、詩に潜む鋭敏な感性が心の中を侵食し
一度の春をも無駄にできないという人間の宿命が自覚された。
そしてなぜか西行法師の「願わくば花のもとにて春死なむ・・・」という和歌が自分の脳裏の中で特別出演して来たのである。
日本の詩心はなんとも永劫の時間の中で直列しているのかと、自らに驚きを隠せなかった。

 春口あいさん&下舘直樹さん「ハルココ~春はここから~」朗読会を神保町のCafé+Flugで聴いた。女優として「よりよく生きるための発信」をしているという春口さん。スペインギターであらゆるジャンルの音色を奏で、有名アーティストのサポートもしているというギタリスト・下舘さん。昨年、一人芝居の共演を契機に、被災地での『絵本語り』活動なども精力的に行っているという。よりよく生きる健やかな「声」と、洗練され熟練した「弦」の響きの共演である。

 下舘さんの演奏が佳境に入ったのは、『アンンジュール』(ガブリエル=ハンサン作 BL出版)という絵だけの本を、ギター1本の音色で語り尽くしたところ。実に多様な表情を持つ音色が、絵の世界をリアルに引き立てていく。もはや「ことばはいらない」というのは、こうした境地にあるのだろう。絵の素朴さ、絵の中の犬の命が「弦」の音色により現出してくるという感覚で聴衆に迫った。

 春口さんの真骨頂は、絵本『リトルツリー』(葉祥明作・絵 晶文社)の朗読。作品世界に春口さん自身が深く魅了されていることが伝わってくる。最前列に座っていたせいもあるが、春口さんの澄んだ表情を見つめて朗読を聴いていると、作品内の「ツリー」たちの命が下りてきて、彼女がそれを「声」にしているかのような錯覚に陥る。春口さんがパンフレットに記載していたことば「朗読とは、役者の語りを聴くものではなく、皆さんの心の中に世界が広がるのだと思います。」をライブで実現してくれたような時間だった。


 ゲストは「古書たなごころ」店主・佐竹三枝子さん。『森茉莉かぶれ』(早川茉莉著 筑摩書房)を穏やかに朗読。その声には、当該エッセイを深く共感して読み込んでいることを感じさせる含蓄があり、書物を「読む」というよりは、心から「諳んじる」というような温かみがあった。


 春口さんは、「詩の朗読は自分にとってチャレンジ」と語っていたが、茨木のりこのいくつかの詩に加えて、谷川俊太郎の「生きる」。これは小生自身が、昨年の大学における朗読会で読んだ詩でもある。それだけにほぼ全篇を覚えているが、それだけに次に来ることばが、春口さんによってどのような「声」になるかという興味が尽きずに聴き入った。詩は、読み手と場によって多様に可変的であり、そのいくつもの表情を形成できてこそ“名作”の称号が与えられるのだろう。

 朗読会終了後、春口さんに「朗読」について話をうかがった。
「自分の主観、その後の俯瞰を基本としている」ということばに、改めて朗読の素朴さと奥行の深さを再認識できた。
 また「八分の力で朗読している」ということばにも新たな気付きがあった。作品を聴衆に押し付けない“二分の余白”があってこそ、「声」は拘束力ない伸びやかさを確保して空間に放たれるのだと悟った。
 ヨガインストラクターとしても洗練した活動をする春口さん。その呼吸と身体を解放的に内観し制御する東洋的な方法にも、朗読表現を昇華させる秘訣があるのではと興味は尽きなかった。



 幸せは
 みんなと共に
 集うとき

 愛があふれて
 永久の満月



下舘さんオリジナルの「永久の満月」という歌曲。
参加した聴衆全員の歌声がCafé空間に響き渡る。

「みんなと共に
 集うとき」

 朗読はライブでなければならない。
そんな理屈抜きの共感を呼び起こす「幸せ」
 厳しい寒さの中を帰宅する心は自ずと温かかった。


春を待望する悦びの心は、厳しい寒さでより大きく育つのである。
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僕らはみんな「樹上の居眠り法師」

2012-01-29
 前日の落語会懇親会の酒が残り、ややゆっくりと寝床の中にいた。いまだ目覚し時計の設定時間以前に、寝ている身体を大地が小さく鳴動しながら揺すった。すかさず掛け布団を跳ね上げ、スマホでTwitterから情報収集。富士山周辺を震源とする地震であった。TL上でもこの揺れへの反応が甚だしい。まして富士山周辺震源という情報が、我々の不安を何倍も煽る。千葉沖から東北方面太平洋上という震源に、語弊はあるが、ある意味“慣れてしまった”ようにボケた感覚を、富士山という日本の象徴たる霊峰周辺が攪乱したことで、新たな危機感を身に覚えた。

3.11以後、何度か中世の古典である兼好法師『徒然草』を引用し、「無常観」の自覚について小欄に記した。検索してみると、昨年5月26日と11月26日と、奇しくも26日が一致していた。その2011年5月26日の記事にも引用した、41段の逸話が再び脳裏に自然と涌き出てきた。改めてその概要を記しておこう。

 京都は賀茂の競べ馬(5月5日)の際に、見物人が大勢押し寄せて、観るのも困難な折のこと。向かいにある楝の樹上で、法師が一人見物しながら居眠りをしている。すると、まさに落ちそうになった時に目を覚ますことがしばしばであった。群衆はその樹上の居眠り法師を「世の痴れ物(天下の馬鹿者)」と嘲り呆れる。しかし、そこで兼好がすかさず「我らが生死の到来ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮らす、愚かなることは、なおまさりたるものを」と発言する。「自分たちの生死の到来も、今すぐであるかもしれない。それなのにこんな見物をして一日を過ごしている。愚かさは樹上の法師より、なおひどいのではないか。」といった解釈だ。樹上の居眠り法師が、誤って樹から落下するのと同じく、我々もいつ死に直面するかわからないという「無常への自覚」を、兼好が明快に述べたという話だ。群衆たちは、この兼好の言葉に感じ入り、場所を空けて彼を呼び入れてくれたという下りが続く。

 この段において命の危険を顧みない樹上の居眠り法師は、儚い命を紡いで生きる人間存在そのものを可視化する典型的な存在である。また、それを見て嘲り呆れる群衆こそ、今の日本人そのものではないかと思ってしまう。この国土に住む以上、それは“樹上で居眠り”に呆けているのと、何ら変わらないのではないかという思いが心の中を駆け巡った。この日本を樹木に喩えれば、その樹立自体も危うい上、僕らはみんなそこで居眠りするかのごとく生活を営んでいるのだと自覚してしまうのである。

 樹木の根は、実に危うい借金という細菌に浸食されている。にもかかわらず、その根から吸い上げた養分を、樹木根幹における生育のため有効に使用するわけでもなく、一見、見栄えの良い表層にのみ“仕分け”し続けている。すると根からの養分が足りないからといって、樹木の管理運営を担当する太った造園会社社長が、「健全化」を標榜して樹上で生活する者から、養分を吸収しようとする。そんな脆弱な基盤の上で、樹木は日常的に搖動を繰り返す。巨大な搖動は、時にある部分の枝を粉砕し尽くし、その搖動に呼応して嵐のような豪雨がある部分の枝を完膚なきまでに打ちのめす。枝のあちこちには、根からの養分を吸い尽くすことで、長年にわたり人為的に造られてきたエネルギー発生装置が点在する。その装置が一たび破壊されると、樹上の住人たちに対して想像を絶する有害物質を浴びせ掛け、樹木に咲く花や葉の生育にも負の影響を計り知れない年月にわたり与え続ける。更なる巨大な搖動が樹木を襲う可能性が取り沙汰される中、どの造園会社が樹木を管理運営するかという子供同士の喧嘩のような小競合いが繰り返される。だが小競合いの当事者たちは、頼り甲斐があり信頼できる者は皆無で、お互いに姑息な手段で相手の牽制をかわし、前進なき見せ掛けの管理運営による時間の浪費を継続する。この樹上には、今や枝に座っていることも困難な老人たちが増え続け、自然の搖動に耐えて行くだけの活動的な労力も失いつつある。それにも関わらず、樹上の住民たちは、人気取りのみを意識した低級なTV番組に興じ、他者の深い憂慮をデマだと攻撃し、自ら実名を名のり立ち上がろうともせず、他者の振る舞いを知ったかぶりに非難しつつ、平然と樹上で居眠りに呆けているのである。

 こんな樹木の状況を神様が見たら、やはり今一度搖動させて、住人の居眠りを覚まさなければ、世界の中でこの樹木だけが孤立するのではないかと心配されるだろう。ただでさえ、この樹木は、周囲を水に取り囲まれた辺境の地にある土着的で孤独な樹木なのであるから。

 現代社会でも会議などで、何度も“舟を漕ぐ”かのごとく身体を揺する人の姿は、やはり滑稽でもある。見物目当てに樹上で果敢にも居眠りしていた法師を嘲り呆れる群衆の気持ちもわからないではない。だがしかし、兼好法師のことばがなければ、ただの笑い話だったというだけで、実は人間の普遍的な生き様の形象であったとは誰も気付かなかったであろう。その誰もが無自覚であることに気付けないという辺境住人としての群集心理が、耐え難い程に危ういのではないかと思うのである。


 今こそ古典の中に生きる、先人のことばに耳を傾けるべきではないだろうか。

 僕らはみんな「樹上の居眠り法師」なのである。

 中世以来ともいえる、「無常への自覚」を必要とする時代に、この樹木(国)は直面しているのかもしれない。
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落語「明烏」の若旦那

2012-01-28
 金原亭馬治さんによる今年初の「種の会」へ。この日の演目は「明烏」と「長屋の花見」であった。特に最初の「明烏」の一席には力が入っていて、“郭(くるわ)もの”として江戸の風俗を詳細に伝える内容であった。それにしても、2席の落語を聞き終えた後、現代の若者が、この江戸風俗の噺を聞いて、果たしてその内容を想像できるのか否かなどという、ある種の「不安」も抱いた。大学という場の教育に落語をという趣旨から考えて、これは一つの文化伝承機会であるという目的を再認識もした。

しかし、「明烏」に登場する堅物の若旦那はなかなか憎めない性格である。あまりに真面目過ぎる息子を心配した父親が、「観音様の裏手にあるお稲荷さんにお籠りに行くのがいい」と勧めて、町内でも遊び人と評判な2人と共に吉原へと息子を“遊び”に出す。さすがの若旦那も、途中で郭であることに気付いて帰ろうとするが、「(吉原)大門では、入った時と違う人数で出たりすると怪しまれるよ」といって、その律義さに訴えて、郭に留める。ところが、いざ夜になると若旦那についた花魁は絶世の美女。翌朝になると、遊び人の2人はふられてつまらない夜を過ごしたのとは対照的に、若旦那は花魁と布団から出て来ないという顛末。つまらない遊び人たちは、甘納豆をやけ食いして先に帰ろうとすると、若旦那が「来た時の人数で大門を出ないと怪しまれるよ!」と声を掛けるのが下げとなる。

 この噺をやや客観的に眺めてみると、江戸時代吉原での“遊び方入門”のような内容であることがわかる。堅物の初心者が律義な態度で一夜を過ごしたことが、絶世の美女である若き花魁の心を鷲掴みにする。遊び慣れて高を括っていた2人は、結果的につまらない一夜を過ごす結果になる。何事も「初心忘るべからず」という妙な教訓も伴いながら、江戸吉原の世態風俗が余すところなく描かれている。過去においては、名人・八代目桂文楽の十八番である。

 落語で江戸の虚構世界に遊ぶ。
 自らが演じることで、更に体験的な感興を覚える。

 落語はやっぱり面白い!
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SNS情報送受信を考える

2012-01-27
 天気・地震・交通情報など日常生活に関わる情報を最初に仕入れる先はどこか?イベント・会合・ライブなど興味ある催事は何で知るか?生活する地域の方々や知人が何を考えてどんなことを経験しているかをいかに知るか?自身が公的に行う催事などをどのように多くの人に伝えるか?こうした疑問・要請に総括して応えているのが小生の場合はTwitterである。おおむねニュースなどの即時的な情報であっても、まずはTwitterから。新聞を読むときには、既に目にした情報が改めて紙面にあったという感覚で見出しを選別しながら、ほぼ意見・批評・コラム・社説などのみを読めばたいていは事足りる。

 近々の記憶でも、Twitterを介して知った情報からいくつかのイベントへの参加を予約した。それは目にしたら即時的に貼り付けられた情報のWeb画面に行って予約するという、実に能動的行動により為されている。また懸念される地震情報なども、「緊急地震速報」を予告的にTweetするサイトをフォローしていると、揺れる前の段階から地震の到来を知ることができる。(もちろんTwitter画面を見ている場合だが)週初めの降雪情報なども、東京のどの地域まで降り始めたかなどがフォロワーのTweetにより、次第に西から東へと移動してくるのが可視化できた。だいたいにして、携帯や電話回線が混乱した3.11においても、まず重要な情報はTwitterを介して入手したので、緊急時にも大変貴重な情報源であることは間違いない。

 その上で、Twitter上の情報を「淘汰し選別」する「思考」が求められているのも事実である。いくらでも拡大できる情報源として、どのように自分なりの“調律”を施すかという問題も重要だ。情報の大海に泳ぎ出でつつ、自分の位置を正確に捉えておく「思考」が必要になる。逆に多様な情報が入ってくることで、情報を精査する訓練を積むこともできる。自身を客観視する意味でも、Twitterの使用に関して今一度見直してみる必要がありそうだ。
 小欄のようなブログや、Facebookとの使い分けも一つの課題だ。ブログに記す情報として何が必要であるか?またFBとの差をどんな点に見出しておくか?直接的に全てが“連動”していくのも、あまり好ましくないとは漠然と感じながら、こうした受信・発信におけるSNS上の立ち位置が、やや曖昧になってしまう場合も少なくない。

 先週の研究発表の告知をTwitterとFacebookの双方で行ったが、いずれかの情報を見て、会場に足を運んでくれた方がそれぞれにいた。もしこうしたSNSを介さなければ、なかなか研究学会というような場所には足を運び難い方々が、まさに即時的に来場してくれた効力は大きいと感じた。ともすると内輪の議論に終始してしまう分野ごとの研究学会。その場での議論を活性化させるためにも、多分野の方々がSNSを介して越境し、こうした場に参加する意義は大きい。こうした“殻の破り方”から、新しい胎動が聞こえてくるはずである。

 自らが受信・発信するという双方向性を確保することで、一定の先入観から解放され誘致し、また思考を攪拌され喚起する。

 今一度、こうした情報の使い方を自分の中でルール化すべきだと改めて考えている。

 様々に越境することの悦楽に浸るためにも。
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「火の用心」に対する住民意識

2012-01-26
 いつものように夕刻になって近所の豆腐屋さんに足を運んだ。すると先客の地元のおばさんが、何やら豆腐屋のおばちゃんと長話をしている。別に急ぐわけでもないので、そのまま何となく話が聞こえるような距離で待機していると、その内容には深刻さが伴っているようだった。話の終わりに「お大事にね」といって、そのおばさんは豆腐屋さんの軒先を立ち去った。小生の順番になって、おばちゃんに買いたいものを告げつつ、「どなたか具合でも悪いのですか?」と問い掛けてみた。するとおばちゃんがいうには、豆腐屋さんの通りを挟んで向かい側の家が3軒ほど、火事で焼け出されたのだという。すぐさま振り返ると、通りから見える家の外観は元の状態を保っているが、家財が通りに投げ出されていたり、窓が割れていたり中は消化した後の惨状であることに気付いた。そのことに言われなければ気付かない自分の不甲斐ない感覚を悔やみつつ、気付いた途端にあの火事後の焦げた臭気が鼻を突くのが自覚できた。その火事は、小生が大学で研究発表をしていた先週土曜日夕刻に出火したのだという。もし、家に居たら現場がよく見えるのはもとより、必ず駈け付けていただろうという妄想をしながら、豆腐を受け取った。

 現場の隣は懇意にする酒屋さん。現場との間にわずかな隙間があって延焼は逃れたのだと豆腐屋のおばちゃんはいう。早速、酒屋さんの店先に出向いて「火事見舞い」を申し上げた。酒屋の店主であるおじさん・おばさんも、その時の恐怖を語った。現場側の窓をすべて閉鎖し、店もシャッターを下ろし延焼を防ぐ構えをとったという。店内に陳列された大量の酒瓶やビール缶などを、地元の方々が外に運び出そうかという協力を申し出たというが、「外に運び出したところで置く場所もねぇ~からね!」と酒屋のおじさんは、それを断ったという。確か土曜日夕刻は雨模様。大切な商品が雨に濡れるのも問題があったのだろうが、それをきっぱり断り堂々と構えていたおじさんの決断が正しかったようだ。幸い延焼することもなく火は隣の家までで消し止められた。店の商品にも何ら被害はなかったのだという。それにしても火炎が伸びて迫り来る恐怖を、おばさんは半ば涙目で小生に語ってくれた。

 懇意にする酒屋さんを中心に、この火災を描写してしまったが、当事者である家の方々には、心からお見舞いを申し上げたい。中には留守中の方もいて、帰宅したら寝床も何も無いという状況であったという。もちろん消化の為に家の中は水浸しである。もし自分の身にということを考えると、改めて火事の恐怖を身に染みて感じざるを得なかった。


 ここで特筆すべきは、酒屋さんに火が迫るという段階で、地元の方々が「商品を運び出そう」と協力を持ちかけたことだ。冷淡極まりない地域自治が一般的でもある東京都心部で、こうしたご近所から協力の声が突発的に寄せられる関係というのは貴重であろう。もちろん酒屋さん店主夫妻と若旦那である息子さん夫妻の人柄によるものであるのも十分に納得できる。だがしかし、都会の冷淡さは、時としてこうした惨状に対して高みの見物するか、場合によると見て見ぬふりをしかねないのが実情かもしれない。それがこの酒屋さん、豆腐屋さんが向かい合う通りには、未だ人情の息が通っていたのだ。豆腐屋さんのおばちゃんの話では、周囲の人々が「消火活動が遅い」などと声を上げて、その成り行きを見守っていたという。

 これは、東京下町の風景がいまだ留まっているということである。小生も下町育ちであるから、幼少の頃から火事となると現場に駈け付ける“習性”がある。その火事現場をまざまざと目の当たりにして、「火事は絶対に起こしてはいけない」と子供ながら気を引き締めたものである。ある時は、小生の父が誰にも“負けず”一番に現場に到着したことがあった。その際に、消防士がポンプからホースを伸ばす作業を、父が手伝っている姿を見たことがある。火事の際は、近隣住民で助け合うという精神を、直接父の行動から学んだ経験であった。

 遡れば、江戸時代「火事と喧嘩は江戸の華」といわれた。現在よりも火事が頻発し延焼しやすい街の状況下。そこで火消しが活躍し、長屋の住民たちがお互いに助け合って火事を防いだり消化に努めたことだろう。「組織的」などという理屈ではない地域自治が存在していたはずである。家がいつ焼失するかわからないという刹那的な住居観があればこそ、住民の連帯を自然発生的にもたらしていたのだろう。


 4年以内70%と試算された首都直下型地震。
 専門家は、やはり一番危険なのが火災の延焼だという。
 耐震構造や防火体制の強化ばかりが喧伝されるが、やはり何より大切なのは住民の地域的自治をおいて他にないのではないかと痛感する。

 東京に住む誰もが自分の“今日”の問題として考えておかねばならない課題である。
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大塚英志・宮台真司著『愚民社会』雑感

2012-01-25
 3.11以後において、社会の様々な潮流を読み情報を選択することに錯綜し、混乱を覚えている人々は多いはずだ。何が正確な情報で、何が嘘の情報であるか?それはもはや、いや爾来、一定の線を引けるような性質ではなく、ただ多くの人々が自分たちの都合がよい方向に受け取り、都合のよくない情報には目をつぶるという姿勢に終始しているのが現状ではないだろうか。ともすると自分にとって都合のよくない情報発信者を攻撃し、自らの危うい立ち位置を更に盲目的にすることで刹那的な踊り場を確保しつつ、危険水域に自らを陥落させる愚かさを露呈したりもする。様々な日本の現状を観察すると、3.11以後において改めて明白にそんな社会が露顕したという感想を持たざるを得ない。

 大塚英志・宮台真司著『愚民社会』(太田出版)を読んで、現状の日本社会において実感していたことが、更に深い知識として言説化されていて腑に落ちた。日本の社会は、3.11で何かが変化したわけではなく、この書籍の帯にもあるように「日本は既に終わっていた。」のである。「近代への努力を怠ってきたツケが、今この社会を襲っている。」ともある。本書の中で「今ごろ「終わりなき日常は終わった」といっているヤツは終わっている」という節にも、それはよく表現されている。こうした現状の日本社会における不可避な倒錯を、多様な言論・批評を引用しながら忌憚なき両者の対談として収載されているのが本書である。


 宮台氏の明解な主張はこうだ。
 〈任せて文句を垂れる作法〉から〈引き受けて考える作法〉へ
 〈空気に縛られる作法〉から〈知識を尊重する作法〉へ
 〈行政に従って褒美をもらう社会〉から〈善いことをすると儲かる社会〉へ
という三点を、せめて一部の人々が身に付ける「生ぬるい「べき論」」を超えて、「冷厳な「淘汰と選別」へ向かうことを本音として語っている。

 大塚氏は、「政治家も知識人もメディアも、「国民」を「動員」しているのではなくて「動員」されることでしか大衆との関係性が成立しない」という点や、明治以後、「日本人の自己像」がどう錯誤的につくられてきた点を指摘して、敢えて差別的に日本人を「土人」であると呼称する。それは「歴史」という近代的な時間軸がつくれず、「時間はただ循環するだけでリセットを繰り返す」という近代以前の思考回路のままであるということで、震災以後、この国の住人を「土人」と規定すると「すべてが氷解する」と述べている。「「日本人」たちが「近代」を忌避し、思考停止の中で生きている状態」を、差別的に「土人」としているのである。

 本書Ⅰにおける対談タイトル「すべての動員に抗してー立ち止まって自分の頭で考えるための『災害下の思考』」として、現状日本社会の諸相を、こうした枠組みで語っていく対談は、実に刺激的である。

 また宮台氏は、インターネットの男女マッチングサービスの現状に触れ、女たちが「Aランクの男に執着する」例を取り上げて、「女たちの多くが「三〇歳までは仕事に打ち込んで三〇歳になったら相手を見つけて結婚したい」と語るのを「余りに愚味な構え」だと指摘する。それは「実態から余りにも乖離した〈変性したリアリティー〉」だとし、結婚に関わる出会い問題に限らずすべての問題に見られると弾じた点も興味深い。以下、「原発の安全神話や原発はコスト的・リスク的・環境的に合理的だという議論もそう。日本は物づくり大国だという神話もそう。現実を見ないで、認知的整合性理論的に「今の自分」を正当化してくれるように現実を歪めて認識するのです。」という下りは、3.11以後の社会(いや、それ以前からの憂いに満ちた日本社会)への痛切な警鐘ともいえる。

 
 大塚氏が、「単なる技術論でもないし思想でもない、その中間にあるような物事をつくっていく思考のプロセスとそれを持つ個人」と表現する「方法」の構築を、神戸という“地域”を中心に「教育」に関連して行っている活動の今後を深く注視したい。

 宮台氏が、「世田谷のような全国一恵まれたーその意味は本文で語るがー場所で、もしかすると一〇パーセントぐらいの確率で成功モデルを残せるかもしれない。どんなリソースがあれば成功できるのかを示せるかもしれない。そして世田谷に続けという話になって改革プログラムが後続するかもしれない。」と前書きで投げ掛けるように、世田谷という自治的共同体に「社会設計者」として関わる活動も深く注視したい。

 そうすることによって初めて、宮台氏のいう「淘汰と選別」の真意を汲むことにもなるはずである。それは次の主張を見ればより一層理解できる。

 「自治的共同体同士が、優秀で共同体思いのエリートを育成する競争通して、非ゼロサム的にーどこかの共同体が勝てばどこかの共同体が負けるという形でなく―切磋琢磨することを想定する。」
 「一見すると冷厳に見えるこうしたソーシャルデザインだけが、温かい帰結をもたらすことができるだろう。」



こうした宮台氏のことばに触発され、多くの方が〈引き受けて考え〉〈知識を尊重する〉ためにも、読む“べき”一書である。

 眼前の自治的共同体で〈変性したリアリティー〉を排して、「引き受けて考え」「知識を尊重」することで、「善いことをすると儲かる」社会を自らが築いていくしか道がないことを肝に銘じる、という読後感がいま蔓延している。
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脆弱都市東京

2012-01-24
 天気予報が夜半からの降雪を伝える。「関東平野部でも夜から降雪となるでしょう。東京でも5㎝ほどの積雪が予想されています。」といったコメントに添えて、「交通機関の乱れが予想されます。ご帰宅の際はお気をつけて。」という内容を“お天気キャスター”なる人々は、気を遣ってか付言する。場合によると「今晩はお早めに帰宅した方がよいでしょう。」などと、緩やかに笑顔で他人の行動を規制する。その笑顔で語られる声の裡に隠された都市の脆弱さを自覚するとき、甚だ矛盾と虚しさと果てには危険すら感じることがある。

 「早く帰宅する」か否かは人それぞれであり、仕事で早くは帰宅できない方も多いであろう。また、帰宅せずとも食事や酒の席に立ち寄って“雪見酒”に興じるのも粋である。「早く帰宅した方がよいでしょう。」というお天気キャスターのことばがあるごとに、懇意にするバーの店主などは、営業に差し障るという趣旨のTweetを同業の方々との間で交わしている。諸方面の方々からすれば、早い帰宅を促されても、それは余計なお世話である場合が多々ある。だいたい「自宅に籠れ」という趣旨の発言を公共電波にのせて流すこと自体が、甚だしく管理規制された社会としての危険性を感じるのだ。また、その余計な忠告にまんまと支配され行動規制される都民のあり方にも、大きな問題を感じる。各自の行動が限りなく〈空気〉に支配されているように思うゆえである。

 「5㎝の積雪」で都市の交通は混乱を始める。未明まで降り続いた積雪が道路上で凍結したことで、スリップや転倒事故が多発する。24日の午前9時までに首都圏全域でスリップ事故1400件超、何らかによるけが人149人とNHKは報じた。たぶんそれは氷山の一角で、知人の医師もTweet上で転倒事故の診察が多い旨を呟いていた。1年に数回あるかないかという積雪であるから、やむを得ないといえばそれまでだが、それにしても自然のささやかな趣に対しても脆弱さを露出する都市・東京。交通機関や幹線道路の構造などはもとより、スリップや転倒事故という心掛け次第で回避できる事故の多発は、住人としての脆弱さを露呈する。(実際に怪我をされた方には申し訳ない思いも持ちながら、敢えてこのように記しておく)

 繰り返すが、問題だと感じるのは2点。この大都市という構造自体にもはや無理があるということ。またこの大都市に住む人々の生活が甚だ耐性を失っているということである。これは、3.11以後にも明らかになったことであると認識しているが、柔和な5㎝程度の積雪で再び“小さな”混乱が巻き起こる。交通機関の混乱は帰宅困難を懸念させ、焦燥感溢れる〈空気〉がスリップ・転倒事故を多発させる。便利で豪奢で外見の良い都市生活は、実に花車(きゃしゃ)な基盤の上に成り立っている。もはや東京という都市では「雪など降るもをかし」という趣は味わえないのである。


 この日に報じられたM7級首都直下型地震の発生確率。

 4年以内70%。

 政治・行政に期待できない現状では、各々が確たる心構えを持つしかないのだと改めて自覚する。

 脆弱都市を見据えて力強く生き抜くには・・・どんな選択をすべきなのか?
 
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「実年齢×0.7」=人生方程式

2012-01-23
 自分が誕生日を迎える際の意識をどのように持つか?今年は昨日の小欄に記したような研究発表をする幸運に恵まれたこともあり、例年よりもその意識が高揚し脳裏で甚だしく攪拌された。メール・Twitter・Facebookを通じて続々といただく祝福のメッセージ。こうしたSNSの恩恵によって予想もしない方からも「おめでとう」のことばをいただくありがたさ。そして研究発表会場という不特定多数の方々が存在する場から、自然発生的に湧き起った祝福の拍手。拍手をいただけるという妄想はしていなかったが、昨日記した“マクラ”の話が、発表全体の軽やかな導入として機能をするという予想を裏切って、即時的ライブ効果を生んだといえる。こうしたささやかな共感性を産み出せただけでも今年の誕生日は印象深く、自分の新たな歳への吉兆のようにも受け取ることができた。ちなみに過去3年間の手帳を紐解き、誕生日の行動を確認してみたが、至って変哲もない“日常”を過ごしていたことも発見した。

 参議院議員・有田芳生さんから送られてきた郵便物の中に、「大きな転機の年にむけての所感」という文があった。有田氏は、2月20日をもって60歳になるという。そのことにふれて「かつてなら「老人」入りの年齢です。しかし長寿社会となった日本では「年齢は7掛け」ぐらいが妥当でしょう。そう、60×0.7で、42歳です。」ということを記し、「気持ちのうえではそう変化もないのに、時間だけは進行していきます。」と語っていた。とりわけ過去の風習としての「赤いちゃんちゃんこ」といった節目の年齢になれば、その時間意識もまた深まることを知った。だが、「7掛け」という意識には共感できるものがあり、「実年齢×0.7」で算出される年齢の頃の自分を思い起こし、その時の気力・体力と今の状況に大きな変化がないことも、意識としては自覚できたりもする。

 すると不思議なことに、その「7掛け」した年齢の時点で、小生自身は社会人として大学院に入学するという節目を迎えている。仕事に忙殺されながらも、勤務時間を終えると職場を振り返らずに、気力を3倍ぐらいに増量し、重い書籍の入ったリュックを背負い大学を目指して必死に自転車をこいだ日々であった。その後、学問の世界での苦闘から逃げず、常に前を向いて進んで来たことを象徴する行動であった。ゆえに今の自分がある。有田氏もまた、「7掛け」の年齢の時に、「オウム事件で多忙をきわめた」と自身の節目として回想している。奇しくも今年早々から、平田容疑者の出頭により再びTV出演機会が増えている有田氏である。「実年齢×0.7」は、そんな節目を意識化する現代の人生方程式として意義があるのかもしれない。

 年齢が上がれば上がるほど、この「7掛け」への差が拡大していく。85歳になってようやく60歳で「赤いちゃんちゃんこ」という具合であり、25歳差ということになる。こうした長寿社会に生きることに幸福を感じなければならないのかもしれない。となると誕生日での年齢加算も「1」ではなく「×0.7」ということになるのだろうか。思考力や体力を勘案すれば、「-1」でもよいのかと思ったりもする。かつての高校の教え子からFB上でメッセージをいただいたが、その返信には意図せず「また1歳若返ったという意識で迎えています。」と書いたところ、「素敵ですね」という反応があった。彼女らも今や社会人として最初の壁にぶつかるような年齢になっていることも、日々の記事から想像できる。それだけに「7掛け」を算出してみて欲しいという思いを強くもする。丁度、大学受験を控えて苦闘していた際の自分が思い出せるはずであるから。

 世間ではよく、「もう祝う年齢ではないから」という誕生日に対するコメントを耳にすることがある。だがしかし、やはり誕生日を迎えられたことで、最大限に自分を顧みることができるとすれば、精神的に限りなく盛大に「祝福」すべきではないだろうか。奇跡的にも“生”を受けたことへの感謝。また従前の1年を無事に過ごせたことの意義を噛み締め、眼前の1年を闊歩するために心身の新陳代謝を促進させる。「7掛け」年齢を意識し、その時の自分に負けないと誓う記念日なのだから。

 奇しくも研究発表が誕生日という縁に遭遇し考えたことども。
 1歳若返ったという思いで、心身の鍛錬を充実させよう。

 日々の自分を小欄という鑑に映し、学問を背負った自分がただ前だけを見て自転車をこぎ続ける。
そんな心象風景を絶やさない為にも有効な、「実年齢×0.7」=人生方程式である。
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声の自覚・ライブ性・演じる体験

2012-01-22
 「〈教室〉における声の自覚―実践としての理解・表現・コミュニケーション」と題する研究発表を行った。その主旨は、「朗読の理論と実践の会」という研究会で行って来た2003年以来の活動を振り返りつつ、国語教育への新たな提言をするというものであった。「音読・朗読」を活用した学校現場での授業に対して、「教材」「方法」「展望」という3つの視点から提案を述べた。

まず「声」を活かした授業に適した教材として『平家物語』『走れメロス』「絵本読み聞かせ」を提示。これらの教材の群読的な試みは、小生が・高等学校の現場にいる時代にも実践し、ここ数年間は、教職志望の大学生も対象にしても実践してきている。また文学作品の冒頭文や韻文教材(漢詩・和歌・近現代詩)を、小さな授業として随所に挿し込んで「声」で学んでいき暗誦に至るような教材提案も一つの特徴として述べた。

次に「方法」という視点から。〈教室〉で指名された学習者が、いかに他者が聞いてもいない空間で、強制的にただ一人で「声」を出し続けなければならない状況が「学校」では多く行われているかという問題点を指摘。これを皮肉的に「“孤読”」と呼ぶ。それを改善するために、「理解のための音読」「表現のための朗読」という目的を、指導者が明確にすべきであるという点を指摘した。授業時間数の問題もあるが、上記のような「教材」を扱う際には、「群読」といった小グループごとで脚本作成から演出・練習・発表に至る流れの中で、教材を享受していく学習方法が有効であることを述べた。

最後に今後の「展望」という視点から。落語の話芸から学ぶことや朗読対象教材の新規開拓を目標とする今後の具体的活動を述べた。そして個人的に大変重要だと思っている点を最後に提案した。それは「ライブ性の確保」と「演じる体験から学ぶこと」である。指導者・学習者を問わず、SNSを始めとするWeb環境が進化し、生活な中に根付いている昨今、生の「声」を発する・聴くという「ライブ性」を重要視し、そんな場を極力確保する必要性があるという主張である。また、文学作品世界を疑似的に体験することで、「反抗・葛藤・(自己)承認」など生活体験の中で失われた境遇を味わい、知識・解釈ではなく内側に訴える「声」を体験する必要性を説いた。とりわけ多様な生育環境の中で、子供たちが不可欠ながらも通過し得ない心理的体験を、作品世界の「虚構」のなかで「声で演じる」ことで味わう意味は大きいのではないかと考えている。

こうした小生の研究発表の前後に、大学院生による
『平家物語』群読
竹内浩三の詩「骨のうたう」群読
を、“ライブ”で披露することができた。


以上、通常の小欄とはいささか趣を異にした文章で、研究発表の概要を述べた。


他の先生の研究発表でも述べられていて考えさせられたのは、「教育」が「社会」と「文学」とどのように関わっていくかという距離感である。誰しもが生活の中で「声」を使い、「声」に興じ、「声」に悲しみ、「声」で売買し、「声」で議論し、「声」で文学を読み、「声」で文学を享受する。たとえそれが心の内であったとしても、脳裏に「声」が存在する。そしてTwitterの呟き(敢えて「英語+日本語」のくどい表現にするが、この名称自体が「声」の存在を認証する)ひとつもまた「声」に限りなく近い「文字」であるといえる。だがしかし、ライブ性がなく匿名性の高い「声」ばかりを発することに慣れてしまい、リアルな自分に返却されない、逆に言えば極まりなく無責任な「声」(文字)の放言が、巷間に氾濫している。思春期を生育し続ける子供たちが、その強制も抑制もない放言のみを体験し、年齢のみが加算されていくことには、深刻なる社会的危うさを感じる。それゆえに、教育の現場にいる人間は、「ライブ性」の確保と「演じる体験」の提供を諦めてならないのだ。


最後に、この日の研究発表で“マクラ”の話として述べた内容を掲げておこう。

 「本日の研究発表依頼の封書が届き、開封して書類を見るや思わず
『1月21日~!』
という声を上げました。
その自らの声は自室に響き、その残響を自覚しつつどんな発表内容にしようかと我に帰りました。
この発表は「声の自覚」から始まったのです。
何を隠そう、本日は私の誕生日なのでした。」

という話に、会場から拍手をいただいた。
まさにライブ性を最初に確保したいゆえに、落語的な“マクラ”を投入したのだ。

やや分析的にこの噺を解しておこう。


「声」は無意識に自分の脳内から絶対的な情報を絡め捕り、意味上はまさに“事務的”とも言える日付のみを、ささやかな「感嘆」引き連れて、誰も聞き手のいない自室の外部に放出した。



自らも改めて「声の自覚」をした1日。
誕生日に研究発表ができるという数奇な縁に感謝。

そして『1月21~!』を聴衆の前で演じたことで、過剰に誕生日を意識し続けた宵のうち。

ほろ酔い加減で夢の中へと「声」は移行していた。
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