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自然の制御を「ことば」で~立秋の思い

2011-08-09
 8日は立秋。1年間で一番、その内実と暦の上での規定が食い違う日かもしれない。この暑さの中で「立秋」と言われても、まったくピンとこないからである。暦というもの自体が人間の後付した理屈であるとともに、地域差があるのと同時に現代の日本に適しているとも言えない。

 夏と秋と行きかふ空のかよひぢはかたへすずしき風や吹くらむ(古今和歌集・夏歌・巻末歌)

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる (同・秋歌・巻頭歌)

 この2首の和歌。後者はあまりにも有名であるが、前者は広くは知られていない。だがこの2首こそ、「ことば」によって夏から「立秋」への思いを切り取った表現なのである。

日本で初の勅撰和歌集『古今和歌集』では、最初の6巻に「四季」の部立が配されている。うち春秋は2巻ずつであるが、夏冬は1巻ずつであり歌数もかなり少ない。暑さ寒さという厳しい条件下では、和歌もあまり詠まれなかったとここでは単純に説明しておく。しかし、中世へと時代が変遷するにつれて、夏冬の美観も多々発見されていくのである。

 勅撰集である『古今和歌集』が、なぜ「四季」の歌を巻頭に据えて重視しているかといえば、天皇が「天地(自然)」を制御する為の指標という政治的意図が強いからだ。通常ではどうにもならない暑さ寒さを、「ことば」で説明することで為政者が制御しようとする発想があるのである。もちろんこれは、日本独特なものではなく中国の詩論を先達とする。

 それゆえに、「立秋」も「秋になった」と解するよりは、「秋を待望し始める」と解してはどうだろうか。いにしへの人々も暦の「立秋」で、決して「秋」を大仰に感じていた訳ではない。「かたへすずしき風や吹くらむ」と「(空の)片側には涼しい風が吹いているのだろうよ」とする。裏を返せば「かたへ」は「暑い風」なのである。また「目にはさやかに見えねども」とはっきり見えないものを、「風の音」によって「おどろかれぬる(はっと気づかさせられることよ)」という。これも無理矢理に「秋」を見つけようとしているとも言える。


 節電によって、「暑さ」が一層感じられる夏であるからこそ、いにしへの季節の感じ方を見直してみるのもいい。


 制御しえない自然を強引な科学技術ではなく、「繊細なことば」で制御しようとした平安時代人の知恵に、我々は今こそ学ぶべきなのかもしれない。
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