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恩師の教え

2011-07-31
7月は恩師の祥月命日であるので、毎年必ず墓参に伺う。それも当時学部生であった教え子たちと共に、心から慕っていた亡き恩師を偲ぶ。今年は7月も最終土曜日となってしまったが、恒例によって墓苑に赴いた。

 その後、恩師の奥様が自宅へぜひとも寄っていってくださいというので、お言葉に甘えて自宅を訪問した。「墓苑に主人はいません。ここなら主人とお話ができます。」という奥様のことば通り、恩師が生前暮らしていた自宅とは違うマンションであるにもかかわらず、なぜか恩師が暮らしているような雰囲気のお部屋であった。

 当時の学部生も、いまや社会人4年目。勤務先などで様々な経験をして、更に成長した様子も見えた。主に彼・彼女らが奥様と恩師を偲ぶ話に花を添えた。「先生は、このようでした。あのようでした。」という話や、奥様から聞かされる家庭での秘話等々。美味しい手料理をいただきながらの時間は、瞬く間に過ぎて行った。

 すると奥様が小生に対して、「先生は主人に似ています。」とおっしゃった。それは、同行した学生(現社会人)たちに、たくさん話をさせて、様々な話題を引き出す雰囲気づくりに長けているというのだ。自分は肝心なところで合いの手を入れて、最後に纏めるかのように語る。それが奥様に言わせると、主人のスタイルだというのだ。

 特に意識したことはないが、たぶん大学院で長年お世話になった恩師の姿勢が自然と投影されたのであろう。自らが多くを語れば、学生は喋りにくくなる。限りなく話しやすい環境を作り、学生が主体で議論をするというのが、恩師によるゼミの作法であった。そんな柔らかな雰囲気の中でも、我々大学院生は、むしろ妥協なくお互いの発表を徹底的に批評し合った。その姿勢があるから、今の自分がある様にさえ思う。


 恩師はまた、「教える立場であるからこそ、より多くを学ばねばならない。」と常に教えてくれた。中高の現職教員であった小生などが、大学院のゼミに参加しやすいように、夕刻からの時間帯に設定するという配慮も深かった。中高生に対して上から教え込むのではなく、自ら学ぶ姿勢を見せる。たとえ、そのすべてを授業で使わないとしても、授業で必要な学びを常に更新し練磨し表現する姿勢に妥協はなくなった。

 全国規模の文学系学会で通用する研究を目指していれば、それが「日本一の教材研究」になると恩師は常に語っていた。日常の中高の授業で、「その教材を語らせたら日本一」を目指して研究・教育に励もうと努力したのも、やはり恩師の教えがあったからだ。

 教材の奥行を研究すると、自ずと難解な部分を授業で語りたくなることもあった。授業内容というのは「分かりやすく」というのが世の常道でもある。しかし、中高生に対して自分の持つ計り知れない神秘的な部分を垣間見させることが、教養を覚醒する気持ちを喚起する筈だという思いを持った。時に「ミステリアスな分かりにくさ」が授業にあってこそ、深い学びが醸成されるという信念を持つにも至った。


 授業は知識を与える場ではない。知識を自分で学ぼうとする気持ちを喚起する場である。

 そんな小生なりの教育観が出来上がってきたのも、恩師のお蔭である。



 奥様の自宅の壁に掲げられた恩師の遺影は、時に我々の会話を聞いて微笑んでいた。

 改めて恩師ご夫妻が、一生を貫くほどの愛に満ちた二人三脚で歩んできたことを悟ると同時に、自分がこれから何を研究し、どのように教えを展開していくかという指針を考えさせられる時間が持てた。


 恩師というものは死してなお、学びの気持ちを喚起するのである。
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授業という旅の道すがら

2011-07-30
 半期15回の授業。今年は震災の影響で開始が5月と1カ月ほど遅れたこともあり、13回の授業。あとは各担当の裁量によりレポート等で補充という変則的な前期授業であった。15回を基準とするから「変則的」と言えるのかもしれないが、過去の大学であれば十分に標準的な授業回数でもある。だが、5月開始という季節のズレが知覚されたことによって、より短く慌ただしく約3か月間が過ぎ去って行ったようであった。

とりわけ大学の場合、授業は回数より質だと実感する。13回の授業に加え「朗読発表会」というイベントを催し、それに参加するために受講生たちも多くの時間を割いてくれた。それが強制したとか評価の為という利害関係からではなく、自発的に自己を表現する「朗読発表」に向き合ってくれた。少なくとも小生からはそのように見えた。たとえ評価の事が頭をかすめていたとしても、「発表」という一回性のライブ表現に賭けようとする意志は純粋としか見えない。そこにある実践的な達成感こそ、単なる知識や高評価を獲得するという形式的な学びを、いとも簡単に凌駕する。それを体験することが、小生の考える授業の質である。


この日が前期授業の最終回。この半期で学んだことで一番インパクトのあったことを、各自がカードに書き、クラス内でシャッフルして、身近にいる人と相互評価していく。そしてこの授業で学んだことベスト5を挙げてみる。

「古典やむずかしい文章も、声にすると日本語になる。」
「作品を人に伝える難しさ。声に出さないとわからないことがある。」
「声を届けるにはライブが一番。一人ひとりが声を重ねたら伝わる思いは無限大」
「朗読はかけ算だったこと。だまって読むのもいい。でもそこに誰かの声が加われば、テキストはずっと豊かになれるかもしれない。」
「古典は日本語。言葉にすればいろいろかわる。」

小生の個人的な好みで言うと。

「人間がいるから「朗読」はできる。」
「朗読は「自分」との対話。」


このあたりが半期で学んだ、印象に依拠した言葉の群れである。


一つの出会いがあり、そしてまた各自の日常に戻ることの繰り返し。授業は一つの旅のようでもある。ある人にとっては、最大限の感動を得て人生の流れを変えるような力にもなり得る。またある人にとっては期待外れであり、その場で得られなかったことを探す新たな旅に出る契機になるかもしれない。終わりを迎えたときに、それが役に立つか立たないかは即断できない。換言すれば、社会に出たときに実効的に役に立つか立たないかを基準に授業を受講すべきではないということだ。

 旅で得た偶然性に満ちた体験は、その後の人生において、いつか予想もしない境遇の中で、ふと再燃し自らの歩みゆく道を照らす燈火になり得るのである。


旅の中で、小さくとも心に刻まれ得る燈火を醸成するために、日夜、研究と教育に励むべきであると、一つの区切りを迎えるごとに決意を新たにするのである。


そして、授業という旅は自らが楽しむものでもある。
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暑さより湿度に弱い

2011-07-29
 今年は、どれほど冷房を使用しないで過ごせるかと、自分自身で試していた。7月も後半に入るまで、自宅で冷房は使用していなかった。代わりに扇風機を回す日々で、電気料金の明細が来ると、昨年同月よりは100kwh少ない使用量であった。しかし、予想外に電気料金が安い訳ではなく、扇風機とはいえ結構な電力を消費しているのだと実感してしまった。

7月最終週にして、自宅で初めて冷房を入れた。暑さというよりは、湿気が重かったのが大きな動機である。米国西海岸などに行くと実感するのだが、どれほど暑くともそんなに辛いとは感じない。湿気さえなければ比較的快適に過ごせる自信はある。何よりもこの湿度が体力を奪うのだと改めて感じている。

もっともアメリカも熱波が来襲し、所々では40度超の気温とか。雷雨や豪雨も多く厳しい気象状況のようである。来月に渡米を予定しているが、その頃にはどのような状況になっているか、やや心配でもある。

気温という一番身近な自然との付き合い方をどうするか?今年は思いっきり正面から語り合ってみたが、その自然自体が、やや人為的な要因で変化してきているのも否めない。

梅雨明けは早かったが、その反動が8月あたりに来ないか、やや不安を感じさせる7月末である。
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サプリメントの効用

2011-07-28
 なかなか食事で十分に摂ることができない成分EPA・DHA。それからPCに向かう時間が長いので眼の負担を考えてブルーベリー成分。野菜不足を懸念しての青汁。以上、3種類のサプリメントを始めて3年近くなる。その効果がどのくらいか等と実測できるものではないので、ただひたすら継続はしている。

大学受験の時、母がいくつかのサプリメントを購入し、飲むように勧めてくれた。確かプロティンとビタミンEの小麦胚芽、それに整腸作用のあるビフィズス菌の粉末だったと記憶している。当時としては、高価だっただろうと今にして思うが、母自身もそのサプリメントで、身体が厳しい時季を乗り越えたのだと後に聞いたことがある。

反対に父は、サプリメントに懐疑的であった。日常の食べ物から栄養を摂取すればいいと言って憚らなかった。場合によると、サプリを信奉する母に対して「騙されている」とさえ言い切っていた。そのせいか父は、時折、大変美味しいところへ食事に連れて行ってくれるグルメであった。

両親双方の考え方を、ともに尊重したくなる感じだが、果たして今、サプリメントを飲んでいる自分は、その効果を実感できているのだろうか。とりあえず継続は力なり。秋になれば最初の3年間という一区切りを迎える。

ジムに行くと、様々なサプリメントを宣伝している。この日も試飲会があり、運動前に脂肪燃焼効果が高くなる粉末を飲んだ。運動後には、アミノ酸を主成分とする疲労回復効果の高い「リカバリー」という粉末を飲んだ。確かに、運動した後には通常より大量の汗をかいたようにも感じる。疲労回復は「明朝の目覚めが違います」とメーカー担当者の言葉。

これほど運動生理学等が科学的に研究されてきた時代であるからこそ、サプリメントは、まさに「栄養補助食品」とも言えるのだろう。「栄養補助」が母の発想、「食品」が父の発想と考えれば、相互に間違った考えではなかったと気付く。現に今でも二人揃って年齢の割には、元気に仕事を続けている健康体である。

まずは、どのサプリメントを的確に選別して摂取するかが重要だろう。

若干の贅沢であるとは思いつつ、身体コンディションに投資するのも悪くはないと思っている。
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豆腐の効用

2011-07-27
 子供のころから豆腐が好きだ。東京の下町育ちという生育環境も影響しているとは思う。住んでいる街に豆腐屋さんがあって、必ずそこで豆腐を買う。幼少の頃、商店街に八百屋・魚屋・肉屋・乾物屋等、必ず一回りして母と買い物をした記憶がある。中でも豆腐屋では、水の中に大きな豆腐があり、それを特大の包丁で切って売ってくれる場面を見たくて目を凝らしていたものだ。

なぜなら、あれだけ大きな包丁であるにも関わらず、切る対象である豆腐を手の上で切るからだ。豆腐屋のおかみさんが、世間話をしながら手の上で豆腐を切り、大きな方は再び水の中に沈む。後に考えれば、水中で行われたことなので手には何ら支障はないのだが、幼い心にはそれが手品のようにも見えたのである。

そんな経験があるからか、今でも近所の豆腐屋で買う。おばさんはいつも世間話に付き合ってくれるし、やや腰の曲がったおじさんは、幼少期に見ていた豆腐屋のおじさんと似ている。豆腐屋のおじさんは、職業的に腰に負担がかかるのであろう。その豆腐屋さんが包んでくれたビニール袋に、次のような豆腐の効用が印刷されていた。

イソフラボン=ガン予防
ビタミンB群=集中力アップ
ビタミンE=若返り
レシチン=脳の老化防止
サボニン=血中コレステロール減少
現代人に不足しがちなミネラルも多く含みしかもノンコレステロール


広告とはいえ妙に納得した。やはり豆腐は、長寿な日本人の食生活を支えているのかもしれない。

 しかし、ここに記したような豆腐屋さんが少なくなってきている。もはやスーパーで販売されている豆腐では、納得しない舌になってしまった。通勤通学途中で、豆腐屋さんの前を通ると、何とも言えない大豆の香り。そんな街が少なくなってきている。

現在の場所に居住して、意図せず最高の豆腐屋さんに出会った。それは何とも奇遇でもあり、また運命なのかとも思ったりしている。
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幼少時の記憶を再考する

2011-07-26
 比較的記憶力には自信がある方だ。それもたわいもない日常の記憶が、鮮明に残っていることがある。幼少時のそれも同じ。幼い自分が物語の登場人物のように、記憶の映像内を彷徨する。その映像が、いつしか検証される時が来たりする。自分が思っていた感覚とは若干のズレを伴いながら。

両親や親戚など、自分の幼少時を知り尽くした人たちの話は、その記憶にコメントを書き込むようなものである。なぜその場所に行ったのか?鮮烈な記憶の背景に、どんな出来事があったのか?自分が寝てしまった後に、大人はどんなことをしていたのか?等々。確かだとは思っていても、実は記憶は曖昧な点も多々あるということに気付く。人間はいつでも独りよがりなのである。

そんな意味で、両親や親戚の話がとても貴重だと思えるようになった。幼少時から今に至る人生を顧みて、なぜ今のような所業をしている自分が存在しているのか。自身でもわからないような必然性と偶然性を問うような、興味深い内容を知ることになる。

親戚一同が、同じ村に在住するような共同体を形成していた時代には、そんな会話が日常的に行われていたのだろう。事実、母や伯母の幼少時の記憶は、周囲の人々との濃厚な関係によって、実に鮮明に70年以上の時を超えて保存されている。そんな親戚や幼なじみの存在が、縁遠くなってしまう都会生活。この大海で生きるには、それなりの方法が必要なことを改めて痛感する。


一定の年齢になった時に、両親や親戚の人々と話す時間が、実は自分史を顧みる上で貴重なのではないか。

歴史は、これからの将来における指針となるのであるから。
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自分が生まれる前の時間旅行へ

2011-07-25
 毎年4月に恒例で行われている親戚の集い「いとこ会」。今年は震災の影響で、中止となっていた。その会の折には、いつも母の生育地にも出向き、祖父母の墓参りをすることになっていた。それも今年は叶っていなかった。

 こんな事情もあって、この時季に、両親と母の従姉と4人で祖父母の墓参りに出掛けることになった。東京から車で約3時間。祖父母の墓のある田園風景が広がる田舎町までの快適なドライブ。途中、あるインターで降りて親戚の経営する田舎料理の店に立ち寄る。味噌田楽を出していただき、高速のサービスエリアにはないような心温まる休憩時間。

 早目の昼食は、ご当地名物の蕎麦屋へ。東京では食べられないようなコシのある蕎麦を存分に賞味した。その後、祖父母の墓へ向かう。街を見下ろす小高い丘にある墓は、数年前に整地されて、昔に比べれば藪っ蚊も田舎の趣も少なくはなった。しかし、その周辺の一番上のあたりに土地を叔父が寄贈したことで、そこに観音様が建ち、あたりの雰囲気は一層よいものになってきていた。

 その後、2軒ほど親戚の家を訪問して、様々な話を聞かせてもらう。その一つ一つが、母の育ってきた時間に関わるものであったりするので、自分がこの世に生を受ける前のことを話に聴くという不思議な時間が過ぎゆく。

 親戚の家の後には、祖父が宮大工として建立したという神社へ。山間にあるその神社は、霊験あらたかな場所にそびえ立つ。母がまだ4歳という幼少時に、この山間の村に数年泊まり込みで、祖父は建築に励んだという。その場所に、今回同行した母の従姉が夏休みになると町から出向いて、母たち兄弟の子守をしたというのだ。その母と従姉の話を聞いていると、更に自分が生まれる前の世界に引き込まれるようでもあった。

 神社の参詣を終えて、その近くの老舗旅館へ。温泉にゆったりと浸かりながら、日常の疲れを癒す。夕方からの食事時間になると酒も入り、話は益々様々な方面に及ぶ。この田舎町で育った母が、なぜ東京に出て来ることになったのか。父と結ばれるにはどのような秘話があったかなど、そんな話の折々に、「もしその時にこうだったら」等という自分勝手なプロットを創作して、差し挟みながら話を聞いていると、更に倍ぐらい興味を深める時間となった。

 そんな自分勝手なプロットというのは、実に罪な奴でもある。次第に、自分がこの世に存在していなかったか可能性を秘めた袋小路に入り込み、ともすると涙を誘う。だが、一定の年齢である今だからこそ、現実には紛れもなく自分がこの世に存在しているという事実を確かめながら、貴重な時間旅行が行えたような気分になる。

 また、母の行動・性格を観察したとき、それが遺伝的要素なのか、生育時に小生に移植されてきたのかは定かではないが、確かに自分自身を客観視したときに、同様の要素が散見されることに気付く。その中で、問題があると思われるものは修正しようなどと考えながら、「血統」の不思議さを垣間見るような時間が過ぎた。


 話は深夜にまで及んだ。

折々に母の従姉が語ることば。

「どんなに辛いことがあっても、それは自分が成長する為の試練だと思おう。それを乗り越えたとき、自然と人に感謝して過ごせる人になれるはずだから。」

たぶん今日ここで小欄に書き切れない発見が、まだまだあった筈だが、それは小生の胸に刻んでおく。

自分が生まれる前への時間旅行というのは、科学の進歩ではなく、心の進化で実現できることを知る機会となった。
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異業種間交流

2011-07-24
 馴染みのカフェで仲の良い常連さんと様々な話をした。自分が仕事をする上で他の業種に対して、ある程度の知識はあると思っていても、そこに微妙なズレがあることを発見する。Web等で得る情報は豊富であるが、なかなかその実情に迫るには、直接話を聞いてみないとわからない場合が多いものだ。

 自分の携わる教育分野が社会に何を求め、また逆に社会は教育に何を求めているか。そんな視点で、物事を考えておかないと、相互に空回りしてしまうような状況に陥りかねない。そうした意味でも、異業種間交流は実に大切であると痛感した。

 しかも何も構えず肩肘張らず、カジュアルに馴染みのカフェで行える状況がよい。カフェの店主夫妻を含めて、社会を考えるという発想でする四方山話は、自分に新たな視点・発想をもたらすものである。

 近所にそんなカフェがある地域社会が、広い世界へ向けての扉となるのだ。

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映像とライブとの格差

2011-07-23
 1週間前の朗読会を振り返るべく、その映像を授業で観た。その後に、参加者自身に感想を聞いてみたが、なかなか肯定的なものは出てこなかった。「自分が意識したより平板な声だった。」「もっと抑揚を付けた方がよかった。」「間を取っていたつもりでも、話し全体の早い流れにつられてしまっていた。」等々。各自がどちらかというと反省点を挙げる発言が続いた。

 そんな中で、「発表会までの過程で精一杯やったのだから、自分たちの朗読に自信をもつべきだ。」という発言をする学生がいた。確かに、単に「振り返り」というテーマ設定なのに、いつしか内容は「反省会」と化していた。物事について反省するのは必要不可欠だが、お互いの朗読を賞讃する内容にならないあたりが、日本の学生の特性なのであろうか等という疑問が心に浮かんできた。

 多くの紆余曲折を経て、一つの朗読を創る。その過程には様々な葛藤が去来し、自身の意見と集団の意見を摺り合せることが繰り返されたはずだ。その結果、出来上がった朗読作品。その完成度もさることながら、創り上げる過程にこそ貴重な体験が満載なのである。発表会という1回性のライブにおいて、もちろん最大の効果を発揮することも大切ではあるのだが。もし、仮に複数回の公演が許されるのならば、参加者の感想も変化したに違いない。


 同時にVTRカメラがライブを撮影する限界も垣間見えた。会場のある地点から固定で、1か所のマイクのみで音を拾う。ゆえに、自ずと平板な声になる。抑揚や強弱などの立体感までを録るには、この機材では不可能だという事にも気づいた。

 そういえば先月、俳優・入川保則さんの朗読会に行った際に、各俳優の前にあるマイク以外に、周囲から大きなマイクを移動させながら音を録っていたスタッフがいて、大変気になったことが思い出される。眼前の単一指向性あるマイクのみではない、立体感ある音を録る為には、あれほどの機材が必要なのだと改めて感じた。


 これまた朗読会を主宰する側の反省となった。やはり学びの為には反省も必要だ。


 同時に、大学の一授業において、これほどまでに熱中できる内容を提供できたことを、自画自賛したい思いも持つ。講義を聞いて、知識をまとめて、試験を受けて終わりという授業とは、大きく違った流れと効用がある。こんなスタイルの体験型授業を、今後も増やしていきたいものだと、改めて自分自身の使命を自覚する。
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眼前の人との出逢いを辿れば

2011-07-22
 土用丑の日であるが、特に鰻を食べようとは思わなかった。毎週通っていたこの曜日の英会話教室も夏休み。そこで教室の前に必ず食事をする洋食屋さんにだけ恒例で出向く。スタミナが付く美味しいステーキでも食べようという思いもあるが、その時間に毎週のように来ている、90歳の老人と会って話せるということが、この洋食屋さんに出向く大きな理由になっている。英会話がなければ、多少のアルコール類を飲みつつ、しばしの談笑も可能でもある。

 どうしてこの眼の前にいる老人と話しているのだろうか。などと理由を考えるのも野暮な話でもあるが・・・。英会話学校がその近くにあり、レッスンのある曜日にたまたまその老人が、常連としてこの洋食屋に来ていた。双方の偶然や境遇の重なりが、不思議と世代を超えた交流を演出する。人と人との繋がりというものは、何とも奇異なものである。

 2時間ほどのゆっくりとした食事時間を終えて、馴染みのワインバーに立ち寄ることにした。この空間もまた、何とも偶然に満ちた奇異なる出逢いを提供してくれる。他のお客さんがほとんど引けた時間に、店主と話していると、ふとこの境遇にいる自分の存在が気になって来た。眼前で話している店主となぜ出逢ったのか。それには、どんな行動をしているかなどである。

 元を辿ると、その時は無謀とも思える突破力で、自分の殻を破ろうとする行動に出ている。その一歩があるからこそ、新たな出会いが繰り返され、新たな世界を垣間見ることができる今がある。その外の世界に飛び込めば、新たな泳ぎ方が自然と身に付いてくる。殻を破らなければ、固着し何ら変わらぬ人生を歩んでいたままだった。やや、大きな捉え方をしたが、そんな偶有性の海の中での自分の行動如何が問われているような気がした。


 ゆえに、殻を破ろうとしたとき、もし迷ったら行動すべしということを、改めて胸に刻む。

 人との出逢いの素晴らしさと、奇遇さ。

 そこに人生の醍醐味があるのだ。

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