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自然に向き合う姿勢

2011-08-30
27日から28日にかけてハリケーン"IRENE"がアメリカ東海岸を北上した。通常のハリケーンルートとは違う特異な進路を取り、NY等では避難指示が出たり食料の買い置き等の対策がかなり大仰に行われたとアメリカのTVは伝えていた。浸水などの被害も出て、場所によっては深刻な状況もあったようである。

 先日の地震に続き、今度はハリケーン。米国滞在中に2度も自然災害が起こったが、概してTV報道等を見ていると、こうした災害に慣れていない米国の体質が感じられる。これはあくまで「概して」である。地震に関して言えば、西海岸では対策が採られているであろうし、ハリケーンもフロリダなどの南部に行けば十分な対策が採られているはずだ。にも関わらず、記憶に新しいニューオリンズでのハリケーンによる水害などは、やはりその自然災害の規模が格段にも大きいことを示しているのであろう。人間も野菜も自動車もサイズが大きいように、北米大陸という地理的環境でのハリケーンなどは規模が大きいと言わざるを得ない。それゆえに対策も大仰かつ必要十分に行われるのであろう。

 ただ思うのは、こうした自然災害に対する人々の思想が、確実に日本と違うのではないかということだ。
 
 自然に同化し融合することをよしとする日本人の心の歴史。
 自然と敵対し対立することに徹する欧米人の心の動き。
 
 文化論として先学によってもよく評された内容を、改めて反芻してみる必要がありそうだ。



 例えば野球の試合。雨ならば中止もやむなしとするのが日本人の考え方。それがMLBでは、かなり無理をしてでも雨にも負けず試合を敢行する。雨という自然によって国技たる野球の神聖な試合が中止になることが許せないのである。日本の場合は、商業主義という都合もあり野球場に自然を遮断するために屋根をつけてしまった所が大半だ。場所によっては太陽光という恵みを惜しむが為に、開閉式屋根まで設置している。一般にドーム球場とはアメリカから学んだ建築だと思われている方も多いが、それは80年代までの話であり今やアメリカでは屋根なし天然芝の球場が大半である。


 このような日本のドーム型球場が象徴的なように、一時期のアメリカ文化を模倣することで、本来日本人が持っていた「自然への畏敬の念」が、昨今急速に薄れて来ているのではないかと危惧する。自然を畏怖してこそ見えてくるものが日本文化の中にはあったあはずだ。それが実際に災害になってみないと気付かなくなっていた日本人の姿が、アメリカにいる視点から聊か見えて来るような気がしている。”原発”も元はといえばアメリカの技術に他ならないのだ。


 経済・社会のアメリカ化が無意識に根付いてしまったとき、日本人は大きな禍根を抱えることになるだろう。


 今だからこそ、社会・文化の相対化を適切に見極める発想が、いずれの分野にも求められているのだと思う。




 










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フライト臆病者

2011-08-29
2009年はいま思い返しても、フライト運に極めて恵まれなかった年
であった。予約していたフライトが尽く遅延やキャンセルになった。こんな運命が現実にあるのかと思うほどであった。

それ以来、特に米国に来ると"フライト臆病者"になっている。空港へ行く時間は徹底的に早く。セキュリティー対策は完璧にぬかりなく。搭乗GATEまで余裕をもって行き待機する。などと自分でもやや過敏とも思える行動である。

26日にオハイオ州コロンバスからボストンにフライト。朝一番のフライトなので、4時半には宿を出た。思いの外、コロンバス国際空港のカウンターは空いていて、チェックインも順調。セキュリティーも問題なくワシントン行きは定刻に離陸した。

このフライトでは、座席で思わぬ事が起きた。隣の席にヤンキース帽子を被った男が怪訝そうな顔でやって来たのだ。小生はレッドソックスの大ファンであるから、その帽子を被っている。奇しくもアメリカでの異常なほどのライバルチームの帽子が、隣合わせの席となったのだ。これには客室乗務員が配慮したのか、通路側の小生を他の席に移動するように促した。そして素直にそれに従った。

そんな程度の出来事を楽しみながら、ワシントンで乗継ぎボストンへ。爽やかな快晴の空が出迎えてくれた。

2年前に、このボストン ローガン国際空港から帰国する際が、まさに最悪のフライト運だった時。そんな運命からは解放されたことを心の中で喜びながら、市内の宿へと地下鉄で向かった。

ボストンで期待の1週間が始まった。

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動かぬ大地になぜ驚かぬ

2011-08-25
 誰の言葉かはド忘れしてしまったが、次のような名言を思い出した。

 「大地が動けば地震と驚くが、動かぬ大地になぜ驚かぬ」


 ちょうどアメリカを旅している最中、東海岸のバージニア州を震源とするM5.8クラスの地震があった。小生は南のテキサス州にいたので何ら揺れも感じず、もちろん旅に支障が出る事は微塵もなかった。しかし、TV・新聞・Webの報道を見る限り、東海岸で60数年ぶりの大地の揺れに、ショックが隠せなかったような内容が目に付いた。同時に、日本の方々のTwitter等での反応も、在米中の小生自身よりも大きかったように感じられた。特にこの地震による原発の緊急停止については、日本人においては国内の原発と同様な反応があった。


 東海岸での地震は、次第に西へとその揺れの波紋を広げたようである。もちろん地続きであるから、物理的には揺れは伝播するのであろう。しかし、アメリカでは観測体勢も整っていないと聞くが、各地の震度が報道されるわけでもない。体感した人もいればそうでない人もいるそうだ。あくまで個人レベルで感じるか否かであったようだ。(このあたりもアメリカ的と言えば言える)



 毎回、車でアメリカを周遊して思うが、その広さには驚くばかりだ。通常なら航空機を使うような範囲を多少無理してでも車での移動を選択しているので、尚更その広大さを畏敬する感覚に陥る。今回もカンザス州のどこまでも続く大平原や、穏やかなカントリー的雰囲気のオクラホマ州。灼熱のテキサス州や森の美しいアーカンソー州等を周遊し、洲ごとに地理的条件が目に見えて変化することも実感した。


 この大地に、特に内陸部に生まれ育てば、地震などその存在自体も知り得ない環境なのだと思ってしまう。もちろん洲ごとの特異性が大きいのだから、西海岸の人々は地震に対して免疫力があるということになる。今回のバージニア洲での地震は、まさに地震への免疫力がない人々が居住する土地が振動したということで大きなニュースになったのだろう。

 3月以降、特に東日本に居住していれば、地震を体感することに慣れてしまった感がある。それはそれで恐ろしくもあり、決して”慣れ”たりしたくないものでもある。小生が今回の渡米に際して思っていたことは、「日常的に大地が揺れないところで生活する」ことへの変化を体感することでもあった。日々の生活における”揺れ”から自らの解放という感覚である。


 その北米大陸で地震があるのだから、皮肉なものである。それだけに改めて人間の卑小さと、自然の畏敬を感じざるを得ないのだ。



 長い歴史の中で、大地の揺れを常に感じてきた日本人。
 動かぬ大地が常識と感じてきたアメリカ人。(前述したように地域差はあるが)

 地球の鼓動を感じられる「自然への畏敬」が持てるという特長を、日本人は「文化」として世界にアピールしていいのかもしれない。




 「動かぬ大地になぜ驚かぬ!」

 それはアメリカの社会・経済全体に対する自然からの警鐘であるのかもしれない。

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華氏100度超~猛暑テキサス

2011-08-24
 テキサス州に来てから猛烈な暑さに見舞われている。日中の最高気温は裕に華氏100度超。華氏100度が摂氏38度であるから、日本における猛暑といわれる気温状態が日常的に続いている。ダラスやフォートワース等まで出向いて、観光をと考えていたが、どうやらこの暑さで断念せざるを得ない状況だ。

 だいたい日中に食事のために宿を出て外を車で走るが、人が歩いているのをあまり見掛けない。(もちろん、都市中心ではなく、郊外に宿をとっているので、地理的な条件もあるのだが)それに、日本と比べると紫外線の強さも尋常ではなく、サングラスと日焼け止めは不可欠である。


 夕方からアーリントンにあるレンジャーズボールパークで野球観戦。開場は試合開始の1時間半前であるから午後5時半過ぎであるが、それでも華氏100度程度である。指定席は陽が当たるわけではないのだが、それでもTシャツの下で汗が滴り落ちるというような感覚である。


 その温度が日々上昇傾向である。華氏102度で摂氏39度、華氏104度で摂氏40度。テキサスをあとにした木曜日・金曜日の天気予報だと華氏108度であるから摂氏43度ぐらいは記録する予想である。


 この人間の平熱を十分に超える気温。緯度のみではなく内陸性の地理的環境の影響も大きいのであろう。


 そんなわけで、昼は宿に籠もっているのが賢明と考え、PCに向かったり宿のシムでトレーニングをする日々である。


 アメリカで一般的な華氏の気温表示。100度と桁が変わるあたりが厳しい猛暑を示す分水嶺であると考えると、この気温表示を採用している意味も理解されてくる。

 ともかくあと1日半、よい旅の思い出としてこの猛暑と付き合うことにしよう。
 
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日米相互に学び合う視点

2011-08-23
 カンザスシティーにあるバフェスタイルのレストランで昼食をとった。日曜日なので家族連れが多い。すぐ脇の机や椅子を祖父母から孫まで座れるよう、横広に複数を合わせる家族連れがいた。そのお陰で通路がかなり手狭になっていた。そこへお皿に食事を載せた女性が通る。すると彼女は通路にある椅子を足蹴にして奥に寄せて通っていった。それに続く女性の子供らしき幼少の可愛らしい女の子が、母親を真似て椅子を足蹴にして(もちろん椅子は動かない程度の力で、動作を真似るだけの行為なのだが)通り過ぎていった。こんな小さな光景を見て、親の教育は即座に子供に影響を与えることを痛感した。

 アメリカ人の行動は日本人からすると大胆に見えることが多々ある。野球場でも男女問わず座席を跨いで前列の席に移動するし、その際に椅子の座面を土足で踏んでも何ら罪悪感はない。単純に”土足文化”であるからと考えれば何と言うこともないが、他人が座る場所を土足で踏むのには抵抗がある。ましてや学生時代のバイトで、球場の椅子を一つずつ雑巾で拭いたことのある身としては尚更だ。

 そうかと思うとアメリカでは、列に並ぶこと等には妙に寛容である。レストランの順番待ちでも、トイレの空き待ちでも忠実に並んで乱すことはない。また街中やハイウェイで車を運転する時、たいていウインカーを出せば穏やかに割り込ませてくれる。日本のように脇の車線からは入れないというような態度で譲らない意固地なドライバーは殆どいない印象だ。


 今回の渡米のフライトの間に、桑田真澄氏と佐山和夫氏の対談集『野球道』(ちくま新書)を読んだ。そこには桑田氏の野球観が多々表出している。その中でMLBを経験したことが、桑田氏にとって大きな経験であったことが語られている。そこで大変重要なのは、アメリカの野球から学ぶことは多いが、日本の野球の方が優れた部分も多々あるということの指摘である。技術的な精度の高さや道具を大切にする姿勢などは、日本の野球が世界に誇れる部分であると言うのである。ゆえに”総合力”で優るということが、日本野球のレベルを引き上げてきたというのだ。そんな利点がMLBを経験することで、桑田氏には身に染みて感じ取れたということのようだ。


 考えてみれば小生の人生においても、どこかに”アメリカ”という憧れを持ち続けてきた部分がある。それは時代相でもあり、また語学への憧れでもあり、個人的には愛好する野球の本場であるという意識の表れであるだろう。たぶん、多くの日本人がアメリカに対して大なり小なり、また好感を持つか嫌悪するかという差異はあれど、どこかで意識している部分があるように思う。現にスーパー等の大型商業施設の繁栄・ファーストフードという利便性の享受・Web環境での様々な媒体のあり方などは、アメリカの発想に依存する部分が大きいのは否めないであろう。

 毎年のようにアメリカに来ている身として思うが、単なる”米国礼讃”だけでいいのかという思いがある。行儀の悪さ・個人商店を窮地に追い込む量販店的経済流通・自動車社会に代表されるエネルギーの大量消費社会等々・・・。アメリカに対して批判する視点なくしては、これからの日本社会もたいそう心配になるのだ。

 桑田氏が「野球」に関して「道」を述べたように、日本が誇れる力が多々ある。たとえそれが本家アメリカを発祥にした分野であってもである。行儀・マナーのよさ。人々の冷静さ。物質を大切にする文化。そんな総合力で、日本が世界から評価される部分は多いはずだ。


 批判的視点を持てなければ、本気で愛好したことにはならない。

 野球に代表されるアメリカ文化が好きであるがゆえに、そんな観点を持ちながら滞在を続けていきたい。

 さらに言えば、この広い国にも地域・地域での差異が多々あることも味わいながらである。



 単なる憧憬のみではない日米相互批評という立ち位置に、もっと日本人は怖じけることなく堂々と立つべきである。

 そこに真の学び合いがあるはずだから。
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ナビゲーションとの格闘

2011-08-21
 道を見極めたり覚えたりすることには、かなり自信がある。頭の中に立体的な地図を方角を間違わずに思い描けるので、たいていどこへ行っても迷うことは少ない。それは都内だろうが海外だろうが同じである。特に海外に行ったときは、その方向感覚が役に立つことも多い。


 しかし、最近は車にナビゲーションが搭載されていたり、携帯を利用すれば目的地までの行程を案内してくれる。すると時折、自分の方向感覚とナビの提案に微妙なズレが生じることがある。自分が地図で見定めた行き方とナビの行程が違うのだ。するとたいそう頭の中が混乱してくる。場合によると頭痛がしてくるような感覚である。


 要するに自分の感覚とナビとが格闘するのだ。頭の中で格闘しながら運転するのは、あまりにも精神的に辛いのでナビが道を提示しているときは、方角等を考えないようにしてみる。するとナビの言いなりで目的地に着くことはできるのだが。

 そのようにしていると、帰り道もわからない。自身の方角アンテナを使用せずに運転すると、自分では道を覚えないという結果になる。運転だけしていれば楽と言えば楽なのだが、どうも「運転」という技術の半分ぐらいしか駆使していないような物足りない感覚になってしまう。


 人間には個人差はあるが方向を察知する本能があるのだと思う。それを”機械”の手頃な使用により退化させてしまっているような気がしてならない。便利になるのはありがたいことなのだが、せっかく備わった本能的な力を駆使しなくなるのも、不本意な気がする。


 なのでナビを利用したときでも、なるべくアナログな地図を事前に見ておいたり、あるいは事後に復習したりして、方向感覚を身に付けるように努力している。特に海外旅行の際などは、その”感覚”そのものが旅行の思い出とも言えるので。



 見知らぬ土地を、自分の能力で踏破したときの達成感。

 旅行の魅力とは、そんなところに奥深さがあるに違いない。

 それゆえにナビとの格闘を続けるべきである。その土地を心に刻み込むためにも。
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”バーガーキング”がやはり王様

2011-08-20
 日本にいると殆どファーストフードを口にしない。根本的に黄色のM字看板の店が好きではない。せいぜい止むを得ない時に、牛丼を選択するぐらいが唯一のファーストフード利用である。


 アメリカに来てハイウェイなどを走っていると、殆どその「止むを得ない」状態に陥る。しかし牛丼はない。

 そこで進んで選択するのが、”バーガーキング”である。日本でもときどき店舗を見かけるが、あまりメジャーなファーストフードではないようだ。


 アメリカという環境であるからかもしれないが、バーガーキングはなかなか美味しいのである。ハンバーガーそのものが”ステーキ的”な焼き上がりであり、新鮮な野菜が豊富に挟まれていてパンもパサパサ感がなく手触りもいい。


 この日もハイウェイでの移動が長かったので、途中でバーガーキングを探した。アメリカだと比較的容易に発見できて迷わず入店。

 新しい商品である”カリフォルニアホワッパー”。野菜に加えてアボガドが挟まっている。


 日本では殆ど飲まないソーダ類を併せて飲むと、次第に大変美味しく感じられて来る。コーラもいいが、思い切ってドクターペッパーを選択する。ほぼ10人中9人が嫌いだというこのソーダの味がなんとも好きなのである。


 これぞアメリカの食文化かな!


 名にし追う「バーガ王様」



 日本にいるときと違う感覚に浸るのも旅ならではなのである。

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空も飛べるはずーライト兄弟初飛行の地へ

2011-08-18
 幼少のころ、図鑑でライト兄弟が初めて飛行機で飛んだことを知った。縦に大きな羽を二枚重ねた簡易飛行機で、人類が初めて空を飛んだ図に妙に憧れたのを憶えている。その後もヒーロー物を見るたびに「空も飛べるはず」という「夢」を思い描いていた。

 ライト兄弟の偉業から約100年。今やアメリカまで10数時間で飛んでこられる時代。人間は空を飛ぶことを十分に使いこなしているように見える。この利便性を享受するのも素敵だが、人類が初めて空を飛んだ原点を今一度考えてみるべきではないかとも思う。

 1909年6月17日18日にオハイオ州デイトンの地で、ライト兄弟はその夢を現実のものにした。試行錯誤を繰り返し何度も失敗を重ねて、一定の時間、空を滑空することに成功した。この日はその地を訪ねてみた。

 オハイオ州都コロンバスから車で1時間半ぐらい。こじんまりした田舎町がデイトン。そこにいくつかライト兄弟の功績を記念する場所がある。訪問したのは「ライト自転車商会」のあった場所。復元された自転車店の建物がすぐに目に飛び込んできた。その隣にビジターセンターがあり、中にはライト兄弟についての展示がなされている。


古きよきアメリカを象徴するような田舎町で、その偉業は「夢」を追い続けることで成し遂げられた。確か幼少のころに読んだ図鑑に載っていた兄弟の写真もある。物理学的な計算を繰り返し、自転車の部品をフルに活用して、人が空を飛ぶ為の道具が製作された。改めて彼らの不屈の思いを讃える気持ちが起動した。



 「不可能を可能にする」
 「夢は実現する」
 「失敗を繰り返しても決して諦めない」

 そんなことを念頭に置けば、必ずや物事は達成されるのだということを再認識。




 「空も飛べるはず」という思いを、人は各自の生きる道の中で持っていたいものだ。



  幼少のころ図鑑で見た「憧れ」を目の前にして、自分の「飛べるはず」を求めた心のアメリカ旅行が続く。



 
 
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小さな親切が幸運を招く

2011-08-17
成田空港行きのリムジンバスを降りると、2人子供を連れたアメリカ人らしき女性が、折畳ベビーカーを開こうとして苦戦していた。自分のスーツケースを確保した後、声を掛けると反対側から押さえて持ち上げてほしいという。すかさず協力するとベビーカーが立ち上がり、小さい方の子供が中に乗った。それでも大量の荷物を抱えて、上の子供にベビーカーを押させてチェックインカウンターまで向かおうとするので、航空会社を聞いてそこまで同行することにした。

 幸い小生と同じ航空会社。見た目からアメリカ人と判断していたのは正解だった。そして航空会社の地上職員に荷物を委託するまで、ベビーカーを押して年上の子供と会話などしながら協力した。他にも多くの日本人がバスから降りたが、誰一人としてその女性を助けようとはしなかった。

 アメリカ人女性は、笑顔で感謝の意を表し小生も自らのチェックインへ移った。

 そんな事があった直後のチェックイン。航空会社の女性職員が手続きを進めると「Webで指定した席から変更になっています」という。しかも便が混んでいる為にビジネスクラスになっていると言うのだ。思わず「料金は変わらないのですね」と確かめてしまった。

 そんな幸運なハプニング。小さな人助けをすると幸先よいことがあるものだと、旅の開始にあたり爽快な気分になった。


 そしていざ搭乗。さすがに足元はエコノミーの3倍ほど、しかもフットレスト付で席幅も広い。装備されている備品も贅沢なものばかりであった。更に驚いたことには、離陸するとすぐに飲み物サービスでシャンパンとミックスナッツが運ばれてきた。(もちろん他のソフトドリンクも選べたが)直後に冊子状のメニューが配られ、機内食の選択についてオーダーを取りに来る。ちょっとしたコース料理のような機内食に舌鼓を打った。

その後は読書をしてから睡眠時間へ。ほぼフラットに近い座席で穏やかな眠りについた。

 あまり長く寝てしまうのは時差の関係で禁物。短期集中が肝要。起きるとまた朝食の選択へ。今度は「チキンかフルーツか」が選べたが、腹のもたれ具合を考慮して「フルーツ」を選択。これがまた美味であった。


 そんなフライトを終えて無事シカゴへ到着。入国審査はやはり1時間ほど要した。その後、空港内トラムで移動して乗継便へ。再びセキュリティーチェックがありやや煩わしかったが、それは10年前の9月以降の慣例。結局、2時間の乗継時間では余裕がなくギリギリで乗継便搭乗となった。


 しかし、ビジネスクラスの恩恵で身体は元気満々!

 ともかく幸先よい旅の始まり。

 人助けとも言えないほどの協力であるが、目の前の人には親切に。そんな気持ちが自分自身を爽快にするのだ。

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渡航準備

2011-08-16
 いつしか長旅の準備が得意になっていた。事前からいろいろと頭の中で構想を練るが、実際に動き出すのはほぼ前日。それで間に合わない内容については、だいぶ以前から検討を進めている。(今回であれば、携帯用PCをどうするかという事など)

小学校・中学校ぐらいまでは荷物が多くなってしまい、旅の準備が下手であった。今考えてみれば、母親があれもこれもと多目に用意してくれるので、それを全て詰め込んでいた気がする。最近になって両親と1泊旅行などに行くと、母親がやはり過剰な荷物を持参しているのを見て思わず微笑んでしまう。殆ど使用しないものを鞄に詰め込んでいて、1泊とは思えない量であるからだ。

性癖なのか生育環境なのか定かでないが、子ども時代は母親の影響が大きかったのだろう。

今や生活環境が、荷造りを得意分野にさせてくれた。それだけに鞄へのこだわりは人一倍であるが・・・。


さあ!今回は何に出逢うだろうか。

時差事前同期の為ほぼ徹夜の眼差しは、遥かアメリカに向けられている。
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