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サロンとしての理容室

2011-08-05
 毎度月に1回ほどの理容室に行く時間が楽しみである。それはただ髪を切ってもらうという目的に加えて、その1か月間を振り返ったり、これからの1か月間を想像したりする時間的な指標となる機能が備わっているからだ。また、「床屋政談」という言葉があるように、世間で起こる様々な話題に関して多種多様な分野の方々と会話している理容師さんと話せるという意味合いも大きい。

この日も、店に入るやいなや暑そうに汗をかいていると、さっと冷たいおしぼりが出てきた。まずは爽快感から入り、その後も何人かのスタッフがシャンプー等に関わる中で、いろんな話題に花が咲いた。中には若手スタッフの生活事情などにも話が及び、20代の頃の生活を回想するような気持ちに自然となっていった。


幼少の頃から、“床屋好き”だった。幼いながらもある特定な女性理容師ではないと受け付けないという、“おませ”な指名をしていた記憶がある。顔剃りに関しては、鼻の下を剃らないという暗黙の協定を女性理容師と締結していた。その狭い部分を剃られる痛みが受け入れ難かったからだ。待ち時間に読むマンガ本も楽しみの一つ。終了後にもらう飴玉にも、なぜか無性の喜びを感じていた。


今でも顔剃りに対する要求度は高い。新しく入ってくるスタッフがどの程度の力量であるかは、鼻の下の剃り方ですぐにわかる。この日の担当は2年目の女性理容師。なかなかソフトな剃り具合で、相性がよさそうである。そんな合間に生活上の身の上話。この同じサロンに、長年通い続けているので、若手スタッフが育っていく過程を見守るのも喜びの一つである。

そこはまさにサロン、社交的空間なのだ。最近は10分程度で慌ただしく髪だけ切り値段も安い理容室があるが、それでは自分の前後1カ月が投影できない。せめて理容室ぐらいは贅沢に過ごす時間として大切にすべきだと思う。

 店から見送るスタッフの笑顔に、8月の希望が映し出されていた。
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アメリカの解放感~杏里の曲再考

2011-08-04
 NHKの音楽番組「SONGS」に杏里が出演していた。やや年齢は重ねたものの、ヒット曲を連発した時代の面影そのままに、今はLAを拠点に暮らしているという。以前よりアメリカ人的な雰囲気が増したように感じたのは、やはり生活環境が人の風貌や考え方を変えていくからであろう。

 80年代を中心に数々のヒット曲がある。「オリビアを聴きながら」「悲しみが止まらない」「Cat’s Eye」「サマーキャンドル」「モーニングハイウェイ」「16Beat」「思い切りアメリカン」「Share―瞳の中のヒーロー」等々・・・思い出すだけでもこのくらいは簡単に挙げられる。

 特に「悲しみが止まらない」という曲の不思議さは、あの頃の青い齢(よわい)ではわからないものがあった。痛切な失恋という女心を、なぜこれほどにポップな曲調で歌えるのであろうかという矛盾が、どうしても説明できないようで、女性の神秘さまでも感じたのを思い出す。

 昨夜の番組を観て、ようやくその矛盾が説明できるような気になった。当時からLAという全米音楽の拠点でレコーディングをしていた杏里ならではの、西海岸の気分が曲に充満していたからであると。海の曲であっても、当時は湘南海岸しか思い浮かべなかった小生には、太平洋を隔てたLAの風など、程遠かったのだと改めて感じる。

 アメリカに居る解放感。それは体験した者でないと分からないものがある。勿論、全ての人が好意的に感じられるわけではないであろうが、あの自由で広大で雑然としてラフな雰囲気に身を浸すと、新たな自分を発見するような気分になる。決して肯定的ではない部分が局部に存在することが、むしろ何かにつけて窮屈な日本に居る時の精神を、妙に解放してくれるのだ。


 若い頃に漠然と憧れていたものに出逢う。

 やはり人生は解放的であるべきだと、彼女の姿を見て改めて思う。

 いずれLAのライブハウスにでも行ってみようか・・・という思いにさせた。
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幼い頃の好奇心を再び

2011-08-03
 誰しも苦手であるとか、入り込めそうになく感じてしまう分野があるものだ。それまでの生育・学習・労働環境等が微妙に影を落としているからであろう。遡れば小学校時代の些細な躓きに起因して、苦手と決め込んでしまっている分野もあるように思う。しかし、好奇心を持って踏み込んでみると、それが意外にも興味深いことが多々あるものである。

 好奇心を持てば洞察力が増し、洞察力を持てば分析力に磨きがかかる。分析力に磨きがかかれば表現力が豊かになる。こんな好循環が起これば、自分が苦手と思っていた分野も興味深く接することができるようになる。


 幼稚園の頃、母親が教育熱心であったので様々な楽器に取り組んだ記憶がある。最初はエレクトーン教室に通い始めたが、どうも音符を見ながら鍵盤をたたく動作についていけずに、短期間で辞めてしまった。次はアコーデオンを習い始めた。当時としては高価であっただろう子供用のアコーデオンを、両親は購入してくれた。幼稚園の学芸会でアコーデオンパートになったものの、どうしても課題曲が弾けずにカスタネットに移動した記憶がある。母にしてみたら失望の連続であったのかもしれないが、やがて楽器より本をたくさん買ってくれるようになった。そんな幼少時の体験が、今の自分を支えているのも確かである。

 では音楽が嫌いかと言えばそうではない。曲を聴くこともカラオケで歌うことも大好きだ。だが、どうしても自分には楽器ができないという潜在意識を持っていたのも事実。それでも、楽器を愛好する友人たちに巡り合えたことで、自分でもできるのではないかという体験に至ることができた。契機と好奇心と環境があれば、物事に苦手分野はないとも言える。

 自らが研究している文学・教育分野と芸術表現との関係性が、奥深いところで関連していることを痛感する。それは、どんな分野にも好奇心旺盛な、ある方の言葉を聞いていて得られた率直な感想だ。しかも、その方は音楽分野の洞察・分析を試みながら、小生の研究分野との関連性に言及する表現力を持っている。その方と音楽表現者として高みを目指そうとする方との会話を聞いていて、どんな分野にも目を向ければ諸々のヒントに出会えることを教えられた。

 いつしか自己の狭い生活や、組織の狭い感覚に閉じ込められ、好奇心を閉ざされた己を自覚する。

 幼稚園時代に何にでも挑戦させようとした母の意志を、今一度汲むべきではないかと思い直す宵のうちであった。
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瞬間的集中の極意

2011-08-02
 8月に入った。7月はイベント等何かと喧騒の中に身を置いていたので、今月は集中した月にしようかと決意し、朝から籠り切りで机に向かった。その決意が功を奏したか、なかなかの集中力。昼食を忘れるほどに没入している自分に夕方になって気付いた。

 茂木健一郎氏のツイート等を見ていると、集中する極意に「タイガー・ジョットシン式」という言い方をすることがしばしばある。プロレスラーであるジェットシンは、サーベルを片手に会場に乱入し、客席を薙倒し放送席を破壊したりしながらリングに向かう。リング上で待機している花束贈呈のお嬢さんから花を受け取るといったセレモニーを無視して、いつの間にかアントニオ猪木に襲い掛かっている。リング上も会場も大混乱の中で、知らないうちにゴングが鳴り、試合が始まっているというのが、ジェットシンのプロレス作法であった。

 要するに、正式な「開始」を待たずして、「机に向かったら即集中」というのが、茂木氏の言う「ジェットシン式」なのだ。寝起きの時も食後も帰宅後も、“容赦なく”仕事に乱入するというのだ。もちろん、それを延々と続けることは無理でもある。自分が達成できそうな時間より、少し短めのゴール時間を設定して、それを目指して自分自身を煽るというのも茂木氏が語っている一つの極意。

 小生の場合は、ゴール地点に食事とかおやつとか、はてまたWeb閲覧とか、自分へのご褒美を用意しておいてそこへと向かうようにしている。

 集中力というのは、それほど長く持続するものではない。逆に「瞬間的集中」をしなければ、いつまで経っても集中は不可能だ。日本人は「前置き」を好む傾向にある。スピーチ・プレゼン等でも、どこから本題に入るのかよくわからない場合がある。時として「前置き」のみで時間切れ等という本末転倒を、普通にやってのける方もいる。落語の「マクラ」等は、それは文化的に不可欠であるにしても、「前置き」を讃美してばかりもいられないと感じることも多い。

 季節は問わないと思うが、夏こそ「瞬間的集中」が適していると実感する。
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野球の季節~帰属意識の東西

2011-08-01
 高校野球の季節である。各都道府県での地方大会も大詰めで、代表が出揃い甲子園へと駒を進める。各選手はもちろん個人的に甲子園に出たいという思いもありつつ、学んでいる学校が代表になればという愛校心を抱きプレーに臨む。とりわけ「全力プレー」が過度に賞讃される世評もあり、TVで見ていると全く必要のない場面でのヘッドスライディング等が横行していて、それをどのように受け止めていいのか戸惑う時もある。

 日本の野球選手は、チームプレーを重んじる。犠牲バント等は何よりも讃えられ、甚だ投球のレベルが違うプロ野球と比較して、「(高校野球選手は)プロよりバントが上手い」等と賞讃されることもしばしば。チームの為に全力で犠牲になることが花であり、アウトと知りながら身を挺するヘッドスライディングが、青春の象徴としてチーム帰属の具現化として讃えられるのだ。

 野球のレベルはさておき、米国のMLBではトレード期限が迫っている。米国時間7月31日迄ならチーム間でのトレードが可能だ。よって、優勝可能性のあるチームがこぞって補強に動き、可能性の少ないチームは実績ある選手を放出し、残りのシーズン期間で若手を育てる。相互に利害関係が一致しているとでもいわんばかりの合理主義的な動きなのである。まず、日本の野球界では考え難い選手の合理的意識のあり方が、文化として定着しているともいえる。

 というような野球文化を比較しながらふと考える。会社などの勤務先に対しても、まったく同じような日米比較があり得るであろうことを。組織の為にその理屈の中で貢献し、時に自らを犠牲にしている姿が賞讃されることは、未だに会社組織の中に根強く存在する意識であろう。かたや自分の力を活かす場を目指し、働く場を一か所に定めないという考え方も最近では多いと聞く。

 野球に対して様々な批評が世間で絶えないのは、自分たちの生き様を間接的に評しているようなところがあるからかもしれない。

 いずれにしても、高校野球・プロ野球・MLBとレベルや文化を異にする野球がそれぞれにおいて最高に楽しめる季節を迎えている。
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